こんにちわ!
日本中の知られざるスポットを取材してブログにしている知の冒険。今回は、前回から書いている”日本のワイン王”神谷傳兵衛にまつわる記事の第三弾になります( ̄▽ ̄)
以前の記事では、浅草の神谷バー、そして茨城県牛久市にある日本初の本格的ワイン醸造所である牛久シャトーの記事を書きました!
それだけでなく、傳兵衛の痕跡は千葉県の稲毛にも残されており、彼の別荘脱建物が今では無料で一般公開されています。
豪華な造りにもなっている和洋折衷の建物ということで、その館内を紹介していきたいと思います~(*´▽`*)
別荘地だった痕跡は、マジで無い・・
今回の記事は、明治後期より海水浴場と松林を中心とした保養地として知られていた稲毛の場所に建つ近代建築っす。そうした風光明媚な場所だったことで、療養のために建てられたわけです!
地図で示すとココになるんですが、すぐそばを通る国道14号線から東京湾側は埋め立てられている関係で、もう海水浴的な雰囲気は全く感じられないんですけどね・・(;・∀・)
でも、稲毛は千葉県初の海水浴場として、1888(明治21)年は潮干狩りと海水浴などが楽しめるリゾート地として開かれそうです。
あとは、明治45年に日本初の民間飛行場が開かれたこともあり、数年前までは「稲毛」という博物館もあったんですけどね。。知らぬ間に閉館してしまいました。。
そんな稲毛の地に、川崎の自宅から車を2時間30分くらいかけてぶっ飛ばして到着。今は国道14号線が走っているこの場所は、写真の左側に神谷伝兵衛の別荘がある一方、写真でいうと国道14号線から右側は海だったという感じ!
昔はどんな感じだったかというと、こちらは千葉県の鳥瞰図ではお馴染みの松井天山(まつい・てんざん)さんによる図で、1927(昭和2)年の風景とのこと。
昔はこんな感じで、左右に通る大通りは現在の国道14号線になるかと思います。国道沿いにはたくさんの旅館が建ち並び、今とは全く違った景色となっています。100年も経つと、マジで町は全く変わってしまうんですな。。
んで、この中に神谷伝兵衛の別荘も書かれていまして、、、
あ~ありましたね!
休養のためとして、伝兵衛が61歳のときに建てられた別荘で、日当たりが良く、砂浜に近い斜面地を求めてこの場所となりました。
彼は、衰弱した体がワインによって回復したことからワイン醸造に関心を持ったわけですが、45歳の時には健康上の理由で東京府会議員を辞任して入院し、61歳の時にも大学病院に入院したこともあったことで、もともと病弱だったのかもしれません。
神谷傳兵衛の別荘として、1918(大正7)年に建てられた別荘。当時は母家である木造雁行型の和館とゲストハウスとして作られた洋館が隣接していましたが、今は洋館のみが一般公開されています。
1918年に竣工したということで、1923(大正11)年に発生した関東大震災をも耐え抜いたわけですな~。
ではでは、館内に入ってみることにしましょ~~
ブドウのレリーフが実に印象的!
館内に入ると、ゆるやかで奥に長~~い階段とシャンデリアがお出迎え!
見上げれば、中心飾りにはブドウのレリーフがあるのが分かるかと思います。”日本のワイン王”といわれただけに、ワインの素材となるブドウが取り入れられているこだわりが感じられますな~!
入って右を向くと、客人を迎えたメインの洋室が広がっています。
暖炉を囲う装飾・マントルピースは白色大理石製。炉脇には、アールヌーヴォー調の図柄が描かれたイギリス製ビクトリアンタイルが見られます。
という感じで、洋風感満載の一階を見たところで二階に上がってみることにしましょうか!!
ブドウの古木が取り込まれた和室
一階の洋風な雰囲気から一転、二階は本格的な書院造の和室となっています。
伝兵衛が過ごしたのは、わずか四年間(大正7~10年)でした。その後は、中国清朝最後の皇帝であるの妹さんらが暮らしていました。その後の
今に至るまで、この建物で誰が暮らしていたかの全貌はわかってないみたいですが、こうして
戦後になるとアメリカの将校が暮らしていたそうです。
天井は、囲炉裏にいぶされた煤竹に縁どられた折り上げ格天井となっています。今までいろんな近代建築を見ては来ましたが、こうした煤竹が使われた天井って見たことないっすな~~。
そして、この床柱がまさに伝兵衛らしい素材なのですが、ブドウの古木が取り入れられているんですね。今までいろんな古い建物を見てきましたが、床柱にブドウが使われているのは初めて見た気がしますわ!
