極秘で行われたA級戦犯の遺骨奪還作戦!その全貌を調査したVol.4~愛知県三ヶ根山を訪問

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回の記事は、A級戦犯で死刑囚となった7名の遺骨を追ったシリーズの第4弾。池袋の巣鴨プリズン跡(現:サンシャイン60がある辺り)から始まり、横浜の久保山、熱海の興亜観音を訪れたわけですが、続いて訪れたのは愛知県の三ヶ根山という場所です。
↓↓前回記事はこちら!!
ここにはいろいろな背景があって7名の遺骨のうち茶碗一杯分が眠っています。一体ここに遺骨が来るにはどんな背景があったのか?そもそも三ヶ根山とはどのような場所なのか?その全貌を取材しました!
ポイント

・殉国七士廟には茶碗一杯分の遺骨が分骨されている
・土肥原賢二の弁護士を務めた林逸郎弁護士の貢献があって、三ヶ根山に分骨された
・三ヶ根山には、殉国七士廟以外にも非常に多くの慰霊碑が建立されている

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三ヶ根山は、有料道路からしか入れない

今回三ヶ根山を訪れたのは、2017年12月27日ともう2017年が終わりを告げようとしていた時。11月に興亜観音を取材して、「早いうちに三ヶ根山を取材しなければ!」と思っていたため、年末年始の休みの時期にレンタカーをかっ飛ばしてきたってわけなんですな( ^ω^ )
ってか三ヶ根山ってどこだよって話ですが、愛知県の南側に位置する丘なんですね。このエリアは昭和33年に三河湾国定公園に認定された場所で、海やら街がめっちゃ綺麗に見渡せる丘になっています。
▲三ヶ根山スカイラインの料金所
ただ、その三ヶ根山は車で入る場合は三ヶ根山スカイラインという有料道路から入る必要があります。「なんで有料道路からしか入れんのよ・・」と少し一人で突っ込んでいましたが、まぁ420円くらいならいいぜ!!払ったるぜ!!

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多数の廃墟がお出迎えwww

なんか道を走っていても、車の数が鬼のように少ないし、すんごく閑静で「バブル期にはお客さんが多かったがその後廃れていったエリアかな??」みたいな、いろいろな推測をしていたわけです。そうすると現れたのが、こんな感じの廃墟。
なんか窓とかもがら空き状態なので、廃墟マニアとかを喜んで迎え入れているかのような廃墟。DQNによる落書きも散見されて、なかなかの朽ち振りを発揮してくれていました。
殉国七士廟があるということで、右翼系の方と何かしらのつながりがあったのかこんなものが目に入りました。
またまた廃墟。というのも、ここはかつては大きな展望台があったりして賑わっていたようなのですが今ではその展望台も姿を消してかなり閑散とした状態になっているようなのですね。。今でも、昔(バブル時代の頃??)ここでデートした思い出に浸りに来る中高年の方が来たりもするそうですよ!!

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殉国七士廟へは心して向かうように!!

しばらく三ヶ根山スカイラインを走ると、このように右折する道が。どうやら、ここを右折した先に殉国七士廟があるようです。
角っこには、このような案内板が。石に彫ってあるとものすごい重圧感というか、入るのになんか勇気がいりますな・・。
さらに進むとこんな石柱が出てくる。雰囲気やばすぎ。。こんなドッシリしたものが構えてあるとさらに進むのに勇気がいりますね。。
石柱を進むと、このような開けた場所に出ました。なるほど、この先にある階段を上がったら殉国七士廟があるのでしょうな。誰の姿も見せないので、それが逆に不気味。。

ついに、殉国七士廟へたどり着いた!

そしてついに殉国七士廟が姿を現した。ここか、、、ここでしたか。なんか来るとこまで来たな〜って感じです。訪問したのは寒さが堪える12月の下旬の午前11:00頃。風が強く、そしてその風がとても冷たいため、手袋なしでは厳しい状態。
そんな厳しい環境下の中辿り着いた殉国七士廟。風が吹く音しか聞こえないこの空間に佇む碑を見ると、ちょっと異空間というか、日常から隔たった空間に来たかのような錯覚にも陥る、そんな気さえした場所でした。。
殉国七士廟は結構丁寧に維持されているようでした。周辺はとっても綺麗で定期的に掃除はしているだろう感は出ていますし、お花も入れ替えられているようです。この碑は「一般社団法人 殉国七士奉賛会」が手入れをしているようです。
ここに殉国七士廟が出来たのは昭和35年(1960年)で、その完成以来、墓前祭が毎年4月29日(みどりの日であり、昭和天皇の誕生日でもある)に行われています。
コップの中に入っているには、お水でしょうか、それともお酒なのでしょうか??
ちゃんと7つのコップが用意されていますね。
碑の前で、興亜観音でも合唱はしたものの、ここでも改めて手を合わせました。太平洋戦争に関しての色々な出来事はあったものの、先人に対しての敬意と、今後の日本の発展を見守っていただくように願いを込めて。
でも、ここでというか私はずっと疑問に思っていたのですが、「なぜこの地に7名の方の遺骨が興亜観音から分骨されることになったのか?」という点です。

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なぜ、三ヶ根山に7名の遺骨が分骨されたのか?

