湖底に沈んだ勝瀬地区を偲んで!神奈川県民の主要な水源である「相模湖」の歴史と今を調査した!

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相模湖付近の色街変遷

続いては、相模湖に関する色街事情に関して。この付近は風俗街はないにしろ、昔は遊郭があったり、今現在ではラブホテルが建っていて不倫の方々にとっては訪れやすい場所だったりするそうです。
普段から遊郭やら風俗街の歴史などを調べているものとしては、どんな場所の背景でもこの辺のネタは掘り下げる癖がありまして(笑)

かつて存在していた吉野遊郭

相模湖付近は、かつては東京方面と甲信越方面の中間地点でもあり、旧甲州街道が通っていたこともあり、幾らかの宿場町が存在していました。相模湖付近にあった宿場町は、上の図に書いてあるように4つほど。
▲かつての吉野宿(旧甲州街道)
その中の一つである吉野宿には、飯盛女がいた旅籠屋があり、のちにこれらは遊郭となり4軒ほどの遊郭(吉野遊郭)が誕生しました。この遊郭には、旧甲州街道を通る方々だけでなく、上野原方面からも遊郭目当てにやってくる方々がいたという。
▲一六市でさかえた上野原宿跡
山梨県の上野原宿では一六市(市場)が開かれていたため、周囲で生産された生糸などを売る商人たちが集まりとても賑やかな宿場町だったようです。そして、彼らは遊び場として上野原周辺から一番近い吉野遊郭へと赴いて遊んでいたわけです。
しかし、そのようによそに人が流れることを危惧した当時の知事は上野原に遊郭を設置するために働きかけることに。
▲かつて関山遊廓があった場所
そんな背景があって誕生したのが、上野原宿から少し南側に離れら所に誕生した関山遊郭(関山新地・上野原遊郭ともいわれた)でした。1900年に誕生したこの遊郭は、誕生時は6軒と数は少なかったものの、翌年にJR上野原駅が開業したこともあって多くの人で賑わっていたそうです。
↓関山遊郭に関しては以下にまとめておりますので、よければぜひm(_ _)m


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不倫のメッカだったホテル街

その後、遊郭がなくなった後は特にトルコ風呂ができることもなく色街要素が消えたと思われましたが、そのあとにポツポツ出現したのがラブホテルでした。今現在も、相模湖を見渡すとラブホテルの建物が目に入ります。廃墟になったものも含めて(笑)
およそ50年近く前のことでしょうか?相模湖の周りには数軒のラブホテルが建つようになったそうですが、その利用客の多くは不倫をしている方々だという。この辺りは中央自動車道に乗れば、都心からそんなに時間がかかることはなく、人目に触れる場所でもないこともあって、そのような方々が多かったらしいという声をとあるテレビ番組や地元の方から聞きました!
そんなラブホテルの中でも一際目立っているのが、こちらの「ローヤルA館」。だいぶ昔から廃墟となっており、侵入者を防ぐためのバリケードもしっかり貼られているこの建物はラブホテルと中華料理屋が合体した珍しいタイプ!
▲立派な作りをした「ホテル ローヤルA館」
中華料理屋があるのは最上階で、ラブホテルの客専用店というわけではなく、一般客も使えるお店だったとのこと。そのため、エレベーターには最上階直通のものがあったそうな。実際、記事を書くにあたり相模湖周辺で聞き込みをしてみた所、「ホテルは使わずお店に食べに行ったことがある」という方がいたりしました。
ただこのホテルはかなり前から廃墟状態になっており、取り壊されず残り続けている感じ。ネットをちょっくら漁ってみると、やはり廃墟マニアの方が潜入してたり。。

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ラブホテルが外国人向けのホテルに!?

