小田原にあった平屋群の私娼窟「抹香町」の歴史に迫った!

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こんちわ(*’▽’)

今回は、前回の初音新地の記事に続き小田原にあった歓楽街に関する記事になります。

その場所とは「抹香町(まっこうちょう)」と言われる私娼窟だった場所で、ここはまだ当時の遺構もいくらか残っているだけでなく、川崎長太郎の小説でも名が広まったといういろいろ話のネタも多い場所!

そんな抹香町がどのような変遷をたどって来たのか、図書館に行ったり地元に長く暮らす方や周辺のお寺の住職へ聞き込みをするなど結構時間をかけて取材してきたので、その辺を以下にまとめていきたいと思います!

本記事のポイント

・抹香町は関東大震災の後に集められて誕生した私娼窟
・川崎長太郎の小説でも有名になり、戦後は赤線になった
・売春防止法が施行されたあとも商売は続いてたらしい・・

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小田原にあった四か所の歓楽街

これは前回の初音新地の記事とダブるのですが、一応最初に小田原の歓楽街の場所を押さえておきましょうということでまずはこの話題から!

小田原の歓楽街の地図

小田原の歓楽街としては初音新地、抹香町、裏町、宮小路の四か所があり、地図にするとこんな感じですかね。今回の記事で紹介する抹香町は私娼窟、つまり公的には認められていないモグリの売春地帯だった場所です。あと、裏町(うらちょう)もカフェーが建ち並んだ私娼窟だったようで、宮小路(みやこうじ)は芸者さんがいた場所で、料亭や見番もあった花街でした。

かつての初音新地の入り口

前回の記事では、遊郭だった初音新地(はつねしんち)に関して記事にまとめましたが、ここはもう名残りは残っていないというね。。

でも、いくらか資料を発見することはできて小田原宿の時代に飯盛女の設置が許可され、小田原大海嘯(かいしょう)によって内陸部に新地が誕生したりと、多少なりとも変遷は調べられたかな~とは思っています!

あと、裏町(うらちょう)というのは大雄山線の緑町駅前の通りだった場所なのですが、ここはカフェーが建ち並ぶ私娼窟だったようです。とはいえ、ここに関してはほとんど情報が集まってないので今のところ記事にするレベルには至ってない感じ。。

かつて花街だった宮小路

そして、宮小路は平成の中期ごろまで宮小路見番があり、今でもその名残として何軒かの料亭も残っていた李という場所。宮小路に関しては抹香町のネタが終わったら投稿する予定ですので、しばしお待ちいただければと思いますm(__)m

ってな感じで、小田原の歓楽街の概要に関してはこんな感じで!

ではでは、ここから抹香町の歴史に入っていくことにしましょ~~!

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抹香町の歴史に迫る!

現在も平屋の遺構が残る

私が抹香町を始めて探訪したのは約二年前くらいだったと思います。とはいえ、その時は写真は撮ったものの何も情報がなくて、ここにどんな背景があったのかもわからないという超消化不良の状態だったんですね。。

んで、半年前くらいにまた訪問して、一週間前にもう一度訪問したりしてようやくそれなりにまとめられるかな~と思ったので記事にしたという感じです。

川崎長太郎の小説によって名が知られるようになったこの一画には、どのような物語があったのか?

背景を探ってみることにしましょ~!

本当は抹香町ではない!?

まずは抹香町(まっこうちょう)という町名の由来からいきますか!

そして、色々調べてみると「抹香町」といわれる私娼窟の一画、本当の地名は抹香町ではなかったそうです。。

周囲にはお寺がたくさんあった

そもそも、この辺には昔は教徳寺というお寺があり、そこには十王様を安置している十王堂(閻魔堂)があったほか、たくさんのお寺があったそうなんです。十王様が安置されていたことから十王町と言われていたものの、お寺が多く線香の煙がいつも絶えなかったから抹香町とも言われていたそうなんですね!

確かに、今でも地図を見てみるとお寺は割と多いっすね。んで、本来の抹香町というのは上の地図に示した「十王町・抹香町の碑」の周辺だったそうです。

抹香町だったことを示す碑

小田原市には、旧町名が何だったかがわかるように上の写真のような石碑が結構いろんなところに建てられているんですね!

抹香町というのは、もともとはこの碑があった周辺の事をいい、現在抹香町といわれている私娼窟があった一画は本来の抹香町ではないようです。

広大な敷地を所有していた誓願寺

そんな抹香町は、多くの部分が誓願寺(せいがんじ)の敷地だったということで誓願寺の住職さんにこの辺の歴史を聞いてみることに!

