取り壊し寸前!阿部定がいた「大正楼」の雄姿を目に焼き付けるべく、京口新地へ突撃した!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

今回の記事はいつもとはちょっと形式が違った記事になります。

というのも、いつも知の冒険の記事では、特定のスポットに焦点を当ててその場所の歴史や背景を取材してまとめて記事にしています。

が、今回は自宅(川崎市高津区)から500km以上離れた兵庫県篠山(ささやま)市にある妓楼「大正楼」へと急遽訪問しなくてはいけない用事が発生したため、その場所へ特攻した模様を書き記す旅行記になります!!

二日間、ひたすら運転しまくって動き続けた記録です!

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妓楼解体の知らせが急遽飛び込む!

時は、2019年2月21日の木曜日。私は平日はフリーランスでエンジニアの仕事をしているため、いつものようにバリバリ?にソースコードを書いて仕事をしていた時の事。

何気なくtwitterを眺めていたら・・

あれですよ、さぼっていたとかそういうわけじゃないんですけども(汗)、仕事の息抜きにちらっとTwitterを見ていたら、あるニュースが飛び込んできたんですわ!

それは、阿部定という女性が働いていた京口新地跡にある妓楼「大正楼」が取り壊されるというニュース。

阿部定の背景に関する詳細は今回は省きますが、この女性は1936(昭和11)年5月18日に、愛人の男性のアレをちょん切った「阿部定事件」で有名な方。

最近解体された東岡町遊郭(奈良県)の遺構

今まで、知の冒険の取材で様々な場所を訪問しては取材をしてきたわけですが、遊郭跡などの古い建物に関する記事を書くためには、その建物を見て写真を撮ってはおきたいもの。

しかし、最近は再開発などで取り壊されていることが多く、そうなると記事の内容も物足りなくなるし、何より自身の目で見ることができなかったとなると何とも悔しい思いをするんですよね。。

ということで、うわ~また遺構が壊されるのか~と思っていたものの、そもそもこの時は阿部定という女性の話を大まかに知っていたくらい。京口新地がどこにあるのかもわからず、そもそも、大正楼の存在やその妓楼がまだ残っているということすら今知ったというね・・(笑)

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大正楼は遠い・・

一応場所を調べてみると、兵庫県の篠山市にあるらしい。私が住んでいる神奈川県川崎市からは500km近く離れているんですね。。そんなこともあり、「見に行けないけど、まいっか!!」と思っていたわけですよ。

しかしですよ、Twitterを見ていると「本当に見に行かなくていいのか??」という気持ちが芽生え始めてきたわけです。

というのも、遺構は取り壊されたらもう二度と見ることはできないから。「二度と見ることができない」というのがやはりひっかかり、もしかしたら今後どこかで「あの時に見に行っておけばよかった・・」と後悔するのではと思い始めたわけです。。

・・・

いや、やっぱりいいや。。

・・・

いや、でもやっぱりに見に行った方がきっと後で後悔せずに済むはず!!

安さ最強のニコニコレンタカー

ということで、本当は土曜と日曜は千葉県松戸市や東京都の立石に行こうと企んでいたのですが、急遽予定を変更!早速ニコニコレンタカーで車を予約することに!

出発は翌日の金曜日の夜にしたかったわけですが、直前ということもあって何軒もお店を探してみるも予約は埋まっている。。

が、料金は高い車ではあるものの世田谷のお店で一台だけ空きがあったため、早速予約。レンタカーが予約できなければ今回の旅は厳しいと思ったので何とか予約ができてよかった(*’▽’)

そして、木曜日の夜はいつもよりも早めに就寝。翌日の金曜日は、いつもより早めに仕事を始め、その分早めに仕事を切り上げる予定だったからです!!

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7時間かけて川崎→兵庫県へ

ここから兵庫県まで爆走開始

そして翌日の金曜日。予定通り仕事を早めに終わらせた後、仕事場から直接レンタカー屋に向かって車をピックアップ!!

レンタカーで家について準備を済ませ、速攻で大正楼がある兵庫県篠山市へと移動することに!!

