こんわっす!
今回は、先日書いた「北見ハッカ記念館」に引き続き、北海道北見市にある博物館の記事になります!
んで、今回紹介するのは「ピアソン記念館」という記念館になるんですが、たぶん多くの人が「ピアソンって誰??」となると思うんですよね(笑)
そこまで有名な方ではないと思いますし、私もここの記念館に来て初めてピアソン夫妻の存在を知ったくらいですので。でも、この記念館は、あの超有名建築家であるヴォーリズによる設計であり、このピアソン夫妻は北見市に大きな痕跡を残した方でもあるので、その辺の背景を踏まえながら、記念館を紹介したいと思います~~(*´▽`*)
見出し
ピアソン夫妻の功績を伝える記念館

ということで、私は飛行機に乗って新千歳空港に降り立ち、そこからレンタカーを運転して北見市へと向かいました。
北見ハッカ記念館の記事でも書きましたが、なんで今回北海道に向かったのかというと、2021年8月17日に出版する博物館の本の取材のためです。北海道では二つの博物館を本に載せるんですが、せっかく北海道に向かうということなので、ついでに行きたい博物館にも向かったというわけです!
それが、↑こちらの記事にまとめた北見ハッカ記念館と、これから紹介するピアソン記念館だったというわけです。
とはいえ、訪問時には豪雪の洗礼を受けてしまい、とにかく雪国での運転が死ぬほど大変でした。。雪の北海道を運転すると、溶けた泥水を巻き上げて車がめっちゃ汚くなるし、道も凸凹してるし。。日本中を運転してきた私でも、北海道はかなり苦戦しましたよ。。

そんでやって来たのが、こちらのピアソン記念館!
雪まみれの北海道を走りに走りまくって、ようやくたどり着きましたよ!

そして記念館の建物がこちら!!
おお~~洋風チックな見ごたえある建物っすね。この記念館の建物は1914(大正3)年に建てられたということで、100年以上も昔の建物なんですね。
外観からすると、非常にきれいに維持管理されているようであまり古さは感じないっすな~。
まっ、とりあえず中に入ることにしますか(*´▽`*)

館内はメッチャ綺麗。こんな感じで、周囲にピアソン夫妻に関する資料などが展示してあります。とはいえ、いかんせん「ピアソン夫妻って誰やねん!!」って感じですよねww
ここは入館料が無料なのと、スタッフの方に聞けばこの記念館の背景について熱心に教えてくれるんですね!!
んで、私も1時間30分近くにわたりいろいろと説明していただけたので、この記念館の全貌についてここから紹介しますね~~!
遊廓反対、教育、人権活動にも奮闘

まず、ピアソン夫婦という人物について説明しなくてはいけませんが、この夫妻は日本にキリスト教の宣教師として日本にやって来ました。といっても、夫妻は日本で知り合って結婚したんですけどね。
夫妻は、明治21年に日本にやって来た後、東京の芝にある明治学院中学校や千葉の県立中学校で英語教師に就くかたわら伝道をしていました。そして明治26年に北海道にやってきて函館に住み、そこから小樽、札幌、旭川、北見を点々とすることになります。
そして最後にたどり着いたのが北見でした。北見で日本で最後の伝道のためにと、1914(大正3)年にこの建物を建て、 夫妻はこの建物に15年間暮らすことになります。
最終的には1928(昭和3)年に夫妻は母国アメリカへと帰られ、結局日本では40年間もの間活動をし、その中でも、北海道には35年間暮らしていたようです。

ただしピアソン夫妻の活動は、キリスト教の伝道に限りませんでした。
アイヌ民族の人権活動や婦人矯風会野付牛支部を結成し、北見への遊廓設置に反対する運動を矯風会を中心に展開。
北見では、遊廓設置における国の認可が下り既に建設地まで決定したものの、まさかまさかの大どんでん返しで、最終的に遊廓は設置されませんでした。北海道にもさまざまな場所に遊廓が設置されましたが、ここまできて設置されなかったケースは極めて稀だと思われます。
ピアソン夫妻、かなりのやり手っすね~!
北見の遊廓に関しては、まだネタはあるんですが長くなるので続編の記事で詳しくまとめたいと思います!
そんで、活動はそれだけにとどまらず、幼児教育の重要性も唱えていて、小樽にあるロース幼稚園では、土地の購入や家屋建設などの支援を行うほか、この幼稚園には幾度となく訪れて支援を続けていたようです。
というように、夫妻は様々な行動や支援を行っており、この記念館はそうした功績を後世に伝え続ける場でもあるわけですな!

