写真だけで婚約者を選んでた!?
前のページではハワイへ移民した背景やその暮らしぶりに関して紹介しましtが、まだまだネタはたくさんあります!
続いての話題は、ハワイ移民の男性たちは、ハワイで生活するとなると結婚相手はどうしていたのか??
「向こうの方と国際結婚したのか?」と思うかもしれませんが、明治初期の頃のハワイに住んでいたのは原住民の方々。生活も言葉も何もかもお互いに異なっていたことから、これは難しかったんですね。そうなると、日本から女性を呼ぶしかないわけです。。
その話として有名なのが、明治41年に行われた”ピクチャーブライド”っす!
ピクチャーブライドとは、日本語にすると「写真結婚」で、その結婚までの流れは以下のようなものでした!
2. 履歴書をもとに、親元や知人に結婚相手を探してもらう
3. 女性が写真を見て「こいつなら良いか!」と思ったら、女性側が履歴書や写真を送る
4. その履歴書や写真を見て男性もOKを出す
5. 女性がハワイへ渡航して結婚する
この話は1994(平成6)年に映画にもなっていて、この『ピクチャーブライド』という映画では、工藤夕貴演じる主人公の女性が写真結婚で騙されて嫁入りした悲惨さを描いています。
映画では「女性が見た男性の写真は何年も前の若い写真だった」っていうケースを題材にしています。
ただ、実際の写真結婚も、いざ実際に会ってみると、、
「あっ、あれっ、、顔違くね??」
みたいなことが多発していたようです。それでも我慢して結婚出来たならまだ良い方で、酷いケースだと夫が新妻を他人に売ったり、売る相手がいないともなればアメリカ夫人の経営する花嫁引き取り所に預け、この会社が「安値にて妻を欲しき人」に売却していたこともあったそうです。
まぁ普通に考えたら「そりゃそうなるわな!」と思いますよね!
でも、何でこんなことが起こったのかというと、明治41年の2月に日米紳士協約が結ばれたためでした。これは日本人の自発的な渡航を禁止するものでしたが、再渡航者やハワイ在留の日本人家族や写真結婚による呼び寄せ婦人などが法適外だったんですね!
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大正13年7月にハワイへの出稼ぎが禁止されるまでの16年間、写真結婚は続いたそうです。
うまくいかなかったケースが多かったのは想像できますが、堀正昭著の『ハワイに渡った海賊たち』には、写真結婚ではあるものの夫婦円満ですごされたケースも紹介されていました。
しかし、こういう形で結婚していたなんて、すごい時代やな。。
ブラジルへの移民にも関係が・・
ハワイ移民に関する展示は、基本的に資料館の一階に展示されております。んで、この資料館は二階建てであり、二階にはこんな場所も!
スタッフさんから説明は受けませんでしたが、周防大島というか山口県はブラジルへの移住に関してもつながりがあるようです。
その辺の歴史が結構細かく説明されておりましたが、この辺は私も詳しくはまだ見れてないんですよね~。
ちなみに私はプロレスが好きなのですが、多くの日本人が知っているアントニオ猪木もブラジル移民の一人。コーヒー豆の栽培に明け暮れ、向こうで師匠の力道山にスカウトされたのがプロレスラーの始まりでしたな~~。
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その他の部屋や展示物はパパっと紹介しちゃいましょう~~。
こちらは移民に行った方々が日本に持ってきた品々ですね。今では見慣れたものばかりかもしれませんが、当時の日本からしたら大変珍しいものだったそうな。
ここに展示されているコインは、先ほど紹介した中村一三郎氏のコーナーのリニューアルオープン第一号のお客様としてハワイから来館したトーマという方から譲り受けたコレクション。
こうやって、ハワイに住んでいる個人の方との絆も、この資料館には残されているんですね。
あと、こういう新聞記事みたいな資料も結構たくさんありましたし、、、
こちらは、ハワイのカウアイ島による交流宣言書っすね!
