戦後に内閣総理大臣を務めた吉田茂が暮らしていた「旧吉田邸」とはどんな場所なのか?

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
さてここで質問です!日本の歴代首相の中で一番印象に残っているのはどの方ですかね?
私は誰かというと真っ先にこの人が思い浮かぶかなと思います。その総理の名は吉田茂です。日本史を学ぶ上では欠かせない人物であり、まあこの方を知らない人はそんなにいないのではと思います!
そんな吉田茂の邸宅が現在は観光地として現存しているわけであります!現存って言っても建物そのものは建て替えてますけどね!!そんな旧吉田邸に訪れて学んだ様々なことを今回の記事では紹介して行きたいと思いまふ!では、いってみましょー。
本記事のポイント

・大磯には、吉田茂が暮らしていた「旧吉田邸」がある
・園内は、ボランティアガイドの方が吉田茂の人生について話してくれる!
・吉田茂が大磯から国会議事堂へ向かうために、横浜新道は作られたらしい・・

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旧吉田邸は大磯にある!

旧吉田邸
そんな吉田邸ですが、まずはどこにあるかですよね!ぶっちゃけそんな有名な観光地ではないし、神奈川県民の私も割と最近知った場所なので。。。そんで、場所は神奈川県の大磯という場所にあります。うん、湘南です。
ここ大磯には8人の総理(伊藤博文、吉田茂、西園寺公望、原敬など)が暮らしていました。吉田茂がここ大磯に邸宅を建てたのは、伊藤博文が住んでいたということもあるのですが、吉田茂の養父がここに別荘を持っていたということが大きな要因のようだ。

吉田茂とはどのような人物か

旧吉田邸
吉田茂は、日本の歴代総理の中でもかなり有名な方でしょう!日本史を学べば必ず出てくる人物ですし、太平洋戦争後の日本の方向性を決定付けた方でもありますからね!
太平洋戦争後は、サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約を結んだ方。日米安全保障条約は、今の安保は岸安保と言われ吉田の後の総理である岸信介(安部総理のおじいさん)が日本にもう少し有利な条約にするようにした条約になっております。この辺りの話を永遠すると記事が凄いことになるのでこの辺で。。。
ちなみに、吉田茂は2016年12月現在の財務大臣である麻生太郎のおじいさんでもありますね。麻生さんは吉田茂にかなり可愛がられたんだというのをどこかで聞いたような。。

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旧吉田邸を訪ねる

旧吉田邸
▲大磯の海岸沿いに位置する「旧吉田邸」
今まで知の冒険のスポット訪問をする際には、旧吉田邸の前は何度も通っていたのです!だが、なかなか行く機会がなかった場所でもあり、今回ようやくの訪問となります。吉田邸では、何人かのボランティアガイドの方がおり、100円でここに関して詳しい説明をしてくれます。
ということで、旧吉田邸に関しての様々な情報をここでぶちまけまくりたいと思います!

吉田邸の内門

旧吉田邸
こちらは内門。2,700万円かけて作られたというこの門は、釘が一切使われていたい特別な作りとなっています。
旧吉田邸
こちら内門の柱は、手斧削り(ちょうなけずり)という特別な削り方を行っているようです。上の写真で削った後が微妙に残っているのですがお分かりになりますでしょうか?
正面よりも横側からの方が凹凸になっていてわかりやすいかもしれませぬ!
旧吉田邸
▲天皇陛下の訪問を意識して作られた轍
入り口から園内に入ると2本の轍(わだち)が敷かれているのがわかります。この轍は天皇陛下がこの吉田邸に訪れるということを聞いた吉田茂が、車を使ってこの中に入れるようにと轍にしたものだという。しかし、実際にこの轍を通ったのは、吉田茂が亡くなりご遺体を邸内から外に運び出す時が唯一だったのです。

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吉田茂はバラが好きだった

旧吉田邸
▲もともとは駐車場だったバラ園
こちらは、バラ園。吉田邸には現在は駐車場が設けられていますが、元々は駐車場があった場所はバラ園だったそうです。ところが、外国の方を吉田邸の招致する際に、「駐車場がないのはまずい」ということになり、バラ園を縮小させて駐車場を作ることになったようです。
バラには「プリンセスミチコ」という品種のバラがありますが、これは今の天皇(今上天皇)が結婚した際にイギリスから頂いたもので、ここ大磯が発祥なのですって!
旧吉田邸
バラについてそんなに詳しくはないのですが、バラが一番咲く時期は晩春~初夏頃のようですね!私が訪れたのはクリスマスイブの12月24日だったためか、ほぼ咲いていませんでした。ってかクリスマスイブになんで吉田邸に来たんやって感じですよね(⌒-⌒; )

