ハマの和洋折衷で豪華な造りな老舗銭湯「いなり湯」へ!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

ういっす!

今回は、またまた横浜にある老舗銭湯の記事になります。

以前は、金沢八景にある「みなと湯」を記事にしたなど、いろんな銭湯を記事にしてはいるわけですが、とにかくまだまだ紹介したい銭湯はたくさんありましてですね( ̄▽ ̄)

んで、今回は横浜の山手にある「いなり湯」という銭湯。

建物が大変素晴らしいだけでなく、浴場も富士山の素晴らしいペンキ絵があtたり、脱衣所にはシャンデリアがあったりと見どころ満載の銭湯となっているので、以下でその魅力を紹介していきますね〜♨︎

本記事のポイント

・戦後から現在の場所で営業する老舗銭湯
・立派な格天井とシャンデリアのコラボが印象的!
・ペンキ絵タイル絵、さらには天然温泉の黒湯が最高!

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緑の瓦が印象的な豪華な造り

今回紹介するのは、横浜の山手にある「いなり湯」という銭湯。JR山手駅から徒歩から徒歩10分弱の場所にあるんですが、地元民とかじゃないとなかなか来ない場所っすね(;’∀’)

とはいえ、これは大変立派な建物。屋根の瓦にしろ、緑色を呈しているのが大きな特徴っすかね♨

“な”がくずし字なのが良いっすわ

この「いなり湯」と描かれたタイル絵も大変絵になります!

ここからさほど遠くない場所にある南区の永楽湯も似たような造りになってますが、ご主人さんによれば同じ大工さんとのこと。

洗濯機が、やたらたくさんある

そしてこんな感じで外にまで洗濯機が立ち並ぶという状態。洗濯機は脱衣所にもそれなりに完備されているんですが、なんでこんなにたくさんあるんですかね?

恐ろしい数のロッカー

そして下駄箱もかなりの数だ!!

戦後から高度経済成長にかけては風呂屋さんもすんごく繁盛したので、そのときであればこれらの下駄箱も埋まったかもしれないですね。今は一日のお客さんは90人ほどとのことなので、さすがに埋まることはないでしょうが。。

ではでは、早速建物の中に入ってみることにしましょ〜〜!

脱衣所では金魚も泳ぐ!

格天井とシャンデリア

中に入ると、まず目に入ったのがこちらの格天井!

この近辺では、永楽湯や仲の湯でも見られるものの、これだけ立派な造りはなかなか見ることが出来ないんじゃないですかね。高さもあり、たいへん開放感があるわけですが、さらに珍しいのが天井に吊るされているシャンデリア!!

銭湯にシャンデリアというコンビネーションはなかなかというか、初めて見るかもしれん。。

でも、この和洋折衷感がいいっすね〜〜

番台は、創業時からのもの!

三連続に並べられたマッサージ機も時代を感じる!

あと金魚がいるって珍しいですが、他のどこかの銭湯でも金魚飼ってるところがあった気がするんですよね。忘れてしまいましたが。。

とはいうものの、全国を探してみると、奈良県の花園新温泉ではカラオケが出来たり、あと東京の黄金湯ではクラフトビールが飲めたりDJスペースがあったり。探すといろんな銭湯があるんですよね~~

ということで、脱衣所で目に付くものを簡単にですが紹介したので、次は風呂場を紹介することにしますね~~

ペンキ絵、タイル絵、黒湯が最高!

瀬戸内海を描いたペンキ絵

おお〜〜〜

風呂場に入るとまずこんな光景が目に飛び込んでくるんですが、ペンキ絵や鯉が泳ぐ壁絵など、レトロな銭湯好きにはたまらない光景が広がっております♨︎

風景画の題材としては、富士山や西伊豆の景色をよく見るので、こちらも西伊豆を描いてるのかと思ったら、瀬戸内海とのこと。

場所はともかく、大海原に島が点差在する風景ってのはやっぱり絵になりますよね~。しかし銭湯絵師さんはこれだけの絵を一日でサッと書いちゃうんだから、凄いもんですよ、本当に!

一度でいいから、ペンキを描いてる様子を生で見てみたいものだ!

こちらは銭湯絵師の丸山清人さんが、当時新人だった勝海麻衣さんと共に描いた作品。

実際に描いてる様子

ご主人さんに新聞の切り抜きとか、資料的なものもいくつか見せていただいたんですが、それにはこうしてペンキ絵を描いてる様子も書かれてました。

こちらは女湯で、女湯側は富士山が描かれているんですね!

