今回の記事は久々の山梨県にあるスポットの記事になります!山梨県は私が大学生の時の卒論で調査していた温泉があったりもして、とっても愛着がある県だったりするわけです。山梨県というと、ワインやブドウや桃、あとは信玄餅とかでしょうか??
ところが、甲府盆地にある市川三郷町(いちかわみさと)という街は花火で有名な街だったりするわけです。そこには花火の資料館があるということで、市川三郷町の花火を学ぶために突撃取材をしてきましたよ~!!
本記事のポイント
・神明の花火は、江戸時代に日本三大花火の一つだったほど人気の花火!!
・この「花火資料館」では、元花火師のお父さんが丁寧に解説してくれる
・花火大会は8月7日と決まっており、地方ならでわの広大な景色で見る花火はとても綺麗!
見出し
花火資料館がある市川三郷町ってどこ?
市川三郷町は甲府盆地の南西側に位置しているということで、地図で示すとこんな感じですかね。甲府市の東側にある一宮市や勝沼市では桃やブドウがたくさん生産され、富士五湖の周辺(山梨県の南側)では、トウモロコシなどが生産されている山梨県。
明治時代初期の頃などは、生糸の生産が盛んであったりしましたけどね。山梨県って、自然がいっぱいな県であるものの観光地やグルメ系んいなるとそんなにインパクトがない県なんですよね~!
▲書道を広めるために作られた「大門碑林公園」
特に、市川三郷町なんて相当マイナーな街ではないかと。ここには珍スポットとして「大門碑林公園」という、書道を広めるために作られた謎の中国風の公園があったりもしますがね~(^-^;
↓ちなみに、大門碑林公園はケッコー昔に訪問していたり。。
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花火の歴史が学べる「花火資料館」を訪問!
▲こじんまりとした「花火資料館」
甲府から車を飛ばして花火資料館に到着。結構こじんまりとした資料館であり、知る人ぞ知る博物館という感じですかね!!中はどうなっているのか、早速入ってみることにしましょう~!
こちらが、花火資料館の受付。とってもこじんまりとした博物館で、館長?のお父さんが一人でここを仕切っておりました。ちなみに、ここはあくまで資料館であって花火自体は売っておりません。
▲資料館でもらった粗品のスポンジ
ここの資料館は無料!受付を済ませて館内に入ろうとすると、お父さんがとある紙を見せてきて「ここのどこかに行ったことある?あれば、粗品をあげられるんだけども!!」とのこと。
その中に、以前訪問した珍スポットである「大門碑林公園」があったので、その写真を見せて粗品をいただきました!!なにこれ?(笑)
これ、物としてはスポンジなのですがキャラクターは『市川三郷レンジャー』というご当地キャラクターのようなんですね。ふなっしーとかくまもんみたいなかわいい系ではなく、戦隊もので攻めてきたようだ(^-^)
この市川三郷レンジャー、「町のPRをするものを何か作成してみてはどうか?」という町民の声をきっかけにして誕生したようなんですね。この3キャラクターはそれぞれ町の特産品である、大塚ニンジン、花火、印章をイメージしているとのこと!!
▲花火資料館で解説をしてくれる渡辺さん
今回、ここの博物館の事を超詳しく教えてくれたのは上の写真で建っている渡辺さんというおじいちゃん。御年83歳ですが、とても元気な方でした!!私が訪問した時には数人のお客さんがビデオ鑑賞をしており、その内容を渡辺さんが丁寧に解説していました!
渡辺さんは元花火師ということもあって、解説もかなりマニアックな内容まで話してくれます。日本には三か所だけ花火資料館があります(東京:両国花火資料館、秋田:大曲花火伝統文化継承資料館)がありますが、ここは渡辺さんが元花火師とあってめっちゃ詳しく解説してくれる博物館なんですよ(*’▽’)
ここで見せてくれるビデオには、日本中の中でもめっちゃ有名な花火大会の様子を見ることができます。私が見た時は、新潟県長岡市と長野県諏訪市の花火大会の様子だったかな。この花火大会の映像を見ながら、渡辺さんが丁寧に解説してくれます。
渡辺さん、とてもお話好きでこちらもとても取材がしやすかったです(*’▽’)
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花火について学んでいこう!!