吉田邸は火事で全焼した経緯が

旧吉田邸
▲2009年に火事で全焼してしまった「吉田邸」
冒頭でも説明しましたが、吉田邸は2009年3月に全焼しています。原因としては漏電ということなんだそうです。そのため、今では吉田邸を建て変えているのです。
旧吉田邸
こちらは吉田邸の側面。現在は工事が行われこんなバリケードみたいな策がかかってしまっていますが、実はこのあたりに吉田茂の隠れ脱出通路があったそうです。万一吉田邸が襲撃された時の避難通路ですな!!

吉田茂の銅像もある

旧吉田邸
▲園内に建てられた吉田茂の銅像
園内にあるのは昭和58年に作られた銅像。日本には東京、ここ、高知の3箇所に銅像があるのです。ここに作られたのは吉田茂が松林が好きだったからということであり、素材自体は地元の方にいただき、817万円かけて作成されたとのこと。
吉田茂が向いている方向に関しては、「講和条約を結んだ、サンフランシスコを向いている」「国会議事堂を向いている」などの噂があるようですが、真相は定かではない。高知空港には地元の方が高知にも銅像を作って欲しいということで、銅像が昭和59年に作られたとのこと。
旧吉田邸
吉田茂の銅像からは、湘南の海が目の前に広がります。1964年に着工したこの道路は西湘バイパスという有料道路であり、箱根方面と藤沢方面を行き来する際には国道1号線を使うか西湘バイパスを使うか大変迷う道路っす(笑)
また、目の前には大磯の海水浴場があるわけですが、大磯は海水浴発祥の地でもあるのである。

吉田茂は愛犬家でもあった

旧吉田邸
園内には愛犬のお墓も多数見られました。吉田茂は愛犬家として知られていて、サンフランシスコから名前を取って「サン」「フラン」「シスコ」と犬に命名したのは有名な話。ここには「ポチ」と書いていますが、全部で何匹くらい飼っていたんですかね?
旧吉田邸
▲大野伴睦を意識した飼い犬「バンゾウ」のお墓
こちらは、「バンゾウ」という文字が。このバンゾウというのは大野伴睦という政治家からつけられた名前なのだそうです。吉田茂と大野伴睦はライバル関係にあったようです。吉田は本人に対しては呼び捨てで呼ぶことにはできなかったので、飼っていた犬にバンゾウとつけ呼び捨てで呼んで発散していたそうです。犬には何といっても怒らないですからね(笑)
大野伴睦はそこまで有名な政治家ではないかもしれませんが、一番有名なエピソードとしては東海道新幹線の駅である「岐阜羽島駅」を作った話でしょうかね!政治家の駅なんても言われてはいますが真相はどうなのか!?
↓↓この話に関しては以下の記事にまとめていますので、よかったら見てみてくださいm(_ _)m

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その他の旧吉田邸の色々

旧吉田邸
こちらは、吉田茂がいたときは警官が警備していたときの詰め所だったようです。今では中に何かあるんですかね??その辺の話は忘れちまいました(笑)
旧吉田邸
庭にはこんな釜のようなものも置いてある。この窯は何でここに置いてあるかは不明なようですが、これは五右衛門風呂とかではありません(笑)
吉田茂の養父が、醤油の醸造業を行っていた関係で、その窯があるといわれているそうです。何でここにあるんでしょうね??
旧吉田邸
▲よく海を眺めるのに、吉田茂が座っていた岩
ここは海沿いの岩壁。ここに腰を掛けている写真をガイドの方が見せてくれました。ここで海を見つめながら、吉田茂は何を思っていたんでしょうね??
旧吉田邸
これは何でしょう?そう、竹です(笑)
竹は基本的に枝は円状ですよね??でも、この竹は枝(幹?)が四角なのです。これは四方竹という非常美珍しい竹のようですぜ!基本的にタケノコは春に生えるのですが、この四方竹は11月頃にタケノコが生えるんですって。

横浜新道は吉田茂が作った!?

