GHQと戦い続けた澤田美喜の軌跡を探るべく「エリザベス・サンダース・ホーム」を訪ねた!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

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澤田美喜はどのような人物だったのか

美喜は岩崎彌太郎の長男である岩崎久彌の長女として誕生します。3男3女の4人兄弟であり、外交官である澤田廉三氏と結婚します。
▲岩崎家の集合写真
今回訪れた澤田美喜記念館には、岩崎家の集合写真がありました。当時は既に岩崎彌太郎は亡くなっているのでここには写っていません。美喜は中心に立っている着物を着た女性です。右下に写っている髭を蓄えた方が久彌氏ですが、なんか夏目漱石に似ている気がする(*’▽’)
▲岩崎家が暮らしていた和館
美喜は1901年9月19日に生まれます。彼女が生まれる5年前に上野に岩崎邸が出来、彼女はそこで育つことになります。ただし、洋館はあくまで招待部屋的な要素が強く、岩崎家は隣の和館で暮らしていました。
岩崎家はスーパー金持ちでもあり敷地が超デカかったため使用人が50人近くもいました。掃除係りや電気技師、さらには庭の手入れをする庭師や盆栽師もいたとのこと。しかし、生活自体はとても質素だったようで物を大切にすることを繰り返し教えられ、着物は兄のお下がりを着ていたりしていたそうです。
美喜は幼稚園には女子高等師範学校附属の幼稚園に入園し、高校まで進学。その後、澤田廉三とお見合いをして結婚。澤田は外交官だったこともあり結婚後は海外へ行くこともあり、それにより美喜は外国で英語力を磨いたりもしたのです。
その他にもいろいろエピソードはありますが、彼女の前置きはこのくらいに!

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占領軍に接収された日本

▲戦後7年もの間、接収され続けた横浜
戦後、1945年8月28日にGHQが厚木飛行場に降り立ち日本の占領政策が始まります。多くの米軍が日本にやってきて接収していく様を敗戦した日本人はただただ見つめることしかできなかった当時。
今と違って当時は、円安ドル高状態。つまり、ドルの価値がめっちゃ高かったんですね!!そのため、貧しい日本人女性達は体を売るにしても外国人を相手にした方が金銭的に助かったりしました。

外国人に体を売る娼婦が街に佇むように・・

私が重点的に調査している横浜でも「パンパン」と言われる女性たちが夜の街に佇みアメリカ人を相手に体を売って日々を生き抜いていたわけです。
横浜ではそのような娼婦の中でもメリーさんは名が知れた娼婦でした。彼女は横須賀にいた時代から外国人というよりかは割と位の高い相手に体を売っていたそうですが。。彼女は西日本のとある場所の出身なのですが、最初は横須賀にいたそうですが、後に横浜の伊勢佐木町周辺に居座るように。
▲メリーさんが寝床にしていたGMビル
メリーさんは家がなかったため、GMビル(今も現存)という建物を寝床にして野宿をし続けていました。真っ白い化粧をしたドレス姿だったこともあり、周囲からは注目され普通でない見た目だったため、煙たい目で見るような方も多かったとのこと。
▲大衆酒場「根岸屋」の跡地
娼婦たちは色々な場所で立ちんぼをしていたようです。その中でも、根岸屋という大衆酒場は無法地帯だったようで、さらにはここの周囲にはヤクザに払う場所代(みかじめ料)も払わなくて良いエリアだったことから、お店の周囲に娼婦が立ち並んでいたりもしていました。
今ではコインパーキングになってそんな歴史はみじんも感じないようになっていますが、終戦後はそのような波乱万丈な様々な出来事があったんですね。
その他に、横浜には本牧という場所にはチャブ屋という外国人専門の売春街があったり、横浜はそんな荒れたというかカオスというかそんな状態が戦後続いてたんですね。横浜に限らず、東京の都心でもそのような方は多かったとか。。

横浜の根岸外国人墓地に眠るGIベビー

▲JR山手駅の近くにひっそり佇む「根岸外国人墓地」
米軍との日本人女性との間に生まれた子供はGIベビーと言われていたという。横浜にある根岸外国人墓地は、GIベビーといわれていた混血嬰児達が眠っているという噂があるんですね。
ネットでもその辺のことは書かれているもののその辺の事情に詳しい方から話を聞けていなく、何とか知っている方から聞きたいと思っていた墓地だったりします!!
▲墓地の奥地には、お墓が散乱。。
ただ、館長さんもここの詳細は特にご存じないとのことでした。実は、ここの墓地に関しては平日に伺い(平日しか空いていないのでww)管理人さんに話を聞いてみたのですが、管理人さんは「うちはここを管理しているだけで、詳しい背景はわからないんですよ~」とのこと。。
管理してるんだったら背景くらい調べてくれやって思っちゃいましたが、何も知らないということでここの調査は頓挫(とんざ)している状態なんですね。。
ただ、墓地を綿密に調査をして自分なりにいろいろ仮設は思い浮かんでいるので、その検証をしたいのですが誰か知っている方はいないのだろうか。。ここの他に、横浜には外国人墓地が3箇所あるので、その辺も調査しながらいろいろ当たってみるしかないっすかね。。

