今回の記事は、初の新潟県のスポットの記事です。新潟は新幹線を使えば行けなくもないのですが、そりゃ高いし車で行くのは大変なので結構敷居が高い県だったのですが、いよいよ新潟発上陸です。
新潟県は正直他の県に比べると割とネタは少なめなのですが、まず来たかったのが「親不知(おやしらず)」です。ほかの場所ではなかなか見られない厳しい地形であり、それゆえ崖すれすれに道が敷かれてあるなんとも私的にはドストライクな場所であるのです!!
では、そんな親不知を以下で紹介していきまっしょい!
本記事のポイント
・「天下の難所」といわれた北陸最大の難所だった
・今では海すれすれ部分に道路が作られており、トンネル跡も残る
・搭載の交流が分断されていたため、両側の文化が多く異なる
見出し
親不知とは?
親不知は、「天下の難所」と言われ北陸最大の危険地帯だったのです。道路を作るには難しすぎる地形ゆえ、現在ひかれている道路も崖路すれすれの場所や海上に高架橋を作らなければいけなかった程。
そんな地形だったため景観も独特であり、多くの著名作家に愛される場所となり松尾芭蕉、森鴎外、十返舎一九などなど多くの文学作品にも登場しているのです。
親不知はどこにある?
親不知は、新潟県の西部に位置します。日本海側をギリギリというかもはや海の上を通っているほどの場所であり、交通の要所となっていたのです。
衛星図で見るとこんな感じっす。親不知があるエリアは新潟県の西部と言っても新潟県と富山県の県境に近い場所に位置しています。そして、富山県の黒部市辺りの街と新潟県の糸魚川市の街を行き来するためには、日本海側すれすれを通らなくてはいけないのです。
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なぜ交通の難所なのか??
ココがなぜ交通の難所となっているのか?それは飛騨山脈と言われる北アルプスが関係しているのです!日本の屋根と言われる三大山脈である、北アルプス(飛騨山脈)、中央アルプス(木曽山脈)南アルプス(赤石山脈)。どれも3,000m級の山々がそびえたつ山脈であり、日本の屋根との言われていますな!!
そんな中、今回のターゲットである親不知は北アルプスの先っぽに位置しているわけです。これが、「天下の難所」と言われる大きなポイントだ〜!
拡大するとこんな感じです!親不知の両側には、富山県の黒部市周辺の街と新潟県の糸魚川市街があるわけです。そんで両方の街を行き来するわけですが、この地の場合は間に北アルプスがあるため、アルプスをトンネルでぶち抜くか海岸沿いに何とかして道路を作るしかないわけです。。。
そんな訳で海岸すれすれというか、もはや海上に道路を作るしかないという事になったわけです。
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親不知に行ってみた!
天下の難所と言われる親不知がどんな場所なのかを調査すべく、車を親不知へと走らせました。天気は、微妙にポツポツ雨が降る程度で何とか取材ができる天候ですた。。
道の駅「親不知ピアパーク」
親不知には、これといった目立った建物的なスポットはなく強いて言うなら道の駅である「親不知ピアパーク」があります。何だかまだ昼時なのにやたらと暗いんですけど・・。見てる側のテンションまで暗くなるわ。。
▲道の駅にある「フォッサマグナミュージアム」
道の駅の中はこんな感じになっておりました。この親不知周辺はジオパークに認定されております。しかも、ここは2009年に日本で初めて世界ジオパークに認定されたのです。近くをフォッサマグナが通ることもあり、周囲にはフォッサマグナミュージアムなど地質に関する見所がたくさんあるのです。
ピアパークからは、海上にそびえたつ高架化された北陸自動車道が確認できます!ただ、ここからだと親不知の険しさをそれほど確認することは出来ないんですな〜。
親不知の歴史を知る
▲日本近代登山の父「ウェルター・ウェストン」
展望台のすぐ隣には、日本近代登山の父と言われる「ウェルター・ウェストン」の像があります。ウェルター・ウェストンは、富士山や日本アルプスなどを登る他、1894年にはこの親不知も訪れました。著書「日本アルプスの登山と探検」で、親不知を紹介しています。
▲垂直にそびえ立つ崖が続く道
駐車場から歩いた道は崖を削って1883年に作られた道で、「市道・天険親不知線」という道。そのきっかけは、1878年9月に明治天皇が国内巡幸の際に訪れた時の事。 明治天皇はこの地を通る際には、安全を考えて海沿いではなく山道を選んで歩いたのです。
しかし、その山道はもちろん容易な道ではなく大変な山越えだったのです。それを悔いた地元の有志が、安全な道を作ろうということで、明治天皇が訪れた5年後の1883年に親不知レンガトンネルを作ったそうな!
