ブリ漁師で賑わった赤線時代の真鶴色街史を紐解いた!

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検査は毎月15日

話を進めていくと、次は検査の話に!

おっちゃん:「そうそう、あとこの街では毎月15日に検査があったんだよ。西銀座から坂を上った場所に”佐藤病院”ってところがあってさ、そこで穴の検査をするんだ!」

私:「佐藤病院?」

『1969年の真鶴明細地図』より

地図を探すと、真鶴小学校の隣に佐藤病院が載ってますね!今はこの病院はないものの、当時はここが女性たちの検査病院だったようです。

遊郭という公的に売春が行われていた場所には、必ず検査病院を設けて定期的に検査をしていましたが、今回の真鶴のような私娼窟にも病院があって検査が行われていた場所が多かったようです。

おっちゃん:「佐藤病院ではさ、今で言うタンポン、脱脂綿をギュッとしてカチカチになったやつを棒にして、そこにペニシリンを塗って穴の中に入れるんだよ。。そう言うことをやってたんだよ。」

おっちゃんはとてもおおらかな方でいろんなことを教えてくれました。

さらに話は続く・・

おっちゃん:「それにさ、俺の実家はまさに西銀座のど真ん中よ。その地図によ、”マナヅル薬局”ってあるか?そこが俺の実家なんだよ!」

探すと、、、あった!

確かに地図に載ってる”マナヅル薬局”は、西銀座のド真ん中やな!

おっちゃんの実家だった薬局

地図にも載ってましたが、実際にその建物も残っていました!!

おっちゃん:「あったろ。俺が小学校五年の時なんかさ、昔の配達袋ってのがあるんだけどそこにコンドームをたくさん入れるわけ。んで俺がさ、小学校五年生の時にだよ、そういう場所に配って歩くわけ。」

私:「そんな話、初めて聞きましたよ!」

おっちゃん:「そうかよ。んでよ、コンドームにも色付きのゴムがあるんだよ。赤だとか青とかな、でも人気ナンバーワンは黒。迫力があるからね!」

この辺は、おっちゃんの実体験だったこともありかなりリアルな話。しかし薬局の息子だったってことで、こんな話が聞けるとはww

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真鶴で遊ぶのは湯河原の人間?

真鶴近郊には、小田原のような宿場町だけでなく湯河原や箱根、熱海のような温泉街もあるため、真鶴以外の場所にも歓楽街はたくさんあったわけです。

真鶴周辺の歓楽街

地図に簡単にまとめるとこんな感じでしょうか。少し前の記事には小田原にあった歓楽街の初音新地(遊郭)、新開地(私娼窟)、宮小路(花街)に関して書きまくってたんですが、その他にも熱海の糸川べりや湯河原の五軒町(赤ペンの街)など幾らかあったわけです。

かつての歓楽街『熱海糸川べり』

んで、真鶴の人間が女遊びをする時は湯河原や熱海へ遊びにいき、湯河原の人間は真鶴に遊びに来るという風習があったそうです。そういう遊びは地元だと顔が知られてるから遠慮してしまいますもんね~。

熱海は平成の頃まで、夜になると糸川べり沿いには呼び込みババアが現れて、交渉成立するとモグリの売春宿に案内されるみたいな光景が残っていたようですが、もうそんな光景は見られないようです。

しかし、昔は娯楽が少なかったとはいえ本当にいろんな場所に歓楽街があったんですな~。

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金がない奴はブリを持ち込む!

真鶴港のブリ水揚げの様子

真鶴で遊んでいた方は、赤線時代のころはブリ漁師が主だったようですが、もう本当に笑いが止まらないくらい捕れまくった時期もあったそうです。捕れたぶりは市場に出すわけですが、やはり悪知恵を働く連中もいるわけです。

おっちゃん:「捕ったブリもさ、セリ(競り)に出すと漁業組合には入るけど自分に直には入ってこねぇわけだよ。そうするとさ、漁業組合を通さないルートも出てくるわけ。今も建物残ってるけど、”どうしんぼう”って言われていた建物があってさ、あそこにブリを持ってくとそのまま買い取ってくれたんだよ。漁師からするとすぐ現金が入るってわけさ。」

そうやって現金を手に入れて遊びまくっていた人もいたそうです。

ところで、「どうしんぼう」って聞いたことあります??

