今回は、福岡県北九州市にある門司(もじ)という町にある「三宜楼(さんぎろう)」という建物に焦点を絞った記事になります!
門司という街は舟運によって栄えていた時期があり、遊郭や花街が存在していたわけですが、今でもここには超巨大な元料亭「三宜楼」という建物があり、一般開放されているんですな!!
無料で内部を鑑賞することができ、スタッフの方にも取材してきたので、門司の歴史も踏まえてこの三宜楼がどんな歴史を歩んできたのか??
その辺をまとめて、以下で書いていきたいと思います〜〜( ´ ▽ ` )ノ
交通の要所だった門司港
門司というと、門司港焼きカレーだったり門司港レトロというレトロなまちづくりで最近は売り出していたりしますね。ここは本州との玄関口ということもあり、交通の手段が舟運だった昭和初期頃までは結構な賑わいを見せていた街でした。
詳しい門司の街の背景に関しては次の記事に書こうと思いますが、交通の要所だった門司には男たちの癒しの場として遊郭や花街があったわけです。
そんな門司港にそびえ立つこちらの馬鹿デカい建物が、今回の記事の対象となる「三宜楼」であり、花街があった本当に数少ない名残の一つでもあるんですな。この立派な石垣の上に建つ木造三階建ての建物は、空襲を受けた門司の格好の獲物だったにもかかわらず生き延び、1931(昭和6)年の竣工から88年も経っている建物。
実はここ、私が2019年4月に九州・山口一ヶ月取材旅に出た際に門司で「むつみ関門荘」という元料亭の旅館に泊まった時に、そこのお母さんから教えてもらったんですわ!
傍から見てもここが元料亭だとわかりにくいし、門司に来る前にいろいろ事前調査はしていたんですが、その時にここの存在には気づかなかったというね。。むつみ関門荘のお母さん、教えてくれて本当にありがとうございますm(__)m
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ということで、階段をのぼり入口へ。早速中に入ってみることにしましょ~~。
入り口の脇には「三宜楼」の札があり、字体がなんかいい。特に”楼”の文字はイキイキしてる気がするぜ(*´▽`*)
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スッタフが建物を案内してくれる
そして中はこんな感じ!!
すげえ。。早速意匠が見えるし、中はだいぶ綺麗ですね。築88年の建物ということもあり、結構改修にはお金かかったんじゃないかな~。
この三宜楼、現在は料亭でもありフグ料理をいただくこともできるし、大広間をイベントとして貸し出している他、内部を無料で見学することもできるという多機能な建物になっているとのこと。
ということで、入るや否や受付に直行して見学の旨を説明。既に、他の数名のお客さんに対しての解説が始まっていたのでそこに合流させていただきました(*’▽’)
ということで、スタッフさんから三宜楼に関して色々説明していただいたので、その辺を紹介していくことにしますね~!
玄関周りにはたくさんの工夫が!!
まずは一階の入り口から。三宜楼に入るとまずはこんな光景が飛び込んでくるわけです。んで、パッと見た印象では意匠の窓が気にとまりますが、スタッフの方が解説してくれたポイントはそこじゃないんですね!!
それが赤い矢印で示した柱!
1階から3階まで、いたるところに柱が備えられていますが、これは今のように7,8年前に一般開放した際には老朽化がひどかったために、柱を入れないと持たなかったから。つまり、補強のためですね。
上の写真を見ても赤い矢印で示した柱が不自然に建てられているのが分かりますが、補強のために言ってしまえば無理くり柱を突っ込んだって流れのようです!
一階の玄関周辺を見たところで、続いては階段を上がって二階へ進むことに。
と、言いたいところですが、二階へ上がるこの階段にも深い意味がりましてね。というのも、階段の両側には意匠がありさらに階段を上った奥にも丸い意匠が見えていますよね!!
これ、奥にある丸い意匠は月を表し、途中にあるのが雲を表しているんですわ。花街として賑やかだったころ、ここにお客さんが来る時間帯は17〜18時という日が暮る頃ということで、「外の景色と同じように月に雲がかかった風景をお客さんに見せる」という意図があったんですって(*’▽’)
ええな~粋やな~!
