陸上自衛隊が押し寄せた京都の「猪崎遊郭」の歴史とは?

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
日本には色々な場所に遊郭と言われる街があったわけです。知の冒険を始めてから色々なことがきっかけで遊郭巡りを行っているわけですが、そんな中今回は京都府の福知山市にかつてあった「猪崎遊郭(いざきゆうかく)」という遊郭があったようなので、その歴史の痕跡を探すのが今回の記事の内容になります!
では、いってみましょ〜!
本記事のポイント

・猪崎新地は、猪崎城があったことで「城山新地」とも呼ばれていた
・今現在は、趣のある建物はが多く残る住宅地になっている
・近くの神社などには「遊廓」と刻まれた石燈などが残る

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猪崎遊郭はどこにあったのか

猪崎遊郭
猪崎遊郭は上地図の場所にありました。GoogleMapでも「猪崎新地遊郭跡」という名称で位置を検索できるのがちょっと驚き!
福知山駅から歩くと、由良川を渡った先にこの猪崎遊郭がある形になります。後に述べますが、猪崎遊郭へはタクシーで来る方が多くその停車場も遊郭の中にあったそうです。

猪崎遊郭について

猪崎遊郭
▲猪崎新地跡のメイン通り?
では、猪崎遊郭について軽く説明いたします。名称としては猪崎新地とも言われていますが、昔はすぐ近くの丘の上に猪崎城という城があったことから城山新地ともいわれていたそうです。
お客さんとしては地元の方もいたのですが、多くは近くに陸上自衛隊の福知山駐屯地があったことから、自衛隊の方が押し寄せていたそうです。茨城の桜町(土浦)も予科練の方が多く来ていたそうですし、川崎の堀之内や南町は近くの東芝やJFE(旧日本鋼管)の方が来ていたなど、赤線や遊郭跡の近くにはそういう基地や工場があることが多いですね。
今ではすっかり住宅地となっておりますが、まだ当時の面影を残す建物などが残っている遊郭跡です。

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猪崎遊郭の痕跡を探す

猪崎遊郭
▲当時の趣(おもむき)を残したような建物が多い
当時の面影を残した建物はまだ多く残っていました。多くの遊郭跡は火事で焼失したりという運命をたどっている場所が多いものですが、ここは単純に建て替えてなくなっているだけだからでしょうかね。
猪崎遊郭
何かの紋様のようなものが残っている。
猪崎遊郭
こちらは、3階建ての建物。だが、3階部分だけが当時の面影を残すというなかなか面白い光景ですね〜。
猪崎遊郭
裏側から見ると、これまたおもしろい。屋根が4段にわたり段々になっている。
猪崎遊郭
猪崎遊郭
こちらはかなり廃れていてだれも住んでいない妓楼跡。建物の中にはどんなものが残っているのでしょうか??当時の面影を残す貴重なものとかが残っているのではないかと期待したい。。

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当時の遊郭を知る人と出会う!

遊郭跡を一通り歩き写真もそれなりに撮った。そんな中、一人のおばあさんに声をかけられました。
お婆さん:「お兄さん、そんな格好で寒くないの?」
私:「ちょっと寒いです(笑)」
ここで、もしかしたら遊郭について何か手掛かりが得られるかと思い、遊郭について聞いてみることにしました。
私:「この周辺って昔遊郭だったんですよね・・」
お婆さん:「あ、そうなのよ・・ここはね・・」
ということで、ここから遊郭についていろいろ貴重な話をしてくれたためその内容を紹介していきます。

猪崎遊郭の歴史を紐解く

お婆さんからは色々な当時の思い出話を教えていただきました。話しかけてくれたおばあさんは70歳過ぎではないかと。生まれた時からこの地に住み、今は散髪屋を営んでいるようでした。ここが遊郭だったときは、夕方の15〜16時辺り以降は外に出ないようにと親から言われていたそうです。
ここの遊郭は全国や地元の方も客としてきていましたが、主には陸上自衛隊の福知山駐屯地の方が訪れていたという。女の子は床几台(しょうぎだい)に座り、男どもが女の子を指名しては置屋の中に入って行ったという。

猪崎遊郭の昔の姿とは?

