【門司港の象徴】元料亭「三宜楼」は匠みな造りで見所満載!

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貸し部屋の名残りであるNHKシール

三階に上がると、まずはこちらの部屋を案内していただきました。この小部屋は、料亭文化が廃れたあとは貸し部屋として使われていたそうです。つまり、誰かに貸してここに住んでいたってことですね!

NHKとLPガスのシール

その名残としては、ここを使っていた方がNHKと契約していたということでNHKのステッカーなんかが貼られたまま残っていたりするんですね!これは、奈良県大和郡山市にある元遊郭建築の町家物語館でも同じ説明を聞いた記憶がありますな〜〜。

ちなみに部屋の中はこんな感じ。

ここは意匠の窓から中をのぞくことはできますが、一般開放するための改修までには至っていなかったようです。予算の都合上なんですかね~。

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三階の広間は改修できず・・

続いては三階の大広間へ!

なんだかすごく写真が暗いですが、これは私の採り方がスーパーへたくそだからでり、実際はもっと明るいです。一眼レフのカメラを何年も使っているのに、未だに使い方がよく分かっていないというクズっぷりでございます。。

予算の都合で改修できず・・

ここは先ほどの二階の大広間の上に当たる場所。三階にも大広間はあるわけですが、今はこんな感じになっています。ここは予算の都合上改修しきれなかった部屋。。

この部屋は出光佐三や元首相の佐藤栄作なども利用したとして、とても歴史があるんですよね。でも、これ以上は予算がかけられないということで仕方なくこの状態のままとなっているという。どこかのすげぇ金持ちとかが出してくれないだろうか、、あとはクラウドファウンディングとかで頑張ればなんとかなるんかな~~( ;∀;)

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三宜楼に通い詰めた出光佐三

三宜楼で撮られた写真

そしてこの三妓楼、木造三階建の一派な料亭だったこともあり、多くの著名人も通い詰めました。その代表格が出光興産の創業者である出光佐三(いでみつ・さぞう)です。百田尚樹の小説『海賊と呼ばれた男』としても話題になった方ですわ!!

上の写真は送別会による写真で、前列のこっちから見て右から三番目の眼鏡をかけている男性が出光佐三。そして後列の左端にいる方が、三宜楼の女将である伊勢子。

出光佐三だけでなく、元内閣総理大臣の佐藤栄作(さとう・えいさく)もかなりの額を三宜楼に費やしたと、スタッフの方から聞きました。佐藤栄作は、門司鉄道局に九年間在籍し、その時にここに通い詰めたとのこと。

その他には、現日本通運前身の国際通運社長で門司商工会会頭を務めた中野金次郎(なかの・きんじろう)、筑豊の炭鉱経営者として莫大な財を築き競馬界でも馬主として有名な上田清次郎(うえだ・せいじろう)も、縁深い上客だったそうです。

ちなみにですが、佐藤栄作は安倍晋三のおじいさんである岸信介の弟だわよ!

高浜虚子ゆかりの「俳句の間」

最後には三階の奥にある「俳句の間」と言われる部屋へと移動することに。

何でかはわかりませんが、この俳句の間に関してはスタッフが同行していないと立ち入り禁止というローカルルールが存在します( ;∀;)

ここは通称俳句の間。ここに高浜虚子(たかはま・きょし)が来た時に、ここから見える風師山(かざしやま)を見て詠んだ句があることからそうつけられたという。

ここもまた意匠やら造りがいい感じですね!

特にこの丸窓、本当に素晴らしい(*´▽`*)

廊下の窓ガラスに使われているガラスは、大正ガラス。いわゆる今の時代に使われているものではなく波打っている手作りのガラスね!

ここが俳句の間からの景色。石垣の上に建つ三階からの眺めということで門司の街を見下ろせる感じの景色になっていますが、今では周辺に高い建物も多くそこまで広大に見渡せるって雰囲気ではない感じですかね~。

でも、高い建物がまだなかったころは開聞海峡の街がきれいに一望出来たそうです。でも、現在でも本州との間の海や、海の向こうの下関市も見渡せてますね!

