身も凍るほどの人権侵害が行われた「重監房」の世界とは!?

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資料がなく発掘してみた!

ページが切り替わったところで、この重監房資料館が誕生した背景について触れようと思います。

重監房は、1947年に廃止されることになりましたが、その後は建物自体が崩壊。長い間、跡地が残るだけになっていました。しかし、ハンセン病国賠訴訟で国の責任が明らかにされた後、この犯罪的な建物こそは決して無かったことにされるわけにはいかないということで、10万7,000人を超える復元要求の署名が行われることになります。

そう、国がハンセン病の裁判で敗れたことを機に、重監房の復元事業が始まったのです。

ところが、重監房に関する資料としては「特別病室収容簿」、いわゆる収容者に関する名簿しか残っていませんでした。建物の図面とか設計図とかそういうのが一切残っていないわけです。

そう、復元するにも資料が無ければどうしようもない。。

2013年に発掘が行われた

そこで、「跡地を発掘すれば何かわかるのではないか!」という流れになり、2013(平成25)年に発掘作業が行われることになりました。

掘れば何か出て来るっしょ、ってことっす!

そして掘ってみたら、建物の一部や、ここに収容者がいたと思われる痕跡がいくつか出てきたわけです。そうしたことから、出てきたものは展示物として資料館に並べることもできるし、建物を復元するためのヒントも見つかったというなかなかの収穫となったんですね!!

監房があった証が見つかった

発掘作業で見つかった資料も展示されている

元々、ここに資料館を創るという話になった時、まだ発掘前は何も展示物が無かったため、どうしようかという話になっていたそうです。ただ、ここの学芸員さんの提案で跡地の発掘作業を行ってみると、ここに確かに重監房があったという痕跡が出てきたことから、ここに展示しているという感じ。

ちょっといくつか紹介しますね!

建物の一部

これは発掘の際に見つかった建物の一部。モルタルっす。

この建物が造られた昭和初期の時代では、コンクリート製が普通だったようですが、この一部が見つかったことから、重監房はモルタルで造られていたことがわかったのです。

監房を象徴する南京錠もあった

南京錠もいくつか発見されました。まさに、監房という施設を象徴するものですよね。

でも、ここの資料館に展示されているものは復元したレプリカ。実物は劣化を防ぐために保管されていて、写真だけ添えられていますね。

弁当箱もあった

木製の弁当箱もあったようです。先ほどもここでの食事については説明しましたが、ここにおにぎり一個分ほどのお米があったと思われます。

梅干しはトイレから見つかった

トイレの中から見つかった梅干し。収監者の方が、食った後に捨てたんでしょうね。。

栄養剤の瓶もあったという

あとはこんなものまでありました。真ん中に写っている茶色い瓶は、栄養剤を開発している「わかもと製薬」のもの。

ここで栄養剤が見つかったのが謎でして、ここに閉じ込められていた方は栄養剤を持ってるはずはないんですね。なので、考えられるのは”差し入れがあった”ということ。

食事を配給していた方が同情して助け舟を与えたってことっすね。あくまで可能性の一つですが。

注射器と薬瓶

これも謎っすよね。誰かの差し入れだったんでしょうか。。

めがねフレームもあった

めがねフレームまで見つかったそうです。しかもトイレの中から。

これがココに残っているということは、このメガネをかけていた収容者が最後どうなったか、、ご想像にお任せします。。

選挙がキッカケで重監房は消えた

そんな重監房にも戦後になると終わりを迎えることになりました。

そのキッカケは、参議院議員の補欠選挙だったんです!

それは戦後の1947年のこと、草津町で参議院議員の補欠選挙が行われるときに、共産党の方が栗生楽泉園を訪れたときのことでした。ハンセン病療養所にいた方々にも選挙権が与えられ、園内には1,000人近くもの方がいたため、共産党の方が選挙活動をしに来たというわけです。

ところが、いざ来てみると重監房の存在にビックラこいたわけです!

そう、この重監房の存在は世の中には全く知り渡っておらず、知られずにこんなヤバイことが行われていたんですね。。そこで、ビビりまくった共産党員の方だけでなく、一緒に同行していた毎日新聞の方もいたということで、この方が全国紙に重監房の実態を記事にしたわけです。

それで一気に世の中に知れ渡り、国会でも大騒ぎとなって「草津でこんなことが行われていたのか!」となったことから、重監房の歴史に終止符が打たれたという流れみたいっすね!

重監房跡地の場所

そしてその重監房は、今も跡地が残されています。

ちょっと場所がわかりにくいんですが、重監房資料館と同じように栗生楽泉園の園内にあるものの、場所は上の地図で示した所っす。

栗生楽泉園の入り口からすぐの場所ですね。

ここが跡地

実際に行ってみるとこんな感じでした!

私が訪問したのは2月であり、まだ雪が積もっている状態でした。跡地と、それを示す「重監房跡」と書かれた碑が建っているだけ。ここは案内板があるわけでもなく、本当にひっそりと残っているだけ。

ここに、あの重監房があったわけだ

おわりに

いや〜本当にすごい内容を扱った博物館ですよね!

でも、この博物館の存在があったからこそ、この歴史を知り興味を持ったので、この博物館の存在域がすごく私にとって大きいものとなりました。

多くの人が観光しに来る場所の近くだけに・・

とはいえ、車で少し走れば多くの観光客が訪れる賑やかな場所があるだけに、そのギャップには驚かずにいられないっす。。

以前、ハンセン病関連の施設としては、岡山県にある長島愛生園を訪問しましたが、その他にもハンセン病関連の資料館は日本中にいくつかあるんですよ。ということで、これからもそういった施設を訪問するなどして、ハンセン病に関しては理解を深めるとともに、それをブログに書くなどして多くの方が関心を持っていただくキッカケにでもなれればと思います!

ではでは~~

参考文献

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詳細・地図

住所 群馬県吾妻郡草津町草津白根464-1533
入館料 無料
開館時間 複雑なので、詳しくはHPをご覧ください
休館日 複雑なので、詳しくはHPをご覧ください
駐車場 無料
電話番号 0279-88-1550
アクセス 本竜野駅から徒歩約20分
リンク http://sjpm.hansen-dis.jp/

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