松任谷由実という歌手を皆さんはどれほどご存知でしょうか?”ユーミン”という愛称で親しまれ、もはや日本の音楽界では欠かすことのできないスターといえる存在の歌手。
そんなユーミンの名曲は「やさしさに包まれたなら」「ルージュの伝言」「中央フリーウェイ」など数知れず!そんな中、今回はユーミンの曲である「雨のステイション」という曲にフォーカスを当てます!世間でどのくらい認知度があるかわかりませんが、この曲は東京にある西立川駅がモデルとなっていたのです。
ということで、その曲と西立川駅に関して。そして、ユーミンの曲に関しての考察等も含め本記事で説明していきます!
本記事のポイント
・ユーミンの名曲である「雨のステイション」はJR立川駅が舞台になっている
・発車ベルに曲が使われている他、駅前には歌碑もある
・ユーミンは八王子が地元であり、八王子周辺に関する歌を数曲出している
見出し
西立川駅を記事にした経緯
いつもは事前にネットや本などを駆使してネタを集めるのですが、今回は偶然発見いたしました。私は仕事の終わりなどは会社から駅まで音楽を聴くことがあるのですが、なぜか最近よく聴くのがユーミンの「雨のステイション」。
なぜかこの曲が最近のマイブームでいつもいつも聞いていたある日、秩父に行く用事があり家から電車を乗り継いでいる時、とある駅の発車メロディを聴いて「あれ?」と思ったのです。そう、この音楽はあの「雨のステイション」ではないか?
そう思い電車の中でネットでいろいろ検索しまくると、やはりそうでした。最近聴いていた「雨のステイション」。その”ステイション”が西立川駅とは意外な発見。これは何かの形で記事にしたいと思い、今回記事にするに至ったのです!
西立川駅はどんな駅か?
▲JR西立川駅の改札前
雨のステイションの舞台が西立川駅と知った後日、早速西立川駅を訪れました。西立川駅は立川駅から青梅線で1駅の場所にある駅。ここは昭和記念公園の最寄り駅ということもあり、休日はそのお客さんで賑わうようです。
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2016/10/31現在もこの駅の発車メロディとして利用されている雨のステイション。元々は期間限定のものだったそうなのですが、好評だったことにより今でも使用されているとか。
▲西立川駅からすぐの場所にある「昭和記念公園」
駅の北側に位置する昭和記念公園。元々は米軍の立川基地だったのですが1977年に横田に移転することになり返還されています。返還される前は米軍で賑わっていたようですが、駅の北側は米軍基地である一方駅の南口は住宅地となっているいびつな駅だったのですね。
雨のステイションは、基地内の「スピード」というディスコで遊んだ帰りに見た情景が反映されているとのこと。
一応南口も訪れたものの、北口とは異なり出口も小さく北口に比べると静寂な雰囲気となっています。
駅前にはコンビニとスーパーくらいしかなく、その他は住宅が立ち並ぶ感じに。
▲駅のホームから、米軍機が見えることも
駅の上空では米軍機を見ることもあるのです。立川基地は返還されている今ですが、近くには横田基地があるからでしょうかね。まだまだ、この辺りの土地には戦争の歴史を多く感じる場所なのでしょう。
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ユーミンの名曲の舞台に!
そんな西立川駅は、ユーミンの名曲である「雨のステイション」の舞台になっています。その歌と駅の歴史について、簡単ではありますが以下で説明していきます!
駅前には雨のステイションの歌碑がある
西立川駅からすぐの場所には、雨のステイションの歌碑が存在します。駅の北側は昭和記念公園の入口となっており、駅と昭和記念公園の間にその歌碑はあるのです。
▲駅からすぐの場所にある歌碑
こちらがその歌碑。ぱっと見、知らないとこれが何なのかわからないかもしれませんな。
この歌碑が設置されたのは2002年のこと。駅舎の改築の際に置かれることになったそうです。歌碑を設置した後には、何とユーミン本人も訪れたのだそうです。この歌碑を置くことを考案したのはユーミン本人ではなく、中山賢二(なかやま不動産専務取締役)さんと坂村英之(玉川保育園園長)という方。
ユーミンのエッセイ集でもある『ルージュの伝言』にも、雨のステイションが西立川駅の原風景をモデルにしていることが記載されており、この事実を何かの形にしないと勿体無いとのことで考案。事務所との粘り強い交渉もあり本人からOKが出て設置に至ったんだそうです。
歌碑には、雨のステイションの歌詞が書かれています。この字はユーミンの直筆をかたどったもののようです。ちなみに、この石は宮城県の自然石なんだってさ!
