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江戸時代から続く旭屋の歴史とは

続いては旭屋の背景に迫っていきたいと思います。
取材中に社長さんが私が持ってきた資料をコピーしたいとのことでいったん席を外れちょっと休憩。ここは夕食の部屋なのですが、写真やら資料やらでなんか書斎みたいな感じになってきましたね(笑)

社長さんが戻ってきて再び取材再開(*’▽’)
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200年以上もの歴史がある旅館

大山道の宿場町として栄えた水郷田名。旭屋はその当時の旅籠屋(はたごや)、つまり旅館から続いているそうです。
その創業は1797年かららしく、200年以上もの歴史がある旅館なんですね。今の社長さんは、1970年に先代から引き継いでいるとのこと。ただし、ずっと続いていた先代からの血縁関係は途切れており、今の社長さんは先代の婿養子となって受け継いだという。ちなみに、今の女将さんは六代目だとか。
現在の旭屋は1970年に建て直されたもので、今までは1945(昭和20)年に火事で燃えてしまった経緯もあったそうです。昔は工事の際に昔のタイル張りなどが出てきたりしたものの、今では昔の面影というのはそこまでは残っていないとのこと。

花街だった頃は、食事の時に芸者がお酌をしていただけではなく、芸者と泊まれる宿でもあったそうです。そのように花街であったこの街には枕芸者もいて私娼窟となってもいました。
夜になると人力車が走っていたし、おばちゃんが呼び込みをする姿も見えて賑やかだったそうです。旭屋はそんな芸者と泊まれる旅館だったこともあって、先代の女将は何度か警察に出向くことがあったそうです。
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名物の「鮎」にまつわる話

そんな水郷田名の名物と言えば「鮎」なんですね。毎年6月1日になると相模川で鮎の捕獲が解禁されます。日付が変わる夜中の12時に解禁を知らせる花火が上がりました。
都会からは何日も前から来て水郷田名の旅館に泊まり、釣り場の場所取りをする人の姿も見受けられました。 この時は、旅館は予約ですぐさま満杯になるほどの大盛況だったそうですよ!

その鮎が解禁される時期は、農家の人が農繁期で忙しく働いているのをしり目にして、遊船会というお金持ちが屋形船で芸者遊びをする姿も見られました。
上の写真もこっちに向かってポーズをするお客さんたちが写っている一方、芸者さんの姿も確認できますね。この屋形船が有名になり、政治家なども結構水郷田名に遊びに来たそうですよ(*´▽`*)

そんな鮎は水郷田名の名物というだけのことはあり、時期に伺えば旭屋の食事にも出てきます!
私が訪問したのは6月8日ということでちょうど鮎の時期だったこともあり、夕食と朝食にも鮎が出てきました。こちらは高知県を流れる四万十川で獲れた養殖の鮎の塩焼き。今は鮎の採取が解禁されたばかりで相模川の鮎はまだ体長が大きくなるまで育っていないので、四万十川の鮎が出されています。
もうちょい後の時期になると、相模川産のが塩焼きで出てくるそうです。

ただ、相模川産の天然の鮎はフライになって登場しました。まだちょっと体調は小さいですが、これ本当にうまかったです!
多分15匹くらいは余裕で食えたでしょうね。旭屋はこの鮎を食べに来るだけでも来る価値がありますぜ!!

夕食と朝食に鮎が出たわけですが、旭屋には「鮎せんべい」という名物品があります。取材の途中、女将さんが「よかったらどうぞ!」と持ってきてくださいました(*’▽’)
旭屋にしかないもので、今のおかみさんが考えて作った煎餅(せんべい)なのだという。このせんべい、女将さんが全て手作りで作っており鮎が一匹丸ごと入っていてめっちゃくちゃおいしいせんべいでした。
鮎は脂が出て酸化するからということで、開いて干して蒸して焼いて干して、という作業を繰り返してできるとのこと。江の島の名物にもあるような「たこせんべい」を参考にして考えられたんですって!
この鮎せんべいは「相模原市観光土産品」に認定されており、楽天とかから「ネット販売しませんか??」と問い合わせがきたりするらしいですが、おかみさんが手作業で作っているものなのでネット注文では捌(さば)ききれず断っているという。
ダチョウの懐石料理が食べられる!?

そんな鮎せんべいだけでなく、旭屋はダチョウが食べれる料亭としても知られているのです。旭屋では、ここから少し離れた場所でダチョウを飼育をしており、それを目当てに若い人から家族連れのお客さんまで来るという新しい風も出てきたのです。
「老舗の旅館で日本で唯一ダチョウの懐石料理が食べれる」ということで大阪からも取材に来たことがあったとか。

そんなこんなで、独自のお土産を生み出したり珍しいダチョウの懐石料理が食べられるという旭屋。この旅館が今まで生き残ってきたのは、このような企業努力があったからだと女将さんは言う。
実はこの水郷田名、高度経済成長期には多摩ニュータウンの誕生などにより、不動産会社や地主さんの懐が潤ったことでこの辺の旅館は言ってしまえばそれほど苦労しなくとも客が来る時代だったそうです。しかし、そんないい時代はずっと続くはずもない。
後継ぎ問題もあるものの、「いずれまたいい時代がくるにちがいない」と思い込まず、 先ほど紹介したお土産品の考案だけでなく近くにふれあい科学館が出来た時にはそのお客さん用にお弁当を作ったりするなど、色々と策を投じて生き延びてきたのだという。
ダチョウの懐石料理によって旭屋には若い人が来ることも多く、「かつては女性が来るような街ではなかったのに今では時代も変わってね~」という時代の変化をひしひしと感じているという。
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歴史として残している「料理店」の鑑札

