長渕剛の伝説となった「桜島ライブ」跡地では、記念モニュメントが今も叫び続けている!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
2004年8月21日
この日、鹿児島県の桜島では日本の音楽史に残るとあるライブが開かれました。日本を代表するシンガーソングライターである、長渕剛さんが故郷の鹿児島でライブがしたということで実現した、オールナイトライブです。
その場所には、ライブが行われたことを記念してモニュメントも建てられており、九州の取材旅に出た時にちょっと寄ってみたいと思って行ってみたんですね!
ということで、今回はそのライブに関する物語を紹介したいと思います!
本記事のポイント

・2004年8月21日に桜島で行われたオールナイトライブは、75,000人もの観衆を集めた
・ライブの場所は長渕本人が決め、一から整地し直す必要があった!
・ライブが行われた場所には、開催を記念したモニュメントが作られている。

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ライブ会場はどこだったのか??

こちらが、鹿児島県の中心に位置する桜島。島と言っても東側(右側)は陸続きになっています。ライブ会場は南西側にある、上図で示した場所です。このライブ会場は、長渕さん本人が実際に足で探し選んだ場所なんだそうです。
そして人数に関して話すと、この桜島の人口は約6,000人。しかし、ライブの際に訪れた長渕ファンは75,000人ということで、何と島の人口の13倍もの方が訪れたんですね。桜島史上最も人口が多かった時だったんじゃないでしょうか(`・ω・´)
ライブ会場を拡大するとこんな感じです。上の赤く囲った部分がお客さんでギッシリ埋まったエリア。そして、その奥にステージがあったという感じです。一番端っこのお客さんは、長渕をちゃんと見えたんでしょうかね??
そして、ここの会場は整地作りから始めなくてはいけなかったのです。元々は火山灰が積もる不毛の土地だったため、ライブ会場にすべく2年かけて真っ平らにする作業から始めました。ただ、この地をなんで長渕さんが選んだかに関しては、様々な理由があるのですよ!詳しくは、後に説明しますね!

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超簡単に桜島を紹介!

桜島は日本を代表する活火山です。今現在でも火山灰噴き出しまくり状態の活火山なわけですが、この桜島は今現在は大隅半島と陸続きになっています。それは、1914年におこった「大正の噴火」による近世火山史上まれにみる大規模な噴火が原因なのです。
噴煙は8,000mにものぼり、この時に噴き出た火山灰は日本を通り過ぎてカムチャッカ半島にまで到達したとも言われているそうです。
▲鹿児島の街でよく見る火山灰袋
今現在でも鹿児島市内に火山灰は降り積もり、一日中車を駐車していると余裕で灰が溜まります。また、夏には鹿児島市側(薩摩半島側)へ火山灰が降る傾向にあり、冬には大隅半島側に風が吹くため、鹿児島市の住人は夏にはなかなか洗濯物を干せないという傾向にあるようです。
ということで、鹿児島県の多くのエリアでは黄色い火山灰を入れる用の袋が配られ、ゴミ捨て場のように火山灰置き場が町中にあるのです。
日々桜島の火山灰が降り積もるため、地面を見てみると火山灰は色々な場所で見かけるわけです。ただの砂かと最初は思っていたのですが、こんな感じで落っこちているものは全部火山灰なんですな!
▲火山灰に埋もれた「黒神埋没鳥居」
あとは、火山灰に埋まった鳥居である「黒神埋没鳥居」も桜島を代表する名所ですかね。最初に見た時は意図的に埋めてるように見えましたが、本当に埋まっているとのこと。ここに関しては、取材済みなので早く記事にまとめなくては。。
あとは、猫ちゃんがたくさんいます。といっても、彼らは結構臆病でちょっと近寄ったらすぐに逃げてしまうやつらが多いです。 上の写真みたいに、のんきにあくびしたりする奴はレアっすわww
▲桜島に多数作られている避難壕
これ、パッと見だとバス停の停留所に見えますが、ポールがないのでそうではないです。これは避難壕で、桜島が爆発した時にここに逃げて火山灰とかから身を守るようにします。結構見かけたので、幾らかの一定間隔で避難壕が作られていると思います。

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岩崎汽船に乗り、いざ桜島へ!

