GHQと戦い続けた澤田美喜の軌跡を探るべく「エリザベス・サンダース・ホーム」を訪ねた!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回は、神奈川県の大磯町にあるエリザベス・サンダース・ホームに関するお話です。この「エリザベス・サンダース・ホーム」って何のことだかわかりますでしょうか??
これは、三菱というスーパー巨大財閥を作った岩崎彌太郎の孫である澤田美喜が創設した、混血児童を育成するための施設だったのです。そんな施設が神奈川県にあると知った私は、速攻で伺い取材をすることにしたという感じっす!!
今回の記事も結構長くなるかと思いますが、めっちゃ大事な話だと思うので頑張って読んでくださいね!!では、以下で説明していきます(*’▽’)
本記事のポイント

・澤田美喜は、戦後に混血児童たちを育てるために施設を建設した
・美喜は岩崎彌太郎の孫であり、施設は岩崎家の大磯の別荘が使われた
・隠れキリシタンの遺物を展示しており、澤田美喜記念館に多数展示されている

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澤田美喜記念館は、大磯駅のすぐそば!

▲関東大震災に建て直された大磯駅の駅舎
私が訪れたのは、日曜日の午前。前日は鎌倉の実家に泊まり、母親に誕生日プレゼントを渡すという用をさらっと済ませ、翌日に大磯についたという次第です!!
大磯という場所は東海道の宿場町でもあり、さらには戦後に総理大臣になった吉田茂の家があったりと多くの著名人ゆかりの場所でもあるんですね!駅舎は、1923年の関東大震災で崩壊したようで、今の駅舎はその後に建て替えられているとのこと。
あとは、大磯は日本の海水浴場発祥の地でもありました!さらには、こちらのゲートに書いてあるように「湘南発祥の地」でもあるんですかね。。これに関しては聞いたことないですが。。

大磯の高台に位置する「澤田美喜記念館」

▲「エリザベス・サンダース・ホーム」の入り口
そんな大磯駅から、歩いて1分の場所にエリザベス・サンダース・ホームはあるのです。ここには澤田美喜記念館もあったり、聖ステバノ学園もあったりします。
聖ステバノ学園は、小学校と中学校があり普通に生徒さんが通っている学校であり1953年に小学校が、そして1959年に中学校が併設されました。今現在は、一般家庭からも児童生徒を受け入れているようです。
エリザベス・サンダース・ホームと聖ステバノ学園は、写真の先に写っているトンネルを抜けると姿を現します。エリザベス・サンダース・ホームは現在は児童養護施設となっており72名の生徒さんがいるとのこと。しかし、生徒たちのプライバシーの問題から、ホームに立ち入ることはできません。
ということで、私は澤田美喜記念館へと向かいます。入口の左側の階段を上っていった高台に記念館は位置しているのです。ちょっとした運動っすね。
▲隠れキリシタンのコレクションが展示されている「澤田美喜記念館」
こちらが、澤田美喜記念館。ここには、エリザベス・サンダース・ホームの歴史が学べるというよりかは、澤田美喜が集めた隠れキリシタン(切支丹)のコレクションが展示してあるという感じです。
1階には隠れキリシタン(切支丹)のコレクションがずららららっと展示してあり、2階は教会になっているとのこと。まずは、1階のコレクションから見ていきましょ~!!

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貴重な資料多数!美喜の隠れキリシタンコレクションの全貌!

▲隠れキリシタンの遺物が展示されている1階
こちらが1階っす!1部屋のみではあるものの、この部屋に数多くのコレクションが展示してあります。というか、「そもそも隠れキリシタンってなんすか?」と思う方もいるかもしれないので、その解説からしていきましょう!!

隠れキリシタンの歴史とは!?

▲長崎市にある浦上天主堂
そもそも、日本のキリスト教の歴史は今から460年も前の1550年から始まります。当時、貿易港だった長崎県の平戸に、一人の南蛮人がやってきたわけです。彼はイエズス会という修道会に属する宣教師であるフランシスコ・ザビエル。
彼が長崎の地でカトリックの布教を始めると、彼が去った後も他の宣教師が布教を引き継いでキリシタンがどんどん増えていくようになります。しかし、ここで豊臣秀吉が貿易の地である平戸で広まるカトリックに恐れを抱いてキリスト教の信仰を禁止することにしたのです。
これによって、キリスト教を信仰する者は処刑され弾圧されていくため、それでもキリスト教を信じる者は隠れながら密かに進行するようになり、そこから隠れキリシタンと言われるようになります。そのため、長崎県の西側や五島列島辺りではキリスト教の教会がたくさんあり、近いうちに世界遺産にも認定されるらしいっす!!
▲長崎にある原爆資料館
隠れキリシタンに関しては、以前に一ヶ月の九州一周取材旅をした際に結構調査済みだったんですけどまだ放出できていませんでして( ;∀;)
教会だったり、生月島の隠れキリシタンの歴史が学べる博物館、もっというと長崎の原爆や『長崎の鐘』で有名な永井隆に関してなどなど、まだまだアウトプットできていないネタがこれでもかというほどあるので、時間はかかりますがチビチビ放出していくことにしましょう!!
▲今も300人の隠れキリシタンが生活する「生月島」
澤田美喜は、熱心なクリスチャンでもあり九州の島々を巡り歩いて殉職者の子孫からかき集めるなどして800点近くもの遺物を集めたとのこと。今現在博物館に展示しているのはまだ全コレクションの3分の1しか出していないんですって。。
澤田美喜と隠れキリシタンの殉職者たちとの出会いは、サンフランシスコ-横浜間の船の上で読んだ本のようです。ここで読んだ本をきっかけに隠れキリシタンたちが殉職されたという事実を知り、それら40年間かけて品々を集めていきます。
混血児童達を守っていく最中、彼女の心の支えの一つでもあったようで、幾度もこれらの遺物の前で祈り続けていたのだそうです。
それでは、以下で記念館にあるいくつかの貴重なコレクションを紹介していきたいと思います!!

