日本のワイン王が生んだ浅草の「神谷バー」へ!

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こんにちわ!

日本中の知られざるスポットを取材してブログにしている『知の冒険』。今回は、浅草の歴史ある老舗を紹介します!!

そのお店は「神谷バー」という大衆酒場なんですが、地下鉄・浅草駅の目の前に佇んでるので、目にした方は多いんじゃないかと思うんですよね。そして、「神谷バー」というお店自体は凄く有名だと思うんですが、このお店は日本のワイン醸造に関する歴史にも大きく関係しているなど、歴史を調べても大変オモシロイんですよ!

今回は神谷バーには足を運んだということもあり、お店の訪問記に加えて神谷バーの歴史にも、ちょっくら触れていきたいと思います(*´▽`*)

本記事のポイント

・神谷バーは、日本のワイン王の名前からきている
・人気メニューである電気ブランとハチブドー酒は傳兵衛が考案
・注文のシステムが、昔ながらで面白い!

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浅草駅の目に前にそびえたつ、神谷バー

今回は浅草にある神谷バーを取り上げるわけですが、このお店、皆さんご存じでしょうか??

私はお店の存在は知ってはいたものの、背景とかは何もわからず「古い店っぽいからそのうち行ってみるか~」くらいの感覚でした(笑)

でもでも、以前、茨城県の牛久シャトーに行ったとき、牛久シャトーを創業した『日本のワイン王』である神谷傳兵衛がこのお店を創業したという背景を知ったことで、一気に神谷バーへの興味が増した私!!

ということで、今回は一人で訪問するのがちょっと寂しいと思い、知り合いを連れての訪問となりました( ;∀;)

堂々とした佇まい

こちらが、浅草駅の目の前にある神谷バー!

1921(大正10)年に竣工したということで、関東大震災よりも前に建てられている建物っすね。外観からも今の建物にはないデザインだと見てわかるかと思いますが、関東大震災や東京大空襲の影響で戦前の建物が少ない東京においてはとても貴重な建物だと思います。

ではでは、早速店内に入ってみることにしましょう!!

2階、3階にもお店があるようです

この建物には三階にわたってお店があるようなんですが、大衆酒場のような神谷バーは一階。あとはレストランと割烹があるようですが、多くの方が目当てにするのは一階ですかね。

どれにしようか、めっちゃ迷う・・

店内に入るとメニューサンプルが現れます。神谷バーでは、神谷傳兵衛が生み出した電気ブランとハチブドー酒が人気メニューなので、初訪問の私もそれを飲むのが目的なわけですが、食い物は決めてなかったので、メニューがこんだけあると悩むもんですな・・。

電気ブランのグラスがちょっとオシャレ

電気ブランとハチブドー酒はコレっすね!

たくさん並ぶ電気ブラン

電気ブランを推してることもあるのか、とにかくたくさんの電気ブランが展示してます(笑)

注文のシステムが昔ながら

館内の様子は人も多かったので撮影していませんが、ここはチケット制という昔ながらのシステムになります。入店したらメニューを見てレジで上の写真のチケットを購入。

置いておくだけでOKっす

購入したら席に着きます。席を探す際、店員さんが「お客様こちらにどうぞ!」みたいな案内はありません。自分たちで勝手に着席し、購入したチケットを置くと、テーブル上のチケットを見つけた店員さんが半券を切ってようやく注文が成立するシステムっす!

券売機が当たり前の時代を生きる私たちにとっては非効率に感じるし馴染みないシステムかもしれませんが、これも時代を感じるいい体験だとは思いますよん♪

と言っても、入店するまでこのシステムを全く知らなかった私は、ちょっと戸惑ってしまったので以下にまとめておきます!

神谷バー着席、注文までの流れ
1. 入店してレジでチケットを購入する
2. 購入後に開いてる席を探して勝手に着席してOK
3. チケットをテーブルに置く
4. そのチケットを店員さんが見つけて(勝手に見つけてくれるのでそれまでまつ)チケットを半分に切って、注文成立

左からハチブドー酒、電気ブラン、連れが注文したビール

私が訪問したのは、日曜の夕方。コロナが落ち着いてきたこともあってか浅草にはメッチャ多くの観光客が押し寄せており、神谷バーにもたくさんのお客さんが来店してました。

ほぼ満席だったと思いますヨ(*´▽`*)

ということで、店内の写真は無いですが多くのお客さんでワイワイ賑わってました。あと、「バー」ということで一人での訪問は微妙かと思ってたんですが、一人での訪問でもここは全然大丈夫でした!

