金沢八景の地で明治憲法の草案を書いた、伊藤博文の物語!

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こんちわっす!

日本中の知られざる博物館などを取材して記事にしているブログ『知の冒険』。今回は、横浜市金沢区にある『旧伊藤博文金沢別邸』を紹介します!

こちらは八景島シーパラダイス

この建物がある金沢八景といえば、八景島シーパラダイス、さらには潮干狩りでも有名な海の公園のイメージが強いかもしれません。んで、伊藤博文はこの地に愛着を持っており、あの明治憲法の草案を書きあげたのもこの金沢の地だったんですね~。

そんな伊藤博文ゆかりの地には、かつて彼の別荘だった建物が『旧伊藤博文金沢別邸』という施設として残されており、一般の方に開放されています。この場所の紹介にあたり、金沢八景と伊藤博文の歴史も併せて本記事で紹介できればと思います(*´▽`*)

本記事のポイント

・金沢八景は、明治憲法の草案が書かれた場所でもある
・かつては別荘地であり、江戸時代には超人気観光地だった
・明治に建てられた伊藤博文の別荘は、今でも一般公開されている

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金沢八景にあった二つの別荘

伊藤博文と、奥さんの梅子さん

伊藤博文といえば、初代の内閣総理大臣を務め、明治憲法の草案を書いた人物として誰もが知る歴史上の偉人だと思います。

もちろん私も彼の存在を知ってはいましたが、私が『知の冒険』を始めていろんな老舗の料亭や旅館に足を運ぶと、「かつては伊藤博文も訪れた老舗のお店」みたいに書かれてる店も多く、彼の名を目にすることが本当に多くて驚いてたりしますww

そんな伊藤博文は、金沢の地も愛していました。

金沢といっても、石川県の金沢市ではなく、横浜市の金沢っす!!

明治の頃、富岡や金沢の地は東京近郊の海浜別荘地として注目されていました。伊藤博文以外には、松方正義や井上馨などもここに別荘を構えていたんですな〜。

その後は、大磯や葉山、さらには結核療養所がいくつかあった湘南地方が別荘地として栄えていくわけですが、そんな景勝地だったころの金沢の歴史を、旧伊藤博文金沢別邸は今でも語り継いでいるという貴重な施設なのです!

とはいっても、伊藤博文にまつわる別荘は二つありました。「夏島別荘」と「金沢別邸」です。んで、金沢八景にまつわる伊藤博文の物語というと、”彼がこの場所で明治憲法の草案を書きあげた”という話がよく出て来るんですが、それは夏島別荘になります!

二つはちょっと離れてます

地図で表すと、二つの場所はこちらの場所にありましてですね、、、

夏島別荘の跡地には碑が残ってます

明治憲法の草案を書きあげた夏島別荘は、建物は残っておらず、碑が残っているだけ。この夏島別荘は明治22年に小田原へと移築され、大正に発生した関東大震災によって倒壊したといわれています。。

これは金沢別邸になりまっす

んで、金沢別邸の方はというと、今でも建物は現存しているだけでなく一般公開されています。金沢別邸は明治憲法が発布された後に建てられてられているので、こちらは明治憲法の草案を書きあげた場所ではないんすな!

二つあるとややこしいっっっ( ;∀;)

以下にも、簡単にまとめておきます!

夏島別荘と金沢別邸
夏島別荘
竣工:1887(明治20)年6月
東屋での盗難事件後、この夏島別荘にて明治憲法の草案が練られた。
金沢別邸
竣工:1898(明治31)年
明治憲法が発布された八年後に建てられたため、明治憲法草案の場所ではない。

古(いにしえ)の雰囲気が残る金沢別邸

んで、改めてですが、今回紹介するのはこちらの金沢別邸っす!

こちらは、伊藤博文が明治憲法ゆかりの地である金沢に1898(明治31)年に建てた別邸。政治活動で多忙を極めていたことから、彼は年に数回ほどしか利用していないものの、皇族や韓国皇太子などのVIPたちをここに招いていたそうです。

では、早速館内に入ってみましょう!!

