小田原の抹香町を広めた川崎長太郎を探る!

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今回は、小田原にあった私娼窟にゆかりのある小説家「川崎長太郎」に関する記事になります!

前回の記事では、抹香町の背景などをまとめて紹介しましたが、この街の歴史を語る際には自身の小説にたびたび抹香町のことを書き続けた川崎長太郎という人物は切っても切れない関係にありまして。

んで、今でも小田原の街にはちょこちょこと川崎長太郎の痕跡も残っているので、前回の記事に含むとちょっと長くなりすぎるので、この部分だけは切り出して単独記事にしたって流れっす!

ではでは、抹香町と川崎長太郎の物語に関して、以下で紹介していきたいと思います〜m(_ _)m

本記事のポイント

・小田原の私娼窟である抹香町は、川崎長太郎によって広められた
・約20年ほど、海岸沿いにある激狭の物置小舎に暮らしていた
・小田原には川崎長太郎の痕跡がいくらか残されている

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小田原にあった私娼窟「抹香町」

木の塀に囲まれた平屋が残る

明治後期に抹香町周辺に私娼窟というモグリの売春店が誕生し、関東大震災を機に元ゴミ捨て場だった一画に集められて誕生した抹香町と言われる場所。地元の方からは「新開地」とか「新玉新地(あらたましんち)」とも言われているこの場所は、戦後は赤線地帯となり、売春防止法が施行された1958年後も数年の間は売春が続いたという。。

現在は、当時の平屋の建物が数軒残るだけで閑静な住宅街となっております。詳しくは、前回の記事をご参照いただければと思いますm(_ _)m

前回の記事で抹香町の歴史に関してはある程度書ききったつもりなのですが、抹香町を書く上で外せない人物がおりまして。。

その方が、この抹香町を広めた小説家の川崎長太郎なわけです!

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抹香町を広めた川崎長太郎

その川崎長太郎が上の写真の人物。私も名前は知っていたのですが、今回記事を書くためにAmazonで早速購入しましたよ。『抹香町』という小説を!

川崎長太郎はずっと抹香町を舞台にした小説を書き続けて幾多(いくた)の名作を生み、昭和28,29年頃は長太郎ブームまで巻き起こしたという。それもあって、抹香町は川崎文学を離れていても、ある意味小田原の名所として広く知られていたそうです。

彼が書き記した抹香町の小説が描かれた時期は昭和27,28年頃などで、それは私娼窟というモグリの売春街だった抹香町が戦後赤線だった時代。入り口には「カフェー街入口」と書かれたゲートが迎え、34軒ほどの売春宿が建ち並んだこの場所には100人ほどの娼婦がいたという。

小説の中では、この抹香町を度々訪れた彼が色々な女性との色恋話を赤裸々に綴られております。小説を書く傍ら、ちょいちょいこの魔窟へと足を運んでいたそうです。

熱海の歓楽街だった糸川べり

しかし、彼の行動範囲は抹香町だけではなく、時には熱海の糸川べりにも足を運び、そこで秋田生まれの女性に心を惹かれ一週間に一度の割合で二か月ほど通い続けたこともあったという。

私も三度ほど抹香町を訪問していて、現在の雰囲気ではありますが、だいたいどの辺にどんな建物があるかなど街の様子は頭に入っているので、小説を読みながら彼がこの街をどう歩いていたかなどを想像させたり。。

「鳳仙花」という話で出てくる雪子や、「夜の家にて」に出てくるミエはどんな女性だったのか、はたまた、あの長屋での出来事を妄想したり。。

また、小説の中には「白いペンキが塗られた」だとか、「××の橋を渡って」という言葉が出てくると、あの辺かな~なんて推測したり。。そんな感じで小説を読みながら会社に行くのが、私の通勤時間の束の間のひと時だったりしています(*’▽’)

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多くの文豪が愛した小田原

そんな小説家だった川崎長太郎ですが、小田原には彼以外にも多くの物書きの方に由縁のある街でありましてですね~!

伊藤博文の邸宅だった滄浪閣

伊藤博文が明治23年に、小田原の海岸近くに「滄浪閣(そうろうかく)」という邸宅を建てたのを皮切りに、北原白秋が赤い瓦の洋館を建てたり、志賀直哉が明治末期にしばしば箱根や小田原付近で来遊していたり、さらには坂口安吾も明治15年に小田原へと転居するように多くの著名人や文士が集う街になるのです。

というのも、小田原には何度か別荘ブームだった時期があり、その発端となったのは1887(明治20)年に新橋-国府津間に東海道線が開通し、その翌年には国府津-小田原-(箱根)湯本間に馬車鉄道が開通したことによるアクセス面の影響があったようです。

その後、小田原大海嘯(かいしょう)による高波被害によって別荘は海岸から丘陵地帯へと移り、遊郭も海岸は避けられ内陸部に初音新地が誕生したりもしましたが、こういった方々によって小田原の街は繁栄していったわけです。

宮小路の芸者さんたち

このような著名人などの影響により、宮小路(みやこうじ)の花柳界も栄えることになるんですね!

