渋谷のラブホテル街である円山町でおきた「東電OL殺人事件」!その概要をまとめた!

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今回は、渋谷の街で起こったとある事件の物語に関する記事です。その事件とは、1997年3月8日頃と今から19年近くも前におきた「東電OL殺人事件」という事件です。
名前すら聞いたことがないという人もいるかもしれませんが、この事件は単なる殺人事件ではなく、色々な問題が詰まりに詰まった事件でもあるのです!!
その事件に関して、渋谷界隈で私が放浪しながら撮りまくった写真とともに紹介していきたいと思います。
本記事のポイント

・1997年に起こったこの事件は未だに犯人が捕まっていない未解決事件
・ネパール人男性が逮捕されたものの、冤罪となり釈放された
・殺害現場のアパートの1室は、今現在も残っている
・東電社員のエリートがたちんぼをしていたという特異な背景もあった

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東電OL殺人事件とは、どんな事件?

東電OL殺人事件は、1997年に起きた殺人事件。しかし、この事件は単なる殺人事件ではなく、被害者の女性は東電という一流企業で働いていたにもかかわらず、夜の渋谷で売春(たちんぼ)を行っていたという二面性を持っていたことや、犯人として逮捕された外国人は冤罪となり最終的には未解決事件となったなど、多くの謎を残す事件となったわけです。
当時の1997年は、私はまだ小学生だったこともあり当時の状況は全く覚えていませんが、マスコミは事件の本質よりも、被害者の女性に焦点を当てた過激な報道が行われていたとのこと。1995年にはオウム事件や阪神淡路大震災などもあり、この頃は大きな時代の転換期だったかもしれません。。
そんなこんなで、今現在でもたま〜にテレビや雑誌などで「犯人はこいつなのではないか?」など取り上げられることもあるというのがこの事件の簡単な説明になります。

事件が起きたのは渋谷にある円山町

▲この交差点は、多いときは1回に2,000人が渡る
まずは、渋谷とはどんな街かの紹介から。渋谷は、名前の通り「谷」になっています。渋谷方面に歩くときは、道玄坂や坂を下って駅に着きますもんね!!
タモリさんが、地下鉄である銀座線が渋谷だと地上に出てくるというところから、街の面白さに気付いたってどっかで聞いたことがあります。
渋谷というと、ハチ公やスクランブル交差点などがパッと頭に浮かぶと思いますが、そのハチ公、スクランブル交差点を進み、道玄坂を上ってくと右手には「円山町(まるやまちょう)」というエリアが出現します。場所でいうと上の地図の場所になります!!

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円山町とはどんな街なのか?

▲ラブホテル街となってる円山町
円山町は渋谷駅の西口に位置する街です。円山町(まるやまちょう)と読みます。今現在は何件ものラブホテルが立ち並び、東京を代表するラブホテル街になっています。ラブホテル以外にはクラブも何件かあり、眠らない街となっているわけです。
そんな円山町の歴史には、岐阜県の御母衣ダムというダムが関係しているのです。御母衣(みぼろ)ダムは、東京電力が電力確保の目的で1960年に作られたダム。そして、ダムを作るためにその建設予定地に住んでいた方がこの円山町に移って旅館業を始めたという背景があり、この街のラブホテル街の始まりだったという説もちらほら見受けられます。
元々は明治のころから花街として発展していったようですが、この街の詳しい歴史に関してはまた別記事にてまとめようと思います!

殺害された女性はどんな女性だったか

東電OL事件で殺害された女性は、渡辺泰子という方。慶応大学にエスカレーターで入り慶応大学経済学部出身、その後は慶応大学経済学部を優秀な成績で卒業し、東京電力に入社したエリート。しかも東電の研究職であり、当時東電の研究職で女性というのはごくわずか。それだけ、彼女はめちゃくちゃできる女性だったわけです。
しかし、昼の顔とは異なり、夜はたちんぼとして渋谷のホテル街である「円山町」に出没し、行き交う男性に声をかけては売春を行っていました。しかも、彼女は1日に4人を捕まえるというノルマを自分に課し、必ず終電で家に帰っていたという。東京電力という一流企業に務めていたということもあり、年収は1,000万円近くあった彼女がなぜたちんぼをしてまでお金を稼ぐ必要があったのか??
事件当時は、この様なエリートがなぜ夜の円山町で売春をしていたのかという二面性をもっていたということで過激な報道が続いたそうです。

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当日の事件の概要をまとめる!

改めてですが、彼女が殺害されたのは1997年3月8日です。では、まずは事件の大まかな概要をざっと説明していきます!!

