山口県の「回天記念館」には特攻隊員の肉声や遺書が残されていた!

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二人の青年によって考案された回天

ではでは、ここから回天記念館の続きを!

回天を考案した黒木大尉・仁科少尉

回天の背景に関しては前回の記事にまとめたのでそちらをご覧いただければと思いますが、回天を作ったキッカケになったのは上の写真に写っている二人の青年将校でした。

彼らは、戦局が悪化したことで、いよいよ本土決戦が迫っていた状況の中、何とかして戦局をひっくり返すことができないかと策を練っていたんです。そんな中で誕生したのが、人間魚雷を改造した特攻兵器『回天』だったのです。

館内には回天に関する説明や遺品が展示されております。静かでちょっと厳かな雰囲気。こうした遺品はいろんな戦争博物館で見させていただきましたが、いつ見ても考えさせられるものがある。。

今からそんなに遠い昔でもない75年前に、こうした戦争があったんですもんね。。

特攻で亡くなった方々の遺影

回天の特攻作戦では、最終的に100名以上の方々が命を落とすことになりました。記念館には彼らの遺影も展示されております。

皆、国を想って亡くなっていったのか。。本当に、頭が下がります。

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特攻隊員が残した肉声と遺書

特攻直前に録音された音声

そして回天記念館には、回天に乗って特攻に向かう直前に録音された隊員の肉声を聞くことができます。

この肉声は、1944(昭和19)年1月9日に大津島基地からウルシー泊地に向けて出撃した塚本太郎少尉が残した言葉です。回天搭乗員では、肉声がこうして残されているのは唯一のケース。

スイッチを押すと、2分30秒にわたり塚本少尉の肉声が流れます。

この時に流れた音声は、今でもはっきり記憶しています。悲観することなく、はっきりとしたしゃべり方から、今から本当に特攻に出るのかと思ってしまうほど。。

このギャップが何とも切ない、、

「みんなさようなら、元気で往きます」という言葉を残し、塚本少尉は戦地へと向かったのでした。

特攻に向かった方々の遺書も

その他には、回天での特攻に出た方々の遺書も展示してあります。知の冒険を始めて、太平洋戦争に興味を持ち、知覧特攻平和会館、万世特攻平和祈念館、大刀洗平和記念館、江田島海軍学校、靖国神社の遊就館など多くの戦争関連施設に行っては、特攻に向かった方々の遺書を目に焼き付けてきました。

まだ17歳とか、あどけない青年だった方々ですが、多くの方の遺書がとてつもなく達筆なんですね。本当、どんな心境で書かれたのだろうか。

でもですよ、今まで訪問したいくつかの記念館では特攻隊の方々の遺書を見て涙を流されている方を見ることも多々ありました。。若い女性とかです。そういった光景を見ると、国を想って若くして亡くなったものの、彼らの想いは今でも引き継がれているはずです。

来て本当に良かった・・

館内はそこまでデカくないこじんまりとした建物ですが、実際に訓練基地があった場所で、こうして歴史を学ぶというのは本当に大事なことだと思っています。

ネットで何でも調べられ、情報を得るだけであれば家でも容易になっている現代ではありますが、現場に行くことは本当に大切。

一通り館内を見終わった後、再び館長の方と30分ほどですかね、いろんなお話をさせていただき、最後には名刺交換もさせていただいて博物館を後にすることにしました。

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今も残る魚雷発射場跡地へ!

魚雷発射場跡地に続くトンネル

記念館を去った後、船に乗る前に魚雷発射場跡地へも足を運ぶことにしました。

ここで前のページでも確認した島内の配置図をもう一回確認したいのですが、船の乗り場や先ほど訪問した回天記念館は上で示した通り。

そんで、そこから少し離れた場所には「魚雷発射試験場(回天訓練基地)」という見所もまだ残されているので、最後にそちらへと向かうことに!

