バブル期には原宿並に若者でごった返した「清里高原」が寂れてシャッター街になっている件!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

今回紹介するのは山梨県北部にある清里という場所です。清里高原といえば、昭和の終わり頃は大変な賑わいを見せた街であり混雑を極めた観光地だったものの、今は閑散とした街となっている場所。

駅前にはちょっと珍しいハイカラな建物も残っているため、その辺の歴史を簡単にではありますが紹介しようという魂胆ですね!

ということで、清里高原の現状(といっても駅前あたりに限りますが・・)を取材してきたのでその辺を紹介していきたいと思います!!

本記事のポイント

・清里高原は、小河内ダム建設の移住者が来た後、ポール・ラッシュの尽力によって発展を遂げた
・若者雑誌や漫画の効果などで、バブル期は若者でごった返した
・現在はハイカラな建物が残り、街は閑散としている

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ポール・ラッシュが開拓した清里

ほぼ長野との県境に位置する清里

山梨県北杜市高根町という場所にある清里高原。山梨県北部の八ヶ岳の麓に位置しており、もうちょっとで長野県という場所にある観光地です。

標高1,200mという場所にあり、夏場でも清涼な場所ということで多くの別荘も建つ場所。だがしかしです、この清里という場所はかつては非常に生活するには厳しい場所だったのです。。

戦後頃の清里高原

清里高原の歴史を語る上で重要な出来ごととして出てくるのがダムによる移住の件。東京の水源を確保するための小河内ダム建設により移住となった丹波山・小菅村28戸の人々が1938(昭和13)年4月17日にやってきました。しかし、ここは「甲斐国境にある山梨県の北海道」と言われたほど厳しい土地。

開拓をして農業をするも、あわ・そば・大豆などの雑穀やジャガイモばかりしかできず、戦前まではかなり厳しい生活をせざるを得ない場所だったそうです。

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清里の発展に貢献したポール・ラッシュ

そんな清里高原を開拓したのがポール・ラッシュという人物でした。関東大震災をきっかけに日本に来日したアメリカ人であり、日本にアメリカンフットボールを持ち込んだり、地下鉄サリン事件で多くの被害者が駆け込んだ聖路加(せいるか)国際病院の復興にも尽力した偉大な方。

日本キリスト教青年会(YMCA)のキャンプ地として清里村が選ばれたことをきっかけに、戦後には清涼な場所でも酪農が出来るようにと、まだ清里のような高冷地ではうまく酪農の技術がある状態ではなかった時に、ジャージー牛を投入することで清里での酪農を実現させた実績があります。

通りの名としても残っている

そんなポールの名前は通りの名としても残っている他、清里には彼の生涯を学べるポール・ラッシュ記念館や宿泊施設などになっている清泉寮などポール関連の施設が今でも多く残っています。

超簡単に書くとそんな歴史を経てきた清里高原は、バブル期頃になると駅前は若者の街となっていったのです。

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かつて若者でごった返した清里の街

そんな清里という場所では、いったいどんな背景があってバブル期頃は若者でごった返す原宿のような街と化し、どのように衰退していったのか!

その辺を学んでいくことにしましょ〜〜!

ファッション誌などがきっかけ

日本百名山として知られる八ヶ岳連峰

清里の街は、日本百名山としても知られる赤岳(2,899m)を含む八ヶ岳連峰の麓に位置しています。ポールが開拓した後も、酪農が行われつつ八ヶ岳の登山客が宿泊する旅館が点在する避暑地だったこの場所。

清里駅前は若者でごった返した

ただ、バブル期の頃になると、an・anやnon-noなどのファッション誌で高原で麦わら帽子をかぶりながら白い木綿の三段のスカートを着る写真が特集で載っていたため、それに憧れたギャルたちが来るようになったのです。

あとは漫画!沼津港とかはラブライブの影響でアニオタが漁港に押し寄せる現象が起こっているように、人気アニメ・漫画の舞台になるってのもかなりの効果を発揮することがあるわけなんですな〜。

吉田まゆみの『年下のあンちくしょう』

清里に関しては、吉田 まゆみさんの作品である『年下のあンちくしょう』という漫画の効果も大きかったとか!この漫画では、清里駅前に実際にあった「milk」という喫茶店が登場するとのこと。