解説には「噂には伝兵衛さんがフランスから取り寄せたものだとか?」と書かれてましたが、実際はどうなんでしょうね??
あとは、こちらの欄間が実に見事!
ブドウのモチーフは、こうして斜めから見るとブドウの実が立体的に見えるようになっています。ここのスタッフの方によると、日差しの角度によってより立体的に見える時間帯もあるなど、時間によって見え方が変わってくるそうです!!
ブドウの周りにはハチが見られるわけですが、これは「蜂印香竄葡萄酒」にちなんでると思われます!
元々は本場フランスのワインを日本に広めようとしたものの、日本人はフランス人よりも甘めを好む人種でした。そのため、本場フランスのワインを日本人向けに甘めに改称するために、ハチミツや薬草を入れて甘味葡萄酒に改良したというわけっすね!
このトンボにも意味がありまして、フランスボルドー地方から移植したメルローという有名なブドウから作った「牛久葡萄酒」は国内外で高く評価され、そのトレードマークがトンボだったそうです!
ここは無料で公開されていることから、天気のいいときなんかは近所の方が散歩がてらここに寄って、ここで寝っ転がってる光景も見られるそうです(笑)
確かに、天気のいいときは気持ちいいでしょうね!!
私はここに二度訪問しましたが、駅から少し離れていることもあるし、そもそもあんまり知られたスポットではないと思うので来館者もまばら。なので、くつろいだりするのにも凄くいい場所かもしれないっす。
通路の上部にも注視してほしいんですが、この欄間を見ると何かツタみたいなのが絡んでるように見えますよね。
これも、ブドウのツルんだそうですよ!
二階にはもう一つ部屋がありまして、こちらも和室。天井にある灯りはよく見ると、、、
木で出来てるんですね!
見事な職人技!
という感じで、一通り館内の様子は紹介できたかと思います。今残っている建物には三部屋ということで、そんなに広いというわけでもないので、サッと見るだけならすぐに終わってしまう感じだと思います。
でもでも、この別荘の近くには何天下他にもおすすめの場所があるので、軽く紹介しますね!
中国清朝最後の皇帝が過ごした家
ちなみに、伝兵衛の別荘の近くには、稲毛の地の信仰の中心だった浅間神社とか、、
その神社のすぐ近くにある「千葉市ゆかりの家・いなげ(旧武見家住宅)」という建物にも、知られざる歴史が眠っていました。
日本が太平洋戦争で敗戦したあとに消滅した満州国。その玉座にいたのが中国清朝のラストエンペラーだった愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)でした。そのラストエンペラーと結婚したのは、天皇家の縁威に当たる嵯峨侯爵家の娘である嵯峨浩(さが・ひろ)でした。
溥儀と浩の結婚は、「日満一体」のシンボルとされた政略結婚でした。溥儀は日本の陸軍歩兵学校に在籍してたこともあり、昭和12年から半年ほど、この家で新婚生活を送ったという歴史があったそうです。
ここも伝兵衛の別荘と一緒に訪問したので、いずれ記事にしたいと思いますよん。
おわりに
以上になります!
神谷バー、牛久シャトー(神谷傳兵衛記念館)、旧神谷伝兵衛稲毛別荘と三つの記事にわたって”日本のワイン王”である神谷傳兵衛の足跡を紹介してきました!
お酒が苦手なのでワインが好きというわけではないんですが、ワインは飲めなくても歴史が好きなので調べれば調べるほどいろんな物語が出てきて、自分でも伝兵衛の歴史を掘ることで視野が広がったと思います(*´▽`*)
ではでは、また次の記事でお会いしましょ~~
参考文献
詳細・地図
住所 | 千葉県千葉市稲毛区稲毛1丁目8−35 |
---|---|
営業時間 | 09:00~17:15 |
入館料 | 無料 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日) |
電話番号 | 043-248-8723 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | ・京成稲毛駅から徒歩7分ほど ・JR稲毛海岸駅から徒歩20分ほど |
リンク | https://galleryinage.jp/旧神谷伝兵衛稲毛別荘/ |