続いてはこちらの鑑札について。旭屋の入り口には上の写真に写っている「料理店」と書かれている鑑札が貼られているんですが、これにも社長さんの思いがあったりするんですね。
「そもそもこれ何すか??」と思う方が多いかもしれませんが、こちらは芸者さんがお酌をするために料理店に入ることが風営法に該当するということで、そのような料亭の場合は警察の許可を取る必要があり、その際に警察からもらう鑑札。

このような鑑札は神奈川県だけでなく全国の都道府県にも同様に貼られていました。私は全国の遊郭跡などを取材する際は、いつもこれらの料理店の鑑札(この他にも「カフェー」や「バー」などの鑑札もある)
ここ最近では上の写真のような鑑札を見つけたわけですが、このようにデザインは様々。静岡県のは富士山が描かれていたりとなかなか特徴的なものとなっています。

この鑑札は1970年に今の社長さんが受け継いだとき、改築前の昔の建物にくっついていたもので、 旭屋の社長さんは、建物を建て替えた時に物置に放っておいたという。
一時は鑑札は捨てようと思っていたそうですが、これも歴史の一つだからということで残しておいたそうです。そして、今では入り口の右側にひっかりと張られているんですね。
昔に風営法の許可をとったということで、実は旭屋は今でも風営法の許可をとったままなんだそうです。この許可は一回取得すると永久保持になるという。そのため、今でも社長さんは警察が開く風営法の講習会に毎回参加しているそうです。
芸者がいたかつての名残り

三時間にわたる取材を終えたあと、その日はすぐに就寝し朝を迎えました。朝食を済ませた後、女将さんが少しばかり館内を案内してくれました(*’▽’)
建物は1970年に建て直してすごく綺麗になっていますが、少しばかり芸者さんの時代の痕跡が残っているという。

旭屋には二つの広間があり、こっちは新しい方の大広間。昔は座敷が当たり前でしたが、今の時代に座敷はもうあわない。。そのため、もう一つの大広間もですが席は全てテーブルに変わっています。
そういえば、佐賀県の武雄温泉にある元遊廓旅館「白さぎ荘」でもおんなじ話を主人としましたが、時代の流れに合わせるところは合わせていかないとお客さんは離れて行っちゃうそうですね。
広間の座敷はその典型で、今の時代に座布団はもうあわないんですね。。

こちらの大広間も全てテーブル。所々は昔のままのつくりになっている箇所があり、舞台では昔は芸者さんがあがっていたそうです。ここが賑やかだった様子をちょっくら覗いてみたいもんですわ。

今は物置みたいになっているみたいですが、 その大広間の舞台に上がる前には、芸者さんはここで待機・準備をしていたそうです。

さらには入り口にあるロビーにはカウンターのバーがありますが、芸者さんがいたころはお客さんと芸者がここでよく飲んでいたそうです。
一通り館内を案内していただき、時間もそろそろということでこの辺で私は旭屋を後にすることに。食事も美味しかったし、本当にここに来てヨカッタっすわ〜〜( ´ ▽ ` )ノ

以上で、水郷田名に唯一残る割烹旅館「旭屋」の取材は終了。女将さんも社長さんもとても親切にしてくださり本当に楽しい取材になりました。
色々な話をしましたが、今回の取材中に女将さんの言葉で一つ印象に残った言葉があります。
「今があるのは昔からの歴史があるから。だから残せるものは残しておいて、今の時代に合わせていかなければいけない所は合わせていくという考えで努力をしている感じです。なので、こうやって昔のことを聞きに来てくれる方がいると、残してきてよかったと思いますよ!」
取材をさせていただく中で、こういう昔のことを聞いてくれることが相手にも喜んでもらえることもあるんですね。自分的には現場の声を聞く重要性を肌で感じているし、単純にこういう出会いが経験になるからということでこうやって取材をしているのですが、女将さんからそう言っていただけたのがすごくうれしかった。
ここが花街として栄えたって歴史、語り継いでいきたいな。。
おわりに

かつての賑わいが嘘のように完成な住宅街へと変貌を遂げた水郷田名。今ではかろうじて旭屋だけが残り、もうその面影はほぼ無し。。
社長さんと女将さんからは三時間近くにわたって旭屋や水郷田名の歴史を聞かせていただきました。旭屋は、今の社長さんの代で終わってしまうのか、娘さんの代が後を継ぐのかはまだわからないとのこと。
この場所が歓楽街だったという歴史、その記録を残す作業の中で社長さんと女将さんに話を伺えたのは本当に貴重な経験になりました。地元の方でも、昔からいる方でないとほとんど知られることにない歴史、多くの方に知っていただきたい、水郷田名にかつてあった花街の記録でした!!
参考文献
詳細・地図
住所 | 神奈川県相模原市中央区水郷田名2丁目14番1号 |
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駐車場 | 無料 |
電話番号 | 042-762-6262 |
アクセス | バス停「水郷田名」から徒歩2分 |
リンク | http://asahiya6262.com/ |
コメント
こんにちは。ランキングから来ました。町の歴史、とても面白かったです。
こんにちは、相模原市内の出身の者です。
旭屋さんの存在は子供の頃から存在は知っていたのですが、行った事がなかったです。
「なかなか趣あっていいなー」とは思っていたのですが、
まさかこんな歴史があったとは驚きです。
今度ぜひ旭屋さんに行ってみたいです。
面白い記事をありがとうございました。