二階は辰野金吾に関する展示メイン
前ページでは一階を紹介したので、このページでは二階を紹介します!
二階はこんな感じ、この廊下沿いにいくつかの部屋があるって感じ。
これは何の部屋だったかな。。忘れてしもうた( ;∀;)
とはいえ、敷かれている絨毯や窓に使われている巨大カーテンがいい感じ。
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そしてここが二階のメインとなる展示室っすね。ここでは辰野金吾という人物における展示や、ビデオも鑑賞することができます。
そうそう、ここは辰野金吾記念館なんですよね(笑)
一階に辰野に関する展示がほとんどなかったので、それを忘れてしまいそうですけどもww
ということで、この記事を書くにあたって辰野金吾に関する本を買ったりして彼の人生などを勉強させていただいたので、ちょっとここで辰野金吾という人物について学んでみることにしましょ~~!
ちなみに、買った本はコレね(*’▽’)
辰野金吾ってどんな人?
上の写真は1915(大正4)年4月26日に撮影された辰野金吾の写真ですが、これを見ると、な~~んか堅そうなというか頑固そうな印象に見えます。
実際にそういう印象は強かったようで、辰野金吾は「辰野堅固」とも言われていたようです。幼少の頃からひたすら努力を積み重ねてきた武骨な明治男子であり、国を憂い、戦争となれば常に戦場に赴く覚悟を持ち続けてもいました。
趣味らしい趣味を持たなかったようですが、相撲が好きだったみたいです。ひたすらに建築家としての活動と教育に励んだ勤勉にして厳格な性格。さらに、気難しくちょっと近寄りがたい人物、というのが辰野という人のこれまでのイメージ。
とはいえ、厳格ではあるものの弟子などには情に厚く温かみを感じさせる一面も持っていたそうです。例えば、「仕事の上では所員が犯したミスに対しては、意図的でない限りは辰野自身の責任にして過失を問うことはなかった」とかね!
辰野金吾は1854(嘉永7)年8月22日、備前唐津城下町に、藩士姫松倉右衛門の次男として生を受けました。生家は唐津城の外堀のさらに外。藩士ではあったものの、最下級に近い身分でした。
下級武士に生まれた辰野にとって大きな転機となったのは、辰野と同級生の高橋是清との出会いでした。明治三年に唐津藩が新設した洋学校「耐恒寮」に入校して、この学校に英語教師として招かれたのが後に内閣総理大臣にもなる高橋是清だったのです。
高橋の影響からか、辰野は佐賀から東京へと移り、1873年に開校した工部省工学寮(現在の東京大学工学部の前身)に第一期生として入学し、「造家学」と呼ばれた建築学を学び首席で卒業。これでイギリス留学の権利を勝ち取ることになり、西洋の建築を見て回り、帰国した後は建築への道を自ら切り開き、日本銀行本店。東京駅などの建築を建てていくことになります。
あと、辰野は日本語ん公本店、東京駅以外に国会議事堂も設計したかったそうなんですが、誰が設計をするかを決める競技中に辰野が亡くなってしまい。その夢は叶いませんでした。。
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日本銀行本店と東京駅が有名
ここで辰野が実際に設計した建物をいくつか触れてみたいところで、その中でも有名な日本銀行本店と東京駅に関して軽く説明を!