左側の切り立った崖が、この親不知の道の険しさを語っているようでした。この道が出来たのはまだ明治時代ということですべて人力で作られたこともあり、かなり困難を極めて作られたという。現在でも廃道ではないものの、木の枝や岩などが転がっているんですわ。。。
如砥矢如(とのごとく やのごとし)と岩に書かれた文字。この一つ上の写真でも写っている道は、先ほど説明したように1883年に絶壁を切り開いて作られた道。その完成を喜んで彫られた文字で、この工事を担当した「富岳磯平(とみおかいそへい)」が彫ったと言われている。
親不知の道路の歴史を簡単にまとめると上の様になります。昔々、まだ道路が整備されていなかった時、旅人はこの地を通る際に「無事に通れるように」と祈っていたそうです。そこから、市道・天険親不知線、国道8号線、北陸自動車道が開通していきました。
市道・天険親不知線は、1986年に「日本の道百選」に選ばれ、2007年には土木学会選奨土木遺産に認定されています。
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親不知屈指の景観
市道・天険親不知線からは、親不知屈指の景色を見ることができます。それは、この展望台から!
▲親不知がいかに険しい地形かがわかる全景
この展望台からは、親不知の風景を一望できます。車で走っているだけだとわからないものですが、こうして見ると海の上を走る高速道路や、崖っぷちを通る国道が見え、この険しい場所を建築技術を駆使してうまく道路を作った様子がうかがえます。
しかし、なんという道路・・。日本は山が急でありその斜面を削って道を作っている場所が本当に多いです。毎年色々な場所で土砂崩れもおきており、そのような自然災害が起こる度に日本の地形は険しいと実感させられます。
知の冒険で色々な場所に行くようになり、静岡県のさった峠、神奈川県の真鶴道路などなど通るたびに崩れないかと不安になるものです。。。
海の上を走っているのは、一般道ではなく高速道路である北陸自動車道なんですね!そして、一般道である国道8号線は海の上ではないものの、もう本当に崖すれすれの場所を通っていることが分かります。
今ではこれらの道路を通ればいいわけですが、昔はもう海すれすれの場所を歩いていたようです。道路を走るのが当たり前な現代ですが、こうしてみると昔は本当に大変だったんですね。
不気味な旧親不知トンネル
親不知の歴史について学んでいる中、今度は下へ下る階段が出てきました。親不知に来るにあたってはあまり事前調査をしていなかったこともあり、この下に何があるのかこの時点ではわからんかった( ;∀;)
▲険しがけをぶち抜いて作られた「親不知トンネル」
で、下るとこんなものが( ゚Д゚)
な、なんかめちゃくちゃ不気味なトンネルが・・・。上にある市道・天険親不知線が既にできた後に作られたわけだが、一体なぜこんなトンネルが作られたのだろうか・・。
と思ってたのですが、ここは旧北陸本線が走っていたトンネルだったそうです。
しかし、海沿いは無理だわ( ゚Д゚)
波が荒く、岸を打ち付ける音が聞こえてくるんですもん!こんな場所とてもじゃなく歩けないっすわ!
そんなことを思いながら、早速トンネルを歩くことに!しかし、このトンネルは実に親切。トンネル内が暗いため懐中電灯を置いてくれているのです。いや~糸魚川市の役所はわかってますな~!
前にもトンネルを訪れた際に懐中電灯がおいてあったことはあったのですが、電池切れでライトがつかないという落ちだったことがあったため、デジャブじゃないかと最初は思ったんですな( ;∀;)
しかし、さすがは糸魚川市。電池もちゃんと残っていてこれで準備は万全だお!
