オウム真理教のサティアンは熊本県波野村にも!その跡地を訪問してみた!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
1995年に起きた地下鉄サリン事件。その事件はオウム真理教によって起こされ、首謀者の麻原彰晃(本名:松本智津夫)は死刑判決となり、東京拘置所でその執行の時を待っています。
1990年頃から話題になったオウム真理教は、日本中に様々な衝撃を与えた宗教団体となったわけです。そして、その拠点としては山梨県上九一色村が有名ですが山梨以外にもオウムの拠点は複数箇所にもわたり、熊本県にも存在してたわけです。ということで、今回は熊本県の波野村(なみのそん)にあったサティアン跡地を訪問しました。
本記事のポイント

・波野村の奥地には、オウム真理教のサティアンがあった
・サティアン跡地は、巨大な門に覆われていて中には入れない
・波野村が9億円もの大金を払い、オウムを村から追い出した

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波野村はどこにある?

波野村は「なみのむら」と読みたいところですが、読み方は「なみのそん」になるようです。この村は阿蘇山東部に位置する村であり、2005年には阿蘇町・一の宮町と共に合併して阿蘇市となっています。
今現在は畑などが広がる場所が多く、元々波野村だったエリアには特に観光地的な物はない閑静な村と言った印象です。もしや、オウムの影響もあってそんなに村が栄えなくなったとか?それは考えすぎか??

実際に行ってみた!

ということで、そのオウムのサティアンがあった場所に行ってきました。
といっても、場所が非常に分かりづらい場所にあり地元でも知らない方がいるようで場所を探すのには結構苦労しました。。
▲サティアン跡地へ続く荒れた道
阿蘇の周辺をひたすらうろうろしてようやく見つけた道!この道をまっすぐ行けば辿り着くのですが、道の荒廃が結構ひどい(⌒-⌒; )
轍(わだち)の跡はあるものの、草木はすごいし轍の部分が削られていて道もめっちゃボコボコしているし・・。この場所まではレンタカーで来たものの、私が乗っている車はレンタカーであるため変に傷がついたらめんどくさいことになるし、、ということで車はもう放置して歩いて跡地に向かうことにしました!
未舗装のボコボコした道を進んでいくと、途中で舗装された道路が現れた。いや〜なんか不気味だな。あまりオカルト的なことは私は信じない人間なのですが、ここを歩く時には本当に不気味でした。

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最近の轍っぽい跡はあるので、最近も車が行き来している形跡は見られるものの、この辺の林業関係というか環境保全関係の方なんでしょうかね?ネットにも、この場所に関しての探訪記はほとんど書かれていないようなので訪れる物好きもそんなに多いようには感じませんが。。
実際に歩くとどのくらいかかるのかが不明なのがちょっと心配なのと、いざ歩くとなんだかすごく不気味。。なんの背景もない森であればいいのですが、ここが元サティアンだったということで何だか気味が悪いというか、変なのが出て来そうな気がしてならないのですよ。。
歩いても歩いてももうサティアンの跡と思われるものは無いに等しい。ここでようやく標識が現れました。もはや草木に埋もれているし、、これはいつ建てられたものなのか??オウムが去った後なのか?
もう一本はツタでグルグル巻きになっている状態。。一体どんな成長の仕方をしたらこんな絡みつき方になるんやねん??
なんか弁当のゴミとかが出てきた。。さすがに最近のものと思われますが、何でこんな所に?誰かここで弁当食ったの(⌒-⌒; )??

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オウムの跡地であった痕跡が現れる

そしてさらに歩くと、何やら建物の跡と思われる残骸が出現。サティアンまでの道には何箇所か監視場所があったようですが、この辺もそうだったのか?当時のニュースの映像を見ると、サティアンの建物の屋根は確か青色をしていたはず。これは何の残骸だったのか、大変気になるんですがね。。
そして、ようやく確かな痕跡が出てきた!
写真で横たわっている白い物体は「オウム真理教」と書かれた碑。この奥に、かつてサティアンがあった場所があるのです。元々は建っていたはずなのに、丁寧に横にして置かれています。。いや〜不気味だ。。
「オウム真」まで見えていて、この先の文字が読めない。。もう朽ちてペイントが剥がれてしまってるがな・・。コケまで付着するという朽ちぶり。。

オウム真理教と波野村の争い

オウム真理教に関しては、様々な本や記事で紹介されていますが波野村に関しても含めここで簡単にまとめておきます。オウムのトップである松本智津夫は、熊本県八代市出身。熊本の盲学校に入った時からリーダーシップ性を発揮していたそうで、若い頃から総理大臣になりたいって思っていたらしいっすよ。
オウム真理教は元々はヨガ教室として誕生。しかし、色々あってヨガ教室からだんだん信者が増えていき最盛期には1万人を超えた。ロシアでは3万人ほど信者がいたという話も。オウムの拠点であるサティアンは上九一色村などいくつもの箇所に作られました。上九一色村の第7サティアン裏では地下鉄サリン事件で使用したサリンが作られていたようで、作ったのは土屋正実となっていますね。
▲山梨県の旧上九一色村にいる牛
今現在の上九一色村は、オウムの印象を払拭するべく富士ガリバー王国を建設。それが破綻するなどし、今現在は合併をして南都留郡富士河口湖町になり閑静な町になっています。
そして、そこには慰霊碑が建っているというね。。
そんで、波野村にも1990年頃にサティアンができたわけです。そうなると、波野村との住人と争いごとが続くようになりニュースでも取り上げられるように。争いまくった結果、波野村が9億円もの大金を払うことでオウムを村から追い出すことで決着がつき1996年8月に去ることに。そんな金、どっから捻出したのだろうか。。
オウム関連は、上九一色村や地下鉄サリン事件関連の別記事に今度まとめようと思います!
↓↓ちなみに、以前実際に上祐さんにお会いできる機会があってそこでもオウムのことについて書いてあります!よければぜひ!

かつての跡地は門で塞がれている

ラストスパート!太平洋戦争時にアメリカからやってきたセイタカアワダチ草が生い茂る中を突っ切っていきます!!
うぎゃ〜草がしぶとい(ー ー;)
まだまだ、草が生えまくっている箇所を進んでいきます。ここを越えたらゴールなはず。ちなみにここに来た時点ではもう日が暮れる寸前の時間でして。。暗くなったらさらに不気味でマジ勘弁なので、クモの巣があろうが変な虫がいようが強行突破で切り抜けていきます!!
開けたぞ!ここにも、車の轍が見えますな!
そして、ついた!
この先がかつて波野村のサティアンがあった場所。結構前からこの先は柵で封鎖されており、車で突っ込むことはできない形になっています。数年前はしっかり閉じられていたようですが、微妙なずれが。。この奥は雑草伸び放題状態になっています!この奥で、1990年から立ち退く1996年まではここで何が行われていたのか??

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おわりに

以上が波野村のサティアン跡訪問記事になります!しかし、本記事では場所を詳細に書いていないのと、村周辺で聞き込みした情報は載せていませんが、以降は別記事に「跡地の詳細な場所はどこなのか?」「今現在跡地はどうなっているのか?」「跡地に残された碑に書かれている会社への取材」「現地の方の声」などの詳細を全部書きました!
↓↓以下が続編になります!!

参考文献

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詳細・地図

住所 熊本県阿蘇市
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E9%87%8E%E6%9D%91_(%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C)

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