ハワイにあるカウアイ島と周防大島は姉妹島という形で結ばれているんですって。よくある姉妹都市みたいなやつですね!!
あと、館内には移民者の方々の検索コーナーもありました!
ここでは、明治18年から26年までの官約移民および、明治27年から明治40年までの私約移民、自由移民に渡航された方々の名簿が検索できます。
私みたいな部外者ではなく、移民の三世や四世の方々達にとっては、自分の歴史を辿る上で大変ありがたいサービスなんじゃないっすか??
あと、これは1932(昭和7)年にハワイの蒲野村人会が三蒲小学校に寄贈したピアノです。
戦前もそうでしたが、戦後の島民の生活は厳しく、その苦しさを切り抜けたのはハワイ・アメリカからの送金および、物品による慰問でした。コーヒーや砂糖、チョコレート、キャンディーなどなど当時の日本ではなかなか手に入らなかった嗜好品も送られてきていたのです。
瀬戸内海の島々にある神社やお寺に行っても、玉垣などにハワイの方々の寄贈の爪痕などが今でも残っているとのこと。こうした痕跡も、次に島を訪れたときには探してみたい。。
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現在の周防大島
ざっと紹介するとこんな感じでしょうか!
この周防大島、今でも島を走っていると所々にヤシの木が立っていたりと微妙にハワイチックな要素が残されておりました。
また、移民に行ったあと、ハワイから帰ってきた方々の中には立派なハワイっぽい造りをした家を建てた方もいたそうです。島をよく捜索したら、そんな名残りも見つけられるかもしれないですね。。
私が訪問した2019年の時点では、ハワイへ渡った最初の世代である一世の方はさすがにご存命ではないですが、二世にはまだ健在の方がいるそうです。といっても、ここではなくてハワイにね!!
二世の方々は日本語はしゃべれないものの、自分たちのルーツを探るべくこの資料館にやってくる方もいるそうです。ハワイとつながりが深い周防大島ではあるものの、ハワイに関する資料を置いてあるのは島内でここだけ。
そしてこの島は他の地方と同様に過疎化が進み、若者がいない島になっているとのこと。今は4割近くが高齢者なんですって。。
資料館を一通り見回ったところで、最後に売店にいるスタッフの方にご挨拶へ!
この売店だけはハワイアンチックな雰囲気になっていますね。ちょっと次のスポットへ行く時間が迫っていたので、この売店をじっくり見れなかったのが心残りだったんですよね。。
そしてハワイということで、やはりアロハシャツは売ってましたね。
この資料館、場所的に訪問難易度が高いですが、多くの方にこの歴史を知ってもらいたいです。私ももう一回行きたいんですよね。少し急ぎ気味で鑑賞していたので。。( ;∀;)
おわりに
ということで、日本のハワイとの関わりの歴史を資料館を通じて紹介してみましたが、この辺の歴史は全く知らんかったです。。
そもそも私はハワイに一回も行ったことがないので、死ぬまでに一回は行ってみたいともいましたね!
でも、行くと言ってもビーチでくつろぐ的なものではなく私の場合は向こうでの歴史散策になると思いますけどね(笑)
スタッフの方が「こういう歴史を知ってから行くと、ハワイに行っても見方が変わってくると思いますよ!私はハワイに行くとなるとなんだか切なるなりますから(笑)」とおっしゃっていましたが、なんかわかる気がする( ;∀;)
周防大島は他県からだとなかなかアクセス的に行きづらい場所ではありますが、気になった方はぜひぜひ訪問してみてくださいね〜!!
参考文献
詳細・地図
住所 | 山口県大島郡周防大島町大字西屋代上片山2144 |
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営業時間 | 09:30~16:30 |
定休日 | 月曜日(月曜日が祝日の時はその翌日) 12月29日~1月3日 |
入館料 | 大人 400円 小人(小・中学生) 200円 |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0820-74-4082 |
アクセス | JR大畠駅から車で10分ほど |
リンク | http://www.town.suo-oshima.lg.jp/syoukoukankou/hawaiishiryokan.html |