旧吉田邸
▲吉田茂によって作られたと言われる「横浜新道」
そんな中、何がきっかけか忘れましたが横浜新道という道路は吉田茂がきっかけで作られたという情報を仕入れました。横浜新道とは、戸塚と保土ヶ谷を結ぶ高速道路のことっす。道路や鉄道は政治家が絡むことが多いですが、ここ横浜新道はそんな背景があることからワンマン道路とも言われているようです!
吉田邸のボランティアスタッフの方にも聞いたところ、「真実は定かではないが無言の圧力があったという可能性はありますね」ということだった。
ということで、真実かは不明であるがせっかく吉田茂に関して記事を書いたので、横浜新道に関しても記しておこうと思います。

横浜新道はどこを通る?

旧吉田邸
横浜新道は、保土ヶ谷から戸塚までを結ぶ自動車専用道路です。上の赤色の区間が有料道路で、青色の区間が無料区間となります。戸塚側と保土ヶ谷側を行き来する場合は、国道1号線を使うか、金を払って横浜新道で手っ取り早く行くかという選択を迫られます。
国道1号線を使う場合は、保土ヶ谷橋や不動坂などの交差点で渋滞にはまることが多いため、夕方などの急いでいるときは横浜新道を使ったほうがいいでしょう!

厳密にワンマン道路はどこなのか?

旧吉田邸
上記でも書いた通り横浜新道は戸塚と保土ヶ谷を結ぶ道路ではありますが、実際に吉田茂によって作られたと言われるワンマン道路は「不動坂の交差点から大坂上」までの区間になります。地図でいうと上図の青色の区間になりますな!名称でいうと横浜新道戸塚支線という無料区間になります。
旧吉田邸
▲ワンマン道路の起点となる不動坂交差点
不動坂の交差点は、ここ!保土ヶ谷側から来ると、不動坂の交差点で戸塚駅側に行くか横浜新道戸塚支線の選択を迫られます。ここから先はいずれ大坂上で合流することになるわけですので、藤沢方面まで急ぐ場合は横浜新道戸塚支線へ行くことになります!
旧吉田邸
こちらは、大坂上。戸塚駅からわりと急な坂を上りに登って戸塚支線と合流する形になります。ここから藤沢方面に行く場合は原宿交差点という渋滞で有名なマンモス交差点を通ることになります!でも、立体交差化が完成したため、以前に比べて格段に渋滞は緩和されましたけどね。
※戸塚区のHPにはワンマン道路に関する内容が記載してありますぞ!
http://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/kids/history/wanman.html

問題となっていた戸塚大踏切

戸塚と保土ヶ谷区間を結んでいる国道1号線。何で吉田茂がワンマン道路を作ったかというと、戸塚大踏切という踏切が原因とのことです!
旧吉田邸
▲国道1号線の悩みの種だった「戸塚大踏切」
戸塚駅は横須賀線と東海道線と湘南新宿ラインが通る駅。これら首都圏の主要路線が全部1つの踏切にまとまっているわけだからそりゃなかなか開かないわけだわ。。この踏切は吉田茂が亡くなった後も渋滞が問題視され続け、最近ついにようやく緩和されたのです。
旧吉田邸
今はこんな感じになっています。立体交差になり、車道は踏切の下をくぐるようになった!今では、ここに踏切があったとは思えない状態になっていますが、その痕跡は残してくれているようです!
旧吉田邸
私は普段戸塚踏切を通ることがないので、どのくらい緩和されたかは不明ではありますがこれはかなり大きいでしょうね!吉田茂も喜んでいることでしょう。。。上の写真は、実際に戸塚大踏切だった箇所が立体交差として生まれ変わった道になります!

おわりに

以上になりまっす!今回は吉田邸以外に吉田茂に関係するというのと、横浜新道は結構私が通っているということもあり道路の話も追加してみましたが、神奈川県民で車を運転する方くらいしかあんまピンと来ないような気がするんですがまぁいっか(笑)
日本の歴史を学ぶ上で総理大臣ネタは結構重要でっせ!ここはぶっちゃけアクセス悪く行きにくい場所ではありますが、来る価値はありますよ!若い方が少なく高齢者ばかりだったので、若い人が増えると天国の吉田茂も喜ぶことでしょ~!

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県中郡大磯町国府本郷551−1
営業時間 9:00~17:00
定休日 年末年始
入館料 無料
駐車場 有料
電話番号 0463-61-0355
アクセス 国道1号西湘バイパス「大磯西IC」より3分・小田原厚木道路「大磯IC]より7分、国道1号線沿い「城山公園交差点」よりすぐ
リンク http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/yoshidashigeruteichiku.html
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