横須賀の皆ヶ作に残る老舗バー「一二三」を訪問して歴史を聞いてきた~皆ヶ作Vol.3

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

こんにちは(*’▽’)

今回は横須賀にあった売春街である皆ヶ作に関する記事の第三弾です。前回までは皆ヶ作の歴史や、周辺に残る老舗に突撃して取材した内容などを書いていますが、今回も第二弾と同様に現地で長く営業する飲み屋を取材した記事になります。

↓前回までの皆ヶ作の記事は以下ですm(__)m

今回取材したのは『バー 一二三(ひふみ)』というお店ですが、ここは住宅地の中に今でもひっそりと営業を続けている飲み屋っす。今でも常連さんが多くママさんもすごく話してくれる方だったので楽しい取材となりました!

ではでは、このお店で聞いた皆ヶ作に関する色々な事を以下で放出していきたいと思います!

本記事のポイント

・一二三は、1963年から続く老舗の飲み屋
・現在も、元海上自衛隊員のお客さんがたまにやってくる!
・お店の名義変更は厳しそうなので、お店は長くなさそう・・

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営業しているか不明だった・・

『バー 一二三』の位置

『バー 一二三』があるのは、上の地図の場所。京急田浦駅から歩いて15分くらいの場所にあり、かつての銘酒屋街のすぐ手前ですねにあるって感じですね!

なかなか趣(おもむき)のある建物

その建物がこちら。すごく年季がある建物ではありますが、このお店は銘酒屋ではなく(おそらく)カフェーだった建物だと思われます。このお店は昼間には何度も訪問していて建物の写真は撮っていたものの、訪問したのが昼間ということもあり今でもお店がやっているのかもわからずじまいだったんですね。。

ネットにもこの店が営業しているかどうかの情報は全くないので、夜に訪問して確かめるしかなかったんですが、なかなか時間が取れずずっと後回しにしていたわけです。。

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明かりがついてるではないか!

んで、しばらくして2019年8月にようやく時間を作って夜の時間に一二三を訪問したわけです。

すると、いや〜〜見事看板に明かりがついているじゃないですか( ´ ▽ ` )ノ

ということで、営業していることがわかり一安心。早速店内へと突入することに!

店内は綺麗なバーという雰囲気

中はこんな感じ。すんごく渋い感じかと思っていたんですが、結構綺麗なバーという感じでした。

入店すると、ちょうど開店時間からすぐだったようでお客さんは誰もおらず。んで、すごく話しやすい雰囲気のママさんに訪問した背景を伝えると、早速席へと通してくれました( ´ ▽ ` )ノ

ということで、ママさんからいろいろ皆ヶ作の歴史やこのお店の誕生背景などを聞いてきたのでその辺を以下で書いていきたいと思います!

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東京オリンピックの前年に開店

私:「一二三はいつから開店してるんですか?」

ママさん:「この店は私の母がオリンピックの前の年(1963年)に始めたの。前まで母も店に居たんだけど今は介護が必要でね、、でもお店も常連の方がまだいるから閉めるわけにもいかずでね。。」

私:「お客さんは、昔からの常連さんが多いんですか?」

ママさん:「お客さんはみんな年金受給者ね。今の時代、若い人はお酒飲まないでしょ。。今でも昔からのお客さんはいるんだけど、今はすっごく暇なの。日によってはすぐ閉めちゃうときもあってね。」

靴べらとマッチ

いろいろ話をしながらこんなものも見せてくれました。「以前部屋を掃除してたら出てきたのよ〜〜」と、お店の名が入った靴ベラ(左)とマッチ(右)ですね。

マッチは、昔の飲み屋だと名刺代わりとしてよく作られており、今でも昔の飲み屋とに行くとマッチをもらえることがあるんですよね。私は吸わないですが、タバコを吸う人たちからしたら助かるということで昔は重宝されたんじゃないっすか。

しかし、靴ベラまで作るとは( ;∀;)

おかめの顔面がリアルでちょっと怖い(・_・;