猪崎遊郭
▲かつてのタクシーの停留所跡
また、メインストリートの通りのお店を説明していただきました。ここは昔は多くのタクシーの停留所だったそうです。猪崎遊郭は福知山駅からも少し離れた場所にあるため、タクシーを利用する人が多かったそうです。
猪崎遊郭
このオレンジの垂れ幕がある建物はふとん屋さんだった。その隣はお寿司屋さんだったんですって。置屋などに出前を持って行っていたそうで当時は繁盛していたんだそうな。そんで、話してくれたおばあさんは当時余ったお寿司を食べさせてもらっていたんですって。今ではその跡形はなく、当時を知る方からしか聞けない貴重な話だ。
猪崎遊郭
「この辺りは全部置屋だったのよ」と当時のことを語ってくれました。置屋にはどこも綺麗な庭があったそうです。1Fではお茶などを飲ませているため、そんなお客さんには綺麗な庭を見せていたという。ただ、さすがに庭までは偵察できませんでした。。
置屋の人たちは結構儲けていたそうです。遊女はどんな子だったかというと、おそらく貧しくて全国から売られていた若い女の子が大半だったのではないかという。中には中学校を卒業したての子もいたようで、ということは15,16歳辺りの女の子がいたということですね。若すぎやろ・・。
また、病気も結構大きな問題だったようでお婆さんとは別の地元の方から聞いた話だと、病気をもらって帰ってきたやつも割といたそうだ。
猪崎遊郭
また、おばあさんの家は散髪屋さんだったそうな。当時この遊郭には3店舗ほど散髪屋さんがあったそうです。お客さんである男の人の髪を切る他、女郎さんの髪も仕上げていたそうだ。
猪崎遊郭
▲女郎さんの寮だった建物
この一風変わった建物は女郎さんが住んでいた寮だったそうです。カフェー風の建物っぽい看板建築のものですな。なんでこれだけこんな看板建築をしているんでしょうか?
猪崎遊郭
正面から見るとあのように見えますが、裏から見るとこうなっておりましたwww

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かつてあった猪崎城

猪崎遊郭
猪崎遊郭跡を進んでいくと、ちょっとした丘が現れるのです。この上には猪崎城という城が建っていたようです。ということでせっかくなのでちょっくら登ってみることに。
猪崎遊郭
 ほんの5分ちょいで丘の上にたどり着くことができます。
猪崎遊郭
▲猪崎城が建っていた場所は更地に・・
丘の上には城があった痕跡は全く見られませんでした。もうちょっと城あった感出してもよくねぇか??猪崎遊郭はこちらの猪崎城が近くにあったことから城山新地と呼ばれていたそうです。しかし、ネットで色々調べてみても城山新地という文言はなかなか見つけることができない。
猪崎遊郭
しかし、城山という名称は猪崎新地跡で確認することができました。いつからかすっかり猪崎遊郭や猪崎新地と呼ばれるようになったそうです。

神社で遊郭の痕跡を探す

猪崎遊郭
こちらの神社は裏山を登った途中にあった神社。名前は福本稲荷大明神と書いてありました。鳥居や祠など、きちっと残っている神社でありました。
猪崎遊郭
探ると灯篭に遊郭の文字が残っておる。
猪崎遊郭
遊郭中という文字が彫られております!
猪崎遊郭
▲「遊廓」という文字が刻まれている
それだけではない、狛犬の麓にも遊郭の文字がきっちり掘られていました。まあ、おばあさんと話した時点でかなり満足だったのですがこんな場所にも痕跡が残っていたのですね。
猪崎遊郭
▲福知山駅の近くにある「御霊神社」
それだけではなく、由良川を渡り福知山駅の方へと足を運ぶと御霊神社という割と大きめな神社があります。この神社にも猪崎遊郭の痕跡が残っていました。
猪崎遊郭
それがこちら。燈篭には「昭和三年四月」と彫られていました。昭和3年なので1928年と今から90年前のものですね。そんな昔のものが残っているとは実に感慨深い。
猪崎遊郭
90年前とは思えない程綺麗に彫られた状態でした!

おわりに

遊郭探訪を始めて、たまたま現地の生情報を得ることができた猪崎遊郭探訪でした。知の冒険を始めるにあたり、最初はあまり声をかけることがなかったというかそういう勇気が持てなかったのですが、最近は声をかける機会があれば積極的に声をかけるようにしています。
歴史を学ぶ上で、机の上やネットで調べるだけだとなかなか実感が湧くものではないですが、実際に当時を知る方から情報を得るとかなり現実味がある情報となる。今後も、そんな経験を積んでいきたいと実感した猪崎遊郭探訪でありました。

参考文献

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詳細・地図

住所 京都府福知山市猪崎1207-36
アクセス 車で行く形になります。
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/猪崎
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