ではでは、渡辺さんからは1時間半近くにわたり花火に関してご教授していただいたのですが、まずは花火の歴史から振り返ってみることにしましょうか!!
花火はいつから始まった??
日本での花火の歴史は一体いつから始まったんでしょうね??花火の歴史は、火薬の歴史でもあったりします。社会の授業でも習ったと思いますが、日本に鉄砲が伝来したのは1543年のことでしたね。その後、江戸時代になるくらいまでの間は日本全国に鉄砲が広がって、火薬や火縄銃は多くの戦で用いられることになったのです。
その後、江戸時代に入った1612年に花火鑑賞が行われます。ここで、花火鑑賞をしていたのは皆がご存知の徳川家康!なんと、彼が日本で初めて花火鑑賞をした方らしいですよ!!当時の花火は、今のような打ち上げ花火はなくて筒から火花が噴き出すタイプだったそうです。その後、花火が人気になりすぎたのか1648年には江戸で花火の禁止令が出てしまうほどだったという。。
その後、明治の初め頃には西洋からの輸入によって彩色光剤を得て、日本花火の歴史上最大の躍進の時期を迎え、この頃から日本の花火の基礎が作られたとのこと。
昔は昼用の花火もあった!?
上の絵は、資料館の中に展示されていたもの。ここに描かれているのは、「ふわん ふわん」と傘などが舞い落ちるのを楽しむという、昼間に使われた花火なんですって!江戸時代か明治時代か、昔は用いられていた花火なんだそうですが、今は人気が無いためこのような花火は作られていないとのこと!
そして舞い落ちていたのがこれ(笑)
花火を打ち上げると、打ち上げた花火といっしょにこれらの紙風船みたいなやつと唐傘(からかさ)といわれる紙製の傘が舞い落ちるという仕掛けなんですね!!ただこれ、紙製なので「花火と同時に打ち上げたら燃えないっすか??」と突っ込みたくなるが、そこはうまくやっていたそうです(笑)。。
花火の色を決めているのは「温度」
花火は、実にたくさんの色が使い分けられていますね~。これらの色ってどのようにして着色しているかはご存知でしょうか??もちろん、火薬の色がそのまま花火の色になるというわけではないんですね。。
で、一体何なのかというと「炎色反応」なんですね!!えっ、何それって思う方いるかもしれませんが、。、これは中学校の理科で習ったはず。
炎色反応とは
金属元素を含む物質を炎の中に入れると、その金属元素特有の色を示す反応
炎色反応によって色づく根本原因は炎の温度です。ガスコンロでの炎が青かったり、ライターの炎が赤かったりするのはそれそれの炎の温度が異なるからであり、温度が高くなると青や白に近づき、低くなると橙色に近づきます。
また、さらに明るい炎、鮮やかな色を出すための工夫として「光輝剤」が加えられたり、酸素を供給するために「酸化剤」が加えられたり、さらには燃えにくい金属化合物を燃えやすくするために「可燃剤・助燃剤」が加えられたりしているんですね!!
炎色反応というと、高校化学ではアルカリ金属やアルカリ土塁金属(周期表の左側に書かれている金属)を習いますね!これは、センター試験でも出たりする内容ですし。んで、花火に使われる炎色反応させる金属化合物は上記のようなものらしいです。
その他の光輝剤や可燃剤なども上記などが用いられるとのこと!これを知った後に花火を見た際には、「お~この赤色はストロンチウム(Sr)によるものか~」みたいに、色に用いられる金属を意識しましょう(笑)
花火で使う尺玉を学ぼう!
▲資料館に並べられた尺玉
打ち上げ花火にはこのような尺玉が使われていますよね!資料館にもずららららっと大きさ順に並べられていますが、結構たくさんの種類があるんですな~~!!
これらの打ち上げ花火は、昔に比べて規制が厳しくなっているんですってね。昔は隅田川では30箇所ほどの場所で打ち上げていたそうですが、今打ち上げているのは二か所のみ。規制も厳しいため、隅田川では上の写真の一番右に写っている5号玉までの大きさしか上げれないんだとのこと!!