マリア像に似せた仏像たち

こちらの像は、足が付いていたのですが米俵に隠すために、足を取っ払ったものらしい。。当時はとってもきれいだったようですが、今はさび付いている感じになっています。ただ、未だに一部に金が残っていたりするんですね。
ちなみに、この像は右手にいちじく(無花果)を持っていますが、この果物は聖書の中でもよく出てくるんだそうです。キリスト教に関してそこまで知識がないので話を広げることができないのが無念。。
こちらの像は、何かの観音像かと思いますよね??
ところが、この仏像の両腕には未熟児が抱えられているのが分かります。いわゆる、よくある仏像とは違って「仏教を信仰していますよ~」といいつつも実はマリア様を意識して祈るためにこのようにマリアっぽくしているみたいなね( ;∀;)
この像だけでなく、ここに展示してあるような隠れキリシタンのコレクションは、恐らく作者も隠れキリシタンだったのではないかと言われていると聞きました。

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仏像に隠された十字架

こちらの仏像はどうでしょう??
これは木彫りの「天神様座像」です。こちら側から見ると特にキリスト教要素はないように見えるわけですな~。ところが、これを裏から見るとある事実が隠されていることがわかるんですね~~。
▲仏像の裏には、ちっちゃなキリストが隠されている
見えますかね?裏に回って、ここにはめられている物をはずすと、その中には超ちっちゃいキリスト像が隠されているわけですね~。ってことなので、この仏像に祈りをささげているようにはたからは見えても、祈っている隠れキリシタンはこの隠されたキリスト像に対して祈りを捧げているわけです。
一体ここまでして信仰させたのは何だったんでしょうか??当時の時代背景など、色々な要因が絡み合っていると思うんですがね。。この問題を考えるということは、当時の人々が日々をどのような想いで生きていたか、そして彼らの精神構造などを知る上でとても重要な事だと一人考えたり。。
続いてはこちらの像。これは何像かわかりますでしょうかね??
七福神のうちのどれかなのですが、打ち出の小槌を持っているので大黒天像になります。逆光で暗くなってしまったのは私の写真技術がクソだからです( ゚Д゚)
で、この大黒天さんに関してもこちらが分からん見る限りはいたって普通の像なわけですが裏を見るとビックリなのです!!
ほ~~れ!裏をパッカ~~~ンと開けると中にはキリストが隠されているではないですか!!今まで知の冒険を始めてかなりの数のお寺に行って大黒天像は見てきたものの、こりゃすげぇわ!!
仏像とキリスト教が一緒くたになっているのは仏像マニアとかだとよだれものなんじゃないですかね??
仏像に限らず、こんなお皿にも十字架が隠されているんですね〜。
これはお皿に書かれていたものを拡大したやつっす!!「福」の文字でいいんですかね?ここにもよく見ると十字が隠れていたり。。
この赤絵皿はどうでしょう。。お皿の周囲をよく見ると、十字架的なバッテンの文字が所々に描かれているのはお分かりでしょうか??

日本に3枚しかない不思議な魔鏡

続いては、魔鏡(まきょう)に関するお話です。魔鏡というのは、別に悪魔が写りこむような鏡という意味ではなく、日本人の職人さんが織りなす高い技術が練りこまれた鏡なのです。
その魔鏡がこちら。なんと、日本には3枚しかないというかなり希少な鏡なんですね。一見すると、ごく普通の洗面台にでも置いてあるような鏡に見えますが、ただの鏡じゃないんですよ~~!!
この鏡は、人間国宝にも選ばれている京都の鏡師である山本さんという方が作成したもの。隠れキリシタンの方々が実際に使っていた鏡ではなくレプリカではあるのですが、レプリカと言えども技術が無ければ作れないものなんですね!!
では、何が「魔」なのか??以下で実演してみることにしましょう!!
▲壁に写すと、何故かキリストが・・
どういう鏡なのか、実際に館長の方に実演していただきました。上の写真に写っていますが、鏡に光を当てて反射させ、鏡に映すとその謎が解明されます。なんと、壁には十字架に張り付けられたキリストの絵が浮かぶわけです。
えっっっっ、何で( ゚Д゚)
これは鏡に高度な技術が織り込まれているようですが、この鏡を作る職人さんは後継ぎがいないようです。