1976(昭和51)年7月に発売された漫画であるため、1987年生まれの私は世代でもなく全然知らない漫画でしたけどね。。でも、せっかくなので今回amazonで購入して読んでみましたよ( ´ ▽ ` )ノ

タレントショップが多数ひしめいた

バブル期は渋滞する光景も

上記のようなことが原因で若者が押し寄せた清里高原。清里駅前の商店街は人はごった返すし、上の写真の道路では車が混雑を極めて全然進む気配がないほど渋滞していたそうです。

さらには、須玉ICから清里までの国道141号線も同じく渋滞が続いており、地元民もその辺は苦労したとか。

他の取材のときでも山梨県民に清里の事を聞くと、皆が「あそこは昔は原宿みたいな街だったよ!」と口をそろえて言うように、若者が集まったことでタレントショップやアミューズメント施設のような若者向けの店舗が立ち並ぶ街になったのです。

バブル期頃の清里駅前の店舗

清里駅前にあったタレントショップ
北野印度会社(1990頃~????)
北野武のカレー屋。2019年6月現在も建物は廃墟として残っている。
くわまん本舗 (1990頃~????)
桑野信義のお店。
マーシーズ (1990頃~????)
みんなご存知、田代まさしのお店。
クニクニ??(1990頃~????)
山田邦子のサラダ館らしきお店。。山田邦子のサラダの店が清里にあったらしいのですが、この店舗が本当にそれかは確証は取れていません。。(名前がそれっぽいので、一応クニクニがそうだと今のところ解釈しています。。)
梅宮辰夫漬物本舗 (1993頃~????)
梅宮辰夫の漬物屋で、たっちゃん漬けが売られている。私が小さい頃、群馬県の草津温泉でも見かけましたな〜。

上の地図のような感じで、駅前には多くのお土産屋さんやタレントショップ、さらにはお化け屋敷や迷路のようなアトラクションもあったようですが、一番目立ったのはタレントショップ!!

梅宮辰夫のたっちゃん漬けの店「梅宮辰夫漬物本舗」、山田邦子のクニクニ(サラダの店)、ビートたけしのカレー屋「北野印度会社」、クワマンこと桑野信義(くわの・のぶよし)の「くわまん本舗」、田代まさしの店「MARCY’S(マーシーズ)」があったようです。

といっても、昔の高根町の住宅地図を確認してみると、このようにタレントショップが出来だしたのは1990年頃ということで平成に入ったくらいから、つまりバブル期の終盤ごろなんですね!

今はシャッター街となっているが・・

一番賑やかだったときはレジのお札が入りきらなくて、隣に紙袋を用意しなければいけないほど繁盛していたお店もあったとか。お土産屋さんは夜の10時くらいまで賑やかに営業していたという。

ただこれらのタレントショップはバブル崩壊などで続々と閉店してしまったようです。今でも、タレントが焼肉屋とかアパレルショップとかを経営していますが、いくら有名人という信用・知名度があっても商売は難しいんですね。。

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平成に変わり街は衰退

「売家」の文字がちらほら・・

昭和後期のバブル景気のころは、とにかく多くの人、特に若者を中心に賑わった清里の街。しかし、それも平成に入った頃から次第に街から人は消え、今では多くの店舗が空き家状態となっています。

たけしのカレー屋は廃墟として健在・・

現在は先ほど取り上げたようなタレントショップは全て無くなっているわけですが、偶然にもビートたけしのカレー屋である「北野印度会社」の建物だけはまだ残っていました。

一階がお土産だったようで、山梨県を代表するお土産である信玄餅とかも売られていたようです( ;∀;)

こんな感じで「北野印度会社」の文字がまだ残っていますね。。一体どんなカレーを出していたんだ??

閑散とした清里の今

取材に応じてくれたお蕎麦屋さん

閑散とした清里駅前。その様子を取材するため現地に降り立った私。駅前を放浪としながら街の様子をカメラに収めたわけですが、お昼ご飯に立ち寄ったこちらのお蕎麦屋の女将さんが超絶ウルトラ親切な方で、賑やかだった当時のことなど清里駅前事情をたくさん教えてくれたんですね( ´ ▽ ` )ノ

なので、おかみさんが話してくれた内容などを踏まえながら清里駅前の現状を書いていきます〜!