▲年代を感じる煉瓦製のトンネル内部
トンネル内部はこんな感じです。なんかカメラがやたらと明るく写したようですが、写真ほど明るくはなくトンネル内は真っ暗でした。歩けるのは写真の左側でトンネルの両側はレンガ造りが残っています。トンネル上部は、レンガ造りが残っていないようで、さらに白色や茶色く変色している部分が目立つ。これは歴史の痕跡なのだろうか・・・。
このトンネルは1907年に作り始め、5年の歳月をかけて完成させました。そして、その作り方はなんと手掘り!!トンネルの中にあった説明書きによると、このトンネルは天井部分から掘り、それと同時にレンガを使って固めながらトンネルを掘り下げて造ったのです。
このトンネルの長さは、668m。さらに幅は3.4~4.6mで、高さは5m程。大きさに関しては、機関車が通れる最小限の大きさとしているのです。
中には、非常用の電話も備え付けられていました。これを使う時って、トンネルが崩壊したときとか??( ;∀;)
あんま想像したくねぇな・・。
この煉瓦でできたトンネルは、どのようにレンガを積んで作ったのか?ということで、また出てきました「イギリス積み」と「フランス積み」。知の冒険の記事では幾度と紹介したこの積み方ですが、レンガ製の物を語る上では必ずと言っていいほど、この話題が出てきます!!
▲両方の積み方を確認できるトンネル外部
積み方を見る上では、トンネルの出口付近が変色もなくわかりやすかったっす!この写真を見て、「イギリス積み」の部分と「フランス積み」の部分での境目があるのですが、どこにあるかわかりますでしょうか??
見ると、こんな感じでイギリス積みとフランス積みが境になって積まれていますね!こうした訳としては、トンネルの壁面は頑丈性を意識してイギリス積みにしており、トンネル上部は厚さの調節がしやすいようにとフランス積みにしているのです。
ようやくトンネルの反対側に出たわけですが、まだその先も続いていました。先は崩れており、調査はここまで。しかし、これだけ古いトンネルが残っているのは大変貴重でしたわい。
このトンネルを走っていた旧北陸本線は、黒姫山の石灰石などを主に運んでいたそうです。今から50年も前の1965年に廃線となり、現在の姿になったのです。
親不知両側で異なる文化
親不知は難所だったということもあり、交通の便が分断されていました。そのため、親不知の両側では文化の交流が少ないこともあり異なる文化が多かったようです。そのため、以下のような違いが東西で見られるんですな〜!
東西で異なる文化
【正月の雑煮の餅の形】
・東日本 → 丸
・西日本 → 四角
【灯油を入れるポリタンクの色】
・東日本 → 赤色
・西日本 → 青色
【おにぎりの呼び名】
・東日本 → おにぎり
・西日本 → おむすび
▲富山県で購入した西日本仕様の「どん兵衛」
その文化の違いは、あのどん兵衛でも見られるんです。どん兵衛は、東日本と西日本で味が異なることは有名であり、その境は岐阜県の関が原辺り。しかし、北陸の方では富山県と新潟県が境のようです。実際に上の写真に写っているどん兵衛は富山県で購入したものですが、西日本仕様となっておりました!!
エスカレーターの立つ位置や、マックとマクドなど東と西では異なる文化があるのは大変面白い!!
おわりに
「天下の難所」と言われた親不知。今回訪れて感じたのは、現代だと道路が敷かれ当たり前のように走れる場所も、昔は命懸けで渡っていたと知ると時代の凄さを感じるのと同時に大変感慨深い。
普段何気なく使っているもの、通っている道などには多くの人の努力が隠されていることを忘れてはいけないんですね。その凄さに気づけることで多くの視点が広がるのである。
参考文献
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詳細・地図
住所 | 新潟県糸魚川市市振 |
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アクセス | 北陸道親不知ICよりR8経由糸魚川方面へ10分、JR北陸本線親不知駅より徒歩30分 |
リンク | http://www.hrr.mlit.go.jp/road/miti_eki/each_folder/oyasiraz/oyasiraz.html |