便所は三か所あったようです

入って、いきなり便所現る!

兵庫県知事時代の伊藤博文
ここは台所っすね

この建物は、2008年から一年近くをかけて復元工事が行われ、2009年に一般公開されています。そんなこともあって、建物はだいぶ綺麗。

8畳二間になる広間

廊下を進み、こちらが一番開けた広間になります。手前が「帰帆の間」で、奥が「青嵐の間」。この別荘には、天皇、皇太子をはじめ、皇族の方々も訪れているので、大正天皇や昭和天皇も、この客間で過ごされていたんでしょうね~~。

ちなみに、皇族の来訪歴が館内にあったのでそれが下の表になります。結構頻繁に訪れてるんですな~~

金沢別邸への皇族来訪歴
1903(明治36)年01月08日:東久邇宮妃(聡子内親王)・若宮(盛厚王)
1906(明治39)年08月  :有栖川宮威仁親王
1908(明治41)年08月03日:韓国皇太子李垠
1916(大正05)年02月20日:大正天皇
1917(大正07)年03月03日:東宮(後の昭和天皇)・秩父宮
1917(大正07)年12月29日:秩父宮・高松宮両皇子
1919(大正08)年03月03日:竹田宮恒久王
1928(昭和03)年07月18日:東久邇宮妃(聡子内親王)・若宮(盛厚王)
1929(昭和04)年04月04日:東久邇宮若宮
1930(昭和05)年04月19日:東伏見宮大妃(依仁親王妃周子)
1933(昭和08)年04月08日:東久邇宮妃(聡子内親王)

欄間は、鳳凰の透かし彫り
窓の外には美しい東京湾の景色

この格式の高い客間棟は、東京湾の風景が見渡せるように海側の眺望の良い位置に張り出しています。

昔に比べて景色はだいぶ変わってしまっているものの、今でもなかなかの景色っすよ(*´▽`*)

正面に見える八景島シーパラダイス

こちらは金沢別邸の庭からの景色ですが、昔はここから野口英世に由縁がある「長浜検閲所」という施設も見られましたが、今はジェットコースターが見えますww

湾では、海苔の養殖が今でも行われているようです。近くには、金沢漁港もあり今でもこの辺には漁師がいるんですね。

床の間に建てられた立派な金屏風

部屋に戻りますが、この金屏風は、1901(明治34)年に伊藤博文が金沢の地で描き、この金沢別邸の管理者である町屋の松本房治氏に贈ったもの。

近代化を目指した明治の指導者の思想的背景が窺えるものといえ、常に天皇への忠義を忘れずに、国のために至誠を貫こうとする博文の気持ちをよく表しているとのこと。

一番左に書かれている「春畝」はペンネーム

屏風に書かれている「春畝(しゅんぼ)」とは、伊藤博文の号になります。”号”とは、今でいうペンネームみたいなものですね!

せっかく建てた別邸ではありますが、建ててから11年後の1909(明治42)年10月26日、中国のハルピン駅にて伊藤博文は凶弾に倒れてしまいます。。享年68歳。

伊藤博文が亡きあとは、長男の博邦に、さらにその後は次男の文吉に移りました。昭和17年には文吉が日産の重役だったことから日産に所有権が移り企業の保養所として使用された過去もありましたが、平成に入ると横浜市指定有形文化財に指定され、平成21年から、現在のように一般公開されるようになりました。

金沢八景の風景

こちらの金沢八景の風景を描いた金澤絵は、歌川広重が描いたもの。歌川広重といえば「東海道五十三次」が代表な作品として知られていますが、「金澤八景」も代表的な作品の一つになります。

今では京浜急行の駅名として残されていることから金沢八景という名称は知れ渡っているものの、全国を見渡せば「××八景」ってめっちゃたくさんあるんすよね!神奈川では大磯八景とか、あとは滋賀の近江八景とかとか。

