江戸時代から続く伝統の「神明の花火」とは?山梨県市川三郷町の花火資料館で花火の歴史を学ぶ!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

スポンサーリンク

江戸時代から有名だった「神明の花火」とは!?

▲「神明の花火」の由来である神明社
では、「神明の花火」の歴史を遡ってみましょう。この花火は、何と今から450年近くも前に遡るんですよ!
元々市川三郷町という町は平安時代に甚左衛門という方が紙漉き(かみすき)の技術を伝えて、人々の暮らしを豊かにしました。彼は1181年7月20日に亡くなりますが、町の人々が彼の和紙に対する功績をたたえて平塩の岡に石碑を建てたのです。それから、武田信玄が活躍し火薬が戦に使われて以後、甚左衛門の命日になると感謝の気持ちを込めて神明社(紙の神様がいる神社)で盛大に花火を打ち上げました。
そう、これこそが「神明の花火」の始まりなんですな(*’▽’)
それから時が経ち、江戸時代の元禄・享保(1688~1736年)の頃に市川の花火は特に盛んになりました。この時は、住民の誰でも花火を作れたんですって!!この頃から、市川の花火は日本三大花火といわれるようになったとのこと。
ただし、神明の花火大会はいつのころからか経済的な問題もあり花火大会は開催されなくなってしまいます。渡辺さんも、いつから花火大会が行われなくなったかはご存知ないとのことでした。しかし、神明花火は1989年に復活!以来、30年間近くもの間、毎年花火大会が開催されているのです。
この市川三郷町で行われる神明の花火大会は毎年8月7日と決まっています。渡辺さんの同級生が町長になったときから8月7日にやるようになり、8月7日が休日だろうが平日だろうが固定なんですって。花火大会の始まりが8月7日なのかとかいろいろ推測していたのですが、その理由は実に単純!!
花火の「はな=87」というまさかの語呂合わせで決まったというのだから驚いた( ;∀;)
そんなんだったら、別に8月7日にこだわらず「8月1週目の土曜日とかでいいんじゃないの??」と思ったりしないでもないですが(^-^;
ただ、今では花火大会が有名になってきたため、平日の少し人が少ない方がいいとも言われている。
▲花火が打ちあがる笛吹川
この笛吹川で花火を打ち上げるんだそうです。花火大会っていうと私はもう何年も見に行ってないですかね。。だって混むし、人混み大っ嫌いだし( ;∀;)
この神明花火大会の日である8月7日も超絶に混むんだそうですよ。ここの最寄である市川大門駅はもう人でごった返して電車に乗るのも一苦労なんですって。この辺には宿泊施設も少ないため、一泊する方とかは甲府駅まで戻らなくてはいけないため皆移動しなくてはいけないんですな。。
それでも、ここの花火大会は一度は見る価値がある花火大会だと、今回解説してくれた渡辺さんや周辺の花火業者の方もおっしゃっておりましたぞ!!

スポンサーリンク

神明の花火には、平和への祈りが込められている!