 
▲桜島と鹿児島市を行き来する「桜島フェリー」
いきなりですが、今現在はわりと傾きかけな岩崎汽船ですが、鹿児島県の企業としては超優良企業でした。鹿児島県では「役所に行くか岩崎汽船に行けば将来は安泰」という風潮があったようですが、現在は事業を広げ過ぎて以前ほどのパワーはないという話を地元の方から聞きました。
ちなみにですが、桜島と鹿児島市は橋でつないでしまうという計画がありました。というのも、鹿児島の二つの半島には大きな交通の便の問題があるんですね。鹿児島市と桜島はフェリーで行き来はできますが、まぁ渡りづらいわけですよ。
さらには、指宿と佐多岬なんて直線距離ではそんなにないのに、ここも渡るのが大変ですし、フェリーが少ないため夜間の場合は鹿児島湾をグルっと回ったりしないといけないというね。。結局、橋を作るというのは、岩崎汽船が猛反対したことで白紙となりましたとさ。。
と、前置きが長くなりましたがそんな岩崎汽船さんが運行するフェリーに乗って桜島へと向かいます。この桜島フェリーは、24時間営業であり15分間隔(深夜は30分間隔)で運行しているため、いつでも鹿児島市と桜島を往復できるし、運賃も大人の片道は160円と大変安いんですね!!
そして、このフェリーは観光客や桜島の住人の方も使いますし、桜島に住んでいる高校生が鹿児島市の高校に通う通学のために使ったりもします。多分、仕事の通勤のために使っている方も割と多いんじゃないですかね??
あと、船には車を乗せることもできますよ!ただし、料金はその分高くなりますけど。。
▲桜島フェリーにある名店「やぶ金」
フェリーの中にあるうどん屋さんである「やぶ金」さん。このお店は、結構名店のようで食べログの評価も非常に高いお店です。確か、長渕さんも以前何かの番組でこのお店をプッシュしていた気がします!!
私は天ぷらうどんを食べました。味はさっぱりしてとってもうまいです!船の乗車時間は15分ほどなので、食べる場合は速いうちに注文しましょう~(*’▽’)
そして、桜島フェリーを下車して桜島に到着です!ここからライブ会場だった場所までは30分以上歩いていきます。今回の九州一周取材旅は車で周っていたんですが、鹿児島市側の駐車場の停めてきちゃったんですよね・・。

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当時の桜島ライブを振り返る!!

ではでは、桜島に到達してここから歩いてライブ会場だった「赤水展望広場」までいったわけです。ただ、その訪問記を紹介する前に、ライブ当日がどんな感じだったのかを振り返ってみることにしましょ~!!

11日前から、ファンは並んでいた!

この桜島ライブは、2年間の期間を経て開催に辿り着いたそうです。公には、2003年12月の記者会見で、「7万人のオールナイトイベントをする!」という構想をぶち上げました。チケットは即完売で、実際には予想を上回る75,000人ものお客さんが集まったとのこと。
75,000人というと、そりゃどえらい人数ですわね!プロ野球の試合で東京ドームを満杯にしても50,000人ですからね。ライブの時間は21:30~翌6:30までの9時間。ライブ会場で一番最初に並んだ男性は、何とライブ開始の11日前から並んでいたという熱狂ぶり。
ライブが始まる数日前、鹿児島市内には長渕ファンの姿が見られるようになったとのこと。早入りするファンが日が迫るごとに増えていったようです。そう振り返ると、長渕ライブというのはある意味その時から始まっていたんですかね。
そして、会場は13:00頃に開き続々とお客さんがやってきました。観客は75,000人であるものの、警察官が600人、さらには警備員は1,000人以上が動員されています。スタッフさんまで入れたら80,000人近い方が訪れていたんでしょうね。
そして、鹿児島県における大問題の一つであろう海上交通問題。桜島は島といっても大隅半島側(東側)は陸続きになっていて歩いてでも車でも行き来することができるわけですが、県庁所在地である鹿児島市側からは陸続きになっていないため、ここは岩崎汽船のフェリーで行き来する必要があるわけです。
▲桜島フェリーで車を載せる場所
桜島フェリーの乗客数は1,500人。船は6隻。普段の日中は15分おきの運行となっていますが、ライブ時には7分おきにピストン運行。そして、普段は車を入れる上の写真のエリアにも人をぎっしり詰めての運行となったのです。
結果的には、それほど大きなトラブルはなく無事にお客さんを運搬できたようで何より。ライブ後には、結構遅くまで会場で待たされたという事はあったようですが、普段は考えられないお客さんを載せ続けたのに何も事故がなかったのは幸いだと思いました。
しかし、このフェリー問題は鹿児島が地元の長渕さんは当然頭に入っていたと思います。でも、長渕さんはこの困難をあえてとは思ってなかったかもしれないですが、作ることによってライブ成功のハードルを上げたと思っています。これは、以下で記載したライブの場所に関する話題でも書いていますが、

午後9時、ついにライブ開始!

