札所巡りから始まった千葉県銚子市にある「田中特飲街」の色街史を紐解いた!

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円福寺に建てられた酌婦達の慰霊碑

▲飯沼観音の納経所である円福寺
銚子の街に関していろいろ聞き込みをしているさなか、銚子に暮らすおばちゃんから「田中について言うとね、円福寺ってお寺があるでしょ!あそこにはね、田中で働いていた女性たちの慰霊碑が建っているんだよ!」という情報を得た私。
ということで、早速車を吹っ飛ばして円福寺を訪問した私。
このお寺は先ほど書いたように、坂東三十三観音の二十七番札所となっているお寺。掛け軸に御朱印を書いていただき、早速円福寺内にあると思われる田中の女性達に関する碑に関して聞いてみることに。
すると、私が話しかけたお坊さんはとっても親切な方で碑まで案内してくれました!
▲円福寺内にある酌婦の碑
その碑がこちら。碑には「本銚子町料理店組合酌婦之墓」と書かれていますね。確かにこれっぽい。「本銚子町料理店組合」は田中の旧称のようです。
碑の後ろには、「大正十三年建立」と刻まれ、さらには女性の指名、年齢、そして女性たちが働いていた62の店名がずらっと刻まれていました。
この碑で弔われている女性は、大半が十代〜二十代。一番若い方で16歳がいますね。彼女たちの名前がカタカナというのも時代を感じます。
田中町にいた女性たちを弔った碑であることは間違いないようですが、この碑を建てるには一体どんな背景があったのか。亡くなった女性たち、そして発起人の方だけが刻まれた文字だけが今の時代に残ったダイイングメッセージとなっています。

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▲碑には「田中」という文字もある
この碑を建てた大正時代は「本銚子町」と呼ばれていたそうですが、「田中 相生屋」という表記があるように「田中」という名称もこの時代には使われているようです。
▲こちらには「田中町検番」とある
あ〜ここにも「田中町検番」の文字がありますね。さらには芸者連中の文字もあって、結構明確な痕跡を発見することもできました。なぜこの時期に女性達の慰霊碑を建立することになったんでしょうかね。。
1924(大正13)年 というと、この辺りの出来事と言えば1923年9月1日に発生した関東大震災があります。それで犠牲になった女性たちを弔ってという意図もあるのかとちょっと思いましたが、特に碑にその記載がないためそれは関係ないのだろうか・・。
こちらには、銚子病院、歌舞伎座、銚子座という名前もありますね。銚子病院に関しては酌婦たちの定期検診を行っていた病院だったりするのでしょうか。。しかし、一番気になるのが「ニコニコヤ」ww
この店、なんだったんだろww

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神栖市へ人が流れてしまう悲しい現実

田中の歴史から現状にいたるまでをザザザっと紹介してきましたが、最後には銚子の今後に関しても簡単に!今回の記事を書くにあたり銚子に住んでいる様々な方に話を聞きましたが、銚子は今後も明るい話題は特に見当たらないという何ともいたたまれない街になっているという。
▲人口減少や少子高齢が深刻な銚子の街
銚子は、昔からの街ということで土地の値段も高く、住むには条件が良い街とは言えない状態なのだという。。昔は東京電力の火力発電所を誘致する話もあったそうですが、そのような話は地元が突っぱねてしまったそうなんです。
そのため、街には仕事がなくその分人口も少なくなってきたことで少子高齢化も深刻な状態に。。
一方、利根川を渡った茨城県の神栖市は鹿島臨海工業地帯があることもあって、市が潤っており給食が安いとか子育てにおいても神栖の方が育てやすいということで、銚子から神栖に移り住む方が多いという。
さらには、今現在の銚子市役所で働いている方も、4割くらいが神栖市の住人。さらには、銚子の街を支えたヤマサ醤油やヒゲタ醤油の工場も神栖市に移してしまっている(工場見学は調子で見れますが・・)わけですし。。
▲茨城県神栖市にあるキャバクラ街
そんな神栖市にも、かつてはソー〇ランドなどの風俗店があったそうです。今現在は風俗店はデリ〇ルがあり、あとはキャバクラが密集するエリアが2つほどあります。鹿島臨海工業地帯がある街ということで、この辺の色街はさぞかし賑やかなのかと思いきや、実際はそうでもないとのこと。
銚子とは違って外国人だらけというわけではないうですが、お店を始める敷居が低いためお店は乱立するものの、お客さんは少ないし若い女性が少ないことでキャバ嬢を維持するのも大変。このようなお店を営業するのは、どの地域でもそう簡単ではないのですね・・。
↓神栖市の色街事情は以前に記事を書いたので、良ければご覧くださいな!
銚子の街は今後どうなっていくんでしょうね?
聞いた話では、テレビの番組か何かで「第二の夕張」なんて言われてもいるようで、あの炭鉱の町の夕張のように財政破綻なんてことにならなきゃいいですが。。ただ、今はどの地方も仕事がなく人口が減少していますからね。。
どうなることやら。。

おわりに

長きにわたり調子の色街として栄えてきた田中の街。今や外国人スナックが建ち並び、人通りも少なく閑静な街となっていますが、今後さらに件数は減り、もしかしたら近いうちに夜の街としての歴史に終止符が打たれるかもしれないですね。
飯沼観音が坂東三十三観音の札所となり、田中が色街の歴史を刻んでおそらく800年近い年月が経っていると考えると相当歴史が長い色街なんですね!!
銚子に限らず、全国で人口減少と少子高齢化はこれからますます加速することは避けられないため、地方の街はこれから厳しい現実が待ち続けていると思います。商店街や飲み屋街など、維持しきれずに消失するところも増えるんだろうな。。今残っている多くの色街の歴史を記録するため、今後も調査は続いていく。。

参考文献

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詳細・地図

住所 千葉県銚子市田中町付近
アクセス 銚子電気鉄道 観音駅から徒歩10分ほど
リンク http://www.choshikanko.com/tenbokan/
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