最初何の意味かわからなかったんですが、とりあえずググってみたら世界大百科事典の「盗魚」という項目にこんな記述があるそうです。

…親方もこれを半ば黙認した。九州一円では,これをカンダラ,カンダロなどといい,山口県ではトウスケ,関東ではドウシンボウ,東北の太平洋沿岸ではモスケなどと呼んでいる。網漁業のように組織化された漁労形態に多くうかがうことができ,特定の舟主による漁業の私有化と,これに参加する漁民の漁獲物への共有意識の間に現出した習慣とも考えられる。…

『世界大百科事典 』より

あと、Weblio辞書のサイトにもこんな記述がありました。

網元制のもとで,漁夫が漁獲物の一部を隠匿すること。

https://www.weblio.jp/content/%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%BC%E3%81%86

確かにおっちゃんの言っていたのと意味合いというか、方向性はあってる気はしますね!

この辺にどうしんぼうの建物があったっぽい

そしてそのブリを持ち込んでいた建物が今も残っているということでその場所を大まかにおしえてもらったんですが、どれかわからない。。この辺なはずなんですけどね、もっと詳しく教えてもらえばよかった。。

私:「どうしんぼって何者がやってたんですか。ヤクザとか?」

おっちゃん:「どうしんぼはヤクザとかそういうのじゃなかったと思うよ。漁師じゃなくて金儲けのうまい金持ってる人間がやるんだよ。換えるために現金がたくさん必要だから金持ちじゃないとできないだろ。それに昔は鰊(にしき)御殿と一緒でさ、ブリ御殿ってのが真鶴にあったんだよ。そりゃデカい家でさ、使いの人っていうの、そういうのも何人もいるんだから。」

へぇ~、確かに大漁に捕れたわけだし、ブリ御殿もあたんでしょうね!

おっちゃん:「でさ、現金がない奴なんかはブリを持ち込んで遊びに行くんだよ。物々交換ってやつね(笑)」

私:「なんじゃそりゃww」

売春防止法の影響で姿を消していく

そんな賑やかだった西銀座も、売春防止法によって1958年4月から活気を失っていくことになります。

閑静な西銀座

私:「ここはいつまでそう言ったお店があったんですか?」

おっちゃん:「だいたいは売春防止法が施行された1958年までだね。ここは田舎だからさ、その後も一応残ってはいたよ。でも、手入れとかもたびたびあったからもう勢いはないよね。。」

松本農園のご主人さんは、「東京オリンピックの前くらいまではあったかな〜」とおっしゃっていたので、そう考えると「売春防止法施行後も売春は続いてはいたが、1960年くらいにはそう言った売春宿は姿を消した」って感じですかね。

そう、この辺の水族館のこともおっちゃんからちょっとオマケで教えてもらったりもしました!

真鶴水族館の入り口

そんな真鶴、歓楽街の賑わいはなくなりましたが、昭和の終わりごろまで真鶴水族館、などのレジャー施設があり多くの方が訪問していたそうです。

切り立った海沿いにある入り江を利用し、入り口に「龍宮閣」という立派な門が設けられたこの水族館。

真鶴水族館にあった釣り堀

水族館には釣り堀もあって、こうやって来客は釣りも楽しんでいたそうですよ(*’▽’)

ただし、この水族館は台風がやってくるとたびたび大打撃を受けて改修しきれず、昭和の終わりごろに閉園。確かにこの切り立った崖の多い入り江にできているし、台風が来たら風も強そうだし、波だって荒れ狂いそうですわ。。

おっちゃんから教えてもらったことは以上ですかね!