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エリザベス・サンダース・ホームの背景に迫る

そのようにして、外国人との間に子供が生まれたりして混血児が増えた戦後。
戦後の日本では、混血嬰児が至る所で放置されていて、美喜もその光景を見てきたわけです。ある時は川に黒い嬰児が浮かんでいたり、通りに青い目を半分開いた白い肌の赤ん坊の死体を見たり。。このような光景に美喜は驚きと憤りを覚えるようになるのです。
さらには、一等書記官としてイギリスに赴任した夫とともにイギリスで暮らしていたときの事。そこにある「ドクター・バナードス・ホーム」という孤児院を訪ねた際に、そこで明るく暮らす子供たちを見てその様子に心を奪われたりもしました。
そして、「エリザベス・サンダース・ホーム」設立を決定づけたのが東海道線の下り夜行列車に乗っていたときの事。美喜が乗った電車の棚には、持ち主不明の紫色の風呂敷包みが棚に置いてありました。警察官が誰の荷物なんだと問い詰めるも誰も反応しない。。
そして、あらぬことに近くにいた美喜が疑いをかけられたのです。そして警察官は「パン助め!次の駅で降りろ!!」と罵声を浴びせ続けたのだという。。それにより、周囲の乗客にも煙たがられ、すっかり犯人扱いされてしまうんですね。。
そのような経緯があり、美喜は孤児院の設立へと動き出すのです。ホームの設立場所は、岩崎家の大磯の別荘を使おうとしました。ところが、「敵国の子供だぞ!!」と反対の声もあったものの父親の久彌は賛成をしてくれました。ただ、戦後は財閥解体により岩崎家の土地や財産の多くは占領軍に没収されてしまうのです。
そのため、大磯の別荘は政府に物納してしまったため、とり戻すためには進駐軍に直談判するしかなかったのです。そこで、美喜は外交官夫人として磨いた語学力を使って、いざ交渉することに!
そして、6ヶ月以内に当時の価値で361万5千円を払うという条件になるわけですが、今の額にするといくらなのかわかりませんが、当時としてはかなりの額だったようで、美喜は持ち物全てを売り払い、実業家から高利で金を借りることで期限内に支払うことが出来たわけです。
「エリザベス・サンダース・ホーム」という名前は、エリザベス・サンダースという実在したイギリス人女性の方の名前が用いられています。
澤田美喜記念館からは、開けた大磯の海岸を見渡すことができます。最初にも書きましたが、大磯は海水浴場発祥の地でもあり、多くの著名人たちの別荘が建てられた場所。
エリザベス・サンダース・ホームで育てられた混血児達を、美喜はこの海岸で泳がせあそばせてあげたいと思っていたのです。しかし、周囲の目もありそれはできなかったんですね。残念なことに。。
そこで、美喜は夫の実家である鳥取の海で彼らを連れて海水浴をさせたのです。もちろん、これは全て美喜の自腹であり、新幹線などもない当時は彼らを大磯から鳥取まで連れて行くのはとても大変だったのではと思います。
ここには昭和天皇・香淳皇后も訪れていたとのこと。後ろにすんげえ数の男たちがいますけど彼らはみなボディーガードさんたちかしら??
昭和天皇が訪れたのは1955年10月30日のことでした。終戦から10年経った頃のことですね。サンフランシスコ講和条約が1952年に締結された後ということもあり、米軍の締め付けも和らいだ時期。戦後復興を目指している最中で、昭和天皇も色々大変な時期だったでしょうね。
彼女は、30年もの間で約2,000名もの混血児童を守り育ててきたわけですが、最後は心不全によって日本ではなくスペインの地で亡くなりました。隠れキリシタンをコレクションしていただけでなく、こんな施設まで作ってしまうとは本当にすごい女性だったんですね。
▲館長さんから提供していただいた資料
今回、記念館を訪れた際には館長の方から多くの資料も提供していただき記事を書かせていただきました。ホーム設立は、本記事では書ききれない程様々な物語がありますが、もう少し詳しく知りたい方は以下で紹介する青木氏の書籍を読んでみてはいかがでしょうか。
この記念館はほとんど世に宣伝をしているわけではないので、存在を知っている方はあまりいないと館長さんもおっしゃっていました。でも、こういう方が先人にいたという子とはとても大切な事であるし日本人の誇りでもあると思います。
多くの方が、記念館を訪れて澤田美喜氏の事を知っていただければ幸いですわ!

青木冨貴子氏の名著

今回の記事は、青木冨貴子さんが書かれた『GHQと戦った女 沢田美喜』という本を読んだことがきっかけでした。地元の本屋さんをうろうろ徘徊していて、たまたま発見した今回の本。
澤田美喜記念館の館長さんももちろんご存知で、というか記念館でもこの本は売っているんですけどね(*’▽’)
青木さんは、大磯でも講演をしていたようで本によると10年近く今回のテーマに関わってきたとのこと。今現在は亡くなってしまった鯛茂さんやかつてこのホームで育った方にも取材をしている本で、大変勉強になり、今回の記事を書く上でも参考にさせていただきました。
ということで、記事を読んで興味を持った方はぜひこの本を読んでみてみてくださいなm(__)m

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おわりに

いや~また長い記事になってしまった。美喜さんのおじいさんである岩崎彌太郎の生涯にまで足を踏み入れるととてつもない長さになるので、その辺は岩崎邸を訪れた時の記事にでも詳しく解説することにしますかね!!
澤田美喜記念館は、大磯に何度か取材で来ていたものの本当に知らなかったです。いろいろ視野を広げてみると本当にたくさんの発見があるものなんですね。そして、探求心をもって探してみると本当にたくさんの偉大な先人がいるということを思い知らされます。
私が専門的に調べている横浜の歴史にも混血児のテーマは関わってくるので、この問題は引き続き調査を続けようと思います!!では、今回はこの辺で!

参考文献

詳細・地図

住所 神奈川県中郡大磯町大磯1152
営業時間 10:00〜16:00
休館日 毎週月曜日
入館料 大人:500円(団体15名様以上:400円)
中学生以下:無料
シニア(65歳以上)、高校生・大学生:400円
障がい者手帳保持者:無料
TEL 0463-61-4888
駐車場 無料
アクセス JR大磯駅から徒歩2分
リンク http://www.elizabeth-sh.jp/
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