また、この建物は、ただ単にピアソン夫妻の住まいというだけでなく、北見で初めてクリスマスツリーを飾ったりと、北見における西洋文化の入り口となっていたそうです。
おそらく外国人もそんなに多くない時代でしょうし、そもそも今みたいな情報方な時代ではなかったため、ピアソン夫妻からアメリカという国のことを色々と教えてもらったり、そういった住民たちの交流の場でもあったんですね。
姉妹都市の締結を機に開館
ということで、記念館の建物はピアソン夫妻の住まいとして1914(大正3)年に建てられたあと、15年間は夫妻の住まいでしたが、1928(昭和3)年に夫妻は母国へと帰られることになります。
その後は、町の人たちがピアソン夫妻の歴史を後世に残すためにと、この建物に管理人をつけていました。が、昭和14年頃に、日本とアメリカが戦争を始めたころ、敵国のアメリカ人が住んでた家ということで軍から「壊せ〜〜!」といわれてしまうんですね。。そこで、北見の産婦人科開業医だった唐笠学氏がこの家を買い取って住宅として使われていたそうです。
しかし、そのお医者さんはスパイとして三か月近く拘留する羽目になったとか。。いわゆる、「敵国の人間が住んでいた家を買い取って守るとは何事だ!」と、目をつけられてしまったんですね。
戦後は、北海道が児童養護施設として昭和27年から昭和38年頃まで使っており、その後は北見市に行政移管することになるのですが、その時に北見ではとある運動が発生することになります!

それが、ピアソン夫妻の旦那さんの出身地であるエリザベス市と北見市で姉妹都市を結ぼうという運動っす!
その運動が発生して、姉妹都市が決定したのが昭和44年。そしてこの姉妹都市の締結が、記念館となるきっかけだったんですな~~。
姉妹都市を結べば、エリザベス市の方からお客さんがやって来るわけですよね。んで、その時にはピアソンの家を見にくるだろうということで、この建物を記念館の施設にしようということになったわけっす!

そして昭和46年から修復・復元工事が行われ、ピアソン記念館は開館。
しかし、開館当初はお客さんも大変少なく、一階の広間一室のみをお客さんに開放したにすぎないような記念館でした。。
まさかまさかのヴォーリズ建築
ということで、開館当初はちゃちい記念館だったわけですが、開館からしばらく経ったときに、とある驚きの事実が判明することになります!

それは、1995(平成7)年。 大阪でこの建物の設計図が出てきたんですが、そこで初めて、この建物がヴォーリズ建築だとわかったんすわ!!

左は一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ)婦人
ヴォーリズ建築とは、日本国内に千棟以上もの美しい建築物を残した、ウィリアム・M・ヴォーリズが設計した建物のこと。
今でも滋賀県の琵琶湖周辺に多く残されており、建築界では大変有名な方。建物が大好きな方たちでも、ヴォーリズ建築を巡ってる方も多いっすからね。
とはいえ、彼はあの塗り薬でお馴染みのメンソレータムを普及させた実業家でもあったので、世の中からしたらこっちの話の方が食いつきやすいのかしらん。

この記念館は、ヴォーリズ建築の中でも北海道にある唯一の住宅建築。他には函館や札幌にもあるみたいですが、住宅建築としては、ここだけみたいっす。
ということで、その事実がわかってからは、ヴォーリズのファンも多く訪れるようになり、一階の一室だけでなく二階も解放。さらには、NPOピアソン会を立ち上げ、アメリカにわたってピアソンに関する様々なことを学び、資料などを持ち帰り分析や研究をも行うなど、気合が入った施設になっていきました。
という流れがあり、今があるんですって!
一応、以下にピアソン記念館の建物の流れを載せておきます!
1928年:ピアソン夫妻が北見を去る。
1939年:北見の産婦人科医である唐笠学が、自宅として利用する。
1952年:唐笠氏から北海道へ寄贈され、児童相談所として使用される。
1963年:日本YMCAが、事務所として利用。
1969年:北見市とエリザベス市が姉妹都市を締結 → 記念館建設へ
1970年:旧ピアソン邸を、記念館にすべく修復・復元
1971年:ピアソン記念館として開館。
1995年:ヴォーリズ建築だと判明し、二階部分も開放。これを機にNPOピアソン会を結成。
ピアソン夫妻に関する数々の痕跡

この記念館の背景を紹介したところで、続いては館内を見てみましょうか!
まずは一階の展示室を紹介したいんですが、ここにはピアソン夫妻に関する資料などがたくさん展示されております。

資料だけでなくパネルでも年譜とか日本での活動内容を説明してますね。

あとはピアソン夫妻に関する資料などもこうして多数展示してあります。あまりひとつひとつを細かく見る時間は無かったですけどね。。


ただ、そんな資料の中でも、この『婦人矯風会記録』は大変貴重な資料なんです。というのも、これは北見の遊廓にまつわる数少ないというか唯一といってもいい資料なんですって!
詳しくは続編の記事で説明しますね。