そう、これがわからなかったんですよ!!ただし、三ヶ根山で取材を行ってその背景を聞くことができました。ここに7名の遺骨が分骨されたのには、幾つかの偶然によって成り立っていた背景があったのです。

三ヶ根山周辺で競艇場関連のトラブルが発生

三ヶ根山周辺には、1955年に蒲郡競艇場という競艇場が誕生しました。
そんで、この競艇場の分配金を巡って、周辺の市町村である岡崎市、蒲郡市、幸田町、吉良町、幡豆町、一色町、西尾市辺りでトラブルが起こったようなのです。そこで、良い弁護士がいないかと探していた時に、これが本当にたまたま、東京裁判の時に東京裁判弁護団のスポークスマンを務め7名の遺骨奪還作戦にも関わった林逸郎弁護士が選ばれたのです。
そして林逸郎弁護士によって競艇場の分配金問題は無事に和解( ´ ▽ ` )ノ
その後、和解がうまく行ったということで当時の幡豆町の町長がこの三ヶ根山という場所に林弁護士を案内したそうなんです。
▲三河湾や蒲郡の街を一望できる三ヶ根山
この三ヶ根山は、海も街も見渡せる広大な丘。そこで、この景色を見た林弁護士は興亜観音に埋葬されているA級戦犯で死刑となった7名の遺骨を思い出すわけです。

功労者は林逸郎という弁護士だった!

▲熱海の伊豆山という急峻な場所にある興亜観音
三ヶ根山は海も街も見渡せる広大な丘ですが、7名の遺骨が埋葬されている興亜観音は非常に急峻な場所にある。そこで、この場所に彼らの遺骨を分配して景色の良いこの場所で埋葬するのがいいのではと、林弁護士は思ったわけです。
そこで、林弁護士はご遺族や関係者の同意を得て幡豆町の町長に、ここに7名の碑(殉国七士廟)を置いていいか頼みにこられたそうです。そこで町長がOKしたことによって、ここに殉国七士廟ができたというわけなんですね!!
そんなわけで、この地に殉国七士廟ができたのは林弁護士の尽力、そして当時の幡豆町長のご好意が背景にあったわけです。
ただし、今現在7名の遺骨があるのは3箇所です。前回記事の興亜観音、今回の三ヶ根山、そして長野県赤沼という場所にも遺骨はあるのです。というのも、この地は遺骨を奪還した横浜にある久保山火葬場の当時の火葬場長であった飛田氏の地元だった事が起因しています。
ちなみに、毎年首相参拝問題で終戦の8月15日になるとお隣のどこかの国がいちゃもんをつけてきたりする靖国神社は、祀られてはいますが遺骨自体はないのでそこは混乱がないように!

妙に気になる三ヶ根観音を訪問!

殉国七士廟を参拝した後、三ヶ根山スカイラインを戻っていて気になったお寺が一つあったんですよね。それがこちらの三ヶ根観音。事前調査をそこまでしていたわけではないので、この観音の背景などは一切不明・・。しかし、もしかしたら殉国七士廟と少しでも関係がないか、またはそれ関連で何か話が聞けないかというわずかな希望を持って観音を訪れてみることに!!

観音の周辺には無数の慰霊碑が!

▲120近くの慰霊碑が建つ三ヶ根観音周辺
すると、観音の周辺には驚きの光景が。周辺には、太平洋戦争関連の方々を弔んでいると思われる無数の慰霊碑が建っていたのです。先ほどの殉国七士廟周辺にも10近くの慰霊碑があったものの、ここにもかなりの数の慰霊碑が建立されていました。
中には、陸軍少年飛行兵のいわゆる特攻隊員の慰霊碑もあったり。
あとは、動物供養の碑も。この「愛馬之碑」は、戦地で荷物を運ぶために率いていた馬の慰霊碑のようです。

お寺の方に話を聞いてみた!

この辺の背景は一体どうなっているのか。お寺の住職さんに話を聞いてみようと、呼び鈴を鳴らしてみることに。。。
▲フィリピン島で戦死した方々を弔う比島観音
すると、住職さんではないですが住職さんの奥さんらしき方が少しだけ話を聞いてくれました。この三ヶ根観音周辺に慰霊碑として最初にできたのは比島観音という観音様だったそうです。比島とはフィリピン島のことであり、太平洋戦争時にフィリピン島で戦死した方々を弔うためために建てられたのが比島観音(ひとうかんのん)。
そもそもは、今の先代の住職さんが戦争経験者だったようで、そんな背景からここに戦争で亡くなった方々を祀るために慰霊碑が建てられたそうです。説明していただいた方は、あくまで先代の住職さんからいくらか聞いただけであり、この辺のことについてそこまで詳しくはないとのことでした。

おわりに

▲戦争関連の遺品が並べられている「ゆーとぴあ三ヶ根」
三ヶ根観音を訪問後、三ヶ根山の地を後にしようと車を走らせていたその時、ふと「ゆーとぴあ三ヶ根」という建物が運転中に目に入ったんですな。ちょっと古そうな建物であり、中に入ってみると軍服やら日本国旗やらが展示されているではないですか!!
もしやと思いスタッフの方に聞くと、なんとこの建物は東條英機のお孫さんである東條由布子女史が関わっていた建物だったのです。A級戦犯の死刑囚7名に東條英機が含まれていることから、この建物は間違いなく7名の遺骨の話と関わっているに違いない!!
ということで、この「ゆーとぴあ三ヶ根」に関してもスタッフの方に2日間に渡って取材を行い、先ほどの比島観音に関する話などなどありとあらゆることを聞くことができました。一体この三ヶ根にはどのような物語があったのか??
↓こちら三ヶ根を取材した続編です!

参考文献

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詳細・地図

住所 愛知県西尾市東幡豆町大境
訪問可能時間 8:00〜20:00(三ヶ根山スカイラインが空いている時間)
入場料 420円(三ヶ根山スカイラインの通行料)
リンク http://ki43.on.coocan.jp/
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