見所満載の元遊廓旅館「新むつ旅館」で新たな発見が!

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ういっす!

今回は、青森県弘前市にある元遊廓旅館「新むつ旅館」の記事の第三弾になります。第一弾は新むつ旅館に宿泊した様子をまとめて、第二弾では、新むつ旅館やその周辺の遊廓の歴史に関してをまとめてきました!

↓今までの記事はこちらですm(__)m

んで、今回の第三弾は新むつ旅館の内部に迫り、お母さんから様々な見所を案内していただきました(*’▽’)

ということで、新むつ旅館内部で見つけた発見などを以下にまとめていきたいと思います〜!

本記事のポイント

・館内のY字階段は、元々片方しかなかった。
・隣の輪島楼の影響で、新陸奥楼の食器は多くが輪島塗
・この建物には、お母さんも知らない発見がまだまだあるぞ!

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Y字階段の謎に迫る!

まずはここですかね!

新むつ旅館に入って早速目に入るこちらのY字階段。そうそうよその旅館では見ることはできない形の階段ですが、実はこの階段、ここが誕生した120年前はこんな形ではなかったそうなんです。

最初は上の写真を見て右側に上る階段しかなったそうなんですわ。というのも、以前ここに解体屋の方が来た時に、お母さんがその方から「ここは片方はなかったみたいだよ!」といわれたそうなんですね!

そんなお母さんからの話を聞いた私は、他の宿泊客の方と一緒にその痕跡を探すことにしました!

お母さんからは「右と左で素材とかが違うから見てみて!」と言われ見てみることに。とはいうものの、じっくり見ても全然違いがわからないというね。。

ん~、間近でじっくり見たんですが、この階段を見る限りは同じものにしか見えんのですわ。。

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宿泊客の方と階段をひたすら観察しまくっていたら、仕事の合間にお母さんが参上。

と、ここで他の宿泊客の方がY字階段を上ったところでいくらかのポイントを発見!

それがこれ!

白い丸で囲ったところを見ると、不可思議な正方形がありますよね。ここにはもともと柱があったようですが、階段を作るためなのか柱を切った跡なんでしょうね!

あとはここ!

上の写真の矢印で示した所に、何かあったであろう丸い跡がありますよね。おそらくは、階段がある前はここにまで手摺があったんじゃないか?と思うわけですよ!

すげぇ下手くそな絵で申し訳ないですがこんな感じでね(笑)

こんな感じで建物をじっくり観察してみると、まだまだお母さんも知らない面白い発見があるかもしれないんですね!

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空中歩廊にも気になるポイントが!

階段だけじゃなく、この渡り廊下というか空中歩廊にも、よく見ると気になるポイントがいくらばかりかありまして。

左右で素材が違う

こっちの角度から見るとよりわかるんですが、手摺りの素材を見てみると、右側は他の部分で使われているものと同じ素材を使っているようですが、左側の手でつかむ部分は竹で出来てますよね。素材が足りなかったのか、はたまた別の理由があったのか。。

間隔が異なる手摺り

さらにはこんな発見も。手摺りを横から見てみると、微妙に間隔が異なるのが分かりますかね。図り間違えてこうなったのか、、いろいろ何かわけがあるんじゃないかと、ちょっとしたことでも気になってしまいますわ~。

手摺りに彫られたこうもりの意匠

そして手摺りの模様には、ちゃんと意味があるんですね。渡り廊下の手摺りにはこんな形の模様が彫られていますが、この上下に彫られた鳥のような形はコウモリなのだという。コウモリは中国では縁起がいい動物であり、遊廓で働く女性たちが少しでも幸せになれるようにという思いが込められているのだという。

そう思うと、何だかこの模様を見ていると切なくなってきます。。ここで働いていた女郎さんや芸者さんは、このコウモリを見て幸せを願ったりしていたのだろうか。。

一階に下りる最中、さらにお母さんが指摘したのはこの踊り場の下。実はこの下は戸棚になっていて、いろんなものが隠されているというのです!

お母さんも探索していない部分

しかも、ここはお母さんもあまり探索していないようなので、「いろいろ漁るとまた新しい発見があるのでは?」とおっしゃっていました。

階段を見た後、一階に降りてきてお母さんが建物に見られる面白い見所をたくさん紹介してくれました( ´ ▽ ` )ノ

ロビーにも面白いポイントがたくさん!

例えばこれ。階段に隠れる形であったこちらは電話室。

入り口の扉には「1341」という数字が書かれていますな。八戸に電話が初めて入った時には、局番がない1500番まで番号があったようで、新陸奥楼は1341番だったようです。現在、中は倉庫になっていてカバンとかが置かれていました。

物置にしておくのはもったいなく、お母さんが「よくね、どっかの古物屋から昔の電話を買って置いたら雰囲気出るのにねって言われるんだけどね。」と言ってましたけどね!

ちなみに電気に関しては、ここに説明書きがありました。新陸奥楼があった小中野に初めて電気が通ったのは1911(明治44)年らしいですが、新陸奥楼など小中野新地にあった遊廓には当初から電気が通っていたそうです。

壁に彫られた瓢箪彫り

玄関付近にあるこちらの瓢箪(ひょうたん)のような形のもの。これ、一体何かと言うと、傷がついてしまったため、大工さんがそれを瓢箪の形に彫ったんだとか。

なるほどね、そうすることでただの傷のままにするよりかはこうしたほうが縁起良い感じがしますもんね。面白いことを考えるな〜〜!

ロビーの床を見てみると、床の模様が気になりますね~。ここはもともとこのように開けたロビーではなく、真ん中から奥に向かって通路になっていて、両側は襖(ふすま)やらで仕切られていたのかな?

ちなみに、左側には昔は囲炉裏があったそうです。今は畳になってますけどね~。

囲炉裏があった関係で、天井はこんな感じになっています。上だけ見ると、田舎のロッジとかにある天井みたい。

子供達は怖がるようだ

ちなみに玄関をくぐると強烈に目に入ってくるこちらのおかめ。子供達にはめっちゃ不気味に見えるようで、こいつのせいで夜トイレに行くのが怖いという声も(笑)

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奥部屋に隠された障子の絵

資料室の奥も見せてくれた

私も他の宿泊客の方も、凄まじい好奇心でお母さんに質問しまくっていたわけですが、お母さんもかなりしゃべりまくる方なわけですよ。そのため、新むつ旅館探索は永遠と終わりが見えない状態にww

するとお母さんが思い出したかのように資料室の奥へと案内してくれました。

お母さん:「あ、そうそう、こっちも見せてあげようか。この奥にも珍しいのがあるの。」

朝鮮半島の遊女が描かれていた

そういって現れたのがコレ!!!

襖(ふすま)に凄い絵が描かれていますが、こりゃ凄い。なんでも鑑定団とかに出したら凄い値段がつきそうですわ!

ここに描かれているのは朝鮮半島の遊女らしい。剛石(ごうせき)という方がこれを描いたようで、大正時代に新陸奥楼に何か月か泊まって、館内にある屏風から何から描いていったらしいっす。

ちゃんと署名も入れてありますね。この襖は見てもわかる通り、所々破れたりと痛んでる箇所が多々あるので、今後改修してもらうんだそうですよ!

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