ということで階段を上がって二階に!
続いては、この三宜楼の目玉でもある百畳間の紹介といきましょう~(*’▽’)
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盗難被害にあった百畳間
こちらは三宜楼の中で一番の大きさを誇る大広間。百畳間という名称がついているものの、畳の部分が64畳で舞台が16畳くらい。。なので、合わせると80畳くらいになって、足りねぇじゃんか~~と思うかもしれませんが、”広い”というイメージを植え付けるために100畳間と言っているんだそうです!
まぁこういうのは言ったもん勝ちですわね。千手観音だって手が千個あるわけじゃないし、16文キックが必殺技だったジャイアント馬場さんだって、実際に足のサイズは16文も無かったですし( ;∀;)
この部屋の正面には大きな舞台がありますが、かつてはここで芸者さんが踊ったりしていたんでしょうね!
テーブルの上にはすでに配膳が用意されていて、これからお昼の予約客のために準備されているもののよう。 今は足が悪い方も多く、座敷ではなくテーブル席にしているとか。。
しかしこの三妓楼、お昼で一番安くても3,300円という結構お高い場所ということもあり、そうそう食える値段じゃないっすからね、、結構な団体さんのようですがここはどんな方が利用するんだろうか??
ちなみに、この部屋は以前盗難にあっていたとのこと。。
というのも、ここはもう取り壊そうかというときに寄付金を集めて改修した建物。当時はこの建物自体にはそこまでの価値はなく、入り口を閉めていても、どこからでも入れるというセキュリティがガタガタの状態だったらしくてですね。。そのため、どっかから侵入したアホ野郎に欄間(らんま)や照明を盗まれてしまったんですって。。
盗んだ大バカ者は、その欄間や照明をどうしたのだろうか??
これはだいぶご立派な三宜楼の文字ですな~。左側には、”三宅”という文字がありますが、これは創業者である三宅アサのことでしょうか??
と、この部屋をパッと紹介するとなるとこんな感じですかね。もっと細かく見ると色々なネタが掘り起せるんでしょうが、一通りスタッフさんの解説が終わったので、次へと進みます!
料理提供は超名店「春帆楼」
三宜楼では先ほども書いたように飯が食えるわけですが、ここで料理を提供しているのは、なんと下関の超名店である「春帆楼(しゅんぱんろう)」なんですわ!
皆さん、このお店がどんだけ歴史があるかご存知でしょうか?
春帆楼は、門司の向かいにある本州の玄関口の下関市にあるお店。日清講和会議の締結が行われた舞台であり、ふく料理店の公許第一号ということで日本のふぐ料理発祥の地とも言える場所。
春帆楼という店名は、伊藤博文が「春の海の帆」を心に描いて命名したとのこと。1888(明治21)年に伊藤博文公が春帆楼でふく料理を食べたのを機に禁制を解かれて、ふく料理店の公許第一号となったらしい。。
今ではご飯が食べられるだけではなく、結婚式場としても利用されたり、後はホテルにもなっているので宿泊も可能。結構お高いですが・・( ;∀;)
そんな背景があるので、春帆楼の目の前にはこんな碑まで置かれています。
春帆楼は、下関が本店ですが、東京にもに支店があるので、私も機会があればちょっと食べてみたい。めっちゃ高いですけどね。。( ;∀;)
と、ちょっと話が春帆楼にそれてしまいましたが、三宜楼ではそれだけ歴史がある春帆楼のふく料理が食べられるってわけです。まぁ、ふく食べるのが一番の目的で車で門司まで来てるんだったら春帆楼まで行けばいいじゃんってのも一理ありますけども。。
ちなみに、ここは完全予約制。詳しくは伏せますが、完全予約制にする前は結構クレームがあったことで昼も夜も完全予約にしたとか。 どんな方がここで食べに来るのかを詳しく聞かせていただきましたが、まぁやっぱ金持ってそうな人達ばかりっすね(笑)
一階と二階を紹介したところで、次のページでは三階の内部を紹介しようと思います~!