全ては横須賀製鉄所から始まった!横須賀誕生の背景を学ぶべく、「ヴェルニー記念館」を訪問!

神奈川県の軍港といえば横須賀が有名ではないかと。一般的には横須賀というと海軍カレーとか小泉元総理とかのイメージが強いのかな??
今日はそんな神奈川県の横須賀の歴史に関して紹介して行こうと思います!あんま観光地ってわけでもないので、首都圏に住んでいる方とかじゃないと行ったことないという方が多いと思いますが、今回の記事ではJR横須賀駅の近くにあるヴェルニー記念館という博物館を訪問したことを機に、横須賀の始まりにどんな歴史があったのかに関して紹介していきたいと思います〜( ´ ▽ ` )ノ
本記事のポイント

・横須賀はもともと農業と漁業の街だったが、横須賀製鉄所建設を機に発展した
・横須賀製鉄所の建設には、小栗忠順とヴェルニーが大きく関わっている
・館内には、国の重要文化財に指定されている「スチームハンマー」が展示されている!

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港にひっそりと佇む「ヴェルニー記念館」を訪問

川崎住まいの私としては、横須賀はだいたい1時間くらいで行ける場所。武蔵小杉から横須賀線に乗り換えればそのままJR横須賀駅にたどり着くことができます。そして、ホームから改札まで階段がないことで有名なこの駅を出ると、すぐに横須賀の港湾が姿を現すんですね!
駅を出て港湾沿いに公園が現れるのがヴェルニー公園。以下で詳しく書きますが、このヴェルニーとヴェルニー記念館は同じ人物の名前をとっています!
▲こじんまりとしたヴェルニー記念館
そして、その公園の隅に位置しているのがヴェルニー記念館です。2002年5月1日に開館した割と最近誕生したこの博物館には、横須賀の誕生に大きな貢献をしたフランス人であるヴェルニーの功績を伝える体験学習施設としてオープンしました。
入館料は無料であり、ネットの口コミを見るとボランティアのスタッフの方がいることもあるようですが、私が行った時には不在だった気がするんですが、別の方に解説していたのかな??
この記念館はそんなにデカイ博物館ではないため、結構一瞬で見終わってしまう感じです。見所としては、実際に横須賀製鉄所で使用されていたスチームハンマーが展示されているところでしょうか!!

横須賀製鉄所で発展した横須賀ヒストリー

ではでは、館内に展示されている展示物を紹介しながら、横須賀がどんな感じで誕生したかをたどっていくことにしましょ〜!!

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漁業と農業の村だった横須賀!

※「今昔マップ on the web」を元に作成
横須賀は製鉄所ができる前は閑静な漁村にすぎない街でした。1839年の頃の横須賀には家屋が201戸ほどあり、浦賀へ繋がる浦賀道の中継地点でした。主な生業は漁業であり、江戸時代になると半農半漁と農業も行うようになったとのこと。江戸中期以降は江戸と関係を持って江戸市場に横須賀の近海で取れた漁獲物を輸送していたそうです。
その後、1853年にペリーが来航した後、1858年に日米修好通商条約が締結。そして、横浜などの港が開港したことによって日本に多くの外国人が訪れるようになりました。
そして、ここで小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)という人物の登場です。彼は幕府の使節団としてアメリカに渡り、ワシントン海軍造船所を見学した際に、この製鉄所で軍艦に必要なビス一本から大砲に至るまですべてのものが蒸気機関で作られていることに驚き、西洋の工業力と日本を比較して、そのギャップの大きさを感じていました。
▲ペリーが来航したことで知られる浦賀
横須賀製鉄所がまだできる前は、海軍の軍艦の修理は浦賀で行われていました。ただし、浦賀には敷地が小さすぎるという欠点があったんですわ。狭いことで人家に隣接していることから火災の危険が否めなかったということで、危険度が少ない別の場所に製鉄所を作る必要があったわけです。
ところがどっこい、この幕末の頃って財政が逼迫していたこともあり、反対論によって小栗は批判を受けることになるのです。しかし、小栗は「幕府の運命よりも日本の今後を考えると製鉄所を建設した方が良い!」ということを考えており、彼は日本の将来を本気で考えていたんですね!!
▲フックを作るための金型
その後、1864年に勘定奉行に就任した小栗は製鉄所建設を進めていくことになります。ただし、製鉄所を建設すると言っても当時は日本人だけの技術では建設することが出来なかったので西洋人の手を借りる必要がありました。そこで、登場するのがフランス人の方々なのです。
そこで、当時フランス人公使であったレオン・ロッシュ経由で造船技師であるフランソワ・レオンス・ヴェルニーを日本に呼び寄せたわけです。1864年12月7日に、ヴェルニーの元に手紙が送られ、その内容は、「日本政府がフランス人技師の力を借りて、江戸の近くに造船所を作りたい!」ということでした。そして翌年の1865年1月下旬に上海から横浜までやってきたのです。この時の移動費は幕府が負担しました。
そして、彼らと製鉄所建設に関して吟味したところ、水深に問題なく、地形がフランスのツーロン港に似ていることなどから横須賀に造船所を作ることになったのです。
財政が圧迫していたということもあり、経費240万ドルの内の一部は、国の銅で支払われ、また100万ドル相当は生糸を担保としてフランスから借りました。
横須賀製鉄所の工事は、日本人の職人(大工、左官、鳶、土工など)と雇いフランス人技術者との協力で進められました。そして、作業を進めるうえで使われていたのは日本語ではなくフランス語でした。フランス語を話せる人を通訳として用意はしていましたが、堤磯右衛門のように自分の扇子に日常用いるフランス語を書き込んで、それを見て受け答えをしていたりもしてたそうです。
ちなみに、堤磯右衛門という方は日本で初めて石鹸工場を建設した人としても知られています。今でも、横浜の開港資料館に行くと彼が作った石鹸を復元した「磯右ヱ門SAVON」が売られているんですぞ!!

