埼玉県熊谷にある色街・遊郭の歴史を巡って調査してみた!

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今回はまたまた色街ネタであり、その場所は埼玉県の熊谷になります。ちょっと知り合いに会う機会がありその場所が熊谷だったということもあり、せっかくなので熊谷の色街調査を行ったというわけです。熊谷は今まで一度も降りたことがない駅だったのですが、一応駅の周辺を歩いて調査してみたのでその結果をまとめてみたいと思います!!

熊谷の色街史をまとめた

最初にも書いたように、熊谷駅を降りたのは今回が初めて。熊谷というと、やたらと気温が高い年というイメージがあるだけで、正直何も知らない私。そんで、とりあえず事前調査を済ませて駅前をひたすら歩きまくり大まかには理解できたかなと!
ということで、まずは熊谷の色街史をザッとですが紹介します。

一応上の地図にまとめてみました。ただ、場所と年代を書いたもののちょっとわからないことが多いので、あっているかは保証できません。。もしご存知の方がいらっしゃいましたら指摘していただけるとありがたいです。遊郭は売春防止法が施行された1958年に街が消えていったケースがほとんどであり、ここ熊谷もそうであったと思われます。
「明日の婦人保護を目指して(売春防止法記念30周年記念誌)」によると、熊谷では1957年時点では「赤線業者数:26、赤線従業婦数:65、青線業者数:7、青線従業婦数:30m、芸妓置屋数:27、芸妓数:47」だったそうです。
赤線地帯が、移転後の遊廓の場所であれば青線は上図の緑で囲った弁天町辺りが青線だったのでしょうかね?この辺ははっきりとわかっていないのでさらなる調査が必要そうです。。

熊谷の遊廓について

今回の記事では、熊谷の遊廓に関してから今の色街に関してまでを簡単に紹介していきますが、まずは遊郭に関してを紹介していきます。

熊谷遊廓の歴史

※「今昔マップ on the web」を元に作成
1883年に上野~熊谷間に鉄道が敷かれ、生糸などが運ばれたことによって栄えてきた熊谷という町。1900年頃は上の地図のような街並みに。当時の熊谷県の県庁が熊谷寺に置かれたからか、駅の北側は栄えているようでしたが南側は桑畑になっていますね。
元々は、熊谷駅北口の線路沿いに遊郭はあったようですが、1925年の熊谷大火によって遊郭が全焼。その後に駅の南側の桑畑だった場所に遊郭街が移ります。

※「今昔マップ on the web」を元に作成
その後、昭和の前半頃には駅の南側も少しづく街が出来ていきます。そして赤枠に囲ったところにもひとつ前の地図に比べて街が出来ていますが、ここがかつて遊郭があった一角になるわけです。今現在でいうと、秩父鉄道の上熊谷駅から石原駅の間に位置する遊郭街でした。
「火事により町が焼失→市街地から離れた場所に遊郭街ができる」というコンビネーションは、他の遊廓街と同じですね。

弁天町にあった旧遊廓街を歩く

伊勢町に移転する前は弁天町という町に遊郭があったそうです。ただ、このエリアには今から5年くらい前までは箱ヘル・ファッションヘルス・ピンサロがあったそうです。ただ、警察の目が厳しくなってきて今ではそのような建物の跡が残っているだけの少し寂しげな街へと変貌しています。

当時の状況は想像するしかないですが、今現在は空き家となった建物が目立ちます。上の写真はキャバクラかパブの建物跡でしょうか?

こちらはクラブですね。まさに「ザ・クラブ」と言ってもいい看板。栄えていた当時はにぎやかだったのかもしれないですが、こう荒廃した建物を見ると何とも切ない気分になる。。

このお店はかつてイメクラだったお店のようです。看板もなくなり今では廃墟と化しているようです。ただ、かつて熊谷では「箱ヘル」と言われる本番ありの店舗型の風俗が蔓延していたとのこと。もちろん違法です。
その辺に詳しい人の中では「発屋(ぱつや)」とも言われていたようで、埼玉県の性の防波堤となっていたようです。ただし、時代が進み警察の目も厳しくなってきて摘発されて姿を消したようです。以前は埼玉県というと西川口が風俗のメッカであったそうですが、摘発によってお店が消えていき熊谷になだれ込んできたという。

この辺を調査したのは早朝だったため、この辺の居酒屋が閉まっているのか営業しているのか不明ですが、シャッターを見る感じだと年季を感じます。。飲み屋だけでなくファッションヘルスだった店も写ってます。。

看板建築もご健在です。今現在は自転車屋さんのようですが、昔は何の建物だったんでしょうね。やはり看板建築の存在感は半端ないっす!!

こちらもか!

かつて遊郭があった弁天町ですが、熊谷大火があった後も最近までは大人の街として栄えていたようですが、今では廃墟となった建物が立つ街となっていました。今現在は熊谷駅前にある飲み屋街辺りが夜の街となっていますが、かろうじて生き残っているような状態となっています。今後、熊谷の夜の街事情はどうなっている九でしょうね??

移転後の伊勢町にあった遊廓街へ!

