巨大ピンサロ街で一時代を築いた「小田急相模原」その歴史をキャバクラの店長と追った!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

スポンサーリンク

ピンサロ街として一時代を築いた「オダサガ」

1990年代の地図を見てみると、小田急相模原の駅前は多くの飲み屋やスナックなどが軒を連ねていたようです。しかし、そこから徐々にピンサロやキャバクラが誕生するようになります。2000年頃にはもう何軒ものピンサロが出現している時代で、まさにオダサガの最盛期と言える時期だったようです。
▲キャバクラの店内で住宅地図で談笑する謎光景ww
そして、神奈川県立図書館でコピーした住宅地図を使って、店長さんだけでなくさらにもう一人、手が空いてるスタッフさんに加わっていただき、最盛期にピンサロ店がどのくらいあったのかについて説明してくれました!!
しかし、キャバクラの店内で住宅地図を広げて街の歴史を語り合うこの謎光景!おそらく、こんな場所でこんなことしてるの私くらいじゃないっすかね( ;∀;)
▲最盛期(2000年頃)にピンサロがあったエリア
田村さんとボーイさんの話をもとに、かつてピンサロがあったエリアを地図上に塗ってみました。最盛期(2000年頃)には上の地図の赤く塗ったエリアにピンサロがあったそうです。オダサガにあった風俗店は、ソープランドやファッションヘルスはなくほぼピンサロだったという。
▲「田んぼ」という売春エリアがあった町田
この時代、小田急相模原から二駅離れた町田にも『田んぼ』といわれるちょんの間がありました。町田の田んぼは、私が今まで神奈川県の色街に関して取材していた中で結構話を聞いていたので、相模原辺りでは町田こそが遊びの聖地だと思っていたんですね。
ところがどっこい、2000年頃の栄え具合でいうとオダサガの方が活気はあったのではと思えたそうです。とはいえ、知られざる陰に隠れた穴場的な要素は強かったようです。
▲かつてはピンサロ店がひしめいていた
今回訪問したキャバクラ店であるMIRANDAの正面には、今は大きなマンションが建っています。しかし、ここにはかつて軍艦島のようなものすごい雰囲気の建物が建っていたとのこと。。外階段がついた2階建ての建物であり、1階と2階がともにピンサロ。木造で時代錯誤を起こすような異様な雰囲気だったという。
建物も道に対して入り口が垂直に向いて立っているわけではなく、なんかガチャガチャしたような感じ。
▲かつてはひっきりなしにボーイさんが立っていた
電車を降りた方たちは、上の写真の通りの向こう側からこちらへ歩いて来るわけですが、ここを人が通るたびに両側に立つ何人ものピンサロのボーイさんが「お兄さん、今日はヌキの方はどうですか!!」とひっきりなしに声をかけ、その中を人が歩くという状態。
その中でも、お店に行く気満々の方はこの通りの入り口部分にある薬局で赤まむしとかを買って気を奮わせてお店を選んでいたという。
「もうね、ここ一帯は本当に異常でしたよ!もう、あそこもあそこもあそこもピンサロだらけでしたから。最盛期には30〜40軒くらいはあったんじゃないですかね。」
店長さんはしみじみと私に語ってくださいました。もともと、店長さんも「街の歴史」には興味を持っており、私が最初にここに訪問した時に改めて自身が小田急相模原を訪れてからのことを振り返ったんだそうです。

スポンサーリンク

目の前に拳銃を置かれたこともあった

店長さんは、オダサガで過ごしていた日々を思い出し、私に語ってくれました。
最盛期の2000年頃は、今のようにヤクザを入店禁止に出来る時代ではなく、ヤクザとの関りも多かったとのこと。一年にワイシャツが4枚破かれたり、お店のテーブルは全て蹴飛ばされていたり、頭をビール瓶で叩かれ、さらには殴られて流血したこともあった。極めつけは、行くとこまでいき拳銃を目の前に置かれたなんてこともあったそうな。
店長さんがここを訪れてから、一番街が活気にあふれていた頃はそのようなもう訳の分からない日々を過ごしていたという。
「私はもともと車屋をやっていたんですよ。それを潰して、ここに来て20年くらい経ちますかね。時にはね、俺はどんな仕事をしてるんだって思ったこともありますよ。最初ここに来た時は昼の仕事と夜の仕事をかけもししてましたけどね、なんだかんだ夜の仕事が楽しくて昼は辞めちゃいましたね。」
話を聞いていて、キャバクラの店員さんでこんなに親切に、しかも街の歴史に興味をもってオダサガの歴史を語ってくれるなんて「この人は神か!!」って思いました(*’▽’)
▲開店してから間もないMIRANDAの店内
そんな荒れた時代だったこともあり、ヤクザ関係のお客さんとなればキャバクラ嬢を怒鳴りちらかした光景もザラだった。
女の子たちは泣きながら、お客さんを怒らせないことに必死。「オメー、お客を笑わせんのが仕事だろうが!!」と怒鳴られ、ヤクザが暴れまわり、テーブルを蹴飛ばされながら接客をしていたという。
そんな荒れた状態だったため、その時期を乗り越えた女性からは「店長、オダサガで勤めた方だったらどこでも通用しますよ!」という声も聞いたそうです。

