今回の記事は、神奈川県にあるマイナーローカル線のお話です。その路線は「鶴見線」という路線。おそらく神奈川県民の中でも地元民や職場がその辺りの方でなければあまり乗ったことがないだろうこの路線。
しかし、鶴見線は首都圏の工業地帯の発展に大きく関わる路線でもあるのです。そんな鶴見線に関して、今回記事を書くにあたり乗りまくってきたので歴史なりなんなりを紹介していきたいと思います。
本記事のポイント
・鶴見線はセメント王の浅野総一郎らによって敷設された
・浅野駅、安善駅、大川駅など人物名から名が付けられた駅が多い
・海芝浦駅や浜川崎駅には関係者しか降りれない改札がある!
見出し
鶴見線とはどんな路線か?
まずは「鶴見線ってどんな路線なんすか?」と思う方が多いと思うので、簡単な概要から紹介していきたいと思います。
鶴見線はどこを走っているのか?
鶴見線がどこを走っているのかというと、横浜市と川崎市の東京湾沿いを走っています。鶴見駅から東京湾の海岸沿いを走る形になります。観光地といえる場所はなく、ひたすら工場地帯を駆け抜ける形になります。
▲鶴見線の路線図
その鶴見線の路線図はこんな感じです。駅は13個とやたらに少なく、また1つの駅間も短いので、歩くと10分ちょいで行けてしまうほどです。路線図を見てもわかる通り、路線は3つに分岐しており、鶴見駅からも3つの方面に行く電車が都度運行されています。
ただ、その中でも大川駅行きは数が少ないのです。平日は9本、土曜・休日は3本しか運行しないという激レアぶり!また、駅名というとその土地に由来する名前が多いですが、以下で記載している通り鶴見線はそのような駅はほとんどありません。
鶴見線の駅名は、創業に関わった人名や駅付近にある企業名が使われていたりするのです。
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昼の本数が少ない
こちらは、鶴見駅にある鶴見線の時刻表。これをみると、やはり通勤・帰宅時間帯の本数は多く、昼間の本数が少ないことがわかります。昼間は、2,30分に1本になっているものの、通勤・帰宅時間帯は思った以上に多かったというのが正直な感想です。
鶴見駅以外は無人駅
▲無人駅に置いてあるICカード読み取り機
鶴見線の駅は、鶴見駅以外は無人駅になります。ということなので、駅には1台の券売機と、上の写真のようなICカード読み取り機が置いてあるのみ。つまり、鶴見駅以外は勝手に入って勝手に降りることもできるという状態。
そう、鶴見線は信用によって成り立っているようです。鶴見線の駅が無人になったのは1971年からなのだとか。それ以前は、有人だったようですよ!
唯一自動改札がある鶴見駅。他の駅には一つもないですが、ここには7つの自動改札機が姿を現します。と、ここである疑問が!
実は鶴見駅から鶴見線を乗り降りする場合は、改札を2回通る必要があるのです!何で、1回ではなく2回通る必要があるのかというと、不正乗車を防ぐためだという。
ICカードだと乗車記録や降車記録が残るので不正乗車はできませんが、切符をどこかの駅で買って鶴見線の無人駅で降りた場合は、誰にも気づかれず不正乗車が成り立ってしまうわけです。そんなこともあり、わざわざここに改札機があるようだ!
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鶴見線あるある
▲多くの駅には猫ちゃんが住み着く
駅に猫がいることが多いです。そもそも野良猫が多いのか、誰かが餌付けするようになって住み着いたのかは不明ですが、やたらと目にする機会が多かったです。
私が訪れた際に猫を発見した駅は、浅野駅、昭和駅、扇町駅。他の駅でも見かけるかもしれないですね!
また、鶴見線は電車とホームの隙間がやたらでかい。電車に乗るときにふと気付いたので写真に収めたわけですが、他の路線に比べると大きくないっすか?
鶴見線の歴史を探る
▲日中は人が立ち入らない鶴見駅のホーム
鶴見線は、1926年に開業してから90周年を迎えました。色々歴史ある路線であるので、振り返ってみることにしましょう。上の写真は鶴見駅のホーム。普段使用されているホームの向かいにあるホームで、日中は人が立ち入らない場所になります。
そこには、鶴見線の歴史を展示する掲示板や、風情を感じるベンチが残されていました。
鶴見線は1926年3月10日に、貨物専用鉄道として開業しました。元々は浜川崎~弁天橋間と、大川支線のみだったそうです。
その後、「浜川崎~扇町間」「弁天橋~鶴見間」「浅野~新芝浦」「新芝浦~海芝浦間」の順番に開業していき、今の路線形態になりました。元々は鶴見線までつながっていなかったのが意外(*´Д`)
ただ、元々現在の形や駅のみではなかったようです。廃止してしまった駅や、営業停止をしている区間もあったようなのですが、簡単に以下で説明します。
今は無き鶴見線の駅
・本山駅
この駅の近くには曹洞宗の総本山である總持寺や、日本で最初の児童遊園地となる花月園目的のお客さんのために駅だったようです。開業からわずか12年で廃止されてしまった、短命の駅だったそうな。
・海水浴前駅
鶴見線が走っている工業地帯に海水浴場でもあったのか?と思うかもしれませんが、あったようです。それは、扇島という現在一般の方は立ち入ることができない島にあったようで、そのための駅だったとか。
・石油駅(浜安善駅)
石油精製工場があったことから石油駅という名前がついていたようです。浜安善駅の駅舎は近年まで残っていたそうですが、現在はなくなってしまったとか・・。
浅野総一郎によって作られた
で、何でここに鉄道を敷くことになったのか?そもそも、鶴見線が走るエリアは埋め立て地で、元々は陸地ではない場所だったんですな。そのエリアを埋め立てたのが、セメント王と言われた「浅野総一郎」だったのです。
浅野は1897年に東京~横浜間の遠浅な海岸に注目し、ここに大型の船を着眼できるようにし、また運河を開削することを決意します。そして、安田善次郎や渋沢栄一とともに「鶴見埋立組合」を設立。1913年に鶴見周辺の埋め立て工事がスタートし、その15年後の1928年に京浜工業地帯といわれる、鶴見周辺の工業地帯が完成しました。
鶴見線の開業は1926年のため、埋め立て工事がスタートして京浜工業地帯が完成する間に一緒に作られた感じになるようです。
浅野総一郎は、それだけでなく神奈川の有名進学校である浅野中学・高等学校の創設者でもあり、また川崎の地名にも浅野の名が残っているんですな〜。1930年に82歳で生涯に幕を閉じ、現在は近くの総持寺で眠っているという。
続きはこちら!バラエティ豊かな鶴見線の駅を紹介!
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