そしてここは浴槽がこんな変わった形をしてるんですね。壁には鯉が優雅に泳ぐ絵が描かれており、それを見ながらゆっくりと浸かることが出来る至福のひととき。

いや~記事書いてると、また行きたくなってくるわ~~♨

これだけの素晴らしい銭湯ではあるものの、いなり湯に限った話ではないですが戦闘を維持するのは大変なんですってね。

ここは都市ガスでお湯を沸かしてるわけですが、ガス代だけでも一日で一万円近くするようで、その他にも水道代や電気代だってかかる。一日のお客さんもそんなにドバッと来るわけでもないので、そう言った経費だけで収入はかなり相殺されてしまうそうです。

そう言った状況ではあるものの、こうした銭湯を営業し続けてくれているご主人さんには本当に感謝しかないです。こういう場所が残ってるだけで、私は癒されるわけですからね( ̄▽ ̄)

井戸を掘ったら黒湯が湧いた

そして黒湯が沸いてるのも、ここの大きな特徴ですね!

この天然温泉の黒湯は、1961年頃に井戸を掘ったら出たこと。

黒湯は東京や神奈川の東側で湧く独特の温泉で、横浜市内であればココ以外に永楽湯、利世館あとは綱島の富士乃湯などでも堪能することが出来ます。

男湯と女湯の仕切りには、ヨーロッパの風景っぽい絵が描かれたタイル絵が。仕切りにこんな感じの風景が描かれてる銭湯ってよくみる気がする。

洗い場には全てにシャワーがついているのですが、これは東日本大震災がキッカケだったそうです。

震災の揺れによって配管にヒビが入ってしまい、その修理の際にシャワーをつけたんですって。その時は、壊れた配管からお湯が漏れてしまい、燃料がいつもの二倍ほどかかってしまったそうです。

それでも、この銭湯を守りたいと思ったご主人さんは、貯蓄やかつて銭湯を営んでいた親族からの見舞金で賄ったそうです。それだけ、多くの方の想いによって、この銭湯は維持されているわけです。それを知ると、よりのこ銭湯の存在がありがたく思えてきますわ!

ガラスに描かれたこの絵もイイネ

風呂場の紹介は以上ですかね!

では、続いてはこの銭湯の誕生について、ご主人さんに聞いた話をまとめてみます!

明治時代に福井から横浜へ

1945年5月29日の横浜大空襲

このいなり湯の起源をたどると、それは明治時代まで遡るそうです。

明治の頃、福井県から祖父とその兄弟たちが横浜に出てきて銭湯を開いたのが始まりとのこと。ご主人さんのお父さんは、横浜市の南区で「貴浜湯」という銭湯を経営していたそうですが、それは残念ながら1945年5月29日の横浜大空襲により焼失。。

銭湯の向かいにある第六天稲荷社

ところが終戦の翌年、空襲によって市内のたくさんの銭湯が焼失してしまい、市民にとっても不衛生で問題と考えた横浜市は、市内に六軒の銭湯を建てる必要があると考えました。そのときに声をかけていただいたことから、現在の場所に「いなり湯」を開業したんだそうです。

その名前の由来は、すぐ近くにある「第六天稲荷社」に由来しているとのこと。

ちなみに、現在の建物は1961(昭和36)年の建物。この地で始めたのは1946(昭和21)年のようですが、その後の建て替えで今の建物になったようです。

多いときは1日に300人ほどが押し寄せ、脱衣所は人であふれ、カランは順番待ちが出来るほどだったそうです。とはいえ、家庭に風呂が出来るようになり、それはもはや昔の話。いなり湯に限った話ではないですけどね。

でも、先ほどの東日本大震災の話でもあったように、多くの方に支えられていなり湯は今も営業を続けているわけです。ご主人さんはすごくフレンドリーなので、風呂上りにでも昔のことを聞くと、いろんな話を聞かせてくれます。

例えば、以前は銭湯界隈で有名な町田忍さんが、多くの方を連れてやってきてくれたんですよ〜とか、、

あとは現在のペンキ絵が完成した際の記事をこうして見せてくれたりね。

あと、このいなり湯には、横浜市南区出身の力士である鬼雷砲 良蔵(きらいほう・りょうぞう)が来てくれていたとのことで、相撲関係の写真も脱衣所の所々に見られたりします。

ほらね
こちらにも力士の写真がありますよね

おわりに

はい、以上ですかね!

いなり湯は、記事に書くための取材以外にも今まで何回行ったかわかんないくらいくらい通わせていただいてるんですが、こうした銭湯は本当に多くの方に存在を知っていただき、そして体験して欲しいです。

維持していくのも大変でしょうが、ご主人さんには体にも気をつけてこれからも頑張っていただきたい!

以上、私が大好きないなり湯の紹介でした〜〜

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県横浜市中区大和町12-1
営業時間 15:00~24:00
休館日 火曜日
駐車場 なし
電話番号 045-623-8771
アクセス JR山手駅から徒歩10分ほど
リンク https://k-o-i.jp/koten/inariyu/

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