【築135年】青森県黒石市にある元遊廓「中村旅館」が辿ってきた歴史を聞きに行ってきた!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

今回は、青森県黒石市にある元遊廓旅館「中村旅館」に関する記事になります。

知の冒険のブログを始めて五年近く、今までいろんな日本中の知られざる場所を取材してきましたが、元遊廓旅館も結構数が増えてきましたかね。昨日は、同じ青森県の八戸市にある新むつ旅館を取材した記事を載せましたが、今回は黒石市にある中村旅館です。

この旅館、ネットにもあんまり情報がなく全く背景など何も知らず訪問したのですが、旅館のお母さんと娘さんが超ウルトラ親切な方でいろんな背景を話してくれたんですよね( ´ ▽ ` )ノ

ということで、この中村旅館には一体どんな歴史が隠されているのか、以下で紹介していきたいと思います!

本記事のポイント

・明治19年に創業した遊郭で、屋号は松月楼だった
・東京から花魁を連れてきた過去があり、花魁の部屋も残っている!
・ロビーにある朱色の階段は、遊郭時代から残る見所!

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築135年の超老舗旅館

元遊廓旅館「新むつ旅館」

青森県黒石市。

“黒石”という地名は、B級グルメである”黒石つゆ焼きそば”で聞いたことはあるものの、産業だとか歴史だとかその辺は私にとっては全くの未知である場所。今回は、八戸市にある元遊廓旅館「新むつ旅館」を宿泊した翌日に、はしごする形で中村旅館を訪問するために黒石市へとやってきたわけっす!

↓新むつ旅館の記事はこちらですm(_ _)m

東北新幹線で青森県へ!

神奈川住まいということで、東北新幹線で三時間かけて八戸駅に到着して新むつ旅館に一泊。その後、レンタカーをぶっ飛ばして奥入瀬渓流を経由して黒石市に到着したわけですが、まぁ〜黒石は遠いですわ(⌒-⌒; )

B級グルメの「黒石つゆ焼きそば」

思った以上に移動に時間がかかったので、本当は黒石市を時間かけてぶらぶらして写真撮りまくろうかと目論(もくろ)んでいたのですが、さほど時間がなくなっちゃったんですよね。。でも、せっかく来たので、とりあえずつゆ焼きそば食って黒石市の名所である中町こみせ通りをチャチャッと観察して、早速今回の目的地である中村旅館へと向かったのでした!!

そして到着!

いや〜デカイっすわ。デカすぎて正面からだと建物の全部がカメラに収まりきらないっすね。。

築135年の中村旅館

なので、斜めから撮って何とか全貌を収めるとこんな感じでしょうか!

このデ〜〜〜ンとしたというか、堂々とした佇まい、135年もこの地に建ち続けている貫禄が感じられますわ。そして、この青い屋根ってのもなかなか珍しい気がしますな〜。中がどうなっているか大変気になるので、正面にある駐車場に車を停めて、いざ特攻!!

中村旅館の玄関風景

入り口を入って飛び込んでくる光景がこちら!

中村旅館の館内では、創業時から残る朱色の階段が見所なわけですが早速現れましたな。いろいろ見たい場所はあるものの、まずは部屋に荷物を置かないとね。いつも無駄に大荷物ということもあり、肩が痛いっすわ(⌒-⌒; )

館内に入ると、センサーが感知してお母さんと娘さんが登場。この旅館はお母さんと娘さんの二人で切り盛りしているようですね。

訪問したのは11月という寒くなってきた時期ってこともあって、お母さんから「寒くなってきたね。こっちでは”しばれる”って言葉があるんだけどわかる?”凍る”ってことを”しばれる”って言うの」という、ちょっとした挨拶を交わす。

二階へ上がって、早速部屋へと向かうことに!

宿泊した八畳間

私が宿泊したのは、こちらの八畳間。部屋はとても綺麗ではあるものの、部屋自体は内装に手を入れているみたいですが、遊廓の時代からほぼ変わっていないとのこと。

テレビやストーブにちゃぶ台、必要最低限のものだけあるとても質素な部屋。だが、それがいい。

ちなみに、部屋の名前は「6号室」w

築135年の老舗旅館のわりにはシンプルすぎて吹いたww

今回の宿泊は一泊朝食付き5,900円。夕食をつけていなかったため、少し部屋で資料の整理などをした後、どこかでご飯を食べに行こうかとしたのですが、お母さんと娘さんが取材に応じてくれるということで、中村旅館のことをいろいろ聞いてみることに!

屋号と創業者の話

黒石の遊廓があったのは、黒石市の裏町という場所。この通りに遊廓があり入り口には大門もあったようですが、通りに何軒も並んでいたわけではなかったようです。

引用元『青森県警察史 上巻』

昔の件数を調べようと青森県の警察史を見てみると、1887(明治20)年の内訳が載ってました。これによると、黒石裏町はわずか二軒(表の現員の数)。ってことは、松月楼以外にもう一軒しかなかったんですね。

さらには開業が二軒で廃業が四軒。他の地域を見ても、結構入れ替わりが激しかったんやな。。

明治19年創業の旧松月楼

中村旅館は、そんな裏町の場所に1884(明治17)年に建てられた建物であり、1886(明治19)年に届出を出して開業した遊廓だという。

遊廓だった時代の屋号は「松月楼」。二階の窓を開けると、庭にある松の木の間から満月が上がる景色が見えることから、そう名付けられたという。黒石市の裏町に遊廓は三軒ほどしかなく、昭和の頃だと松月楼以外には村上楼、相金楼があったそうです。