日本銀行本店は、日本人建築家が設計、施工した最初期の洋式建築における記念碑的な事例であり、辰野が全身全霊を込めた作品でした。
当初の設計では石造でしたが、明治24年に起こった濃尾震災の影響で耐震上危険だと判断したことで、芯をレンガで積んでいて外側に石を張り付ける造りになっているそうです。
1896(明治29)年に竣工ということで、120年以上も前に建てられたんですね~。
この日本銀行本店、中も気になるところですよね。いきなり一般人が入ろうとすると速攻で警備員に止められますが、ここは一般見学を行っているのでこれ申し込んで行ってみたいんですよね。平日のみなのでハードル高いですが。。
続いて東京駅。
こちらは1914(大正3)年に竣工した建物。
「辰野式」と言われる建築の中で設計の経緯が最も詳しく判明しており、デザインは辰野の意思だけではなく鉄道、都市計画、あるいは国家の論理が複雑に絡み合っています。
もともとは二階建ての予定でしたが、日露戦争の戦勝ムードの中で駅舎規模を拡大する計画が浮上し、さらにホテルの機能も併設されることになって今のデザインに至っているようです。
なんか辰野金吾って聞くて、真っ先に思い浮かぶのがこの東京駅のデザイン。
ちょっとしつこく眺めてみると、旧唐津銀行にもあるようなアーチ型の窓や塔がありますね~。
私は建築に関してあんま詳しくないので、これ以上詳しい解説があんまできないのが残念。。本当は。「これはルネサンス建築を用いたものでですね~」とか、「細部のこの部分はこういう背景があって作られてましてね~」みたいな説明もできたら良いんですけどね~~( ;∀;)
まっ、とりあえず辰野の代表作というとこの二棟になるわけです!
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辰野金吾が手掛けた建築物
東京駅と日銀本店を紹介しましたが、全国に目を向けると辰野が設計した建築物は2019年時点ではこんだけあるんですね。数えてみると、全部で24棟。
辰野は生涯で200棟を超える建築物を設計したようで、残っているのは10分の1ほどですね。建物を見てみると東京駅のような赤レンガ調が多く、あとは銀行が多いですね。
この中で私が見たことあるのは、東京駅、日本銀行本店本館、日本銀行小樽支店、あとは武雄温泉の楼門っす。
この武雄温泉の楼門も辰野の作品として有名ですが、他の作品は洋風全開の作品に見えるので、あんまり辰野金吾って印象を持っていませんでした。
この楼門は共同浴場として建設されたもので、下層を漆喰で塗り籠めた龍宮門の形式。建物の上部がお寺っぽい造りになっているので和風に見えるんですが、壁の下地に洋風技法が用いられていて、和風から逸脱する部分もあるんですって!
横から見るとこんな感じ!
いや~これは見ごたえありますわ。私が武雄温泉に訪問した時は結構人は少なかったものの、この楼門には人が多くてみんな写真撮ったりしてましたからね~。
ちなみに、夜だと暗かったかもしれないので昼間の写真も載せておきます。
この武雄温泉も辰野の出身地である佐賀県にある事ですし、故郷に自身の作品を残すという心意気でこの建物を設計したんかな~~。
展示品を見てみますか
辰野金吾に関しては以上にしますか。
ということで、話を記念館の戻すことにしますね!
上で説明したような辰野の生涯に関することや、辰野が設計した建築物の解説がこの部屋には展示されている感じですね~。
あとは東京駅の模型があったり、、
東京駅に関する展示があったり、、
これはこの建物である旧唐津銀行本店の模型ですね~!
そして、展示室の隅っこを見るとこんな螺旋階段が登場しますが、これは辰野の弟子である田中実が設計した階段。これで天井部の小屋浦へ行けるそうですが、ここは立ち入り禁止!
上ったとしても、かなり怖そう・・( ;∀;)
以上ですかね~~。
この博物館は展示物がそこまで多くなく、辰野金吾記念館とはいうものの建物の外観とか内観を鑑賞するのがメインって感じなのかな~と。
おわりに
ちょっと辰野に関する説明が物足りないようには思いましたが、建物はすばらしかったですね~。この記念館を訪問する前は辰野金吾に関してはほぼ知らない感じだった私ですが、この機会に多少なりとも辰野について知ることができて良かったっす!
他の辰野式建築物も行ってみたいっすね~~。
この記念館は唐津市ということで関東や関西の人とかだったらちょっと行きづらい場所にありますが、東京や大阪にもまだ辰野が関わった建築物は残っているので、ぜひ気になった方は行ってみてくださいな~(*’▽’)
参考文献
詳細・地図
住所 | 佐賀県唐津市本町1513−15 |
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営業時間 | 09:00~18:00 |
定休日 | 12月29日~12月31日 |
入館料 | 無料 |
駐車場 | 有料 |
電話番号 | 0955-70-1717 |
アクセス | JR唐津駅から徒歩10分 西九州自動車道唐津ICから車で15分 |
リンク | http://karatsu-bank.jp/ |