ここのポスターに「世界に届け『神明花火』平和への祈り」と書かれていますね。これは、火薬は戦争などの争いのために使われないようにという平和に対する思いを込めて去年から用いられた世界に対してのメッセージなんだそうです。
もともと日本に伝来した戦国時代でも鉄砲などの武器に使われていましたし、神奈川県の平塚市では、海軍火薬廠(かやくしょう)という海軍のための火薬を製造する工場があったりと、最近の日本でも戦争に使われていましたな~。
花火というのはここ市川三郷町にとって、とても貴重な財産になっているのでしょうね。さらに新潟県長岡市でも、太平洋戦争の空襲によって町が被災した後、花火大会を復活させて先人たちが今までの歴史のリレーをつないでくれている長岡花火大会があります。長岡の花火大会は私は見たことがありませんが、この花火大会には「空襲で亡くなられた方々への慰霊」「復興」「平和への祈り」が込められているんですってな!いずれ見に行かなくちゃな~~。
▲甲府で毎年行われる七夕まつり
花火の話をしていた中、少し戦争の話題が出てきたことから話は甲府大空襲へ。実は、私は80歳以上辺りの方と話す機会があるときは、必ず太平洋戦争のことを問うようにしています。戦争体験者が少ない今、戦争を経験した方々の証言はとても貴重であり、ちょっとの話でも何か後世に残せることがないかを模索しているためです。
渡辺さんは、戦前の1934年生まれ。山梨では1945年7月6日から7日にかけて空襲があり、これは七夕におこったということで七夕空襲とも言われています。渡辺さんは11歳の時に空襲を経験しているのです。
空襲が発生した時、「清起きろ!!!」と、親にいわれて、藪の中に隠れたという。市川三郷町からは甲府方面が真っ赤に焼ける様子が見え、B-29がここを通った時は、戦闘機の窓がはっきり見えて操縦席から手を降っているのが見えたとのこと。
「甲府の人が言うにはね、空襲の前にまず雨が降ってきたっていうんだよ。夜中に。でもね、それは雨じゃなかったんだよ、灯油だったの。燃え広がるためにね。そんで焼夷弾でも落とされたもんだから。空襲の後に甲府まで自転車を借りて行ったらね、もう男か女かわからないような死体がゴロゴロ転がっているのを見たよ。あれは、ひどかった。。」
それ以外にも、アメリが軍と日本兵が空中で撃ち合いをしたときは、その弾が市川三郷町に降ってきたりしたという。
「日本の弾とアメリカの弾は違うんだよ!アメリカの弾は回転しながら突っ込んでくるの。だからね、アメリカの弾は家屋を貫通するんだよ。」
さらに覚えていることとしては、戦時中に親が竹槍の訓練をしていたことも。
「うちのお袋はね、竹を斜めに切ってその竹槍で落っこってきたアメリカ兵を刺す練習をしたらしいよ。俺はまだちっさい頃だったからね、あの時は皆何やってんだろうな〜って思ったよ。」

スポンサーリンク

元花火師が解説してくれる貴重な博物館!!

▲焼却炉時代、この壁の上からごみが落とされていた
ここの博物館は、2006年にできたという。もともとは焼却炉だったそうで、この建物はその事務所だったんですって!資料館の正面にはこのような壁があるのですが、これは焼却炉の跡なんですね。壁の上からごみ収集車が下にごみを落としていたという。。
お客さんが言うには、元花火師の渡辺さんが解説してくれるということで、他の花火資料館と比べてもかなり学べるということで大変好評なのだという。最初にも述べましたが、資料館で解説してくれる渡辺さんは83歳。長生きや健康の秘訣は、早いうちに酒とタバコを辞めることなんですって(*’▽’)
営業時間は11:00~15:00と短く、また開館している期間も6月~8月と大変短いのでそんなに訪れる機会は少ないかもしれませんが、ここに来ると色々な花火の事を渡辺さんが解説してくれますよ!!

おわりに

ちょっと長い記事になりましたが、以上が山梨県市川三郷町にある、花火資料館の紹介でした!こうつらつら資料館の事を書いては来ましたが、やはり本物の花火を見ないとその凄さや偉大さはわからないっすよね!!
2018年度は予定が合わずに見ることはできないのですが、翌年は何とかしてみてみたいものです!普段花火大会は人込みが凄くて帰るもの一苦労だったりするので、正直あんまり花火大会って行く気になれないんですが、神明の花火はこんだけ色々解説もしていただき知識はついたのでもう見なくちゃいけないっすよね!!
8月7日、もし予定がすっからかんの方がおりましたら、神明の花火を見に行ってみてはいかがでしょうか??

参考文献

↓よければクリックをお願いします

スポンサーリンク

詳細・地図

住所 山梨県西八代郡市川三郷町高田531−1
営業時間 11:00~15:00
(※6月3日~8月8日の間のみ)
休館日 毎週月・火曜、第3日曜
(その他臨時休館日あり)
入館料 無料
駐車場 無料
電話番号 055-272-0901
アクセス 市川大門駅から徒歩で約15分
リンク http://shinmeinohanabi.com/?page_id=53
↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加