今回は、めっちゃマイナーなスポットの紹介です。マイナーなスポットといっても、日本の歴史には欠かすことのできない施設ではあるんですけどね!それは、横浜市にある桐蔭学園という学校にある横浜地方裁判所陪審法廷の移築復元なんです。
この裁判所は、太平洋戦争後のBC級裁判が国内で唯一行われた法廷なんですね。では、その移築復元された法廷に関して、以下で紹介していきましょう!!
本記事のポイント
・横浜地方裁判所陪審法廷は、日本に2つしか現存しない陪審法廷の一つ
・横浜地方裁判所陪審法廷は、戦後に日本で唯一BC級裁判が行われた法廷だった
・横浜地方裁判所陪審法廷解体の際に、桐蔭学園が移築復元を受け入れた
・今現在、法廷は一般公開されているだけでなく模擬授業なども行われている
桐蔭学園に移築された法廷
桐蔭学園って全国的に名が知られた学校なんでしょうかね?東京や神奈川に住んでいる人からすると知名度は結構あるとは思うんですけども、その他の地域の方からすれば高校野球で知ることがあるかどうかでしょうか??
この学校は、幼稚園から大学までフルコースで用意されている学校。神奈川県には桐蔭学園と桐光学園がありますが、こちらは「陰」の方になりますよ(*’▽’)
ここはあんまりアクセスが良い場所にはなく、駅からバスに乗る必要があるんですな。私は、田園都市線の青葉駅からバスに乗ってここに来ました!訪問した日は土曜日だったんですが、桐蔭学園の生徒さんもたくさんいらっしゃいましたよ!授業かな?部活かな??
学生の皆さんが校舎に向かう中、私が訪問したのはこちらです。横浜地方裁判所陪審法廷ですね。これは、校舎の中に復元されてるわけではなく、桐蔭学園アカデミウムという建物の中に復元されているんですね。
ここは日曜日が休館で、私が訪れた土曜日は14:30までとわりと早くしまってしまうので要注意や( ;∀;)
なぜ、桐蔭学園にこの法廷が移築復元されたのか?
▲桐蔭学園アカデミウムの内部
では、ミュージアムに入っていきましょう!この「桐蔭学園アカデミウム」は、横浜地方裁判所陪審法廷が移築復元されることを機に設立されたミュージアム。受付を済ませて、中に進んでいくわけですが、私はここでなぜ桐蔭学園に法廷が移築復元されることになったのかを聞いてみました!!
んで、受付の方はとっても親切な方でここに移築された背景を親切に教えてくれましたよ~(*’▽’)
▲日本大通にある「横浜地方裁判所」
で、その理由は、横浜地方裁判所本庁舎の解体から始まります。この裁判所は、裁判の機能上大きな空間が必要になるわけですが、そのままの構造では活用することが困難だったため建て替える必要が出てきたのです。
そんな訳で日本大通りにあった横浜地方裁判所本庁舎を解体する際に、裁判所の中にある陪審法廷だけは数が少なくこのまま取り壊してしまうのは勿体無いということで横浜市が、市内の大学に声をかけたとのこと。そこで、桐蔭学園の大学である桐蔭横浜大学には法学部があるということからも、移築復元を受け入れようという形になったんだそうです。
そこで、2001年に桐蔭学園アカデミウムが完成して、陪審法廷はその中に移築復元されました。今現在も、横浜地方裁判所は日本大通沿いにあるんですよ!私は裁判沙汰に巻き込まれたことは今までないので、中に入ったことはないですけどね( ;∀;)
で、今現存する陪審法廷はここと、京都地方裁判所から移設された「立命館大学松本記念ホール」の2つだけなんですね。ここで重要なのが、今回移設復元されたのはただの法廷ではなく「陪審法廷」ということなんです。
今回紹介する移築復元された法廷は、以下の2つのポイントがキーです!
キーポイント
・今現在、日本に2つしか存在していない復元された陪審法廷
・戦後に、日本で唯一BC級戦犯をさばくための裁判が行われた
「陪審」という言葉を聞いたことがある方がどのくらい多いかわかりませんが、この陪審裁判を学ぶことが今回の記事の大きなキーになってくるんですよ!そこに関しては、もう少し先で解説いたしますね!!
では、内部に入っていくことにしましょう!
ここ、桐蔭学園アカデミウムには移築復元の法廷以外にも色々あるようです。私が来た時には、絵本展も行われていました。受付で法廷の見学をしに来た旨を告げた後、エレベーターでB1階へと下りました。
ここから廊下の奥に進んでいくと、法廷があるサヴェニーミュージアムにたどり着きます。
▲館内にある「サヴェニーミュージアム」
「サヴェニー」って何だ??って思っていたのですが、この方はドイツの偉大な法学者なんだそうですね。ドイツで方の近代化に関して貢献した方のようで、そのサヴェニーに関することが展示されているようです。
上の写真の左側にはサヴェニー文庫という文庫があり、これはフランクフルト近郊のサヴェニー家の領主館に最近まで秘蔵されていた500冊弱の個人蔵書なんだとか。このサヴェニーミュージアムを通り過ぎた先に、裁判所があるんですな!!