基地へは回天を輸送するためのレールが敷かれ、このレールを使って回天を輸送していたそうです。そして訓練基地と宿舎の間にはトンネルが掘られ、搭乗員の方々はこのトンネルを通って基地と宿舎を行き来していたんですね!

このトンネルは、長さは247m、高さはおよそ4m。現在でもトロッコのレールの跡が確認でき、トンネルの側面や上部は当時のまま。

夜だったら結構なホラーだろうな・・。

左折すると空襲時の指揮所がある

トンネルを進むと、左に分かれる道が出現!

こちらへ進むと、当時は空襲時の指揮所が設置されていたそうです。この指揮所の役割としては、空襲警報が発令された場合に回天訓練中に関連する船に手旗信号を送って空襲を知らせるというものだったとか。

ということで、先に進むことにしましょう!

ここから音声ガイドが流れます
戦争跡地の雰囲気ムンムン

音声ガイドが流れ、さらには回天関連の写真が展示されていました。

写真が登場したことで、なんか一気にここが戦争遺跡って感じになりましたね!

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魚雷発射場跡地(回天訓練基地跡)

そしてトンネルをくぐった先に見えるのが、回天訓練基地跡です。

この発射場は九三式魚雷の発射試験を行うためのもので、1939(昭和14)年に建設されました。ここに誕生する以前は、広島県の呉市に試験場があったんですが、大遠距離射線を備えたこの発射場が完成した後はここから魚雷の発射試験を行っていました。

ただ、1944(昭和19)年9月1日、大津島に回天基地が開隊してからは、回天の操縦訓練が行われていたそうです。

古さを感じさせない遺構

訓練施設だったころは、上部に金属製の大きな屋根が取り付けてあったそうですが、現在はコンクリートの部分だけが残されていますね。終戦の日と言われる1945年8月15日まで訓練が続けられており、それから時を経て、1996(平成18)年には土木遺産に認定されたとのこと。

終戦から75年もの年月が経っているわけですが、そこまで時代を感じさせない雰囲気ですな~。

二階には演習機が置かれていた

この建物の二階には、基地司令官手作りの目標船がどちらに向かっているかを見分ける演習機が置かれていたそうです。

碑も残されていた・・
クレーンの基線跡

さらに周辺を見てみると、こんなものも見られました。何かがここにあった跡に見えますよね!!

ここはどうやら、回天を海へ下ろすためのクレーンがあったようで、その基礎跡なんですって。

回天を海に下ろす様子

実際にはこんな感じで吊るされながら海へ下ろされていたとのこと。そして、ボディの上部が白く塗られているのは、遭難した場合に発見しやすくするため。

ちょっと写真が暗くてわかりづらいかもしれませんけども。。(;’∀’)

あっ、ちなみにですがこの場所はあくまで訓練施設であり、実際に戦場へ出ていったのはここからではないので要注意です!

人の気配も全くなく、風や波の音しか聞こえないこの場所で、多くの青年たちがここで訓練をしてたとはな・・。でも来てよかった。このブログでちょっとでも回天に関心をもつ方がいらっしゃればなおさら幸いです。。

おわりに

また行きたいな・・

いかがでしたでしょうか?

前回の記事と合わせて二つの記事で回天を取り上げましたが、今から75年前の日本でこんな兵器が作られていたんですね。

今回紹介させていただいた回天記念館は、歴史好きや博物館好きの方にはぜひ行ってほしいですし、館長さんがすごく親切な方なのでぜひぜひお伺いしてみて下さいね!

ではでは、今回はこのくらいで(*´▽`*)

参考文献

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詳細・地図

住所 山口県周南市大津1960
営業時間 08:30~16:30
定休日 毎週水曜日及び年末年始(12/29~1/3)
入館料 大人310円※18歳以下の学生、幼児無料
駐車場 なし
電話番号 0834-85-2310
アクセス フェリーに乗って、馬島港から徒歩10分ほど
リンク https://www.city.shunan.lg.jp/site/kaiten/

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