わずか二畳のトタン小舎暮らし

私の中では、上記で紹介したような「昔の有名な小説家=金持ってて芸者遊びをしている」みたいな勝手なイメージがあり、最初に川崎長太郎の存在を知った時もそんなイメージをもっていました!

しかし、そんなイメージは彼の小説を読んでいくともろくも消え去り、そんな生活とはあまりにもかけ離れた様子に、むしろそっちの方に興味を持ってしまいましたよ。。上の章で紹介した志賀直哉などの方々とは違い、川崎長太郎はあくまで生まれが小田原であり、一時は東京に出るも、地元に帰って来たから小田原で暮らし続けたわけなんですね。。別荘を建てたりしていたわけではないんですわ。。

戦前の頃から、小田原の海岸沿いにあった物置小舎(こや)に住んでおり、その小舎の広さはわずか畳二畳分で風呂はおろかトイレすらないという場所。。ビール箱を机にしてマンガに出てくる貧乏学生のような状態で文章を書き続けたという。。

川崎長太郎の小舎があった場所

彼が暮らしていた小舎は、小説が評判になった昭和25年当時、幾度となく雑誌に紹介されていたそうです。黒いコールタール塗りのトタン張りのその物置小舎の中で、ビール箱を机代わりにし、ローソクを灯して一連の作品は書かれたのです。

小説の中にもその小舎の様子がたびたび書かれており、雨が降った時には雨漏りもひどく、吹き振りの日となると小舎中がビショ濡れになったという。。なんか、どうやってそんな小舎で生活してたんや、、って思うほどですな。。( ;∀;)

そんな彼の小舎ですが、彼の没後30年にあたる2015年には、近くの小田原文学館で「川崎長太郎の歩いた路」という特別展が行われたようです。その時には多摩美術大学や建築家、さらには川崎長太郎研究者の方々の協力によって彼が約20年間暮らしていた物置小舎の模型の展示も行っていたようです。

この記事を書いている5年前にそんな展示があったんですね、、見たかったな~。。

碑に刻まれた小説の一部分

太平洋戦争の時は軍徴用へ引っ張られ、ドブ掃除などをしていたとか。ただし、戦後は小笠原諸島の父島から復員すると、終戦後の出版インフレもあり、どうにかこうにか物書きだけで食べることができたという。

家庭も持たず、こんなところにある小舎でいつもどんなことを考えながら暮らしていたのだろうか。しかし、有名な小説家である彼がこんな暮らしをしていたとはな〜。。

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浮浪者のような恰好で街を徘徊

相模湾や箱根の山々が見れる小田原

午前中は雨の降らない限りは外を散歩することを日課にしており、街なかの大通り、さらには西湘の海岸などをほっつき歩いていたそうです。小田原は海があるだけでなく箱根の山々も見える場所でもあり、散歩するには結構いい場所なんじゃないかな〜なんて私も思いましたけどね!

彼は東京にいた時も散歩を日課にしており、友人からは「散歩人」という異名を付けられていたと小説の中に書かれていたりもします。

ただ、その格好もなかなかでして、、

着るものとて、寒い折は、ジャンパーに、自分で覚束ない針を運んだ、つぎの当つてゐるズボン、夏場には、徴用免除の際、背負つてきたワイシャツに半ズボン、といつたいでたちで、かぶり古した戦闘帽をのつけ、東京へたまに、用達しがてら赴く場合にも、兵隊靴か下駄を突つかける位のことである。

川崎長太郎『抹香町』より

このような文章は彼の小説の中で何度も書かれているんですが、これに加えて下駄履きという浮浪者のような格好で町をほっつき歩いていたそうです。小説の中には、そんな格好なので「まるでルンペンのような・・」という表現がたびたび出てくるほど。

そして彼は女性関係にもいろいろあり、まともに付き合った経験もあるっちゃあるものの、魔窟に出向いて女性を抱くみたいな日々をひたすら繰り返していたそうです。。

ちょっと小説の一部を抜き出してみると、、

そんな男でゐて性得、女の嫌ひなたちでないどころか、致命的といつていい位の二本ン棒である。竹六の、二十年間にわたる文筆生活にしては、嘘のやうに少ない作品であるが、その多くは、彼と女との、愚にもつかぬいいきさつを扱つたものであつた。それでゐて、女と同棲した経験は、あとにも先にも、僅か一年足らずであり、東京でもさうだつたやうに、故郷にあつても、女共の多くゐる食堂に、毎日現はれ、都合のつく限り、町はづれの魔窟へも足を運んでゐた。