マッチのもう片方の面には花札が描かれていますな。これはママさんのお母さんが花札が好きだからということで描かれたらしいですよ。

ってかこの写真ブレブレですな。。写真撮影の腕がクソすぎてほんまスンマセン。。

常連さんもやってきた

このお店は営業を始めてから55年近くも経つんですね。ママさんのお母さんは、以前ここからさらに奥に行った場所で『古里』という飲み屋もやっていたそうです。

今では周辺は住宅街になっていて、この辺で営業しているお店は一二三だけ。

ママさん:「まだ店を続けてる理由?閉めらんないからよ。まだね、常連の方がそれなりにいるのね。だから母がお店出られなくなったって言ってもいきなり閉めちゃうのもかわいそうじゃない!」

私が訪れた時も、途中から2名の常連さんが来店されましたよ。どちらの方も昔からの常連さんらしく、片方の男性に至っては50年近く一二三に通い続けているらしい。

近くにある海軍基地

昔のお客さんというと、ここ船越には海上自衛隊の基地があり、企業としては日立、東芝、関東自動車などがあったようで、その方々が多かったそうです。この辺は、前回記事で取材したお店「おかね」と同じですね。主なお客さんはその方々で、当時は喧嘩も多かったりと、ま〜賑やかだったそうですわ!

ママさん:「それでね、元自衛隊の方の中には今でも一年に一回くらい飲みに来る方もいるのね。今群馬の舘林に住んでる方なんかはさ、5月のGW明けになるとやってくるのよ。」

ママさん:「それでね、この店は私の母が亡くなったらそれまでなの。先日田浦警察署に行ってきてさ、今のまま私名義に変更するか、母が亡くなった後に新規で始められるかを聞いたの。そしたらね、ここは住宅街だからってことで90%以上の確率で許可が下りないって。。」

いわゆる風営法ですね。1963年に始めた当時は飲み屋が多く許可がおりましたが、新しく始める場合は現行の条例に従わなくてはいけないので許可は下りないでしょうな。。

この建物は六回も改装している

かなり年季を感じる建物

ここでちょっと建物について触れましょうか!

先ほども書いたように、このお店は今のママさんのお母さんが1963(昭和38)年に中古で買った建物。なので、いつから建てられたのかは不明ですが、それ以前の赤線時代はカフェーとして使われていたのかな~と思ったりしていますがどうなんでしょう。。

今は一階がお店で二階は空き家となっていますが、つい最近まではママさんのお母さんが住んでいたそうです。昔は一階がお店で二階が住まいってのはここだけじゃない話ですね。

んで、この建物は中古で購入して以降六回も改装をしているとのこと。

昔は旅館だったらしい

その一二三の隣にあるこちらの建物もインパクト大きいっすわ!

この建物は、昔は旅館として営業していたようで海軍の方が下宿をしていたものの、連れ込み旅館としても使われていたとママさんから聞きました。外からだと中がどうなってるかわかりませんが、小さいいくつもの部屋に区切られているとのこと。

今は空き家になってるのかな??

一階部分はRになっていて(丸くなっているってこと)二階部分がとがっているおもろい造り。ここには雰囲気ある明かりがついていたんですかね~。

写真を撮りに来る人は多い

住宅街の中によく残っているな~と思いますが、ママさんが言うにはよくお店の外観を写真に収める方を見るという。ネットとかで皆ヶ作が売春街だったということを調べて、私と同じようにこういう建物や歴史好きな方が撮りに来てるんでしょうね!

ママさん:「この建物ね、よく写真撮りに来る方と会うのよ。以前も『この看板撮っていいですか?』って言われてさ。まぁ悪いことに使わないんだろうからいいよって言ったの。でもお店には入ってこなかったけどね。。」

他の場所でも「写真撮りに来る人けどお店には入ってこない」って声は飲み屋の方から聞きますね。まぁ金かかるし、バーとかってちょっと入るのに勇気も入りますからね。。この辺は人それぞれってことですかね!

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皆ヶ作の歴史を伺った!

いろいろ話を聞いていく中で、昔の皆ヶ作についても聞いてみました。前回の記事でも飲み屋のママさんに聞きましたが、今回も何か新しい情報が聞けないかと、横須賀中央図書館でコピーした1960年や1970年ころの地図などを使いながら聞いてみることに!

上の地図は1960年と1970年ころの皆ヶ作の地図を参考にして作成したもの。銘酒屋が45軒あったかつての街には、1958年の赤線廃止後にはバーや銘酒屋から転業した旅館、あとは食堂や個人商店なども多いですかね。

この辺の旅館は、おたか旅館のように連れ込み旅館だったケースと一力旅館のように海軍の方が下宿先として長期滞在して泊まっていた旅館のケースと二パターンが存在していたという。昔の海軍の方は、今のようにマンションを借りていたわけではなくこういった旅館に下宿していたんだそうですよ!