博物館に置いてあった一番大きな玉は20号玉。単位でいうと「20号玉=2尺玉」なんだそうです。今現在日本で一番の大きさの玉は4尺玉なので、この倍の大きさになるんですね。。えっ、デカすぎない??(⌒-⌒; )
で、これらの球の内部はどんな感じになっているかというと、こんな感じなんだそうですよ!!
導火線があり、中には我々が見る花火用の火薬だけでなく「割り火薬」というものが敷き詰められています。この火薬は花火を四方八方にブッ放すためのもの。上の写真に写っている割り火薬の原料は麦殻。麦殻は弾力性があり空気が入りやすいから火が通るんですって!
ただ、全てがこうなっているわけではないですよ!
先ほど紹介したのは二つ芯がある「八重芯菊」といわれるもの。それ以外にも芯(星ともいう)が一つもタイプは「芯入菊」、三つのタイプは「三重芯菊」というんですって。
なぜ二つのタイプが「二重芯菊」ではなく「八重芯菊」と言うのかというと、この八重芯を作るのは当時はとても困難であり、「いやだよね〜やだよね〜名前何にしようかね〜嫌(や)だから『”や”え』にすっか!」なったという。これは日本全国共通の呼び名なんだそうですよ!!
打ち上げ花火ってどうあがってんの??
▲花火が打ち上がる仕組み
打ち上げ花火は、筒の中に満たされたガスがポイントなんですね! 打ち上げ花火が筒の中から上がるというのは皆さんもご存知でしょうか?そして、筒の中には「尺玉」と「打ち上げ火薬」が入っています。
火薬のガスによって筒の中にガスが充満すると、尺玉が押し出される形で上に吹っ飛んでいくわけです。これこそが打ち上げ花火の仕組みなんですね!と、言われれば当たり前という課単純な仕組みではありますが。
昔の打ち上げ花火のセッティングの仕方は、一人が火薬を入れてもう一人が導火線に火をつけるという二人体制で行っていたとのこと。これを人間が行っていたときにはミスによる事故もたびたび起きていたんですって!!
導火線に火をつける方が、火薬が入っているとおもって火をつけてしまうと、ガスが溜まらず尺玉が上に上がらないためその場で爆発して大事故に陥るんだという。過去の事故を調べてみると、2017年には大垣花火大会で2尺玉が地上付近で破裂する事故が起きたり、2016年にもいろいろな場所で花火が地上付近で破裂するなどの事故が起きているんですね( ;∀;)
▲打ち上げ花火の点火に用いられた機械
今現在の打ち上げに関しては、機械で操作するため点火はボタンを押すだけ。それだけ、花火の打ち上げは安全になってきているのだそうです。
花火職人は減っているのか??
あくまで周りから聞いた話ではありますが、日本の伝統工芸など職人といわれる方々は後継者不足などで全体的には減ってきているという声を聴いたりします。そこで花火職人はどんな感じなのかも、渡辺さんに聞いてみました!!
そもそも、渡辺さんは元々花火師の方。今の「マルゴー」という会社を創設した斉木さんという花火会で有名な方の下で働いていたんですって!で、職人でいうとそこまで危機的で職人がいなくなりそうという状態ではないようです。ただし、花火業界でいえば緩やかに下降しているという。それは、住宅街の公園で「花火禁止」の場所が増えるなど、色々規制が厳しく肩身が狭くなってきているということが一因だったりするそうです。
斉木さんの会社である「マルゴー」は花火会ではとても有名な会社のようで、花火好きの中には「マルゴーで作った花火は他とは違う!!」ということで、マルゴーの花火を見るために全国の花火を追っかけているファンもいるという。すげぇ、花火会にそんな話があったのか。。
今現在、マルゴーの職人さんの中には2011年3月11日に発生した東日本大震災の時、東北の花火職人の方が会社がダメになってしまったということで、マルゴーに入社した方もいたとのこと。東北で花火が作れなくなった時に、マルゴーで自分の技術を生かせたらということで入社されたんですって!!
続きはこちら!「神明の花火」の起源に迫る!!
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