あとは紙の資料だけでなく、明治から昭和の初めまでに撮影された写真も多数展示されていますね。

あと、こんな本もこうして展示されてますが、こちらは三浦綾子さんが書かれた『われ弱ければ』という書籍。『氷点』『塩狩峠』などの作品で有名な三浦綾子さんは、北海道旭川市出身の作家。
『われ弱ければ』は、矢嶋楫子(やじま・かじこ)という女性をテーマにした物語で、彼女は女性の地位向上などに奔放した方で、ピアソン夫妻とも交流があったんですかね。

そうそう、館内にはこうしたランプもたくさん吊るされて展示されているんですよね。どれも洋風のシャレたランプなんですが、ピアソンが北見(当時の野付牛)に来た当時はまだ町に電気が無く、こうしたランプの下で研究や集会を行ったようです。
佐呂間教会では、夜になるとこのランプをつけて礼拝をおこなっていたそうっす。


パパっと紹介するとこんな感じですかね。
では、一階はこのくらいにして、二階へと進むことにしましょう。
ヴォーリズの記念室もあります

一階の紹介はこのくらいにして、続いては二階を紹介することにします。
二階には、ヴォーリズの記念室、戦時中にこの建物を買い取ったお医者さん唐笠学氏の部屋、エリザベス市との姉妹都市に関する部屋があります。
ピアソン記念館に関する方々や出来事を、各部屋で紹介しているって感じっすね~。

ではでは、まずはヴォーリズの記念室から入ってみることにしましょう!

ヴォーリズは日本に1,000以上もの建物を残したようですが、今では琵琶湖周辺に多く残ってますよね。あとは軽井沢にも結構残ってた気がします。
ここでは近江八幡にある旧ヴォーリズ邸とか、全国にあるヴォーリズ建築に関しての説明が書かれている感じ。

あとはヴォーリズの略歴がわかる年譜もありましたよ。そうそう、彼は日本人女性である一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ)さんと結婚されたんですよね。
ヴォーリズの建物は私は全国を取材しまわる旅に一緒に巡ったりしているんですが、今度彼に特化した記事でも書いてみようかしら。東京の山の上ホテルにも泊まりに行きたいし、まだまだ彼の建物で拝見できてないものも多々あるから、まだまだ彼についての調査は続きます。
坂本龍馬とのつながり

ヴォーリズの記念室から別の部屋に移動!
ここでは、ピアソン夫妻とゆかりのある人物だったり、あとは関連書籍とか北見の古い地図だったりとかがありました。

ピアソン夫妻とゆかりのある人物はこうしてまとめられていました。
この中では、新渡戸稲造、あとは内村鑑三が有名ですかね。

この部屋の照明もやたらとオシャレっすね!!

そこに、なぜだか坂本龍馬の写真が展示してありました!
「んっ、何で北見市に坂本龍馬?」
と思ったんですが、それはココ北見の開拓史に関係しているんだそうですよ。
北見の町は、屯田兵よりも先に北光社というクリスチャンの開拓団が土佐からやって来ました。そしてこの北光社のリーダーだったのが、坂本龍馬の甥っ子である坂本直寛(さかもと・なおひろ)でした。
竜馬は北海道の開拓に情熱をもっていたようですが、暗殺されたことで彼の夢は途絶えてしまいました。そんな彼の遺志を継いでなのか、坂本直寛が北見を開拓しに来たいう背景がることで、竜馬の写真が展示してあるそうです。
なるほどね!!
おわりに
はい、今回の記事は以上になります(*´▽`*)
いや~北海道にも面白い博物館はたくさんありますね~。アイヌとか北海道開拓に関することなど独特の話も多いし、まだまだこれからも北海道は出来る限り開拓していきたいっす。
そんでですが、この記事には続編があります。
記念館の紹介に関しては以上になりますが、記事の中でちょろっと書いた北見の遊廓に関してはちょっと別記事でまとめたいと思いましてですね!

北見では遊廓の設置許可が下りたにもかかわらず、大どんでん返しで結局設置には至らなかったんですが、いったいそこにはどんな背景があったのかということについてです。
以下が続編の記事になりますので、こちらも見てみて下さいね~(*´▽`*)
ではでは~~
参考文献
詳細・地図
住所 | 北海道北見市幸町7丁目4−28 |
---|---|
入館料 | 無料 |
開館時間 | 09:30〜16:30 |
休館日 | 毎週月曜日・国民の祝日の翌日( 金・土曜日が祝日にあたる場合は当日及び翌日も通常どおり開館します) 年末年始(12月30 日〜1月6日) |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0157-23-2546 |
アクセス | JR北見駅から徒歩15分 |
リンク | http://www.npo-pierson.org/ |