経路検索では6時間20分かかるとのこと

スマホアプリで自宅から大正楼までの経路を検索してみると、所要時間は6時間20分と出ました。ただ、これはノンストップで移動した場合なので、ちょっと休憩をはさんだりしたら7時間ほどですかね。

下道だと、大阪まで10時間ちょいなのでさすが高速道路。ただ一番驚いたのが、大正楼がGoogleMapに地点登録されていて直接経路検索ができるという点。阿部定がいたという有名な妓楼ではあるものの、こんなものまで地点登録されているとは、、すごい時代になったもんだ( ゚Д゚)

東名高速道路で一気に関西方面へ

しかし今回レンタルしたこの車。直前の予約だったということもあり、普段借りてるVitzやマーチなどはなく、まさかのフォルクスワーゲン。。外車っすわww

ハンドルは固いし、ウインカーはいつもと逆なので何度も曲がるときにワイパーを動かしてしまうという状態、、さらには外車はシガーライターソケットの電源はエンジンを切っても常時ONの状態ということを今回初めて知ったなんていう、ちょっとした収穫もあったり(`・ω・´)

今回は東名高速道路をかっとばしましたが、いつも私は取材旅をするときは高速道路は基本使いません。何でかというと、一般道を走ると思わぬスポットや興味深い建物を偶然発見するということが今まで何度もあったため!

あとは、高速代がかかりますからね( ;∀;)

いつもは一般道を通っているということもあり、やっぱり高速道路は楽ですね!あっという間に静岡県に入ってしまいました。

腹ごしらえやトイレ休憩も兼ねて、まずはNEOPASA静岡というパーキングエリアに到着。ここでラーメンをたいらげ、気合を入れてさらに西へと進んでいく。

巨大観覧車がある刈谷PA

続いては、愛知県の刈谷SAに到着。巨大な観覧車や豪華なトイレである『デラックストイレ』があるという珍スポットと言ってもいいSAで再びトイレ休憩。

この時点ですでに半分以上の距離は移動しましたかね。山登りでもなんでも、半分を過ぎるとだいぶ精神的に楽になるというのが、いつもの私。

PAには休憩する多数のトラックが

トイレを済ませ車に戻る際、多数の大型トラックが目に入りしました。最近はトラックドライバー不足と聞く運送業界。運ちゃんも大変なんだろうな~。

刈谷SAを出発してさらに西へ移動。下道で走ったら12時間くらいかかっていたと思いますが、結局今回は7時間ほどで兵庫県篠山市に到着。

篠山市に 到着したのは2:00。まだ夜が明けるまで4時間近くあるため、京口新地近くで車中泊して夜明けを待つことに。。

ついに、解体直前の大正楼へ!

京口新地があった兵庫県篠山市池上

思った以上に夜は寒かったですが、風邪を引くこともなく朝の7:30に起床。なんだか天気はあまりよろしくなく、今にも雨が降りそうな不気味な天気。。

早く大正楼をこの目で見たく、駆け足で大正楼へと向かうことに!!

そして、、

阿部定が働いていた妓楼「大正楼」

あった!!これか!!

これが、阿部定が働いていたという大正楼か。わずか二日前にYahooニュースで見た写真のまんまや!この時代を感じる外観、一階にはひょうたん窓が見え、壁などは所々剥がれかかっていますね。

よくぞ、今まで残り続けてくれましたm(__)m

風情あるひょうたん窓

数々の歴史を刻んできたであろう大正楼に圧倒されていましたが、ボーっとしているわけにはいかず写真撮影開始。この大正楼を目にするのは、今日が最初で最後。この妓楼の歴史や背景はほとんどわからないものの、色々な人間物語があったんだろうと思いながらシャッターを切っていきます。

取り壊しを通知する張り紙

入り口にはこんな張り紙が!

項目1の”種類”の項目は「店舗」になっていますね。遊郭として営業をしていたこの妓楼は、1946年の公娼制度廃止の後、この一帯が赤線になったときは特殊飲食店となったはず。その後は旅館にでもなって今に至るのだろうか。。

ま、その辺の歴史は今度来た時に調べることにしますか。。

風情を感じるひょうたん窓

なんといっても、このひょうたん型の窓が風情を感じさせます。

ひょうたん窓アップ

ひょうたん窓をアップすると、何やら模様が描かれています。が、これは大麻ですね。おばあちゃん家の座布団とかにも大麻の模様が描かれたものがたくさんあったわ。

ひょうたん窓がある側の壁面

こちら側には、建物と道路のわずかな空間に木が植えられていますが、それがあるだけでだいぶ雰囲気が違うような気がする。雰囲気作りのための粋な計らいだったのでしょうか。。

こちら側の通りには、通行止めのための看板が置かれています。が、置いてあるだけで何も書いてない。。

一つ窓ガラスが割れていて、中を覗くとお風呂場が現れました。なんだか狭く簡素は風呂場っすな。

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裏側は崩壊していた・・

大正楼の反対側

表面はこのくらいにして今度は裏に回ってみることに。大正楼は建物の形がL字になっており、こちら側には庭もあるようです。が、草木がぼうぼうに生い茂っていて、あんまり裏側の様子は見えませんな~。。