こちらの階段も移築したものなのかな?なかなか雰囲気がある階段です。
▲法廷の周辺は狭い廊下で囲まれている
階段を上ると、上の写真の廊下にたどり着きます。法廷は周囲が廊下に囲まれています。周囲の廊下には、横浜地方裁判所陪審法廷に関する経緯などが展示されています。めちゃくちゃ勉強になるぜ〜!
んで、ここで横浜地方裁判所陪審法廷の歴史を少し振り返ってみましょう!この裁判所は、関東大震災により倒壊した後、1930年に洋風建築物に新築しました。今までは陪審裁判を行う裁判所でしたが、戦時中の1943年に陪審制が停止したことで、裁判所は一時閉鎖することになります。
しかし、太平洋戦争が終戦した後にこの裁判所は連合国軍に接収され、軍事裁判(BC級裁判)が開かれることになります。 そして、1945年12月18日から1949年10月19日の約4年間、アメリカ陸軍第8軍による軍事委員会の裁判が開かれたのです。
よく耳にするA級戦犯の方々の裁判、いわゆる平和に対する罪に対する裁判は市ヶ谷駐屯地で行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)でした。この裁判では28名の方が起訴され、最終的に元首相であった東條英機を含む7名の方が絞首刑(死刑)、終身刑16名、
▲解体される前の横浜地方裁判所
一方、横浜裁判ではBC級の通例の戦争犯罪に関して裁かれた裁判が行われることになりました。日本国内でBC級裁判が行われたのは横浜だけであり、その他では外地(国外)である各戦地(フィリピン、インドネシアなどなど)にて裁判が行われました。
そしてBC級裁判が集結した後、1950年に接収が解除されて一般法廷として再開されることになります。
以下に、横浜地方裁判所陪審法廷の簡単な年表を記載しておきます!
1872年8月神奈川県庁内に、司法裁判所として「神奈川裁判所」が設置1876年9月全国に地方裁判所が置かれ、「横浜裁判所」と改称1921年09月01日:関東大震災により、庁舎が焼失倒壊1930年関東大震災で倒壊した裁判所は、洋風建築物に新築1941年04月01日陪審制停止に伴い、一時閉鎖される1945年12月18日アメリカ陸軍第8群による、軍事委員会の裁判(BC級裁判)が開かれる。1949年10月19日軍事委員会の裁判(BC級裁判)が終了する。1950年接収全面解除の後、一般法廷として再開される。2001年横浜地方裁判所本庁舎解体に伴い、桐蔭学園メモリアルアカデミウムに「陪審法廷」の形で移築復元される。
移築復元された、貴重な陪審法廷
▲移築復元された陪審法廷
そして、廊下を歩いて復元された法廷に辿り着きましたよ!!こちらの陪審法廷の内部に関しては「撮影禁止」の紙が貼ってはいたのですが、受付の方に確認したら「あ〜ブログぐらいだったらいいっすよ!!」と思った以上に緩かったので、普通に載せることにします(笑)
裁判所はなんか写真とかで見るよりかは割と狭いと感じました。実は、私は東京地方裁判所で実際の裁判を見学したことがあるのですが
こちらは陪審員の席。何かサッカー場とか東京ドームの椅子みたいっすね(⌒-⌒; )
▲この法廷で行われた模擬裁判の様子
この裁判所はただ展示しているだけではなく、授業の一環として模擬裁判も行われているそうです。中高生・大学生が裁判とは何か、人が人を裁くということはどういうことかを実体験するためだという。
この模擬裁判では、ディベートをするという事を主眼にもしているようで上の写真にも写っている陪審員役の子たちは、審議の途中に白熱とした議論が行っています。後方の観客もその様子を興味深く見ているという場面です。
その他にも、この法廷は「サイバーコート」の実証実験の場としても生まれ変わっているようです。サイバーコートとは、IT技術とネットワークを使ってハイテク化された裁判所の事なんですね。IT化がどんどん進んでいく世の中ですが、裁判の世界にもその波はやってきているのですね!!
私は一応エンジニアの端くれではあるのですが、この辺は知らなかったな( ;∀;)
と、まぁ陪審法廷の紹介はこのくらいにして、先ほどのポイントであった「陪審裁判」「BC級裁判」という点に関して解説していきましょう~~!!
続きはこちら!日本で唯一行われたBC級戦犯裁判がこの法廷で行われていた!
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