娘さん:「もともとは、青森市の安方って場所で旅館をやってたんだけど、それが黒石市に来て一つ向こうの角で遊郭をやってたらしいのね。そこで10年くらい営業してたんだけど、火事で焼けたから今の場所に移ってきたみたい。築年数は130年くらいみたいよ。」

いろいろ話をしてくれたお母さん

松月楼は、当初は今の場所ではなく、一ブロック北の場所に建てられていたそうです。その時は大変繁盛していたようで、建物の中によくお金が落ちていたなんて話も。計画では通りの反対側にも遊廓を建てて、行き来するために道路の上に橋を作るなんて計画もあったとか。

が、その計画も虚しく建物は家事により焼失し、今の場所に松月楼が建てられたそうです。火事の後でお金がなかったので、お金を借りての創業だったそうです。

創業者は中村久吉

そんな松月楼を創業したのは、中村久吉(なかむら・きゅうきち)という方。

久吉さんは石川県が故郷だったという。ところが、詳しい背景は不明ですがそこでいろいろと問題が起きたため、逃げて青森に住みついたという波乱な出来事があったそうです。

そんな背景があったため、中村という苗字は本来の名ではなく改名した苗字だとか。

図書館に名前があった

中村久吉という名前は、黒石市の図書館にある郷土資料を漁っていたときにいくらか出てきました。お母さんや娘さんも、「へぇ〜図書館にこんなの残ってるのね!」と驚いていましたよ( ´ ▽ ` )ノ

この久吉さんはとてもやり手の経営者だったらしく、東京の方の遊廓から花魁(おいらん)の二人をスカウトして来たり、遊廓があった裏町の料理組合長も務めていたようです。

そんなやり手である久吉さん後を継いだのが、久吉さんの娘である中村やなさん。二代目ってことですね。やなさんの夫が早くに亡くなってしまったため、やなさんが継いだそうです。ここでは業種が特殊料理店となっていて、”中村やな”の文字が見られますね!

この資料、黒石市の図書館でコピーしたものなのですがいつの年代だったか忘れてしまいまして。。特殊料理店ってことで戦後の赤線時代だったんだっけな〜〜(⌒-⌒; )

そしてこれを見て気になったのが、この当時の屋号。松月楼は遊廓の時代の屋号で、特殊料理店となったときに変更したのか詳しい背景は不明ですが、屋号は途中で変わったようです。んで、”司”という漢字に似た記号が書かれてますが、これはいったい何なのよ??

絶対に読めません・・

拡大するとこれっすね!

読めます??

娘さんに見せると、「あ〜これはね、”かねまる”って読むの。角の読み方が”かね”って読むのね!」とおっしゃってまして、正解は”かねまる”らしいです。

いや、読めんわ・・。

この”かねまる”の時代は、”かねまる1″や”かねまる2″という支店も出していたようで、結構イケイケの時代だったとか。。

松月楼にはどんな女性がいたのか?

創業者や屋号の話が出ましたが、遊廓や赤線の時代にここではどのような物語があったのか。

働いていた女性についていうと、松月楼にどこ出身の方が多かったかは定かではないですが、鰊(にしん)漁で生計を立てていたものの、不漁によって稼ぎがなくなった家の女性がやってきたという話はあったと娘さんがおっしゃってました。

ただ、久吉さんもやなさんも女性たちには寛容な扱いをしていたようです。売春防止法が施行された後には、彼女たちの借金をチャラにして家に帰したりとかね。中には家の事情で帰れない女性もいたようで、そんな場合はしばらく女中さんとして旅館に仕えてもらっていたという。

女郎さんの物語は売春防止法が施行され、旅館として営業してからも続いたという。以前、北海道の函館からここを訪ねて来た方がおり、用を聞くと、その方のおばあさんがここで女郎として働いていたらしく、おばあちゃんがどんな場所で働いていたのかを知りたくて来たのだという。

さらには、チャラにした借金をお孫さんが払いにやってきたなんて話もあったとか。なんだかほっこりする話や〜( ´ ▽ ` )ノ

東京から花魁を引っ張ってきた

先ほど、初代経営者である中村久吉さんが東京から花魁を連れてきたと書きましたが、その花魁の方が暮らしていた部屋は、二階に上がって左に曲がった場所にある部屋。

つまりは、上の写真の矢印に示した部屋っす。

花魁が生活していた部屋

中はこんな感じ。いかにも遊廓らしい意匠とかがあるわけではないですが、この部屋は花魁の方が暮らしていた時代から変わっていないという。

久吉さんがここへ引っ張ってきたときには、表の通りで花魁道中もやったらしいです。黒石市で花魁道中をやったのは松月楼だけ。娘さんがおばあちゃんからその話を聞いていたらしいのですが、とにかくすごい綺麗で有名な人だったらしいですよ!

格式を表す天井の作り

んで、部屋には特別な作りは無いようですが、部屋の外の入り口を見上げた所にあるこの屋根にちょっとした秘密が隠されているのだという。

上の写真の左側が花魁がいた部屋になるのですが、屋根を見ると右側に比べて左側の方が高くなっていますよね。どうやら、これは屋根が高いほうが位の高い人を相手するための部屋ということを表す作りなのだとか。へぇ〜初めて聞いたわ〜。

ってなことを、東京から来た大学の教授が言ってたんだそうですよ!

続きはこちら!お客さんが勝手に改造してしまった・・
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