【創業86年】小田原に残る唯一の銭湯「中嶋湯」を取材した!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

今回は銭湯に関する記事になります!

今まで日本のいろんな場所を取材してきて、昔ながらのお店や旅館なども記事にしてきましたが、銭湯に関しては二回目ですかね。一番最初は廃業してはいるもののイベントスペースとして活用されている千葉県木更津市の「人参湯」を取材しましたな〜。

んで、今回は神奈川県小田原市にある銭湯である「中嶋湯」に関する記事です。番台のお母さんが親切でめちゃくちゃ話好きな方で、ちょっと話すつもりが一時間くらい話まくりましたぜ(°▽°)

ということで、そんな中嶋湯に関して簡単にではありますが以下で紹介していきたいと思います!

本記事のポイント

・中嶋湯は小田原市内唯一の銭湯で、創業は1934年
・風呂場の壁面には2015年に描かれた見事な富士山がある
・番台のお母さんがとても親切で、常連さんにも親しまれる銭湯!

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看板建築風で小田原唯一の銭湯

最近銭湯にハマりまくっている私。

私の家からは徒歩30秒の場所にも一軒あって、毎週木曜日に「あと1日乗り越えれば土日だ〜( ̄▽ ̄)」という気分に浸りながら銭湯に行くのが日課になっている今日この頃だったり♨︎

さらには一番調べている横浜関内周辺にも昔ながらの銭湯はいくつか残っておりましてですね、、いろいろ風呂に入りに行っては番台のご主人さんに銭湯の歴史を聞いたりしているわけですわ。

銭湯も今はどんどん姿を消していて、「もう私が動けなくなったらウチは終わりだから。。」という声もよく聞くので、今営業しているうちにいろいろ話を聞いておこうと思ったりしてましてね!

今でも活気ある銭湯『仲乃湯』

前回の記事では横浜市にある超穴場銭湯である「仲乃湯」さんを取材させていただきましたが、ここはもう本当に最高でしたよ!

小田原のシンボルである小田原城

という感じでいろんな銭湯に行ってはいるものの、今回取り上げたいのは小田原にある「中嶋湯」という銭湯。

小田原城がそびえ立ち、曽我梅林など市内に多くの観光スポットがある小田原は、今でも多くの観光客が訪れる場所ですね。東海道の宿場町でもあったこの場所は、昔は著名人などが訪れる別荘地でもあり、ブリ漁師や根府川辺りのミカン農家の方も遊びに来るなどして栄えた街っすね!

小田原には24軒の銭湯があった

そんな小田原市内というか小田原駅周辺には昔は大変多くの銭湯があったようで、今から60年前のころ、つまり1960年の頃は小田原市に銭湯が24軒もあったとか。

私が1959年の小田原明細地図を調べてみると、駅周辺に九軒ほど確認できましたが、結構な密度で点在していたんですな〜。

ただし、時代が進むにつれ現在は家庭に風呂があるのが当たり前の時代になったこともあり、銭湯は日に日に姿を消していくことになります。んで、2020年2月にこの記事を書いている時には、小田原市内には中嶋湯だけが生き残る状態となったのです!

小田原は以前に初音新地や抹香町などの歓楽街の記事を書くにあたり結構訪問してきたし、”市内に唯一”となると訪問しておこうと思って行ってみた感じですかね!

歴史を感じる外観

中嶋湯は小田原駅から徒歩12分ほどの場所にある銭湯で、見た目は結構歴史を感じるものですね。古い銭湯だとお寺風の建物とかはよく見ますが、こういった看板建築っぽい銭湯はあまり見ない気がする。。

煙突がそびえ立ち、左からではなく右から「湯嶋中」と書かれているのは戦前の名残りでしょうか(日本語が左から書かれるようになったのは戦後横文字が入ってきたからなので)。

ではでは、さっそく中に入ってみましょ〜!!

