こんちわす!!
日本中の知られざるスポットを取材して記事にしている知の冒険ですが、今回の舞台は、大分県日田市という場所です。大分県というと別府や湯布院というイメージが強いかと思いますが、大分県は温泉だけじゃないわけです(笑)
大分県の日田市にはですね~、『岩尾薬舗日本丸館』というちょっと変わった博物館があるんですよ!!
“薬舗”ということで薬関係の博物館なんですが、ここは「日本丸」という万能薬を製造・販売していた背景があり、その歴史が展示してあるって感じです!
ではでは、その博物館について、以下で紹介していきましょ^(*’▽’)
昔の街並みが残る天領日田
日田市と聞いても、大分県民とか、もしくは九州に由縁のある方でないとなかなかピンと来ないかもしれません。。でも、「天領日田」とも言われるように江戸時代は天領ということで九州の中心地だったわけです!!
ここは太平洋戦争の本土空襲の被害に遭っていないということもあり、結構古い町並みが残っているんですよね~。
あと、日田にはサッポロビール、焼酎のいいちこ、日本酒の酒屋が三社、おおやま夢工房のリキュール工場、水の天領水、炭酸水のクオス、ロックアイスの小久保というお酒関連の会社も多いんですね。
お酒関連では、日田には「天領日田洋酒博物館」という個人の洋酒コレクション博物館があって、一年くらい前に記事にまとめたりもしましたな~。
そんな日田市にあり、今回のターゲットであるのが、こちらの「岩尾薬舗日本丸館」です。
“日本丸”という万能薬を製造していた場所であり、今でも薬局として薬を販売しているほか、館内を資料館として開放しているんですよん。
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万能薬を製造していた岩尾薬舗
ということで、早速館内に入ってみましょ~~!
館内はこんな感じ。
ここは、明治から昭和40年代まで万能薬である日本丸をせいぞうしていました。と言っても、実際に作っていたのはこの建物の裏にあった工場だったとのこと。
ここで作って、全国にある支店などへ卸していたんですね。
上の写真のように、日本丸の製造にかかわる展示品などがまんべんなく展示されているという感じ。
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こういうレトロチックなものが大好物な私にとってはもうたまりませんわ(*’▽’)
ちなみに、その日本丸ってのはコレね!!
ビービー弾くらいのすげぇちっちゃい粒状の薬ですね。このちっこいお薬が全国でバカ売れしたんですってね!
では、その日本丸というのはどんな薬だったのか、、、ちょっと学んでみましょ~~!
日本丸って何すか?
では、まずは「日本丸とは何ぞや??」というところからいきましょう!
あっ、ちなみに読み方ですけど「にほんがん」です。
「にほんまる」じゃないよ( ;∀;)
日本丸という薬が誕生したのは、1887(明治20)年でした。
この伏見屋岩尾古雲堂という薬種屋は1855(安政2)年に岩尾家14代の半蔵によって開業した店であり、この薬の製造に成功したのは15代の岩尾昭太郎という方でした!
丸い形をしており、日の丸をイメージして朱色に染めた赤丸の日本丸は当時としては目新しく大変話題になったとか。
製造したのは15代の方でしたが、その昭太郎と16代の重政の二人による独特な宣伝とひたむきな努力により販路を国内外に広め、東京、大阪、名古屋、宮城へと次々に支店を開設しました。
製造はこの日田市で行われていましたが、上の写真のように東京、大阪名古屋などの日本の主要都市だけでなく、朝鮮や満州にまで支店があったんですな~。
この辺の事を博物館の方に聞いたんですが、販路自体は地球の反対側にあるブラジルにまでも卸していたんですって!!
