今回は、とある女性に焦点を当てた記事になります。その名は唐人お吉(本名:斎藤きち)。彼女はお国のためにその生涯を捧げたものの、周囲からは「ラシャメン」として差別され周囲から嫌がらせを受け、最終的には入水自殺をしてしまう悲劇的な人生を送った方。
しかし、その彼女の物語は舞台や歌にもなり、現在は静岡県下田市ある唐人お吉記念館にて彼女のことを学ぶことができるのです。その記念館を訪問し、お吉がどのような生涯を送ったのかを簡単に紹介していきたいと思います!
本記事のポイント
・ハリスに仕えたお吉は、周囲から罵倒される日々を送る
・最終的には、お吉ヶ渕にて入水自殺をしてしまう
・お吉の記念館とお墓は宝福寺の境内にある
・サザンの曲にはお吉をテーマにした歌がある
見出し
唐人お吉記念館はどこにある?
そんなお吉の記念館は、静岡県下田市にあるのですが、下田はマジで遠いです!!伊豆半島のほぼ南端に位置しており、車で行くと結構な時間がかかると思います。私は、伊東線と伊豆急行線で行きましたが、自宅から電車賃が3,000円くらいかかりました(笑)
伊豆急下田駅からは、徒歩5分くらい歩いた場所に記念館はあり、宝福寺というお寺の境内に位置しています。とにかく遠いのがネックなんですよね、下田市は!お吉の記念館に来た際には、ここ以外にも何箇所かを取材したのですが、総じて皆が言うのが「下田って本当に遠いですよね!」ということ。歴史も多く、距離が近ければ多くの方で賑わっているとは思うんですけどね〜。。
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唐人お吉記念館を訪ねた!
唐人お吉記念館を訪れるために、下田へと行くことに。訳あって渋谷から行ったので、山手線→東海道線→伊東線→伊豆急行線を乗り継いでいったわけですが、本当に下田は遠いですな( ;∀;)
人が少ない時を狙って、記念館が空いた時間にすぐ訪問しました~!
記念館はこんな感じ
▲唐人お吉記念館が併設されている宝福寺
記念館は宝福寺というお寺の中に併設されています。お寺自体はそこまで大規模なお寺という感じではないです。右側に建っている茶色い像は、お吉ではなく坂本龍馬さんです!
お吉の記念館はこんな感じの外観!7月の3連休ということで、どこでも人が多いと思ったので開館する8時近くに訪れたらほとんど人はいませんでした!!
▲レトロな雰囲気が漂う記念館内部
博物館は、綺麗に整備されたというよりかは懐かしさを感じるようなちょっとレトロな空間!ここでは猫が飼われているようで、数匹の猫が走り回っておりました。残念ながら私にはなついてくれませんでしたけどね。。
記念館はこじんまりとした感じでした。係りの方はとても親切で写真撮影もどこでも撮って大丈夫とのこと。ちなみにですが、ここは坂本龍馬に関する話も展示してあります。ただ、今回はお吉に関しての話なので、龍馬に関してはまたの機会に!!
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お吉はどんな人だったのか?
▲唐人お吉の写真、本人でないという説も。。
お吉は生まれは下田ではなく、愛知県の知多半島です。その後、下田に移り14歳の頃から芸者として働くことになります。その後、日本は鎖国を解消し日米和親条約を結ぶことになります。ペリーが来航し、その後はハリスとヒュースケンも来日することになります。以下の記事でもいろいろ出てきますが、お吉には下田で幼馴染の鶴松に出会うもハリスに尽くすことで鶴松と別れることになり、外国人につかえたということで周囲からはラシャメンと罵倒される日々。
日米修好通商条約が結ばれた後は、三島や横浜などを転々として下田にたどり着き、安直楼という料亭を開き、またその後は髪結いを行うなどします。しかし、そこでもお吉は周囲から罵倒され続け、酒におぼれ、最後は豪雨の中で入水自殺をしてしまいます。国のために尽くしたお吉であるが、なんともやりきれない悲しき最期を遂げてしまったのです。
お国のため、ハリスに尽くしたお吉
元々は、お吉と妹分のお福を外国人のホステスとして派遣することは認められていませんでした。しかしその後、韮山反射炉でお台場の砲台を作ったり日本で初めてパンを焼いたことでも知られる江川太郎左衛門英龍を説得してホステスとして派遣することが許可されたのです。
外国人に使えるということでお吉には支度金として二十五両、お福には二十両。年俸としてはお吉に百二十両、お福には九十両という大金が渡されるとしても、お吉は首を縦には振りませんでした。そこで、お吉の説得に動いたのが伊坂進次郎という方。
お吉には幼なじみの恋人がいました。その名は、鶴松。彼は船大工であり、お吉の父親も船大工で同じ職場で働いていたことから、二人は良く知っていた仲でした。安政元年の大地震で下田に大津波が襲い、下田の山の手に避難した際に、鶴松がお吉を手助けしたことから二人は結ばれました。しかし、鶴松はお吉を諦めれば彼が夢だった侍にとりたててもらえるということでそれを承諾することになったのです。
元々お吉は、外国人を毛嫌いしていたものの、表情がわかりづらいポーカーフェースのハリスに親近感を覚えるようになります。ハリスの体調が悪い時にはお吉は駆けつけて、当時日本で飲まれていなかった牛乳を飲ませるなどして尽くしました。実はお吉は、日本人で初めて牛乳を購入した人物であり、それを記念して下田にある玉泉寺には牛乳発祥の碑が森永乳業によって建立されています。下田は森永乳業の創業の地でもあるのですな!