戦前から営業を続ける超老舗銭湯

昭和な雰囲気が漂う館内

男湯はこんな感じで、銭湯の規模としては小さめですかね。

現在の小田原市内の入浴料金は400円。番台のお母さんにお金を払って入浴を済ませ、ちょっくらこの銭湯の歴史を聞ければと思ってお母さんに話かけたところ、お母さんはとても話し好きな方なのかおしゃべりが止まらなくなり、結局一時間近く話し込むことになったんですね(°▽°)

ハル子さん(右)とご主人の寛さん(左)

今回取材というか色々お話ししてくれたのはハル子さん。この中嶋湯はハル子さんの御主人である寛(ひろし)さんのお父さんが開業した銭湯であり、大学を卒業した後に寛さんが中嶋湯を継いだあと、そこへお嫁に来たのがハル子さんだったとか。

その時、ハル子さんは平塚のデパートで働いていたそうなのですが、仲人さんのご縁で寛さんと結婚して小田原へやって来たという。

1934年創業の中嶋湯

中嶋湯が誕生したのは戦前の1934(昭和9)年。

今年(2020年)で創業86年を迎えるということで超ウルトラ歴史ある銭湯なんですね。戦前からあるということもあり、戦時中の大変だった時代をも乗り超えてきたわけです。戦時中は燃料が不足していたこともあり「使う湯はおけ5杯まで」と制限されていたこともあり、電気で湯を沸かせるようにと兵隊さんが脇の道路に電柱を建ててくれたなんて話もあったとか。

戦後になるとお客さんは増え、昭和40年代ごろが一番のピークだったとか。それ以降はどの家にも風呂が付くようになったことで、お客さんの数は下降線を辿ることになったようです。。

が、そんな厳しい状態であっても、昭和、平成、そして令和の時代でも営業を続けられているのは「お客さんとの支え合いがあったから」だという。

過酷だった戦争体験話

一時間近く話し続けた中で、お母さんが仕切りにおっしゃっていたのが「人との出会い」について。この中嶋湯は、訪れたお客さんとの支え合いによって今まで営業を続けられているのだという。

お母さん:「この商売してね、いろんな人との出会いがあって、いろんな人に支えてもらったの。自転車が壊れたらお客さんに自転車屋さんがいて直してくれてね、あと雨漏りしたときは大工のお客さんに直してもらったりもしたのよ。」

ずっと常連だったタクシーで熱心に通ってくれた常連さんが生前置いていった入浴グッズもずっと棚に眠らせているなど、人情話もたくさんあるんですね。

いろんな人が来ていろんな話をしてきて今に至る中嶋湯。チェーン店化が進み、機械化でお店とお客さんとのコミュニケーションが希薄になる現代ではあるものの、そう言った時代でも、こうやって人とのご縁でお店を続けられている銭湯があるとは、とても嬉しい話や(°▽°)

ただ、そう言った心温まる話もあれば、この銭湯の改修に訪れた業者の方々が、かつての辛い過去を語る光景なんかも目撃したという。

お母さん:「終戦になってね、窯が壊れてタイルが剥がれて、サッシが割れたりするでしょ。それを職人さんに直してもらったんだけどね、そういった職人さんって当時は皆が軍隊行って帰ってきた方ばっかりなの。」

私:「そうだったんですか。」

お母さん:「作業が終わってここで一杯飲んでいるときにね、戦争に行った時の話をするのよ。お酒が入ったからそういうことも話すのね。ここで話してたのはね、彼らがいたのは中国だったみたいなんだけど、百人くらい並ぶ人たちをババババッて打つわけ。上官の命令か何かって言ってたかな。でもそれが出来ない人はね、中国語を覚えて彼らに『死んだマネしろ、死んだマネしろ』って言ったんだって。」

なるほど、戦争体験を語っていたわけか。。

そんな中嶋湯、ハル子さんと娘さん?が番台を交代で切り盛りしているようですが、以前はご主人さんの寛さんも銭湯の営業に気合入りまくり状態で頑張っていたという。以前は神奈川銭湯組合の会長を務めていたこともあったものの、現在は86歳という高齢にもなり、今は表に出ていないという。

一応息子さんが継ぐみたいな話にはなっているらしいですが、「次いで今後もずっと銭湯を続けていく」みたいな話にはなっていないようで、もしかしたら2,3年で廃業するかもしれないと、お母さんは話してました。。

雑誌などの取材もたま〜に

中嶋湯は小田原唯一の銭湯ということもあるのか、雑誌や新聞などの取材もたまにあるという。こういう感じで雑誌の表紙まで飾ってるじゃないっすか〜。しかし、「古き良き時代」という言葉に銭湯はピッタリですな( ̄▽ ̄)

中嶋湯の背景に関して、簡単に書くとこんな感じですかね。

では続いて、お風呂場の壁面に描かれている富士山に関するお話を!!