で、昔あったお店を地図を見ながら確かめていたら「チャイナタウン」というお店に反応したお母さん。

チャイナタウンの場所も住宅に・・

ママさん:「あ〜チャイナタウンはね、この辺ではナンバーワンで凄く有名なお店だった。だからこのお店があった頃にここで遊んでた方はみんな知ってると思うよ。」

今は上の写真のようにチャイナタウンがあった場所は住宅になっていますが、ここには美人の人がいて有名なお店だったそうですよ。

おたか旅館の場所は駐車場に・・

ママさん:「あ〜月豊さんはこの辺の組長さんだった方よ。おたか旅館はもうおばあちゃんが亡くなられたんだけど、そこは連れ込み旅館だったわよ。」

連れ込み旅館だったおたか旅館の場所は見事に建物は消え失せて駐車場になっていましたよ。。

皆ヶ作が賑やかだったのはお母さんの感覚では平成の初期頃までだという。やはり、海軍の方がここで飲まなくなったのが一番大きかったんじゃないかともおっしゃっていました。

ママさん:「うちのお母さんが中古でここを買ったから建物自体はすごく古かったと思うよ。お母さんがここを始めた時は49軒くらい飲み屋があったとか言ってたかな。」

ママさんから聞けた皆ヶ作の歴史はそんな感じですかね。まぁ今日いきなり聞いた形になったのでまた再度訪問したらまた思い出してくれるかもしれないですね!

皆ヶ作にゆかりあるお店が埼玉県に!

色々とこの辺りの歴史を話していただいたわけですが、最後にママさんがこんな話もしてくれました。

それは、皆ヶ作銘酒屋街跡にあったとある旅館にまつわる話。

それを説明するために先ほどの地図をまた出しますが、皆ヶ作銘酒屋街があった場所には「一力旅館」という旅館が以前あったそうなんですね。上の地図で赤矢印で示しているやつですね!

で、私が一二三に訪れた何か月か前のこと、バー一二三に、昔海上自衛隊にいた時に、一力旅館でずっと下宿をしていたという男性が訪れてきたそうです。

その方から頂いた名刺

その時に、その方からいただいた名刺をまだママさんが持っていました。この方は、しばらく海上自衛隊員だった時代のことなど忘れていたあるとき、インターネットでたまたまこの辺のことを調べていた時に、まだ皆ヶ作に一力旅館があるということを知り、埼玉から20年ぶりに皆ヶ作の地を訪れたそうです。

昔、自分が青春時代に過ごした旅館を見に来たわけで、その時に一二三にも寄ったという流れですね。

「旅館 一力」があった場所

その一力旅館があった場所には、今でも旅館の時のままの建物が残っていますが、すでに旅館としては廃業しているようですね。

そして、その方はその思い出を元に、「一力旅館」の名前から地元である埼玉県小川町に「めし処 一力」というお店を出したんだという。それは大変面白い話っすね!

その後、さらにママさんのプライベートな話など、初対面ではあるものの結構色々ぶっちゃけてくれました。

ここは、ママさんのお母さんが亡くなったら廃業しなくてはいけないということもあり、そんなに長くはないのかな~という感じ。ということで、近いうちにまたママさんに顔を出しに行きたいな~と思った今回の取材でした!

おわりに

埼玉県小川町の「めし処 一力」

三時間近くにわたって皆ヶ作の歴史からこのお店の歴史、さらにはお母さんのプライベート的な話まで色々話を聞きましたよ。で、今まで三つの記事にわたって皆ヶ作に関して書いてきましたが、まだこの記事では終わりません。

やはり先ほど紹介した、埼玉県の小川町にある『めし処 一力』に行って、そこの御主人から皆ヶ作での一力旅館などの思い出をほじくり出さないわけにはいかないっすね!!

ということで、私は引き続き皆ヶ作の歴史を知らべるべく、埼玉県の小川町へと向かったのでした!

↓次回が、皆ヶ作シリーズのラストになります m(__)m

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県横須賀市船越町6丁目62
営業時間 19:00~23:00
定休日 不定休
駐車場 なし
アクセス 京急田浦駅から徒歩15分ほど

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