こちらにも目を向けてみましょう!こちらには、三軒のラブホテルがありますね。と、思いきや実はラブホテルは大型船の形をした「QUEENS VALI」だけであり、残りの二つは外国人向けのホテルなのです(笑)
▲外国人が多い観光ホテル「Le Tour」
こちらは、もともとは「ローヤルB館」というラブホテルだった建物を新しく普通のホテルとして開業しています。ラブホテル→普通のホテルって初めてみたケース。ってか建物の看板がラブホテルの時のままなのはいいのだろうか。。
ここのホテルは中国人の方が多いとのこと。そのため、ここから一番近いコンビニであるこちらのセブンイレブンは、お客に中国人が多かったりするそうな。
この事実を知る前に、ここで買い物をしたときは「なんでこのコンビニ外国人多いんだ?」って思ったんですが、それが理由みたいです。ここで宿泊する外国人は相模湖の観光のためではなく、富士山方面へ向かう方々の経由地だからだという。ここで一泊して翌日に富士山方面に向かうらしい。。

東京オリンピックで人が増えた!!

相模湖が人で賑わったのは、1964年の東京オリンピックの時。その時のカヌー競技の会場が相模湖だったようで、相模湖駅の駅舎がリニューアルしたりもして賑わったそうです。
1964年の東京オリンピックといえば、日本が戦後の復興を遂げた一つの節目でもあったイベントだったと思っています。私は取材する方々には、太平洋戦争の事に関して話すことが結構多いのですが、「日本が戦後から復興したと感じたのは東京オリンピックだったかな」という声をよく聞くんですよね。
今あるインフラの東海道新幹線や首都高速道路もオリンピックに間に合わせる為に作られ、テレビがカラー化されるなど今に日本の大きな転換期になったと言えるのではないでしょうか??
カヌーの会場となった相模湖では、東京オリンピック以外でも神奈川県で開催された国民体育大会の会場として利用される他、大学のカヌー部の方々が合宿に来たりとカヌーやボート競技の方々に親しまれているそうです。
2020年に開催される東京オリンピックの際には、カナダのボートチームのキャンプ場となるようですよ!!
▲1964年開業の喫茶店「SAGAMI」
ちなみに、相模湖駅のそばにあるこちらの喫茶店「SAGAMI」も東京オリンピックが開催された1964年に開店したとても歴史のあるお店。店内にいるマスターとおかみさんはウルトラ親切な方々で、すごくアットホームな雰囲気のお店。
地元の方やリピーターの方も多いようですが、それは納得ですね!
ちょうど相模湖の取材をしている際にお腹が空いていたので、ランチメニューを注文。ナポリタンと飲み物がついたセットで600円はとってもお得。味も昔なつかしのナポリタンの味で大変美味しかったっす。
また、相模湖を訪問する際にはおかみさんに挨拶しに行こうかな( ´ ▽ ` )ノ

かつては高尾山の登山客が訪れる場所だった!

その後、日本は高度経済成長期やバブルに湧いていたわけですが、相模湖には高尾山に登る登山客がわりと訪れていたようです。高尾山に登った後は、尾根伝いに縦走していき陣馬山(じんばやま)まで進み、そこから相模湖の方まで下ってきたとのこと。
登山を終えた方々は、相模湖でスワンボートに乗るなどして少し楽しんだ後、JR相模湖駅から電車で帰宅していたという。つまりは、「高尾山→陣馬山→相模湖でスワンに乗ったりしてくつろぐ→JR相模湖駅から電車で帰る」という定番コースが昔はあったようなんですね。
しかし、高尾山口にあるケーブルカーを利用するお客が増えたりしたことからか、高尾山に登る登山客の方々が次第に高尾山の方に降りるようになってしまい、相模湖の方に降りてこなくなったそうです。
そんな背景があったことで、相模湖に来るお客さんは減り今では廃れた観光地のようになってしまったそうです。
ただ、相模湖付近を通る国道20号線は、今現在も交通量が多いため人通りが少ないわけではないのですが皆がここで降りるわけではなく通過してしまうのが現状。。人々の目にとまる何かが必要なんでしょうね。。

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相模湖の現状を調べるべく散策した!

最後に、本記事を書くべく相模湖周辺を散策した際の様子でも載せようかと思います。歴史が学べるスポットから相模ダムの堤防まで周辺をクッソ暑い中歩き回ったので、以下で放出したいと思います!!