そして、21:00ライブ開始。バイクに乗った長渕が登場し、「勇気の花」から始まり、最後はめっちゃ長い曲である「Captain of the Ship」で締められ全42曲を歌いました。こう上空から見ると、すごいっすね!!
75,000人が集まるとこんな光景になるんですな。ステージ上から会場を眺めた長渕さんはどんなことを思ったんだろうか。そして、ライブに行った方々はこのライブでどのような事を得たのだろうか。
曲目はこちらの42曲。
私がこの中で知っている曲は60%くらいですかね。CDで聴いていてもJAPANとかCaptain of the Shipは迫力があるな~と思いました。ライブの細かい状況等は参加していないのでわかんないですね。。でも、もう14年近く前のことになるわけですが、行ってみたかったな~。。
▲桜島からの鹿児島市方面の夜景
海を隔てた鹿児島市からも、ライブの歌声が聞こえていたようで海越しに見とれていた方もいたとのこと!写真で見るとちょっと遠くに見えるかもしれませんが、実際に見ると鹿児島市と桜島はそんなに離れていないんですね!

ライブの様子はCDやDVDに!

ちなみに、ライブの様子に関してはDVDになっているだけでなく、CDにも全曲収まっています。私はというか他の方もそうかもしれないですが、私は長渕や中島みゆき、松任谷由実などのアーティストの場合は、大抵ライブCDは聞くんですよね。
好きな曲だと、だいたいはライブバージョンの方がリアルというかグッとくる率が高いので(*’▽’)
改めてこのCDをTSUYTAYAで借りて全部聴き直しました。あくまでCDを聞いた感想ではありますが、とにかく最初から長渕さんは飛ばしまくりで、「このテンションのまま9時間は無理だろww」と思うほどテンション上げまくり状態でした。
ほとんどの曲でお客さんにも歌わせる箇所があったり、お客さんも手拍子や相打ちをしたり。いわゆる、お客さんは長渕の曲を聞くというよりかは一緒にライブを作り上げていくという感じですね。
最後にCaptain of the shipを歌い終えて、無事6:30にライブは終了。ところが、2015年の富士山ライブもそうでしたが帰りが大変だったとのこと。要は、一斉にお客さんを返してしまうと大混乱になるため徐々に退場させなくてはいけないんですが、そうするとずっと待たなきゃいけない人がいるわけです。
最終的には11:00まで混雑は続いたとのこと。まぁでも特に大きな問題がなかった(のかな?)ようなので良かったですね!!

75,000人が熱狂したライブ会場へ!