雨のステイションの曲について
この曲はユーミンの3枚目のアルバムである「COBALT HOUR(コバルト アワー)」というアルバムに収録されている曲です。1975年6月20日に発売されており、今から40年以上も前の曲なのですね。
▲この風景を見ながらユーミンは曲を考えたのだろうか・・
この歌は、始発列車を待つ少女の心情を歌った歌だそうです。私が訪れた日はバリバリの晴天でありましたが、歌の中では雨が降っていたということで写真よりかはもうちょっとよどんだ雰囲気になるんでしょうな。駅で好きな人を待つ心情とは非常に切ないものがあります。
歌詞には「六月は蒼く煙って」と書かれていることから、梅雨の時期ですね。好きな人に未練を持つのは、女性というよりかは男性のイメージがありますが、この主人公の女性は今でも未練がある男性のことを思い出しているのでしょうか。
雨で霞んでいる様子は、彼女の晴れない気持ちを反映しているような気がします。歌詞の中には、「霧深い町の通りを かすめ飛ぶつばめが好きよ」と書かれています。この先がどうかもわからない景色の中を堂々と飛んでいるつばめを見て、この晴れない心情の中、自分もまっすぐ進んでいきたいあこがれを持っているように感じます。
ユーミンについて
▲ユーミンの実家のお店である「荒井呉服店」
ユーミンは八王子に暮らしており、荒井呉服屋という老舗の娘でもありました。1972年に「返事はいらない」でデビュー、21歳という若さで結婚し多くの名曲を生み出したユーミンはどんな歌を歌い続けてきたのでしょうか?
簡単ではありますが、考察していきたいと思います。
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ユーミンが日本人に与えた影響
ユーミンの曲は80年代や90年代などはその各々の時代での、その人々の心情や価値観を反映しているようです。私は1987年生まれなので、ユーミンがデビューしてから80年代や90年代にユーミンの曲がどう日本人に影響を与えたかはリアルで体験をしていたわけではありませんでしたが、今回の記事を書くにあたり読んでみた「ユーミンの罪」という本にはそのようなことが書かれていました。
ユーミンは21歳の若さで結婚し、そこから助手席性という男性に決定権を委ねる女性をモデルにする他、当時の女性はどのような彼を持っているかで階級が決まっていたこと、結婚よりも仕事を優先する女性の肯定などなどをテーマにした歌などを歌っていたようです。
また、ユーミンの曲があったおかげで恋愛での傷心を癒すことができたり、ユーミンの曲に出てくる様々な主人公に自分を投影できることによって女性たちは救われてきたようです。
私とユーミンの曲との出会い
▲私の実家にあるアルバムのカセット
私とユーミンの曲との出会いはおそらく幼稚園くらいだったと思います。家族で旅行に行く際に親が車の中で流していたからです。そのアルバムは今でも家にあるのですが、そのアルバムはユーミン初期のアルバムである「ミスリム」と「ひこうき雲」。しかも、カセットテープ!
この2つのアルバムに含まれている曲は本当に特別で、聴くと小さい頃の思い出がよみがえり過去を懐かしく思える曲でもあるのです。ユーミンの曲は時間の不可逆性、過去を思い出し昔に戻れない切なさをテーマにしている曲が多いですが、まさにそんなことを思うんですね〜。
なので、ユーミンの曲というと「春よ来い」「Hello my friend」「恋人がサンタクロース」とかがピンと来るかもしれませんが、私にとってどストライクなのは「雨の街を」「私のフランソワーズ」「空と海の輝きに向けて」とかなんですよ〜誰か共感できる方います(笑)??
おわりに
西立川駅の地元の方はみなご存知の事実かは不明です。しかし、このように何気なく使っている駅でも何か物語が隠されていたり、何かの歌のモデルになっていたりするとより考え深いものがあります。
西立川駅を寄った際には、ぜひ発車ベルの音に耳を傾けてみてくださいね〜!
参考文献
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詳細・地図
住所 | 東京都立川市富士見町1-36-10 |
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アクセス | 歌碑は西立川駅の北口徒歩1分の場所にあります。 |
リンク | https://ja.wikipedia.org/wiki/西立川駅 |