相模湖周辺の歴史が学べる「吉野宿 ふじや」

▲相模湖周辺の歴史が学べる「吉野宿 ふじや」
相模湖周辺には博物館的な施設が少ないですが、この辺りの歴史が学べるといえば「吉野宿 ふじや」です。ここは、昔の吉野宿の時から旅籠屋(はたごや。今でいう宿泊施設的な役割の建物)として営業していた建物のようで、吉野宿で大火事があった際も運よく被害に遭わずに残り続けたんだとか。
そんな「ふじや」では、相模湖付近で盛んだった養蚕(おかいこさん)や炭材が作られていた様子などが展示されています。
ここのスタッフの方に相模湖付近のことで気になることや、この付近にあった吉野遊郭のことなどを伺いました。とても親切な方で、吉野宿の歴史や今現在の相模湖に関してなど様々な事を享受していただきました。
大変感謝っす!!

レトロな雰囲気が残る相模湖公園

相模湖を散策する際には、誰もが立ち寄るであろう「県立 相模湖公園」。1958年11月25日に開園したこの公園は、ゲームコーナーや射的などの遊び場だけでなく、スワンボートの乗り場などもここに密集している感じです。
そして公園内にある街並みがこちら。大型連休やお盆の時期はそれなりにお客さんが来ているようですが、通常の土日でもこんな感じ。なかなか過疎っていますな。。
▲レトロなゲーム機がわんさかある
いや〜20年くらいはタイムスリップしたような感じですよ。昔、都会のゲーセンにあった機会がそっくりそのまま残っているような感じ。ビデオゲームはありませんでしたが、シューティング系やドライブ系、あとはエアホッケーとか(笑)
▲ゲーセンの王道「ワニワニパニック」
んで、昔のゲームの王道といえばワニワニパニックでしょうね。このゲームは小さい頃何度ゲーセンでプレイしたことでしょうか。。最高得点が表示されているランプが欠けているのも、あるあるですよね( ´ ▽ ` )ノ
こういうドライブ系のゲームも大変懐かしい。今ではこんな大型ゲームよりも任天堂DSの方が画質が綺麗なんだから時代の新譜はすごいものだと思い知らされます。
すんげえ小さいメリーゴーランドのようなものもありました。こんなの自分が小さい頃でも見たことないっすわ。右にいるペンギンのやつはなんだったかな。。ただ左右に揺れるだけだったかな??
ゲーセンの上は卓球場になっているようです。掲げてある看板一つ一つが大変レトロチックな雰囲気で時代を感じますな。
射的のお店もありました。

人がまばらな相模ダム・・

最後に相模湖方面へと向かいます。
相模この水を堰き止めているのはこの部分で、ココは相模ダムと言われているダムになります。神奈川県のダムでいうと、宮ケ瀬ダムが結構観光地的な感じで多くのお客さんやダムマニアが押し寄せるスポットになっているようですが、この相模ダムはあんまり観光地化されていないとのことで、人はかなりまばらでしたわ( ;∀;)
真上から相模ダムを見下ろしてみます。凄い光景や。。
▲ダムの上からの景色はなかなか
この先には津久井湖があり、相模川として多くの神奈川県民の生活用水を供給しているわけです。ダムの上から見ると結構爽快な景色ですわ。しかし、川が緑色やな( ;∀;)
ちなみに、先にある白い建物は相模発電所です。この発電所は水の恵みを利用した水力発電となっています。
ダムの反対側に来ると、嵐山洞門の入り口に辿り着きます。この「恵まれた風土をゆっくり走ろう」という文字は結構印象に残りやすいので、この辺を通った運転手であれば見覚えがある光景なのではないでしょうか??
相模湖から厚木方面へと抜けるには、この嵐山洞門を通る必要があります。特徴的な洞門で、私は父親によく山梨方面に車で旅行に連れて行ってもらった記憶があったので、ずっと見覚えがあったので載せました!!

おわりに

神奈川県の貴重な水源である相模湖。観光地として栄えているには至っていないものの、閑静で少し昭和の雰囲気を残した独自の色をもった場所となっているようでした。
車とか交通量は多いんですがね。。誰か改革的な方が相模市長になれば何かが変わるかもしれませんね!!
あ、あと一応書いておきますが相模湖における都市伝説な話で「相模湖ジェイソン村」という話が出てきます。すんごい昔に付近を散策したことがありますが、確かに廃墟的なものはありますが行っても特に何もないですよ~(笑)

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県相模原市緑区
アクセス JR相模湖駅から歩いて10分程度
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