川崎長太郎『抹香町』より

という感じで、戦前は女漁りに夢中だったようです。ちなみに、竹六とは彼の分身っすね。

小説の舞台になった堀之内のお店

こういう男女の色恋ものの小説はいろいろあると思うんですが、そういったテーマに関して私が今まで読んだ小説というと、川崎長太郎と川崎にある堀之内のソープ嬢と結婚した内容を書いた生島治郎(いくしま・じろう)の小説『片翼だけの天使』くらいですかね。

以前、この話も記事にしましたが、昔の物書きの方にはこういった夜の街での自身の体験談を赤裸々に書き続けた小説家は多かったようです。東京にあった玉の井や鳩の街に関して書かれた話もたくさんあるって聞いた気がするので、その辺も読んでいきたいっすね~。

長太郎が通った料理店「だるま」

小田原にゆかりの強い川崎長太郎ということもあり、彼の痕跡は今の小田原にいくらか残されておりました。

明治26年創業の料理店「だるま」

こちらの明治26年創業の老舗料理店である「だるま」も、川崎長太郎のゆかりあるお店。初代の創業者は石川県金沢市の方で、その方の苗字が達磨(たつま)だったことから屋号が「だるま」となったそうな。

創業後、付近の宮小路が賑やかで芸者さんがいたころはこのお店にも多くの芸者さんがやって来たという。現在でも、要望があれば箱根から芸者さんを派遣してもらうことも可能なんですってね!

多くの人で賑わっていた

そんなだるまは現在でもバリバリ営業しており、私が訪問した土曜の昼は多くのお客さんで賑わっておりました。この建物、今でも二階に上がればコウモリや丸窓の意匠、さらには太鼓橋も残っており風情ある造りが見られるわけです。

このお店に川崎長太郎は毎日のようにやってきたそうです。いつも好物のちらし寿司を食べていたことから、お店の方から「ちらさん」とも呼ばれていたとか。

博物館として公開されている部屋

そんなだるまには料理を食べる食べないに関係なく、誰にでも開放している一室があるんですね。それが上の写真の部屋で、市内にいくつかある「街かど博物館」として公開されているようです。

川崎長太郎が使っていた火鉢

その端に展示されているのが川崎長太郎が実際に使っていた火鉢なんですね。彼が食べるちらしは「川ちら」とも言われていて、なるとや小田原名物のかまぼこが入った独特のちらし寿司なんだそうですよ!

私はまだこのちらし寿司を食べてはいませんが、今でも提供されているので食べることが出来るようです。次お店に行った時は絶対に食べるぞい!!

彼が暮らしていた小屋や老舗料理店「だるま」には、彼の生きた証が残されていますが、ここから一駅離れた早川という場所にも川崎長太郎の痕跡が残されています。

お寺に残る川崎長太郎の文学碑

文学碑がある早川観音真福寺

川崎長太郎が亡くなった六年後、彼の文学を愛好してやまない人々によって、「川崎長太郎文学碑」が早川観音真福寺の敷地内に建つことになります。真福寺はJR早川駅から徒歩10分ほどの場所にあり、駅の出口から反対側の閑静な住宅街にあるので人通りも非常に少ない場所。

川崎長太郎の文学碑

そこに、上の写真の碑がひっそりと佇んでいます。この碑が川崎長太郎のものであると説明書きされたものが一切ないので、あらかじめ知ってないとこりゃ気付かないっすわ( ;∀;)

表はコケが生えたり風化が進んでいるのか何て書いてるのか全然わからん。。

裏はめっちゃくっりき刻まれてますね!

どうやらこの碑を建てたのは「川崎長太郎文学碑を建てる会」の方々のようで、ちょっとばかりの解説と『偽遺書』の小説の一部が書かれていました。

今でもこの碑を訪れる方はどのくらいいるんでしょうね。。でも、彼が亡くなってから35年もの年月が経ってはいますが、それでも、彼が生きた痕跡は小田原の街に残り続けているようでした。

おわりに

1985年(昭和60年) 11月6日に、肺炎によって小田原市立病院で亡くなった川崎長太郎のお墓は、静岡県の富士霊園にあるようです。

ちょっとネットで川崎長太郎に関するページをいくらか読んでみると、彼の小説を読んで小田原に興味を持ち、小説に出てくる場所を巡っている方なんかもいるようでした。

彼の作品は、私にもですが今の時代の人にも影響を与え続けているんですね。私はまだ彼の小説を二冊しか読んでないので、この記事を書き終えてもちょくちょく読んでいこうと思います。

以上、抹香町を広めた小田原の小説家である川崎長太郎に関してでした〜!

↓んで、続いて小田原の花街だった宮小路に関して、次の記事にまとめましたのでよければこちらもご覧くださいm(_ _)m

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県小田原市浜町2丁目8付近
駐車場 なし
アクセス JR小田原駅から徒歩15分ほど

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