フェリー下り場からライブ会場だった場所へはしばらく歩く必要があります。途中に目立ったスポットがあるわけではなく、開けた閑静な道が続きます。周囲にはごつごつとした桜島の溶岩があるという、他の島ではなかなか体験できない空間が広がるんですわ!!
そしてようやく到着したようです。ここを右に曲がると、伝説の聖地に辿り着きます!
▲ライブ会場跡地に造られた「叫びの肖像」
このモニュメントは、あのライブが行われたことを記念して建立された「叫びの肖像」です。ライブが行われた翌年にモニュメントの建立委員会が設立され、ファンや趣旨に賛同した多くの企業や団体の協力を得てモニュメントが完成して、長渕さん本人など15,000人もの観客を集めて除幕式が行われました。
このモニュメントは桜島の島内にあった総量50tもの溶岩が使われており、彫刻家の大成浩氏によって作られました。
▲モニュメントが見つめる先には、桜島が
叫びの肖像が見つめる先には雄大な桜島があります。長渕さんがライブの間、お客さんと桜島に向かって叫び続けていたように、この肖像も今も桜島に向かって様々な想いを叫び続けているのです。
▲桜島ライブの会場跡
そして、ここがライブ会場だった場所。今現在、この先は「桜島イベント広場ゾーン」となっており、普段は立ち入り禁止区域になっています。ここにびっしり人が埋め尽くされ、9時間もの間オールナイトライブが行われていたんですね。
人が誰もいなく、こんな静まりかえった場所でそんなイベントが行われたとは。本当にライブを開催しようと決断した長渕さんやそのほかのスタッフの方々など、相当な覚悟だったんだろうなと。。
桜島のライブ会場だった場所は、赤池展望広場という広場になっています。完成は2009年8月ということで、ライブが終わった5年後に完成したんですね。
そして、この赤水展望広場という場所は、先ほども軽く触れましたが長渕さんが選んだ場所でした。ここは、フェリー乗り場からも30分以上歩かなくてはいけないという、アクセスは言ってしまえば悪い場所。
スタッフなどは、ここよりもフェリー乗り場に近い場所を候補に選んだりしたようですが、長渕さんはそのような場所に対して首を縦には振りませんでした。さらには、都心からのお客さんのために今回のライブツアーを用意して宿なども手配してはとも考えたようですが、これらも実際には実現させませんでした。
長渕さんは、自身の故郷である鹿児島でライブに来るファンに何を伝えたかったのか??ただ単に、屋外ライブをしてお客さんに歌を届ける。ただし、それだけでは桜島でライブをする必要もないし、長渕さんが伝えたかったことを伝えきれなかったと思うんです。
効率性を求め、より便利さを求め続ける世の中において、長渕さんはそのような効率性を排除しました。フェリー乗り場からはあえてファンに歩かせ、この桜島という島を体感・理解して欲しかったと思いますし、宿でもなんでも自分たちで決め自分たちで責任を持つ。
ただ桜島に来るだけでなく、運営する側もファンも困難を乗り越えて共に桜島でその思いを共有する、そんなことを長渕さんは想定していたんだと思います。
2004年というと、私はまだ高校生でした。。もしその時大学生か社会人だったら行ってみたかったな。。ライブの時、バックステージで長渕さんは整体師の治療を受け、脚の感覚がなくなることもあったという、本当に死力を尽くしたライブだったよう。
長渕さんはこのライブが終わった時には「最後に血を吐いて死ぬ!」と言っていたとのこと。ただしファンも何時間もかけてこの場所に来て、その後夜通しで9時間もの間ライブを鑑賞するわけですからそりゃ並大抵の体力や精神力では乗り越えられないわけです。
しかし、やはり当時この場所にいなかったため、ライブの様子を語るには限界があるなと。2015年にもオールナイトライブをやりましたが、さすがに年齢の問題もあってもう今後はやらないような気がしますが、もしやるんだったら行ってみたいな!!

長渕を知ったのは、くりぃむ上田が原因

私が、長渕の曲を聞くきっかけになったのは、くりぃむしちゅーの上田晋也がきっかけでした。くりぃむしちゅーの冠番組だった「くりぃむなんとか」という番組にあった長渕ファン王決定戦という企画。
この企画で、長渕本人が出演してカラオケボックスで本人が歌い様子を見て一気にファンになったんですね(*’▽’)
その後、私が大好きだった「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」というラジオ番組でもしきりに長渕の話題が出てきたりとかして、自分もTSUTAYAでCDを借りるようになり、今ではちょくちょく落ち込んだ時に聞いて勇気をもらっていたりするのです!!
ちなみに、私が長渕の曲の中で特に好きな曲は「Myself」と「ひとつ」です。

おわりに

その後、長渕さんは2015年8月22~23日にかけて再度オールナイトライブを行いました。その名も「長渕剛10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓」。富士宮市の「ふもとっぱら」というキャンプ地で行われました。
このとき長渕さんの年齢は58歳だったようで、それでも長時間のライブを乗り切ったようです。天気予報も前予報だったそうですが、無事に晴れて明け方には富士山も姿を現したとのこと!ってか、長渕さんはもう60歳なんですね。
今現在はそこまでメディア露出はないようですが、今もコンサートとかを行っているんでしょうか。東京ドームとか国立競技場ではない、桜島ライブのような誰もがやらないこのようなライブをやる方は今後出て来るかはわかりませんが、長渕さんは本当に伝説を残したと思います!
また、長渕さんの曲でも聞いてがんばろっかな!以上、桜島オールナイトライブに関する記事でした~~!

参考文献

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詳細・地図

住所 鹿児島県鹿児島市桜島赤水町3629−3
訪問可能時間 いつでも訪問可能
TEL 099-216-1344
アクセス 桜島フェリーターミナル(鹿児島港)からフェリーに乗船し,桜島港下船徒歩約30分
リンク https://www.pref.kagoshima.jp/ac06/pr/kinkowan/spot/v_sakebi.html
備考 現在は廃校になっています。
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