女性が描く富士山のペンキ絵

男湯に描かれた富士山

お風呂に入っていて、この富士山のペンキ絵がとても綺麗で見入っていた私。お客さんがいないタイミングを狙って男湯をパシャリしました(笑)

富士山、本当に見事ですね。富士山の麓には松島や天橋立のような風光明媚な景色が広がる海岸が描かれ、海の上には二つのヨットも浮かんでおります。

雪をかぶった富士山の色合いや影の使い方など本当に素晴らしい。

お母さんに聞くと、この絵が描かれたのは2015年だったようですが、その前には1995年に描かれたものがずっと残って親しまれていたそうです。しかし、銭湯ということもあり、湯気にさらされてペンキが剥がれることもあり寿命が来ていたとのこと。

銭湯のペンキ絵は東京が発祥だったらしいんですが、やはり富士山が定番なんですね。男湯を撮っていると、お母さんが、、

お母さん:「今さ、女湯誰もいないからこっちも撮っていきな!」

といって女湯も特別に入らせていただきました!

女湯の方はアルプス??

あ〜女湯の方は湯気で写真が曇っちまいましたorz

急いでパシャパシャ撮っててレンズの曇りを取り忘れるというウンコ級のミスをやらかしましたが、こちらは富士山ではなくアルプスとか何かでしょうか?

これらの絵は今から五年ほど前に描かれたとか。銭湯が姿を消していくなか、こういった絵を描く絵師さんも絶滅危惧種レベルで少なくなってるんじゃないかな〜。ネットでググってみると「現在いる絵師さんは三人」と書かれてましたが、そんなに少ないのか。。

そして、この絵はどの方が描いたのかが気になってお母さん聞いてみたら、、

お母さん:「女湯の方に日付と印が残されてるよ!」

ということで、右下の方をよく見てみると・・

絵師さんの日付と印が残る

あ〜これですか!

「2015年6月23日」にこの絵は描かれたんですね。そして日付の下に、丸に”み”と書かれたマークがありますがこれが絵師さんのサインなんですかね!

これ、男湯と女湯あわせてどのくらいの時間で書き終えられるものなんですかね〜。描いた方についてお母さんに聞いてみると、、

お母さん:「これ描いたのね、女性の方なの。名前は何ていう方だったかな〜」

と、名前までは覚えていないとのこと。。

中嶋湯の壁に描いた田中みずきさん

ということで、先ほどの雑誌を見てみると絵師さん名前が載っていました。田中みずきさんという方なんですね。

絵師さんって多分これだけでは食べていけないんじゃないか、銭湯以外にもいろんなところで描いてるんじゃないか、とかいろいろ気になるこの頃。

おわりに

いや〜話し込みましたわ(笑)

いい湯だったし、元々は風呂に入るだけだったのにいろんなこと聞けて本当にいい思い出になりましたよ( ̄▽ ̄)

お母さんが「今まで営業を続けられたのは、いろんなお客さんとの支え合いがあったから」とおっしゃっていたのが記憶に残る。。私も、この『知の冒険』のブログを続けていて一番良かったと思っているのは、いろんな方と出会い語らい合ってきたこと。

私は多分、銭湯に入ってリフレッシュするだけでなく、結局は人との出会いを求めてるんだろな。お母さん、冗談で「次お客さんが来たとき、私はもう死んでると思うから」と言ってたが、今後も元気で頑張ってほしい!

小田原はまだ行く用があるので、またひとっ風呂入りにいくぜ!!

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県小田原市中町2丁目5−5
営業時間 15:30~21:30
休館日 火曜日
駐車場 無料
電話番号 0465-22-9343
アクセス 小田原駅から徒歩12分
リンク http://www.hi-su-i.com/

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