ういっす!
今回は、超久々に東京にあるスポットの記事になります。神奈川県に住んでいる私ですが、東京って意外に記事にするの久々なんすよね~。
んで、何のスポットかというと荻窪にある超レトロな割烹旅館『西郊ロッジング』です~~。
この旅館、荻窪の住宅地にポツンとたたずむ旅館ですんごく気になっていたんですよね。んで、記事にすべく実際に旅館に宿泊して取材をしたんですがとにかくネタが豊富でとても泊まりがいのある旅館だったんですよね(*´▽`*)
ということで、そんな『西郊ロッジング』がどんな旅館なのか、どんな歴史を秘めているのか、以下でまとめていきたいと思います~!
住宅街に佇む老舗旅館
ということで、今回のターゲットはこちらの西郊ロッヂングっす!
JR荻窪駅から徒歩10分くらいにあるこちらの旅館。周囲は超住宅地なんですが、都心の住宅地とは思えない光景っすよね~。ということで、早速館内に入ってみることにしましょう(*´▽`*)
中はこんな感じ。
全体的には和な雰囲気ですが、照明とか微妙に様な雰囲気も残る館内。中に入ると、早速ご主人さんがお出迎えしてくれてチェックインの手続きをすることに。
そんで、早速ですが今回宿泊しに来た背景を伝え、旅館の背景や歴史などいろんなことを聞きたいというと、ご主人さん快くOKしてくれていろんな話をしてくれることになりました(*´▽`*)
スポンサーリンク
東大近くで下宿からスタート
館内を案内してもらう前に、まずはご主人さんから西郊ロッヂングの始まりからお伺いすることに!
話を聞くと、もともとは現在のお父さんの先々代の方が本郷の方で和式の下宿業を行っていたのが始まりだったそうです。最初は荻窪ではなかったんですね。
とことが、本郷の建物は1923(大正12)年に発生した関東大震災の火災でもう営業ができない状態になってしまい、違うところで下宿業をしようということになったわけです。
では、次はどこで営業しようか。。
そう思った時、都心部からちょいと外れた場所にある荻窪という場所は、昭和の始めは別荘がポツポツ建つような何もない場所だったこともあり、荻窪に目をつけて始めようとなったそうです。
そして、東京の”西の郊外で洋間の下宿業”を行っていたということで、「西郊ロッヂング」と名付けられたんですって(*´▽`*)
そんな背景で誕生した西郊ロッヂングですが、洋風な下宿だったのは戦前まで。戦時中になると日本無線に接収され、戦後しばらくの間までは日本無線の方々が社内の接待だったり宴会だったりとして利用していたのです。
その他には、近くにある中島飛行機(後にプリンス自動車へ)には大変御贔屓にしていただき、荻窪の周辺にはたくさんの中小企業があったことから、 そういった方々の接待にも使われていたそうです。ということで、戦前は下宿だったこの建物は戦後になると割烹旅館となっていきました。
ただし、割烹旅館にするためには館内を和の造りにしなくてはいけないということで、もともと洋風の建物を戦後に大改修!!
洋風の内装から和風に変えるのは結構大変だったようなのですが、見事な和の内装になっておりますよん。
割烹旅館だった時代は、今回私が宿泊したこちらのお部屋も昼間は商談、夕方になると接待として利用されていたようです。高度経済成長期の時代は、今と違って100%会社の経費で落ちるから接待が大変盛んだったんですね。
そんで、昭和40年代ころを境に宿泊客が増えていったようですよ!
スポンサーリンク
レトロな雰囲気満載の館内を散策
ということで、西郊ロッジングの背景に関してはこのくらいにしておいて、続いては館内を紹介していきたいと思います。一通りご主人さんに案内していただいたので(*´▽`*)
まずは玄関ね。
扉を開けると、早速こんな光景が目に飛び込んでくるんですが、赤い階段が凄く目につきますね。和な懐かしい雰囲気で、私的にはマジでおばあちゃん家に来たような感覚でしたよ!!
入って右手にはこんなロビーが現れます。
ここで宿泊の手続きなどをするんですが、ここだけちょっと洋風な感じですね。玄関はこんな感じで、続いては二階に上がってみることに。
階段を上がるとこんな雰囲気!
木造の建物に赤絨毯が敷かれ丸窓が現れるこの場所は、現在の西郊ロッヂングの建物の中でも一番古いエリア。
ちなみにこの建物の改修を担当したのは「若林工務店」という会社。北海道炭鉱汽船(北炭)、つまり石炭を掘っている会社で青函連絡船も持っていた会社と関わりがあった会社なんですって!