続いては、移転後の遊廓街があった今でいう伊勢町に向かいます。その場所は、熊谷駅からは割と歩く場所にあり、人駅離れた上熊谷駅の差に先にあります。最初の訪問は上越新幹線の高架沿いをひたすら歩くことに。

途中には、こんな面白い飲み屋もありました。列車を飲み屋に改造しました的な飲み屋。

さらにさらに進んでいきます。

はい、そんで着いたここが移転後の遊廓があった場所!ここだけやたらと通りが広く、確かに遊廓街跡と思わせる雰囲気は何となく感じるものはありました。ただ、先入観だと思いますけどね。。

このエリアをGoogleMapで拡大するとこのようになります。赤枠で囲った場所が移転後に遊廓があった場所ですが、真ん中の通りが他の道とは異なり太くなっているのが分かりますかね??
今では、横須賀の柏木田遊郭跡もやたら大きな通りだけが残っていたりしていて、そこと同じ空気を感じましたよ。

通りは完全な住宅街になっていて、建物を見るだけだと遊郭街の痕跡はもう残ってないようでした。通りにはキリスト教の教会が建っていました。埼玉県は廃娼運動が昔からあったようですが、そこにはキリスト教信徒の方が多かったという。この場所に教会が建っているのはそんな背景があるのかとはちょっと考えすぎでしょうか??

柏木田遊廓跡にも、大通りの場所に新聞屋さんがあったような。。

このように遊廓街との境目は通りを見るとわかります。

高崎線(湘南新宿ライン)の踏切には「乙女町踏切」と書いてあり、ここのかつての地名である乙女町の名残が見られます。

次の日の朝に、もう一度遊郭跡を訪れました。まぁ昼間だからとはいえ何かを発見できるわけではなさそうですがね。。。

ちなみに、電柱には先ほどの踏切と同様に「乙女」の文字が垣間見えます。

その他には理容店などがあったりしましたけどね。

なんか名残を感じる料理屋さん。考えすぎですかね。ということで、かつての移転後の遊廓街では妓楼的な痕跡はもう残っていないようでした。

今現在の熊谷色街について

熊谷駅を降りてきた北口を左折すると、キャバクラや無料案内所があるエリアが出現します。ここで写真を撮っていると、一人のあんちゃんに声をかけられました。
「何かに使うんですか?」と優しめに声をかけてくれたあんちゃんは、上の写真に写っている無料案内所で働いているお方。見た目では、多分私より少し若めか同い年くらいかなと!
今熊谷での風俗事情についてを聞くと、短時間ではあるもののさらっと答えてくれました。内容的には、お客さんはどんどん減っているとのこと。この案内所の周辺では、かつてはピンサロ・ファッションヘルス・箱ヘルが多く、特に箱ヘルは結構ここの名物的な感じだったそうです。

ただ、警察の目も厳しくなり箱ヘルは今はなく過去の話に。そしてピンサロも2年ほど前まであったようなのですが「キャンパス」という店を最後に、熊谷ではピンサロも姿を消したという。今では、キャバクラ、おっパブ、デリヘルくらいが残っているそうです。

周辺はそんなにお店が多いというわけではなく今では点々としているのみ。しかし、上の写真のマンションは数年前は立っておらずここに箱ヘルがあったとのこと。

 そのホテルの向かい側の駐車場も、ちょっと前までは風俗店だったようです。

風俗はどんどん姿を消していき、街は健全な建物が建っていって今ではかろうじてその一角が残されているという感じに。数分だけ説明をしてくれたあんちゃん。しかし、そのあんちゃんにお店からか電話がかかってきてしまい、「では、頑張ってくださいね!」と言って去って行ったのでした。

南口にある色街の痕跡

一応駅の周辺すべてを踏破して何かしらの痕跡がないか探ってはみました。色々情報をあさっていると、南口にも風俗店はあったようなのですが何かそれっぽい痕跡もちょっくら見つけましたので。こちらの写真に写っているのは、レンタルルーム。
あまりにも怪しすぎるネオンライトが印象的過ぎて、これは何なのかと思ったのですがレンタルルームなんですよ!

しかも、その名前はどこかの漫画喫茶に似た名前な気がしますが、、偶然かな(笑)?
値段はめっちゃ安いですね。この辺にはラブホテルなどは特に見当たらず、主にデリヘルに使われているような気がしますが、どうなんでしょう?

ネオンピカピカなクラブもあったり。ネオンが消えている文字があるのも何か歴史を感じる。ちなみに、写真下部に写っているお姉ちゃんの写真は1Fのサロンの写真なので、1Fのクラブとは関係ないっす(笑)
熊谷駅の南側は点々と飲み屋があるくらいでそれ以外には特に何もありませんでした。数時間にわたり熊谷駅をうろうろして調査しましたが今回の調査はここまで!

おわりに

以上が、熊谷の色街に関する調査でした。この街も遊廓の時代から今まで色街の歴史は続いているようですが、かろうじて案内所やキャバクラなどが残っている状態でした。埼玉県の遊廓に関しては資料もあんまり見かけられずそんなに詳しくは情報が残っていないようにも感じましたが、どうなんでしょうね?
今後も引き続き、調査は進めていきたいと思います!

参考文献

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詳細・地図

住所 埼玉県熊谷市筑波2丁目
リンク https://www.city.kumagaya.lg.jp/

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