この景色、見たかったな~
貴重な昔の写真が並ぶ

館内には展示物は多くないものの、こうした昔の白黒写真も何枚か展示されています。

大隈重信と伊藤博文

こちらは金沢別邸の写真ではないですが、大磯にある滄浪閣で撮られたものみたいですね。私は出身大学が早稲田大学ということもあり、大隈重信には妙な親近感があります(*´▽`*)

この大磯の滄浪閣は、2007年まではレストランとして使われていたものの、その後は閉鎖されるも2024年に一般公開に向けて準備が進んでるとのことで、結構楽しみにしていたりします!!

左が伊藤博文とのこと

金沢別邸の庭にて撮影された写真のようです。

あとはこうした明かりを見たり、、

昔を感じれる木造の建物に癒されたりしました。

窓ガラスは、手吹円筒法で作られた板ガラスで、ベルギーから輸入したもの

この建物を徘徊する中で、この窓からの景色が私は気に入っています!

松が広がり、その奥に東京湾が見えるという風情ある景色は、とっても落ち着きますわ(*´▽`*)

長〜い良質な木材も取り入れられている
廊下の奥には鶴の剥製がありました
こちらはトイレ
トイレの天井は船底でした

建物に関しては以上ですかね。

そんなに多くの方が来るわけでもないですし、都心からそう遠くない場所で海が広がり落ち着けるという結構いい条件が揃ってる場所なので、仕事で疲れ果てた方とか、どこかでリフレッシュしたいと思ってる方とか、この辺は結構おすすめの場所ですぞ!

江戸時代は屈指の観光名所

伊藤博文の金沢別邸の紹介は以上になりますが、そもそも、金沢八景って京急線の駅名になっているので馴染み深いと思いますが、この場所が昔は多くの江戸庶民が訪れる観光地だった歴史があることをご存知の方は、あまり多くないかもしれません。。

琵琶島弁財天にあるかつての金沢八景

今は高度経済成長の影響による埋め立てなどで昔の景色はなくなってしまったものの、かつての金沢八景は、 こんな入り組んだ地形をしており、。いわゆる、日本三景の松島みたいな光景が広がっていたと思われます。

東京から近い場所にこんな素晴らしい景色が広がっているんであれば、そりゃ別荘地にするわな!

江戸時代、中期の頃になると庶民の生活が安定してきたということで、この頃から旅行を楽しむ方が増えました。とはいえ、今みたいに飛行機もなければ鉄道、車だって街中を走ってない時代でしたので、移動手段はもっぱら徒歩。

そのため、行動範囲はだいぶ限られていたわけです。そんで、神奈川県となると、丹沢山地にある大山、湘南にある江ノ島、そして今でも歴史ある観光地となっている鎌倉、そして、今回の舞台である金沢八景の四箇所が定番観光地となっており、4泊5日ほどをかけて大山→江ノ島→鎌倉→金沢八景の順に巡って江戸へ帰っていくのが定番コースとなりました。

大山と江の島の歴史に関しては、以前の記事で紹介してますので、よければこの辺の記事も見てみてくださいね〜〜!!

今の金沢八景というと、海水浴や八景島シーパラダイスがある場所ってイメージがありますが、海の公園のような砂浜もなく、あれは千葉県から砂を運びまくって人工的に作った海水浴場なんすね!

ちなみにですが、熱海の砂浜も千葉から運んだ砂で作られています!

ところが、日本が近代化していく頃から徐々にこの辺りは埋め立てが進んでいき、戦後になると、飛鳥田一雄が市長だった時代の横浜六大事業の一つにあった金沢埋め立てによって、景勝地だった頃の名残りはほとんど無くなってしまったわけです。。

とはいえ、かつての景色が失われたものの、当時からのお店や建物はちょこちょこ残されてまして、、

タイルが素晴らしい金沢園

昭和五年創業の金沢園は、今もカフェとして建物が残っていますし、ここは与謝野晶子が訪れた場所としても知られています。

かろうじて風情ある風景が残されている

あとは、もう閉業はしてしまいましたが、千代本楼の建物は今でも残っていて、琵琶島弁財天の場所から千代本楼を覗くと松が立ち並ぶちょっと風情ある景色が見えたりするんですよね!