事件当日までの彼女の日々

▲新橋にある、東京電力の本社
事件の日まで、泰子はどのような日々を過ごしていたのでしょうか?泰子は新橋にある東電本社で働いていました。
仕事が終わった後は、まずは渋谷駅に降り立ち109で化粧をしてお色直しをしていたようです。
その後、道玄坂の上へと進んでいき円山町へと向かいます。
道玄坂地蔵の前で5年間もの間たちんぼをしていました。彼女がたちんぼをする際には、円山町にあるこの「道玄坂地蔵」にお願い事をしていたようです。
その後、この道玄坂地蔵の前で彼女は毎晩佇み、道行く男に声をかけていたようです。彼女は1日4人というノルマを自らに課し、赤い手帳にその内容を克明に記録し続けていました。おそらく彼女が声をかけていた場所は、上の写真の場所辺りだと思われます。
その後は、近くの神泉駅から自宅があった永福町まで電車に乗って帰宅するという生活。必ず、終電までには済ませて帰宅していたそうです。
ただ、彼女の奇怪な行動はこれだけではないのです。東電が休みである土日は、五反田にある「魔女っ子宅急便」というホテトルに通って働いていました。それだけでなく、100円を千円に、千円を一万円にする逆両替をすることも(売春の時の両替用の札にするため?)。
また、井の頭線の終電で菓子パンを食い散らかしたり、円山町の路上の隅の駐車場で小便をしたり。円山町のセブンイレブンでは、おでんを買う際に、少量の具に大量のつゆを入れて帰ることなどなど。
なぜ彼女は年収1,000万円ほどの収入はあったはずなのに、ここまでお金を稼ぐ必要があるのか?また、なぜその他にもこのような奇怪な行動をとったのか??彼女が亡き今、真相は闇の中であるものの、非常に謎である。

事件当日の流れ

実際に彼女は事件当日殺害されるまでの間どのような行動をとったのか?私は、ジャーナリストの佐野眞一さんが出版した「東電OL殺人事件」の本をもとにして、事件当日の泰子と同じ奇跡を実際に辿ってみることにしました!
■17:30頃
事件当日の1997年3月8日は土曜日でした。そのため、泰子は会社が休み。この日は、いつもの休日同様に彼女は五反田にあるホテトルである「魔女っ子宅急便」に出勤します。その後、お客さんが一人もつかないまま17:30過ぎにお店を退店します。
この後は、いつも売春を行っている円山町へと向かうため渋谷駅へと向かいます。
■18:40頃
五反田から渋谷駅に降り立った泰子は、ハチ公前で初老の男性と待ち合わせをします。ただ、魔女っ子宅急便を出たのは17:30頃ですが、ここで待ち合わせをしたのは18:40分頃のようです。五反田から渋谷までは10分くらいで到着するため、1時間近くはどこで何をしていたんでしょうね??
スクランブル交差点を渡り、ラブホテル街へと向かうため109の方向へ。
109を右側に入り東急デパートの本店へと向かい、この交差点を左側に進んでいきます。
そして、円山町のセブンイレブンで初老の男性とともに買い物をします。この時には、いつものようにたくさんのつゆを入れたおでんを購入したそうです。
コンビニに行った後は、円山町のホテル街に進んでいき「クリスタル」というホテルに入っていきます。現在、このホテルは無くなっておりその場所は不明です。
■22:20頃
22:16にホテル「クリスタル」をチェックアウトした二人は、ホテルを出た後初老の男性を道玄坂上の交番前まで見送り、その後は神泉駅へと進んでいきます。
■22:23頃?
道玄坂の交番から神泉駅へと坂を下っていきます。この時の様子は、写真右側に写っている(シャッターが閉まっている店)金井青果の方が、この時の泰子を目撃していたそうです。
■22:26頃?
神泉駅へと向かった泰子ですが、この後すぐに道玄坂へと逆戻りします。まだ終電まで時間があったため、残り時間で売春を行おうと思ったのでしょうか??
そのため、今度はこの坂を上っていき再び道玄坂へと向かっていきます。
■22:30~23:00頃
そして道玄坂で、泰子は売春をすべく通りすがりの男に声をかけていきます。
■23:00頃
そして、泰子は黒いジャンパーを着た男性と道玄坂から円山町へと消えていきます。しかし、ここから45分近くは目撃情報がなく何をしていたかは不明な様です。
■23:45頃
そして、喜寿荘の正面で目撃されたのが最後の目撃証言となります。ここでは一人の青年が黒と白のジャンパー姿の男性と泰子を目撃しています。この後、2人は喜寿荘に入っていったわけであります。恐らく、犯人は一緒にいた男性だとは思われますが、ここからの真実は今現在も闇の中になっています。
以上が、3月8日の泰子の行動履歴になるようです。

事件が発覚し、ゴビンダが逮捕される!

3月8日に泰子が殺害されてから11日後の3月19日頃、渋谷にあるネパール料理店の雇われ店長により泰子の遺体が発見されたのです。そして、その2ヶ月後にはゴビンダが強盗殺人の罪で逮捕(厳密には出入国管理及び難民認定法後の再逮捕)されます。泰子の遺体があった喜寿荘の101号室には、ゴビンダのものと思われる精液が付着したコンドームが発見されたことなどが決め手になったようです。
しかし、この逮捕には多くの疑問点が残ることになり、最終的には冤罪という形でゴビンダは罪に問われることはなかったのです。

犯人とされたゴビンダとは?