ところが、北炭がだめになって東京に出てきたことで西郊ロッヂングとかかわりができて個々の改修工事を担当することになったとご主人さん。
しかしあれですよね、丸窓はいろんな建物で見ているもののやっぱり絵になりますわ!
丸窓の骨組みを拡大してみましょう。素材は竹によって組まれており、その竹を蔦(つた)?のようなもので結び付けているようです。「今の職人さんでは丸窓は昔のようには作れない」とご主人。
丸窓以外でも、今の職人さんでは修復ができないものは本当にたくさんあるようですね。
この辺は古い作りがたくさんあって目のやり場に困っちゃいますな〜。半円が描かれた扉の部屋なんかは入り口から作りが凝ってますもんね!
ちょいと部屋を覗かせていただくと、手前の天井は網代編みで奥の天井は船底天井という使い分けをされていたりね。
いいね〜素晴らしい( ̄▽ ̄)
スポンサーリンク
部屋の外にあるこの非常口の看板も何かいいっすよね(笑)
この指の絵がたまんないっすわ(⌒▽⌒)
続いて、再び一階に降りて館内にある大広間の廊下へ!
昔の大きな建物によく見られますが、西郊ロッヂングの建物にもこのような長〜い丸太が使われていました。
荻窪まで運ぶの大変だっただろうな〜〜
続いて再び二階へ移動。
右の扉の部屋が本日私が宿泊した部屋なんですが、こちらの部分は戦後から少し時間が経って和の作りに改修したんですって。なので、先ほどの丸窓があったエリアとはちょっと雰囲気が違うな〜って感じ。
でも、床もですし入り口上部にも屋根が付けられていて和の要素を十分に感じられますわい!
そして階段で再び一階へ下がると、、、
床は桜の寄木細工になっていました〜!
ということで、館内をこんな感じでご主人さんに案内していただきました!
そして古くからの建物ということもあり、こちらは登録有形文化財にも登録されております。
ちなみにですが、西郊ロッヂングは旅館とアパートに分かれており、「西郊ロッヂング」と書かれたこちら側の建物は現在賃貸アパートとなっています。ネットで調べてみると家賃は6畳の1Kで6.5万円でしたが、荻窪駅から徒歩8分でこの値段だったら結構安いんじゃないですかね。
新宿周辺で働いている方々だったら、結構いい物件だと思うんですけどね〜。
あっ、あとこちらは1937(昭和12)年に建てられたものね!
おばちゃん家にもあった懐かしい品々
これだけレトロな雰囲気ということもあり、館内には現代ではあまり見かけることのない懐かしい品々も見かけたんですよね。
ちょっと幾らか紹介していきますよん。
例えばこちらの扇風機。
現代ではエアコンを使う家庭も多いと思いますし、扇風機を使っていたとしても、こちらのような羽三枚の旋風を使っている家庭はそうはいないんじゃないですかね。
今は無き私のおばあちゃん家にもこの扇風機ありましたよ。懐かしいな〜〜
電話といえば今はスマホで賄えているため、家電がある家庭はどんどん減ってってるんじゃないっすかね。おじいちゃんやおばあちゃん家とかにはまだある方が多いでしょうが、「実家にはあるけど自分の家には無い」って方は多いんじゃ無いっすかね。
そして今の小学生とかだと、このダイヤル式の電話のかけ方がわからないとも聞くので、それはそれで時代を感じます。まぁ古くから営業している中華料理屋とか行くと、今でもたまに見かけますけどね。
あとこの蚊取り線香も私のおばあちゃん家にありましたよ!
アースマットを設置すると、熱でマットから匂いを放出する形式のやつです。皆さんの実家だとかおばあちゃん家にもありませんでした??
このマットは交換式なのですが、これ、今でも売っているのだろうか??
部屋にはこんな電気スタンドも。
昔、こんな感じのスタンドを使って勉強した方も多いんじゃ無いですかね??
あとこれは何だっけな??汗
昔のラジオだとかそんなものだったような気がしますが、、忘れてもうた( ;∀;)
という感じで西郊ロッヂングについて紹介してきましたが、この辺で一旦ページを区切りますかね。
このページでは旅館の背景や館内の様子を書きまくってきましたが、次のページでは90年近い歴史の中で泊まってこられたお客さんの話や撮影にも使われていたなど、まだまだ多くのネタがありますので、その辺を紹介していきたいと思いますよん( ̄▽ ̄)