こっちは、だいぶ荒廃していてこれといった見所はないかな。。

裏は建物の内部が丸見えだった

かろうじて二階の奥の様子が確認できましたが、もう壁が崩壊して建物の内部が丸見えでした。写真だとちょっとわかりづらいでしょうか。。

屋根と壁が崩れてしまっている・・

反対側に回って二階を写してみましたが、こちらからの方がはっきりわかりますね。もう屋根と壁が崩れて、木材がむき出し状態に。。

大正楼の三方向には民家が建っているので、確かに取り壊してもらわないと、巨大な地震や台風などで崩壊したら多大な被害が発生しますもんね。

一通り見たので、これで大正楼は見納めかな。

あと数日の運命なんだろうな。売春防止法が完全施行された1958年まで、この建物では数々のドラマがあったんだろうか。。阿部定は1931(昭和6)年から半年ほど働いていたとのこと。今から90年近くも前の話なのか、、しかし、よく今まで残り続けてこれたものです。。

私が歴史というジャンルに興味を持ちだしたのは社会人になってから。中学や高校で習っていた時は、実際にあった話だという実感は全くなかったためか、歴史を学ぶことを少しも楽しいことだとは思えませんでしたな。。ただ、実際にその場所に行ったり当時の建物を見ることで、その歴史があったことをリアルに感じ、歴史の魅力にはまっていった今日この頃。

今回、この大正楼を自身の目に焼き付けることが出来たことはとても感慨深い。。この体験が、今後の人生のどこかでいかせれば本望ですかな。。

オープンに話してくれたおっちゃん

明るく迎えてくれたお父さん

朝っぱらから一人で大正楼付近をうろつく私。すると、ポストから郵便物を取りに出てきたお父さんと遭遇。

「お~見に来たのかい?」といって笑顔で迎えてくれました(*’▽’)

「ここに阿部定がいたんだよな。昨日も撮りに来た人がいたよ。」と、お父さん!

10分くらい京口新地トークを

遊郭跡に暮らす方々の思いは様々。ただ、このお父さんは遊郭があった場所のそばに暮らすことに関して「ん~まぁ色々な意見があると思うけど、俺は何とも思わないかな~」とのこと。

丹波新聞の記事では、「建物を撮りにうろうろしている方がいるから困っている」という文面があったので、地元の方に出会ったら煙たがれると思っていたのですがオープンに迎えてくれて、少し話もできて良い思い出になりました!

お父さん、ありがとう(*’▽’)

その他の遺構もチェック

京口新地跡は空き地が目立つ

大正楼を一通り撮り終えた後は、京口新地跡の周辺をうろつくことに。ここにはいったいどのくらい遊郭の建物が建っていたのでしょうか。。遊郭の跡地はだいぶ空き地が目立つさみしい雰囲気。

原っぱになっている場所には、家が建っていた跡も残る。新しい家を建てるにも、遊郭跡という特殊な場所ということもあって家が建っていないのかどうなのか。

他の建物で見られたダブル丸窓

大正楼を含め、古い木造の建物は多数残っていました。その中でも、遺構っぽいものは大正楼を含めて三つほど。上の写真のように、丸窓がダブルで隣り合っているなんて光景も!

その他にはこれでしょうか。こちらの建物はわりかしきれいに残っていた遺構。

大正楼とは異なり、近代建築っぽい外観。 入り口のドアからは中の様子が見えたのでのぞいてみると・・・

階段の先にはどんな光景が・・

いや~~なんという作りでしょうか。意匠を凝らしたような作りがちらほら見えますが、正面に見える階段を上ると一体どんな光景が広がっているのか気になってしょうがない。。

この建物以外は住居として人が住んでいるようでしたが、こちらは空き家ですね。中だけをみるとまだまだ使えそうに見えますが、こちらも大正楼と同様に朽ちるまでほったらかしにされ、いずれは解体してしまうのでしょうか。。なんかもったいないな~~( ;∀;)

今回は取り壊される大正楼を撮ればまずはOKということで、 一通り京口新地周囲を歩き、名残っぽいものを写真に収めて今回は退散。

京口新地に関しては予習する時間もなく、現段階で出来るのはこのくらいかな。また今度、兵庫県の図書館とかで一通り予習をした後に来てみようかな。その時は、ここは更地になっているのか、それとも新しい建物が建っているのだろうか。

もうこの光景は二度と見ることはできない。しかと目に焼き付けて、京口新地跡を後にすることに。

続きはこちら!帰りにも取り壊し直前の商店街を滑り込みセーフで取材!
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