犯人に挙がったのは、ネパール人である「ゴビンダ・プラサド・マイナリ」という人物。
彼は、どのような人物なのか?コビンダは、ネパール人で日本に出稼ぎに来ていました。故郷は、ネパールのイラムという場所で、事件のあった時には妻子持ちで子供もいたのです。
▲ゴビンダが暮らしていた粕屋ビル
事件の時までは千葉県の海浜幕張にあるインド料理屋「幕張マハラジャ」で働いており、事件があった1997年3月8日も、仕事をしていました。また、彼は事件があった時は被害者が殺害された喜寿荘の隣のビルである粕屋ビルの401号室に住んでいました。上の写真に写っているのが粕谷ビルです。しかも、彼だけではなくネパール人3人と同居していたのです。
今回の事件は、犯人にあげられた方が日本人ではなく外国人だったということもあり、この事件は多くの注目を集めることになるのです。

事件の現場は「喜寿荘」というアパート

▲事件現場であるアパート「喜寿荘」
遺体が発見されたのは、行方不明になってから11日後の1997年3月19日。遺体となった泰子の第一発見者となったのは、ネパール料理店の雇われ店長の方でした。この喜寿荘101号室は、1996年8月まで数名のネパール人が住んでいたようです。しかし、その後は空室になり、電気もガスも止められていたようです。
今でもその現場であるアパートはそのままの原形をとどめており、地下にある「まん福亭」という料理屋も営業しています。現場となった101号室は、写真の一番手前の部屋。こんな空室で泰子は見知らぬ男性と行為を行っていたんですね。。こんな場所でよく売春を行っていたなと思いますが、彼女はどんな心境だったんでしょうかね。。

事件後の様々な問題

事件は最終的に未解決事件になるわけですが、この事件後には様々な問題がおこっています。

ゴビンダの事件当日の謎

犯人に仕立て上げられたゴビンダ。しかし、ゴビンダが犯人になるには上で説明した事件当日の時系列とゴビンダの事件当日のスケジュールでは辻褄(つじつま)が合わない点が出てきます。先ほどのゴビンダの説明でも書きましたが、彼は事件当日もいつも通り千葉県の幕張にあるネパール料理店で働いていました。
その後、タイムカードの記録からお店を退店し、幕張を22:00を少し回ったくらいに出ていることがわかっています。閉店後に締めの作業や着替えを行った後、どんだけダッシュしたとしても22:07発には間に合わない。そのため、計算上は渋谷に着くには24:00になるわけです。そうすると、先ほどの23:45頃の喜寿荘前での目撃証言に出てきた男性はゴビンダというには無理があるということ。
ただ、陳情書にはゴビンダは22:07に幕張発の電車に乗ったということになっていたようですが、閉店後に締めの作業や着替えを行った後だと、どんだけダッシュしたとしても22:07発には間に合わない。
さらにはさらには、ゴビンダが住んでいた粕屋ビルは喜寿荘とはすぐ隣。もしゴビンダが犯人だとしたら、泰子を殺害した後、11日間もの間遺体があるアパートの横で暮らしていたことになります。だが、まぁ普通に考えたらそんなことはしないと思うもの。
このような矛盾が生じるようになり、ゴビンダ犯人とは言いずらい状況になるわけです。

検察の捜査に関して

▲事件現場である、喜寿荘の101号室
ゴビンダは、逮捕された時無罪を主張し続けましたが、検察側に嘘の自白を強要される羽目に。それだけではなく、ゴビンダと一緒に同居していたネパール人たちには、検察はうその供述をするようにして、トップリースという焼肉屋に働き手を紹介(就職斡旋)までしていた。実際に、ゴビンダの同居人であるリラは、ゴビンダの有力な証言(鍵は10日に渡した)をした代わりに、警察の仲介で就労したようです。
そのため、自白だけが証拠となっただけで検察側は決定的な証拠を示すことができず、結局彼は無罪となった。ということで、この事件は結局犯人が未だにわからないまま迷宮入りをしている事件なのである。
しかし、なぜエリート社員でもあった彼女がたちんぼをしていたのか?それだけではなく、彼女は様々な不可解な行動をしていた。そして、検察による事情聴衆は、嘘の自白を強要するなどどれだけずさんだったのか?当日、被害者はなぜ殺されたのか?真犯人は一体誰なのか?
このように、この事件には被害者側にも、検察側にも、事件に関しても多くの疑問や問題を社会に投げかけた事件となったのです。

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おわりに

東京電力のエリートが殺され、彼女は夜のラブホテル街で売春を行うという二面性を持っており、犯人と言われてたのはネパール人であり、最終的には犯人は見つかっていないという未解決事件となった東電OL殺人事件。
今回記事にした内容は、事件の全貌のほんの一部であります。事件の真実よりも、泰子の私生活に関するマスコミの過激報道が進んだり、最終的には未解決事件になったりととにかく色々な物語があったこの事件。はたして、今後犯人が逮捕される日は来るのでしょうか。。。

参考文献

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詳細・地図

住所 東京都渋谷区円山町
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%9B%BBOL%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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