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製鉄所で金属を鍛造し続けたスチームハンマー

▲記念館の見物であるスチームハンマー
ヴェルニー記念館の中にあるこのスチームハンマーは、蒸気(スチーム)を動力としてハンマー(槌)を持ち上げた後にこれ(上の写真の中心部にあるのがハンマー)を落下させて、加熱した金属素材に打撃力を加えて鍛造(たんぞう)操作を行う工作機械で、19世紀半ばにイギリスで実用化されたものです。
最終的には100年近く働き続け、今現在は日本の近代化が本格的に開始されたころの技術を伝える重要な歴史遺産として、この記念館に保存されています。
上から見るとこんな感じっす!!このハンマーはヴェルニー記念館の一番の見もので、なかなかの迫力がありますね!!
そんで、このハンマーはただ展示されているわけではなく国の重要文化財にも指定されているのです。
そのハンマーの仕組みに関しても割と詳しく館内では説明しています。
なんか子供がジムで鍛えているように見えますが、スチームハンマーを学んでいるのです。彼にはヴェルニーを尊敬して日本の技術を背負って立つ人間になっていただきたいですかね(`・ω・´)
彼の将来の夢は何だ??Youtuberか?(笑)

世界遺産である富岡製糸場とも関りが!?

横須賀製鉄所の主な目的は以下の2つでした。
横須賀製鉄所の主な目的

・船の修理と造船
・西洋の技術を取り入れて日本の工業力を高める
船だけではなく、国内各地の工業用の機械なども製造してその近代化を支えるとともに、高度な技術教育や研究も行われ、ここに根付いた先進技術はのちに全国に伝わりました。その後、1871年には大きな船を修理するための1号ドライドックが完成するとともに、工場の名前を「横須賀製鉄所→横須賀造船所」に改名しました。
▲日本初の西洋式灯台である「観音埼灯台」
横須賀製鉄所が作ったもののうち主要なものとして観音埼灯台があげられます。1853年に開港した日本には、外国船が多くやってくることで近代的灯台の整備をする必要があり、これは諸外国からも国交の条件として提示されていました。そこで作られて1925年に竣工したのが横須賀の観音崎に作られた観音埼灯台なのです。
横須賀製鉄所では、船の製造だけでなくそのほかにも様々なものを製造することができる工場でした。ここで作られたものの代表例が、富岡製糸場(群馬県)で用いられた鉄水槽(鉄水溜)と生野銀山(兵庫県)で用いられたボイラーでした。
▲世界遺産に認定されている富岡製糸場
今や世界文化遺産になった富岡製糸場ですが、この工場の成功には安定的な水の供給が不可欠でした。そこで、横須賀製鉄所の分工場である横浜製鉄所で作られた鉄水槽(鉄水溜)によって問題を解決することができました。
日本は江戸から明治にかけての時期は生糸の一大輸出国であり、長野や群馬や山梨辺りで生成された生糸が八王子に運ばれた後、絹の道などを通って横浜から輸出されていった歴史があります。当初は人によって作られていた生糸ですが、次第に品質にばらつきが出てきたことから工場生産が叫ばれて作られたのが富岡製糸場でした!
この世界文化遺産である富岡製糸場には、横須賀が関わっていたこのような歴史があるわけですな!
続いては兵庫県にある生野銀山に関して。この銀山は珍スポット的要素満々の場所であるものの、ここの鉱山で使われていたボイラーは横須賀製鉄所で作られたものなのです。この鉱山はGINZAN BOYS(ギンザンボーイズ)という謎の地下アイドルを作るなどちょっとよくわからん場所であるのですが、まだ未開拓の場所であるため、詳しくは訪問した後に記事にしようと思います(⌒-⌒; )

日曜日が休日なのはキリスト教の影響?

ちなみに、横須賀製鉄所では船の製造・修理などをしていたという歴史だけではなく、様々なシステムもここで始まっていました。一つは日曜日を休みにするというシステム。
ヴェルニーは熱心なクリスチャンだったこともあり、製鉄所内には礼拝堂の建設を望んだため、集会所を仮礼拝堂として日曜日に製鉄所内で礼拝が行われたのです。そのため、フランス人は日曜日を休みとしていたのですが、実は日本には当時「日曜日=休み」という概念がなかったため、七日ごとに休む習慣には驚いていたそうです。
今は当たり前のように会社員は土日休みですが、日本でのそのサイクルはこの時代から生まれたものなのです!ちなみに、イスラム教国のイスラム暦を使っている国は金曜日が休みであり、ユダヤ教国(イスラエル)・ユダヤ暦を採用している国は土曜が休みになります。
あとは、日本でメートルが使われたのも横須賀製鉄所が初めてでした。それまでは長さを尺で表していましたが、「1尺=303mm」と換算していたんですね。この「303mm」は、建物や部材の寸法として今でも用いられているんだそうです。
という感じです(笑)
記念館はとてもこじんまりしていていますが、横須賀製鉄所建設に関しては本当に多くの物語が隠されており、しかも日本の近代化には欠かせないとっても大事な歴史なんですわね!!以上が記念館に関してですが、製鉄所建設やヴェルニーに関する話はこれ以外にもたくさんあるので以下ではその辺を紹介していくことにいたします!!
続きはこちら!ヴェルニーによって遊郭や水源地まで誕生!?
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