清里高原発展の歴史は「ポール・ラッシュ記念館」で学ぶことが出来る!

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ポールが暮していた邸宅を紹介

前のページでは、ポールがどんな生涯を送って来たかに関する展示などを紹介しましたが、このページではちょっと違った内容を!!

この博物館はポールの生涯を紹介するエリアと、ポールの邸宅を開放して中を鑑賞できる二つのエリアに分かれているんですね。

ということで、このページではポール邸の内部を紹介していきたいと思います!

洋風な造り満載の居間

ポール・ラッシュ邸の館内

このポール・ラッシュ邸の建物は、1964(昭和39)年にポールの良き理解者であるサラ・ダーナル夫人から送られたとのこと。

西洋チックな雰囲気が本当にたまらんですわ~~。

私が訪れたのは平日ということもあって訪問者は少なく、ポール邸には誰もいなかったので貸し切り状態でゆっくりと鑑賞することができましたよん(*’▽’)

ではポール邸の内部をじっくり鑑賞していくことにしましょう!!

多くの人を招いた居間

まずは居間っすね!!

ポールはこの居間に多くの人を招き、清里高原事業の働きや計画を語り協力を求めました。また、博士の誕生日にはキープの職員と家族が招かれ、お祝いのパーティーをしたようです。

しかしすげぇ部屋だな。。屋根にぶら下がっている照明もオシャレですし、周辺に何だかいろんなものが展示されまくってますがな。

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澤田美喜から送られたと陶器

この辺の陶器が結構目立ちますが、こちらは三菱財閥創業者である岩崎彌太郎の孫娘に当たる澤田美喜からの贈られた陶器とのこと。

ポールと澤田美喜には長い付き合いがあり、澤田美喜が戦後に混血孤児を救済するための養護施設「エリザベス・サンダース・ホーム」を設立するにあたって、ポールは多大なる支援を行っていました。

ポールに関する雑誌類
このはく製、凄く目立ってたww

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書斎には書籍や賞状がたっくさん!

さらに奥へと進んでいきましょう!!

ポールの書斎

ここはポールの書斎。机の上にはタイプライターがあり、博士はアメリカの支援者たちに協力を訴える手紙を打ち続けていました。

この部屋に飾られている多くの写真は、博士の要請にこたえて寄附を送り続けたり、日本国内にあってキープの事業を支え続けた、いわば、博士の良き理解者たちの写真です。

ここにあるのは多くが洋書

本棚にある蔵書は800冊近くに及び、その大半は洋書です。ポールは日本に20年近くいましたが、確か日本語は堪能ではなかったはず。。だから日本の書籍は少ないのかな??

これらのうち、多くは寄贈されたもので、そのジャンルの広さからもポールの信仰の幅広さが伺えます。

壁中が賞状だらけや~

こっちもすげぇなこりゃ・・。壁が賞状だらけになっとるやないかい。

まぁポールはいろんな事業をやってきたわけで多くの功績を残してるわけですからね。書斎に限らず、ポール邸に賞状が飾ってあったっておかしくないくらいですよ!

私なんて32年間の人生で賞状もらったことあんの三回くらいですから。。中学信勝が卓球部で、鎌倉市三位になった時にもらったやつとかね(笑)

何か国のために貢献してこういうの貰えたらいいな~、、なんてね( ;∀;)

勲三等瑞宝章

その中から一つ取り上げてみますか!

これは何かというと、勲三等瑞宝章というもの。受賞j基準としては「研究や社会福祉などの業務に関して長年にわたって従事した」的な感じになっています。

ちなみにこれ、私のおじいちゃんも東京水産大学の教授を務めていて漁業関係に色々貢献したということで、この賞をいただいているんですよね。その時の総理大臣が小渕恵三さんだったので、おじいちゃんの章には小渕さんの名が記されおります。

これ見た時、「どっかで見たことあるな~」と思ってたんですよね~!

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寝室や食堂もあるよ!

さらにさらに、ちょっと暗い廊下を進んでいくと、、、

こちらは寝室

ココはベッドがあるので寝室ですね!

ポールは晩年、心臓病を患っておりペースメーカーを胸に植え込んでの闘病生活を送っていました。この寝室にある仙台タンスの引き出しの中には、ポールの遺品が残されており、メガネや腕時計、入れ歯などの遺品に交じって聴診器など闘病生活を偲ばせる品も保管されていたそうです。

ポールは1979年の暮れに病状が悪化したため、東京の聖路加国際病院に入院しましたが、この寝室に戻ることはなく数日後の12月12日に永眠しました。

こんな写真もありましたよ。

これだけ見ると、ちょっとアウトローな方に見えなくもない。。(笑)

ポールが部屋の中で作業をしている様子ですね。何か本を読んでいるんかな??

ここで暮らしているころは、清里における事業に関して寄付を募ったり、この村の未来のことをずっと勧化続けてたんじゃないですかね~??

そんなポール、昔の写真を見ると、結構タバコを桑ている写真も多いんですよね。ポールが愛用していたたばことかも展示していましたよ!!

厚木飛行場に降り立ったマッカーサー

おや、、こんな写真もありました。

こりゃ、太平洋戦争で日本が敗戦した後に厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥ですね~。

ポールは日本の敗戦後に陸軍省から太平洋陸軍に配属するよう命令があり、日本でCISの局員に配属されました。

CISとは、簡単に言うと戦争犯罪人に関する情報収集をする役目の方々。

その関係で、ポールはマッカーサーともかかわりがあったからこの写真が展示されているんかな??

こちらは食堂

タバコとバーボンを好んだポールゆえに、この食堂では、お酒に関する品が多く残っています。洋酒を入れておくデキャンタや、カクテルを作るためのシューカー、氷を入れるアイスベールなどなど。

ポールはこの部屋で食事をとるだけでなく、気が向くと読書もしたそうです。この建物の中で、唯一この部屋からは外を通る人が良く見えたからだとも言われています。

ポールは独身だったものの、多くの人を招いたり、あとはメイドさんもいたようなので、そういう方々とここで食事をとっていたんですかね。。

とはいえポールは最後まで日本語を話さなかったようですし、晩年になっても故郷のルイビル(アメリカ)に帰らずに清里に居続けました。そして、最後も日本で迎えると決めていたようです。

ポールは心臓病が悪化しており、最後は寝たきりの生活をしていたなか、1979(昭和54)年12月12日に聖路加国際病院にて息を引き取りました。

おわりに

ポール・ラッシュ

私がポールの事を知ったのは、清里村に関心を持った時から。ここの街について調べていた時に「へぇ~ポール・ラッシュって人がいたんだ~」とさりげなく知って調べ出したのが始まりでした。

多分今まで彼の名は聞いたことなかったと思いますし、凄い偉業を成しているもののそこまで広く知れ渡ってはいないような気がしています。まぁ、それはポールに限りませんけども。。

なので、清里を訪れたりする時にでも、ポールの人生に少しでも興味もって「へぇ~清里ではポール・ラッシュって方が大きく関わってたんだ~」と思って関心もってくれるくれる方が増えるといいな~と思っています!!

参考文献

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詳細・地図

住所 山梨県北杜市高根町清里3545
営業時間 10:00~17:00(最終入館16:30)
入館料 大人 500円 小中学生 200円
休館日 基本は無休 ・11月~3月は水・木曜休館 ・4月~6月は水曜休館 ※水曜日が祝祭日の場合は開館
駐車場 無料
電話番号 0551-48-5330
アクセス 甲府南I.Cから車で5分
リンク https://www.seisenryo.jp/spot_paulrusch1.html

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