ピンポンを押すと、凄く親切な住職さんが出てきてくれて知っていることを話してくれました~(*’▽’)

いろいろ話を聞いたのですが、十王堂があった教徳寺は既に廃寺になってしまい現在は存在していないとのこと。この辺の歴史に関しては、資料として残ってはいたようなのですが、残念なことに関東大震災の時に焼失してしまったんだそうです。。資料が残っていたらこの辺の歴史をもっと詳しく知ることが出来たかもしれないんですが、、無念。。

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元ゴミ捨て場に誕生した私娼窟

そして、抹香町の私娼窟はいつから誕生したのか?

七軒の遊女屋が集められた初音新地

抹香町の私娼窟の誕生には、遊郭だった初音新地が関わっているようです。この初音新地は、前回の記事でも紹介したように旧東海道周辺にあった遊女屋を一画に集めるということで誕生した一画。ただ、ここは遊郭という公的な施設でもあったことで値段も高くもっと気安く遊べる場の需要が出てきたのだという。

「初音新地が誕生した1902年頃から、もっと安く気軽に遊びたいという人向けに、明治40年頃にポツポツと誕生した」という記載が『小田原史談 第172号』という資料に書かれていたのですが、背景としてはこうだったんですかね~。

大正時代になると抹香町の名は次第に知られるようになり、繁盛するも、関東大震災のあった1923(大正12)年の頃にはこの周辺は町の中心になってきたようなので、「風紀上の観点からこの場所に私娼窟があるのは、、」と思われるようになりました!

私娼窟が一か所に集められることに

そして震災後、これらを「中心部の端に追いやるぞ!」という感じで他の場所へ移転することが検討され、その結果、1925(大正14)年に小田原警察署長は抹香町の業者を呼び、町の外れにある元ゴミ捨て場だった場所に1927(昭和2)年を期限に移転するように命ずることになるのです。

そんな背景があり、昭和の初めごろに業者は「小田原飲食店組合」 を作り、私娼窟の一画が誕生しました。なので、先ほども書いたように、私娼窟の一画は抹香町ではなく、「抹香町にあった私娼窟が移転した」ということ。

私が地元の方に話を聞いた時は、この一画を「新開地」と言っており、その他には新玉新地(あらたましんち)と書かれている資料もありました。恐らくですが、川崎長太郎の小説の中で、この一画を「抹香町」と呼んでいたため、ネットなどでもそう呼ばれるようになったような気がします。

1958年2月19日の神奈川新聞

そんな抹香町は、戦後には赤線になりました。ただし、1958年に売春防止法が施行されることで赤線の時代も終わりを迎えることになるのですが、その後のこの街の案に関して書かれた新聞記事を発見しました。

1958(昭和33)年2月19日の神奈川新聞の記事なんですが、どうやら抹香町の今後には三つの案が考えられていたそうなんですね。でも、結局は「簡易旅館や下宿屋など」の案になったようです。。

抹香町の一画が誕生してから売春防止法までの流れを簡単にまとめるとこんな感じですかね。そして次はこの抹香町を広めた方の話題です。

抹香町に頻繁に通い、その様子を書き記した小説家である川崎長太郎です!

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抹香町を広めた川崎長太郎

小説『抹香町』を書いた川崎長太郎

抹香町に関して調べると、必ずといっていいほど登場するのが川崎長太郎(かわさき・ちょうたろう)という小説家。資料を漁っていても、抹香町関連でこの人の名が出ないものはほとんど無いほどっす。

私も実際に小説を購入して読んでみましたが、この方は何だかとっても変わった小説家なんですよね。小説家と言えども、小田原の海岸沿いにある畳二畳分の小屋に住みビール箱を逆さにしてローソクの灯りをたよりに小説を書くというスタイル。歩いてすぐの抹香町を日々訪ねて女性を買い、その様子が書かれているのが川崎長太郎の『抹香町』という小説。

川崎長太郎が通い詰めた料理店「だるま」

彼が住んでいた小屋の場所には石碑が建っていたり、彼がちらし寿司を食べるべく通い詰めた近くの料理店「だるま」には彼が使っていた火鉢が展示されていたりと、 彼の痕跡は多少なりとも小田原の街に残り続けているようです。

とはいえ、この記事に川崎長太郎のことを書くと記事が長くなりすぎるので、彼に関する話は次の別記事にてまとめようと思っております!

私娼窟だった抹香町の背景はこんな感じですかね!

では、次のページでは実際に抹香町を訪問して取材した内容を載せていきたいと思います。実際に、現役だった時代を目撃した方に取材も出来て収穫はあったので!

続きはこちら!奄美大島から出稼ぎにきた女性達が働いていた!?
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