日本丸は明治、大正、昭和の中期まで利用され続けましたが、動物の原料入手が困難になったことから昭和40年代に製造が中止されます。
が、博物館内にはいろんなところに現物が残っております。これ、今飲んだらどうなるんだろ。。
日本丸は動物を原料としていたことから、こうして動物供養も行われていたそうです。
原料をいくつか挙げると、ジャコウジカ(麝香̪鹿)、サイカク(サイの角)、ゴオウ(牛黄)、クマノイ(熊の胆のう)などなど。
あんまり聞きなれない単語が多いっすね。ゴオウって初めて聞きましたが、これは牛の胆石とのこと。ゴオウや真珠は「きゅ~~~しん、きゅ~しん」でおなじみの生薬製剤「救心」の材料でもあるように、薬関係には多く使われているみたいですな~~。
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ゼロ戦ともゆかりがある薬
そんな万能薬である日本丸ですが、なんと日本海軍のゼロ戦ともゆかりがあるんですって!
というのも、この日本丸は海軍とも取引があったようで、15代の昭太郎が海軍にゼロ戦を寄贈したんだそうです。そして、そのときに宣伝を兼ねて「日本丸岩尾号」と命名したんですって!
さっきも、「日本丸を製造したのは15代の昭太郎」と紹介しましたが、この方は結構なやり手だったようですね!!
そしてまだまだ昭太郎さんの功績はありましてですね、なんと学校まで作っちゃったみたいなんですわ!
詳しい背景まではわかりませんが、まだ女性が高校進学に行く時代じゃなかったときに女性にも高校に行けるようにと、1939(昭和14)年に「日田家政女学校」を創立することになります。
この高校は今でも続いており、現在は「昭和学園」という名前になっているとのこと。
そんな昭太郎さんは、著名人との交流もあったそうです。
戦後の総理大臣になった吉田茂に、第十八代日銀総裁の一万田尚登(いちまだ・ひさと)。昭太郎が亡くなった時には、このお二人から弔電が送られてきたそうな。
このゼロ戦の『日本丸岩尾号』は、どのような最期を迎えたんでしょうね。。特攻機として沖縄の海に沈んだのか。。どこかの島に不時着でもしたのか・・。
日本丸は何に効くの?
という感じで日本丸の背景について簡単に説明しましたが、ここで気になるのが「で。この薬は何に効くの?」って話。
日本丸は”万能薬”と言われていますが、万能と言われてもその一つ一つが何なのか気になるわけですね~~。
ということで館内を見回してみると、効能や処方などが書かれた昔の資料があったのでちょっと以下でまとめてみます。
五疳(ごかん)、虫痛、急慢驚風(きゅうまんきょうふ)、痰咳(たんせき)、喘息(ぜんそく)、発熱、胃腸衰弱、腹痛、下痢、顔面蒼白、顔手足痩せ衰え、腹膨れ、夜泣き、乳または食物吐き、気短く、疳つよく、物に恐れ、筋の痙き攣り (けいれん)、神思悒鬱(しんしゆううつ)、夜寝られず食物消化せずして下り、大便青く、盗汗発し、百日咳、熱ある症等
【用法】
1歳から2歳:一回に一粒~二粒
3歳から8歳:一回に二粒~四粒
8歳から15歳:一回に三粒~六粒
何れも一日二回白湯にて送下す
重症には一日三回を用ゆ
さすが万能薬ということもあって、効能めっちゃ多いなww
時代が違うということもあってか、よくわからない病気がたくさんありますね。。特に気になったのが「大便青く」なんですが、大便って青くなるんですか??
青い大便出たらもうヤバそうな気がしますが。。
そして「これは本当に効果あんの??」ってのが気になりますが、その辺は多くの医学博士のお墨付きがあるそうです。
こちらは宣伝文句ですね。
「ふしぎによくきく」ってちょっと怪しいように聞こえますけどね(笑)
日本丸は漢方薬処方の万能薬として、多くの人々に服用され続けましたが、先ほども書いたように、動物原料の不足で昭和40年代で製造は終了。。
ということで、このページでは岩尾薬舗や日本丸の背景などを説明しましたが、次のページでは館内にあるいろんな展示物を、ドッサリ紹介していきますね~~。