門司が交通の要所として多くの貨物船が行き来していた頃は、関門海峡を一望でき、岸壁に船が停泊できないほど溢(あふ)れていたそうです。

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客人を飽きさせない数々の意匠

三宜楼で見られる数々の意匠

ということで、以上がスタッフの方に案内していただいた内容になります。

一階から三階までいくつかの部屋を覗かせていただきましたが、この建物には本当に多くの意匠が見られました!

三宜楼には、各部屋ごとに異なる意匠を取り入れており、常連のお客さんに対しても日によって部屋を変えることで飽きさせないという意図を含んでいたとのこと。松やコウモリといった形は他でもよく見られるものの、雲がかかった月や丸窓の内部にも工夫がみられるものは、私は他ではあまり見かけませんでしたね~。

三宜楼にある数々の意匠

三宜楼の意匠に関しては館内にこれだけあるそうです。上の写真は帰る直前に受付で購入したクリアファイルの裏に書かれていたものですが、こんなにたくさんあったんですな~~。

今の建物にはこういった工夫は見られないですからね、それだけに見応えありますわ。

欄間にも細かい工夫が

前回の門司港の歴史の記事でも書きましたが、ここは取り壊し寸前だった建物を、地元の方などが中心となって寄付金を募って2億4,000万円をかけて改修した建物。

本当に地元の方などが大変な思いをして保存運動をしたことで今があるんですね。しかもこれだけの建物を無料で見られるなんて、ちょっと申し訳ないくらいでしたよ(*´▽`*)

最後は受付でスタッフの方と談笑!

館内の案内が終わった後は受付へ!

三人くらいいるスタッフの方といくらか談笑して、もう少し三宜楼の事を教えていただきました。

さらに、受付にはこんな感じで三宜楼ゆかりのものが展示してあるほか、三宜楼の誕生から今までの背景がまとめられた説明書きも展示されています。ここだけでも一つ一つになっていくらでも時間が経過してしまいます。。(笑)

はい、そんな感じですかね。以上で三宜楼に関する説明は終わり~~!

最後に、いくらかの昔の写真をオマケで付けますね!

引用元:『「門司港」発展と栄光の軌跡』

庭からの写真。写っている女性は創業者の三宅アサさんかな?違うかな?(笑)

引用元:『「門司港」発展と栄光の軌跡』

かつての門司港の芸者さんですね。白黒ってのがまだ時代を感じます。

引用元:『「門司港」発展と栄光の軌跡』

芸者さんが電話をしている様子でしょうか。何階の廊下かわかりませんが、電話にしろ何にしろすごく歴史を感じる写真。

いつの時代の写真かわかりませんが、今案内していただいた建物がこの時代から続いていると思うと感慨深いものがありますわ。

おわりに

また結構長い記事になってしまいましたが、ここは本当に素晴らしい建物でしたよ!ただ、門司って関西からも関東からも結構距離があり、行きやすいって場所ではないんですよね~。

私も今になってスタッフの方に改めて質問したこともあるのでまた行きたいんですが、、次行くのはいつになることやら。。

ということで、以上が三宜楼に関する紹介でした。門司港には、このほかにも旧門司三井倶楽部、門司電気通信レトロ館、九州鉄道記念館などなど見応えたっぷりなスポットも多いので、ぜひぜひ行ってみてくださいね~!!

で、三宜楼に関してはまだ次の記事でも書いていきたいと思います。次の記事では、この三宜楼の誕生から今までのストーリーについて!

次の記事まで、しばしお待ちくださいm(__)m

参考文献

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詳細・地図

住所 福岡県北九州市門司区清滝3丁目6−8
営業時間 11:00~17:00
休館日 月曜日
駐車場 なし
電話番号 093-321-2651
アクセス JR門司港駅から徒歩で10分ほど
リンク https://www.shunpanro.com/location/sankirou/

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