スポンサーリンク

殺人事件まで起きてしまった!

▲この通りにあったピンサロが事件現場
そんなオダサガですが、以前このお店のすぐ近くで殺人事件が起きてしまったという。それは、上の写真の通りにあったピンサロで、閉店間際での出来事。その発端としては、お客さんがベロンベロンで出来上がった状態で、お店に色々文句を言ってきて面倒なことになったという。
そこで、すぐ近くで飲んでいたヤクザの方が「助けてやろうか?」と言って店員さんに代わって、酔った客の相手をすることに。そのとき、ヤクザがお客を引っ叩いた際にお客さんが頭をコンクリートの地面にぶつけて亡くなってしまったのだという。
今も当時からMIRANDAに通っているお客さんの中にはその事件の目撃者もいたようで、今でもそのお客さんは事件現場の前を通る前に必ず手をあわせるという。。

シングルマザーのために託児所を設置

▲キャバクラ『MIRANDA』の店内
田村さんがオダサガで働いてから20年。キャバクラで働く女性も変わってきたという。当初は、生活がかかっているシングルマザーが半分くらいを占めていたこともあり、提携していた託児所が隣の相武台の駅に用意されていたとか。
彼女たちが子供を預けた後にお店に向かおうとすると、「ママ~行かないで」と泣きながらお母さんを見送る姿を何度も見たという。
「店長、なんか切ないですよね。。」
そんな言葉を田村さんに嘆く女性もいたという。
クリスマスの時には、本部長が託児所の子供達に靴をプレゼントしたこともあった。今現在は、自分の親世代が子供の面倒を見てくれることもあって、「ここって託児所ありますか?」と言われなくなったという。
▲接客していただいたキャバクラ嬢
今現在の女性たちは20~50歳ととても幅が広く、女性たちは皆仲がいいとのこと。皆が昼職と掛け持ちをしているそうで、キャバクラも時給が最盛期に比べ少ないこともありキャバクラだけでは生活は厳しいようです。今回の取材で5人ほどの女性と話をしましたが、介護職など給料が安い職の子が多く、夜も働かないと金銭的に厳しいとのこと。
以前、池袋ではキャバクラには保育士の子が多いと客引きの方から聞きましたが、やはり保育士と介護士は給料が安いということで、独身女性であれば掛け持ちしないと生活が厳しいというのは全国共通なのでしょうか。。
ただその他には、昼職では一人で作業することがほとんどなので、人と話す機会を増やすために夜ここで働いているなんて子もいました。店員さんがみな親切で優しいということもあるのか、キャバ嬢の子たちも皆おとなしく見た目も派手な子はほとんどいませんでしたね。
▲接客していただいた同い年のキャバ嬢
そんなキャバ嬢の子たちですが、今までも色々な子がいたそうです。「キャバクラとかはしゃべらなくちゃいけないからめんどい。。風俗だと会話せずに抜くだけでいいから楽!」ということでキャバクラをやめて風俗に戻っちゃう子がいたり。
さらには、キャバクラを辞めて風俗で働くとしても、風俗だと地元の知り合いに会ったら嫌だし、年配の方が相手の方が楽だからということで結構離れた東京の巣鴨のピンサロまでわざわざ通って働いていた女性もいたという。
風俗業界は勤続年数は長くなく、人間関係など様々な理由でお店を転々とすることはよくあるため風俗行ったりキャバクラ行ったりというのはよくあるケースなんでしょうね。
続きはこちら!オダサガの地から、キャバクラ界に革命を起こす!
↓↓↓
↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加