刀の鍔に隠された十字架

こちらに展示してあるのは鍔(つば)です。唾ではないですよ(笑)
刀見と柄の間にある鍔には、十字架などが刻まれておりこれらはキリスト教が禁止されていた期間に作られたもの。専門家でも目にすることの少ない貴重なコレクションなんだそうです。展示されているのは、室町時代後期から江戸時代にかけて制作された48点。
特に右側に展示してある鍔は、キリスト教が禁じられる前に製作されていたもので鍔の形自体が十字架をしていますね。まぁ禁止されていない時期に作られたものなので隠す気はないってことっすわ(*’▽’)
ところが、キリスト教が禁止された頃に作られたものとなると、そうはいかないわけですね!!こちらの写真に写っている鍔は、表向きはキリスト教要素がないものの表を裏をずらすと、あらビックリ( ゚Д゚)
中には、十字架に張り付けられたキリストの像が現れるんですね。このようにして、禁教以降は、先ほどうえで紹介した像のように十字架が目立たないように工夫されていくわけです!
記念館には鍔が367点あったものの、館長である西田恵子さんが半年ほどかけて整理してさらには鑑定を依頼したとのこと。48点はキリシタン鍔であるということになり、そこ他の品はっきりとそうとは言えないものだったという。

莫大な富を築いた岩崎家

そもそも、岩崎家の三菱創業の歴史は高知出身である岩崎彌太郎から始まります。岩崎家の物語は、今度上野にある旧岩崎邸を取材しようと思っているので、いつ書くかわかりませんがその記事にて詳しく書こうと思っているというか私も勉強しないとわからないことが多いので、本記事では超簡単に!!
美喜のおじいちゃんである岩崎彌太郎は土佐藩の人間である者の、後に長崎の土佐商会の経営を任されることになります。長崎では蘭方医のシーボルトなどの偉人に会っていたりと広い知見を持っていたと思われます。
▲岩崎彌太郎も惹かれた三大花街「丸山遊郭跡」
ただ、そんな彌太郎氏は高知の田舎出身ということもあってか日本三大花街といわれる丸山遊郭の華やかさに見とれてしまったのか、遊郭に入り浸るようになり、なんと借金をするまで遊びまくったとのこと。。
その後、土佐商会は海運業に手を伸ばし、名称も「土佐商会→九十九商会→三川商会→三菱商会」と名前を変えていきます。海運業としては、台湾出兵や西南戦争を機に需要が伸びて巨額の富を築いていくのです。
▲海運の歴史が学べる「日本郵船歴史博物館」
ちなみに、今の会社でもあるボーナスという仕組みは岩崎彌太郎氏が初めて行ったシステムなんだという話も聞いたことがあります!私が大好きな横浜には、日本郵船の博物館がありそこでも海運の歴史や岩崎彌太郎氏の事を学んだりもできるんですな~。
ここは2回ほど訪問しているんですが、写真撮影ができないということもあって記事に出来ていないんですよね~。。
▲上野にある旧岩崎邸
三菱というと今でもたくさんの関連会社がたくさんありますが、岩崎邸は美喜が生まれる5年前に建てられた建物です。ただでさえこの岩崎邸がどえらい建物なのに、これだけではなく石庭で有名な清澄庭園や、しだれ桜がとても綺麗な六義園(りくぎえん)などなど、たくさんの別荘を持っていてもう、今のお金持ちとは桁違いのウルトラハイパー金持ちだったわけです。
岩崎家は、庶民感覚があったこともあって「こんなたくさん敷地を持っていても・・」ということで、六義園(旧駒込別邸)と清澄庭園(旧深川別邸)を東京都に無償提供しています。
▲しだれ桜で有名な「六義園」
六義園なんて桜の時期はすごいっすよ!満開の時期にライトアップを見に行く際は、結構行列するのと、凄まじい人口密度になるので覚悟をもって見に行ってみてください!ただし、ここの枝垂れ桜はマジで感動ものです(*’▽’)

小岩井農場も岩崎家が出資した農場だった!

▲日本の中でもとくに有名な「小岩井農場」
さらには、岩手県にある小岩井農場も岩崎家が絡んでいたりします。小岩井農場の「小岩井」とは、地名ではなくて「小野義眞(ぎしん)」「岩崎彌之助」「井上勝」の3名の頭文字をとってつけられた名前です。
岩崎彌之助は岩崎彌太郎の弟なんですね。彌之助は彌太郎の死後に三菱を引き継いで2代目の社長の座に就いた方。公共事業のために荒野を切り開きたいという小野が井上と彌之助を引き合わせ、最終的には彌之助が想いに賛同して資金の提供し、井上が場主となって開設されたのです。
そんな感じで、「実は岩崎家が絡んでいる」という場所って探すと色々あると思うんですよね!と、すんごく簡単に岩崎彌太郎氏について書きましたが、続いては今回の記事の主人公である美喜氏について。
続きはこちら!澤田美喜はなぜこのような施設を作ったのか!?
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