お吉とハリスはお互い心開くようになっていきます。そして安政五年6月8日にハリスとお吉一同は日米修好通商条約締結に向けて江戸へと向かい、安政五年6月19日に日米修好通商条約は締結される形になります。しかし、この条約は関税自主権がなかったり、領事裁判権がなかったため日本にとっては不平等な条約と言われています。
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まだ日本に広まっていない西洋文化
▲記念館に展示されている食器類
日本は、幕末に開国をしたことで多くの西洋文化がなだれ込んできましたがそれまでは西洋文化などは全く知られていない日本。そのため、今では当たり前のように飲まれているワインなどは当時のお吉にとってはなんだかよくわからん異質な飲み物だったようです。
お吉記念館には、実際にハリスが使用していたランプなんぞも展示されております。
写真下部に説明が書かれていますが、真ん中のグラスは淵をたたいて呼び鈴代わりに使用していたようですね。
ラシャメンとして罵声を浴びせられる日々
ハリスに仕えたお吉には、罵声を浴びせられる日々が続きます。お国のため、説得された故に決断したものの、当時の日本では外国人は異質の存在であり、お吉は「ラシャメン」と言われ続け周囲からは異質の存在として扱われてしまいます。
▲山手駅近くにある山手外国人墓地
日本は1859年に日米修好通商条約を結び、開国したことで横浜などには多くの外国人が訪れるようになりました。横浜には外国人が訪れることで作られた港崎遊郭(みよざきゆうかく)でも、外国人の方の妾(めかけ)になった女性に対しては、ラシャメン(洋妾)として罵声を浴びせられ続けていました。遊女と外国人の間に生まれた子供はGIベビーと言われ、その子たちは現在京浜東北線の山手駅のそばにある山手外国人墓地に多数眠っているといわれています。
今現在は東京のコンビニに行くとアジア系の方がバイトをしているように、外国人の方がたくさん日本に訪れるようになりましたが、当時としては今のような光景は考えられなかったでしょうね。開国した後、鉄道が敷かれ、髪の毛はちょんまげからザンギリ頭になり、多くの異国要素が日本に投入されている様は大きく日本の国が変わっていく転換期だったのでしょうかね。
国のために尽くしたのにもかかわらず、周囲から罵声を浴びせ続けるなんて何とも不条理な世の中。そのような理不尽さをお吉は背負っており、時折下田の海岸沿いで一人涙を流していたと聞きます。
ラシャメンの歌
日本を代表する歌手グループであるサザンオールスターズ。桑田佳祐さんは私の高校の先輩ということもあり、私は小さい頃からサザンの曲をよく聞いていたわけです。そんなサザンオールスターズといえば「海」のイメージが強いというか実際に海をテーマにした曲は多いわけです。
そんなサザンの「バラッド3」というアルバムの中には「唐人物語(ラシャメンのうた)」という曲が含まれているのをご存知でしょうか?
この曲は、他と同様で桑田さんが作詞と作曲をしているものの、実際に歌っているのは奥さんの原由子さん(原坊)。この曲を聴き始めた高校生の頃は「ラシャメンって何だ?」と思っていましたが、色々調べていくうちに、そして歌詞の中に「了仙寺」「下田港」などの歌詞が出てくることからもこのお吉に関する話だったと知った時はとっても驚いたわけです。
ただ、なぜ夏のイメージやエロティックな曲を書いている桑田さんがこの「唐人物語」という昔の女性をテーマにした曲を書いたのか??これがとっても気になっていたんですね。そこで、今回お吉の記念館を訪れた際に係りの方に聞いて見ることにしました。
質問には2人の係の方が応対してくれました。事の経緯を説明すると、係りの方は「唐人物語の曲の存在は知らなかった」とのこと。ただし、桑田さんのことに関しては色々と情報を教えてくれました。以前は桑田さんの別荘が下田から少し離れた碁石が浜という場所にあったそうです。そのため、桑田さんは下田には良く訪れていたそうなのですね。それきっかけでお吉の物語は深い親近感を覚えたとは思いますが、まぁあくまで推測であるのでそっから先は不明。
▲桑田さんがよく来るお蕎麦屋さんの「石塚」
ちなみに、これは有名な話なようなので一応。下田駅から歩いて10分くらいの場所には「いし塚」というおそば屋さんがあるのですが、ここは桑田さんがよく来るお店とのこと。サザンのある曲の歌詞の中に、このお店のメニューも登場するほど。という話はさておき、まぁとりあえずサザンの曲によってお吉の物語を知ることができたので、桑田佳祐さんには本当に感謝です。先輩ありがとうございます!!