最後に、「またさ、何か聞きたいことあったら来なよ。また教えてあげるからさ!」と言ってくれて、おっちゃんと別れることに。

本当にたまたま会ったわけですが、声かけて本当に良かった。また、おっちゃんには顔出しに行こうかな!

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真鶴に歓楽街を作る計画があった!?

おっちゃんから赤線時代の貴重な話を聞いたわけですが、図書館にもちょっと気になる資料があったので紹介してみようと思います。

売春防止法が施行され真鶴は閑静な町となったわけですが、昭和の1970年代頃の「真鶴町都市計画」には、真鶴に再び歓楽街を造る構想があったようです 。

引用元:『真鶴復刻版 第二集』

郷土を知る会という地元の方々が発行した『真鶴復刻版 第二集』という資料の中にそんな内容の記載がありましてですね。そこには、真鶴の都市計画を巡って神奈川県案と真鶴町案の二つの案が載っているんですね。

神奈川県案では、駅前から県道沿い、また真鶴港沿いを「近隣商業地域」に指定しています。この近隣商業地域では旅館、スケート場、ボーリング場、パチンコ屋などは営業できますが、映画館や待合、料理店、バー、キャバレー、ダンスホール、ト〇コ風呂のような風俗営業は商業地域でないと営業できないわけなんです。

ところがどっこい、真鶴町案では駅前-真鶴港、岩港の数か所を商業地域として指定しています。つまり、町案では真鶴や岩の目抜き通りに歓楽街を造ろうとしていたわけです。

歓楽街を作って人を集めたかったんですかね。

保存されている真鶴の森林

でも、結局現在は多くの自然が保護されるとても静かな街になっています。いろいろあって歓楽街を作る真鶴超案は採用されなかったようです。

現在、真鶴半島には「魚を集める森」という目的もあって海岸沿いの森林が保護されています。「海面に暗がりをもたらし、それを好んで魚が集まる」「海に落ちた枯れ葉や虫にプランクトンが繁殖し、それを食べようと魚が集まる」という考えから、森林が魚を集めるんだそうです。

坂が多く険しい地形にある閑静な町、真鶴。

世に出ることのなかった、貴重な赤線時代の物語を知ることができ、そんな賑やかだったかつての光景を思い浮かべながら、この街を後にしました。

おわりに

海からの西銀座周辺

今でも多くの自然が残り、釣り客やみかん狩りのお客さんが訪れる閑静な街である真鶴。そんな真鶴にも、東京オリンピック前にはとても賑やかな時代があったんですな。

真鶴の色街の歴史に関してはネットにも図書館でもそうそう情報はなく、松本農園のご主人や、たまたま出会った西銀座出身のおっちゃん、あとは県内の図書館にある郷土資料を漁るだけ漁ってようやくこんな感じでまとめることができました!

調べようと思ってから四ヶ月くらいかかりましたが、真鶴の色街史についてはとりあえずこれにて一旦終了ですかね。また、追加情報があれば追記していこうと思います!!

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴834付近
アクセス 真鶴駅から徒歩10分ちょい

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コメント

  1. 知の冒険の記事で初めて真鶴岬や小田原やらが風俗も売りにしていたって知ってビックリだったけど、確かに記事で紹介されてた辺りを地図で見ると今も旅館が若干残ってるし、小田原百貨店なんて商業施設も有るんだよね。

    昔は凄く栄えてたんだろう。

    何で風俗店今も有るのに形骸化した売春禁止とかするんだろね。
    寧ろ男女ともに風俗店利用資格や就業資格作り半月一回の検査義務とか法律で感染リスクをコントロールした方が日本の為に成りそう。
    そこ行くと当時の真鶴の売春婦は実質人身売買で人権が無かったのは問題だけど、感染リスク管理はちゃんとしてたんだね。

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