ということで、少し長くはなりましたが、金沢八景には以上のような歴史があり、そんな場所に伊藤博文は別荘を建てて、明治憲法の草案を練っていたんですね!!

料亭「東屋」で盗難事件発生・・

金沢別邸や金沢八景の歴史を紹介したところで、最後に明治憲法の草案にまつわる話を付け加えて記事を終えたいと思います!

話は明治時代に遡りますが、天皇中心の政治を作ろうとヨーロッパにわたり、憲法調査から帰国した伊藤博文は、1885(明治18)年に内閣制度を発足させ、自ら初代内閣総理大臣に就任することになります。そして、直ちに憲法草案の起草に取り掛かるのです。

起草メンバーは、伊藤が中心となって、井上毅(いのうえ・こわし)は主として憲法と皇室典範、伊東巳代治(いとう・みよじ)は議員法、金子堅太郎は貴族院令と衆議院議員選挙法を担当することになります。

伊藤博文の別荘が建てられた夏島は、かつては橋も架かっていない不便な無人島でした。何でこの場所を選んだのかというと、それは安全面のため!!

当時は、板垣退助、大隈重信らの政府に反対する自由民権派からの妨害を避ける必要があったんですね。

伊藤は、明治天皇からの勅命でもあり失敗は絶対に許されないため、憲法が発布されるまで機密を守る必要がありました。そこで、無人の夏島を選んだというわけです。

位置関係はこんな感じ

夏島別荘は部屋数が少なく、全員が宿泊するのに狭かったということから、当初は近くにあった料亭「東屋」が憲法草案の事務所として使われていました。橋がなかった当時、伊藤は小舟で東屋に通っていたという。

ところが、その東屋で1887(明治20)年8月6日に、盗難事件が発生してしまいます。。

東屋に泊まっていた伊東巳代治の部屋に泥棒が侵入。機密書類が入っていた鞄が盗まれてしまったのです。。「民権派の仕業だろう!!」と思われたものの、幸い鞄は近くの大豆畑で見つかり、百円ほどの現金が抜かれただけで、機密文書は無事だったとのこと。

そんな東屋があった場所には、今でも碑が建てられていて、、

近くには「憲法草創之碑」の碑が残されています。

夏島別荘にも、憲法草案に関する碑があるのでややこしいっすね。。

という感じで、金沢八景はかつて景勝地で伊藤博文の別荘があり、憲法草案を書きあげた歴史もあるということです。都心からそう遠くない場所ですし、気になった方は、ぜひ足を運んでみて下さいね~~(*´▽`*)

おわりに

色々長くなりましたが、いかがでしたでしょうか( ;∀;)

金沢八景というと、先ほど紹介した金沢園だけでなく『オリビエ』というレトロな純喫茶、さらには明治創業の老舗の鰻屋さん『うな松』などなど、歴史やレトロな風景が残ってますよん(*´▽`*)

私的にも、金沢別邸以外にも気になっている歴史があったりしていて、今も別記事のネタを調査中だったりしています。

では、また次の記事でお会いしましょ~!!

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県横浜市金沢区野島町24 野島公園内
営業時間 09:30~16:30(4・5月は17:30まで、12・1月は15:30まで)
入館料 無料
休館日 第1・3月曜日(休日の場合は、翌日)
※4・5月は無休
※12・1月は毎週月曜日(休日の場合は、翌日)
※年末年始(12月29日~1月3日)
電話番号 045-788-1919
駐車場 無料
アクセス 横浜シーサイドライン 野島駅から徒歩5分
リンク https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/nojima/hakubuntei/outline.php

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