ハチブドー酒とは、甘味果実酒のこと。甘めのワインですね。

私はお酒が苦手でもあるので甘めのワインは大丈夫でしたが、電気ブランはケッコーアルコールが強く、飲むのちょっと大変でした(;・∀・)

頼んだもつ煮込みと、、

食べ物としては、もつ煮込みとジャーマンポテト、あとはカニコロッケを注文したんですが、カニコロッケは写真撮るの忘れてしもうた・・( ;∀;)

ジャーマンポテトもいただきました
どんどん注がれる電気ブラン

ここは電気ブランが人気メニューということもあり、次々と注文される電気ブラン。そのために、スタンバイもこうして万全!!

という感じで、軽く神谷バーのお店を紹介させていただきましたが、ここからはこのお店が誕生するまでの流れを少し振り返ってみることにします。

創業者は、ワイン王の神谷傳兵衛

最初でも少し触れましたが、「神谷バー」の”神谷”は神谷傳兵衛という人物の名前からきています。最初は地名とかそこからきていると思ってたんですが、人名なんすね!

ここからは、茨城県の牛久シャトーへ行きスタッフの方に取材した内容をもとに、神谷傳兵衛と神谷バーについてザッとですが紹介いたします。

神谷バーの創業者「神谷傳兵衛」

1856(安政3)年に愛知県西尾市にて生まれた神谷伝兵衛。

幼少期に一家は困難に陥り、そのため丁稚奉公として桶屋の見習い、雑貨商の手伝いなどを経験したのち、縁あって17歳のときに横浜外国人居留地のフレッレ商会(フランス人の経営する洋酒醸造所)に雇われることになります。

そこで様々な洋酒製造法を習得し、幼い頃から造り酒屋になるのが夢で、一生懸命働いた傳兵衛。

しかし、働き過ぎたことから過労になり、遂には倒れてしまいます。医者にも見放されるほどの過労だったものの、そんな傳兵衛を救ったのがフランスの葡萄酒でした。

このワインの爽やかな後味から気分も爽快になり、どんどん回復。こうしたことでブドウ酒に魅せられた伝兵衛は、日本人の口に合うブドウ酒を作ることを決心したのです。

創業間もない「みかはわ銘酒店」

そして、1880(明治13)年4月に彼は独立を決意!

浅草花川戸(現:台東区浅草1-1-1)の場所で、にごり酒の1杯売りを始めることになります。東京の「はかり売り」の元祖ではないか?とも言われているお店で、店名は愛知の出身ということで「みかはわ銘酒店」と名付けられました。

上の写真の暖簾にも、かろうじて「みかはわ」の文字があるのがわかるでしょうか?

輸入ぶどう酒を原料とした甘味ふどう酒の販売、琉球産泡盛酒の販売なども始めることになるんですが、酒の販売のみならず、明治30年には東京の多摩郡にフランス産ぶどう苗6,000本を植え付けだすなど、ぶどうの栽培にも手を広げることになります。

そしてブドウを栽培するには広大な原野が必要だということで、茨城県牛久の広大な原野を買い入れて開墾をスタート!

煉瓦造りの建物が印象的な牛久シャトー

その牛久ぶどう園に醸造所を建設していき、神谷傳兵衛はシャトーカミヤ(現:牛久シャトー)を創業することになります。ここは日本最古のワイン醸造所ではないものの、日本初の本格的なワイン醸造所となります!

この”本格的”というのがミソになるんですが、いわゆるブドウ栽培からワインの製造まで、初めから終わりまでを一貫して行うという施設ということ。それを日本で初めて行ったということで、傳兵衛は「日本のワイン王」と言われるようになったんですな〜。

創業時の神谷バー(明治45年)

醸造所を立ち上げる一方、「みかわや酒店」においては店舗の内部を西洋風に改造し、1912(明治45)年4月、浅草花川戸(現:台東区浅草1-1-1)の場所にて神谷バーと屋号を改めました。このお店が、日本で初めてのモダンな西洋風のバーとなりました!