特に有名だった「ONE-HAPPY-PLAZA」

そんな蕎麦屋さんの向かいにあるこちらの「ONE-HAPPY-PLAZA」は、修学旅行や林間学校の生徒を乗せたバスが停まり、彼らが皆ここで買い物をしていたぐらい有名なショッピングモールだったそうです。

しかし、平成に入りお客が減少して2011年頃に残念ながら閉鎖。それが清里駅前の衰退を決定づけたそうです。

今ではサバゲーの会場になっているとか

そんなショッピングモール、今はなんとサバゲーの会場になっているらしい(⌒-⌒; )

周辺に足場が組まれてシートで覆われているため解体工事をしているのかと思いきや、サバゲーの時の弾が周辺に散乱しないようにガードしているだけらしい・・。

サバゲーか、、ちょっと興味ありますけどね(笑)

奇抜なデザインの「MILK POT」

さらにはこんな建物も。もはや奇抜すぎてここを通る誰もが突っ込みざるを得ないっすなww

周囲が剥がれ始めていて哀愁を漂わせるこの建物。まだかろうじて「MILK POT」の文字が残っていますね。こいつはまだ賑やかだった当時は写真撮影をするための行列ができていたという。ここも確かお土産屋さん。

それ以外には、ハイカラな建物が未だに多く残っている清里駅前。こんな立派な建物が建っているのに使われていないのか~という感じ。。

子供の頃に賑やかな景色を見ていた人の中には、大人になってここに来てみたら「あれっ、ここ清里だよね・・」っていう人もいるそうです。。

夏場だけ開けてる店舗もあるという

建物によってはテナント募集の張り紙が貼っているものもあれば、シャッターが閉まっているものもありました。というのも、お店によってはお客さんが一番集まる7月と8月だけ開ける場所もあるそうなんですね。冬はほっとんど客が来ないので、店を開いてもしょうがないとか。。

今回取材したお蕎麦やさんも冬の4ヶ月は閉めたままにするという。私が訪れたのは5月なので閉めてるだけの店も幾つかあったんでしょうね。

かつては若い女性が列をなしたのか??

今残っているのはお土産屋さん、喫茶店、飲食店ですかね。アミューズメント施設のようなものはなさげでしたが、占いのお店は残っていました。

こちらは喫茶店なのですが、凄く立派で豪華な建物ですよね!

今はお母さんが一人でやっているようですが、こちらもかつては人でごった返したようですが、現在では閑散としていました。広く席数が多いだけに、バブル期の時代の名残とも思える。。

清里駅前にあった写真

駅前にこんな写真がありました。いつ頃撮られたのかは書かれていませんでしたが、ハイカラな建物が建ち人で賑わっている様子から、バブル期頃の写真ではないですかね?

今の風景しか見ていない私からすると、この場所が原宿のようだったとは想像もできませんが、それだけ時代が変わると街も変わるものということですね。そんなな事を思いながら清里駅前を後にして今回の取材は終了したのでした。。

おわりに

夏でも涼しい清里高原

バブル期頃に賑やかだった清里ですが、よく考えればその時が一時的に人でごった返しただけで現在は元の清里に戻ったとも言えるわけです。山梨県内ではここ以外の湯村温泉や石和温泉もバブル期を経て客が減ったなんて声を聞いたように、バブルって本当にすごい影響を及ぼしていたんですね。

まっ何はともあれ、かつての賑やかさはなくなったもののポールラッシュ記念館やオルゴールなどの博物館があり、夏場は涼しい高原地帯という避暑地としてはいい場所には変わりない所です!

土日を使えば十分一泊二日で過ごせる距離ですし、気になった方は夏場にでも清里高原に行ってみてはいかがでしょうか?

参考文献

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詳細・地図

住所 山梨県北杜市高根町清里
アクセス JR清里駅より徒歩2分
リンク https://www.kiyosato.gr.jp/
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