お吉が下田で開いた料亭「安直楼」
善光寺で日米修好通商条約が締結された後、お吉はハリスとともにアメリカに行きたい旨を伝えましたが、渡航条例により許可されませんでした。
その後は、京都、三島、東京、横浜を点々として最後は結局下田に辿り着くことになります。お吉は、京都では祇園で芸妓を務め、三島では36歳の時に金本楼で勤めることになります。そこでは、政界の方などを相手にしても今の政治のやり方に納得がいかないということで客たちと口論になったり罵倒したりすることもあったそうです。
そんなこともあり、金本楼をクビになったお吉は下田にたどり着き、安直楼(あんちょくろう)という料亭を営むことになったのです。
▲お吉が営んでいた料亭「安直楼」
安直楼という料亭後は、今現在も残っています。下田駅からは15分くらい歩いた場所にあり、住宅街の中にひっそりと佇んでおります。昔は、中も見学できたようですが今は扉が閉められていて中の様子を見ることはできません。
ここで料亭を開くものの、お吉は酒に溺れてしまいます。結局安直楼は経営がうまくいかなくなり店をたたむことに。その後は髪結いを行うものの、これに関してもうまくは行きませんでした。お客さんは最初は来て繁盛していたようですが、長崎ではやった「唐人まげ」を行っていたお吉に対して「唐人の真似事をするな」といわれ周囲から敬遠されてしまい、お店をたたむことになってしまいます。
その後は、下田を放浪して物乞いをするようになってしまったのです。お吉をハリスに仕えるように説得した伊坂進次郎はお吉を訪ねて、お吉が国のために尽くしたこと、そしてそのことを誰にも言わずに伊坂との約束を果たし続けたことを詫びました。お吉にとって、鶴松との別れ、そして国のために尽くしたのにもかかわらず周囲からはラシャメンとして罵倒され敬遠されてしまったのです。
お吉が投身した「お吉ヶ渕」
お吉は、入水自殺によって生涯を終えます。その自殺をした場所は、お吉ヶ渕と言われ今現在も残っているのでその場所に行ってみることに!
蓮台寺駅から10分くらいの場所にある
▲お吉ヶ渕の最寄駅の「蓮台寺駅」
お吉ヶ渕は、宝福寺の近くではなく伊豆急下田駅から1駅離れた蓮台寺駅から北へ10分くらい歩いた場所にあります。蓮台寺には、吉田松陰が皮膚病治療のために訪れた吉田松陰寓寄処という場所がある駅になります。
周囲は山に囲まれ、下田川では沢釣りをしている方を見られるほのぼのとした場所なのです!
宝福寺の住職に引き取られる
▲お吉が入水自殺をした「お吉ヶ渕」
お吉は、明治24年3月25日に下田川を歩いており、門栗ヶ渕付近で豪雨の夜に入水自殺を行います。現在のお吉ヶ渕は上の写真のように池のようになっており、碑や祠(ほこら)が脇に建立しています。現在は毎年3月27日にお吉の供養祭が行われているようです。お吉が入水自殺を行ったのは3月25日ですが、身寄りがなく誰にも遺体を引き取ってもらうことができず、ようやく3月27日に宝福寺の住職に引き取られたのです。
▲宝福寺内んいある、唐人お吉のお墓
その後、お吉の墓は宝福寺の境内に置かれ、今も多くの方がこのお墓に手を合わせに来ています。元々は正木正吉という方のお墓に、お吉の遺骨が土葬されていましたがご子息の方が宝福寺に「寄附されたお墓に埋葬してほしい」ということで遺骨を持ってきて、埋め直したのです。このお墓には、女優の水谷八重子さんなどの方が寄付されています。水谷さんは、大正から昭和にかけて活躍した女優・歌手であります。
お吉のお墓には、日清戦争や太平洋戦争など日本が戦争真っ只中の混乱期でも、多くの方がこのお墓を訪れたようです。
おわりに
お吉の物語は、今の世の中で知るすべはあまりないように思います。サザンの曲や、下田に訪れて知ることはあるしても、国のために尽くしたこのお吉の物語は多くの国民に知ってもらいたいと思います。お吉の物語は、このようにして物語として記念館として知られるようになりましたが、おそらくは国のために尽くしても誰にも知られることなく亡くなった方も本当にたくさんいたのではないかと。
下田という遠い場所ではありますが、多くの方がお吉のお墓を訪れてくれるようになってくれたら、そんでこの記事で少しでもそのような方々が増えたら自分としても嬉しいっす!!
参考文献
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詳細・地図
住所 | 静岡県下田市1丁目18−26 |
---|---|
営業時間 | 8:00〜17:00 |
入館料 | 大人400円、中・高校生200円、小学生以下無料 |
定休日 | 年中無休 |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0558-22-0960 |
アクセス | 伊豆急下田駅から徒歩5分程度 |
リンク | http://www.i-younet.ne.jp/~hofukuji/okiti03.html |