電気ブランやウイスキー、ベルモットがメニューの中心であり、大正時代に大流行する「カフェー」にも影響されることなく、酒文化が主役である姿勢は崩しませんでした。

それから100年以上も浅草で営業を続けるわけですが、先ほども書いたように建物も1921年に竣工ということで、100年以上もこの場所に建ち続けているわけですね!

今は、浅草最古の鉄筋コンクリート造建築物であり、2011(平成23)年には国登録有形文化財に登録されました。

ハチブドー酒と電気ブラン

では、神谷伝兵衛は、なぜハチブドー酒と電気ブランを生み出すことになったのか??

ハチブドー酒が誕生した大きな理由は、”日本人は甘めの味が好き”というのが大きな要因でした。

そう、日本人は本場フランスの苦いワインはあまり好まない傾向にあったんですね。苦いのよりかは、甘い味を好む傾向にある様なんですよね。

そこで、傳兵衛は明治14年に香竄葡萄酒(こうざんぶどうしゅ)を開発。香竄葡萄酒は薬草ワインに仕立てた甘口のブドウ酒であり、甘味果実酒、ハチミツを入れた提供したら、ヒットしてしまった。

古(いにしえ)の雰囲気を感じれるポスター

「蜂印」という名称は、かつて傳兵衛が「」というフランス産ブランデーを扱ったことにちなみ、「香竄」とは、父である兵助の俳句の雅号であり親のご恩を忘れないため。

この「蜂印香竄葡萄酒」は、近藤利兵衛の優れたマーケティング活動によって、1900(明治33)年頃には全国の人気商品になりました。

神谷バーにある説明書き

という感じで説明は書いたものの、神谷バーにもこうした背景を説明したものがありますので、気になる方はぜひ!!

一方、「電気ブラン」は、1893(明治26)年ころに神谷傳兵衛によって生み出されました。発売当初は”電気ブランデー”と言われており、もともとは薬用として売られていた輸入ブランデーに、日本人の口にあうように改良を加えたもの。

この電気ブランという名称には、神谷傳兵衛記念館の解説に以下の様に書かれていました!

文明開化の風潮の中で「電気」という言葉にはハイカラなイメージがあり、当時は目新しいものは「電気〇〇」と呼ぶことが流行していました。
また、飲み口の良い、強いお酒なので体の芯まで心地よくビリリとしびれるように酔いが回る、との評判が生れました。
更に時を経るうちに、「神谷の電気ブランデー」はいつしか(昭和初期頃には)親しみを込めて「電気ブラン」と呼ばれるようになりました。

神谷傳兵衛記念館「電気ブランと神谷傳兵衛」より
デザインだけでも旨そうだ!!

神谷伝兵衛記念館がある牛久シャトーでも、電気ブランは売られていて購入ができます。

牛久は東京からちょっと遠いかもしれないですが、歴史やお酒関連が好きな方だったらマジで言って損はない場所なので、こちらもオススメっす!!

稲毛にある旧神谷傳兵衛稲毛別荘

牛久シャトー以外にも、千葉県には「旧神谷傳兵衛稲毛別荘」という場所があります。稲毛は海沿いにあることから、かつては保養地として知られている場所でした。

傳兵衛は、その場所に1918(大正7)年に別荘を建てることになり、その当時の建物が今では無料で一般公開されています。こちらもすでに取材済みなので、牛久シャトーの記事を書いた後に、こちらも紹介記事書こうと思います!

おわりに

はい、以上になります!

神谷バーというお店はご存じであっても、その創業者が「日本のワイン王」といわれた神谷傳兵衛だったんですね。神谷バーは、明治創業という老舗だけでなく、日本のワインの歴史にも凄く関わりの深い店だったわけです。

当時の樽が並んでいて、雰囲気も最高っす!

そして、茨城県牛久市にある牛久シャトーには、神谷バーの創業者だった神谷傳兵衛の生き様を語り継ぐ「神谷傳兵衛記念館」があります。様々な資料や昔の写真があって、本当に勉強になる場所。

ということで、次回はこの神谷傳兵衛記念館について紹介します!!

こちらが神谷傳兵衛記念館の記事になりますので、良ければこちらも読んでみて下さいね~

参考文献

詳細・地図

住所 東京都台東区浅草1-1-1
営業時間 11:00~21:00(20:30 ラストオーダー)
休館日 火曜日
電話番号 03-3841-5400
駐車場 なし
アクセス 地下鉄 浅草駅から徒歩1分ほど
リンク http://www.kamiya-bar.com/

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