激動の時代を生き抜いたジャーナリストの人生を学ぶべく「徳富蘇峰記念館」を取材した!

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誰もが知る著名人の資料がわんさか!!

▲2階には著名人との文通が展示されている
2階には記念館に保管されている資料の一部が展示されていました。蘇峰は交流関係がとても広く、全て展示するにはスペースが足りないということもありその時々のテーマに沿って資料を展示しているという。
私が訪問した2018年8月の時は湘南地区(平塚・茅ケ崎・藤沢・鎌倉・逗子・葉山)の方面に関りがあった著名人に関しての展示でした。展示してある資料は60人ほど。今回は湘南ですが、去年は小田原や熱海などの西湘地域、さらに前は大磯に関わる方々に関して展示していたという。
全部を書くとすごく長くなるので、今回展示されていた中で自分が印象的だった人を取り上げて紹介したいと思います~(*’▽’)

東京駅で撃たれた元首相「浜口雄幸」

手紙の内容
昭和2年05月31日付
第一回の普通選挙議会へ、国民新聞が浜口を推進し、肖像画を送ったことに対する礼状。
こちらは、浜口雄幸(はまぐちおさち)元首相からの手紙。浜口雄幸といえば、東京駅で銃撃を受けて亡くなった元首相としても有名ですね。今現在でも、東京駅のタイルには浜口雄幸が銃弾を受けた場所に印がついていたりします。
▲浜口雄幸の別荘だった「旧古我邸」
浜口元首相の別荘は鎌倉にあり、今現在のバス停である六地蔵の周辺にあったそうです。しかし、首相になり手挟になったことから昭和4年から荘清次郎の別荘である今の旧古我邸に移ったそうです。
この建物、実は私が高校に通っていた際の通学路でもあり「この馬鹿でかい建物はいったい何なんだ??」と思っていたんですわ。今現在は結婚式が行われたり、いつもはフランス料理屋となっているそうです。私は中に入ったことはないですが、私の親はここで食事したことがあるとのこと。

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旧五千円札に載っている「新渡戸稲造」

手紙の内容
????年10月29日付
川崎万蔵という人物を蘇峰に紹介したいという内容の手紙。
続いては、皆が知っているであろう新渡戸稲造氏の手紙。彼は岩手県の出身で札幌農学校(現:北海道大学)の二期生。「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士の明言は、新渡戸稲造によって広められています。旧五千円札に描かれていたのでそれでご存知の方が多いのではと。
彼の別荘は、鎌倉の稲村ケ崎にあったようですがあまり利用されることは無かったようです。今現在は、聖路加看護大学のセミナーハウスになっている模様。

東洋一の結核療養施設を作った「高田畊安」

手紙の内容
明治40年11月21日付
南湖院に銀杏の木、樟(くすのき)の木を手植えしたい。
蘇峰先生にもお出ましいただきたい。
こちらは高田畊安(たかだこうあん)から送られた手紙。彼は草津温泉を広めたとして有名なベルツ先生に師事し、明治29年東京神田駿河台に「東洋内科医院」を設立。また、同志社の創立者である新島襄にも師事し、キリスト教にも入信した方。
高田畊安は結核で兄を亡くし、自身も結核で療養した経験から、明治32年に神奈川県茅ケ崎市に結核診療のためのサナトリウムである「南湖院(なんこいん)」を開設。東洋一の結核療養施設ともいわれ、今現在は外庭だけ公開されているそうです。

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日露戦争で活躍した「児玉源太郎」

手紙の内容
明治32年12月09日付
お手紙拝見しました。別紙拙文送ります。採用するしないはお任せいたします。
児玉源太郎(こだまげんたろう)は陸軍大将だった軍人で、陸人大学校校長として、ドイツの軍制・戦術の導入に努め、台湾総監・陸相・などを歴任。日露戦争時は満州軍総参謀長、のち陸軍参謀総長を務めることになります。
▲児玉源太郎を祀った「児玉神社」
そんな児玉は鎌倉坂ノ下に別荘を持ち、毎週日曜日に静養に訪れていましたが、別荘に多くの面会者が訪ねてくるようになり、江ノ島に新たに静養場所を作り避難していたそうな。そこで、児玉が亡くなった後の大正8年に児玉を祀った「児玉神社」が鎮座されました。
江ノ島弁財天の近くにあり、少し気づきにくい場所にある神社ではありますが江ノ島にはこのような神社もあるのですよ!!

旧千円札に載った「夏目漱石」

手紙の内容
明治42年02月09日付
明治42年、『横川和尚百人一首』(中世の禅僧百人の七言絶句を百首集めたもの)を民友社が復刻した。蘇峰は限定版のうちの第150号を高浜虚子に託し、漱石に送った。それに対する礼状である。漱石独特の言い回しで感謝の意を述べている。
こちらは夏目漱石からの手紙。旧千円札に描かれている方としても有名ですね。漱石は、明治27年末から翌年にかけて、神経衰弱の治療を図るため円覚寺の塔頭・帰源院に止宿して当時の円覚寺の館長だった釈宗演に参禅。その様子は、小説『門』にも描かれています。
ってかすんげぇ文字。達筆すぎてなんて書いてあるのか全然わかんねえわ( ;∀;)
 
その他にも、多くの著名人から送られた手紙などが展示されていますが、全部紹介するのは大変なのでこのくらいにしておきましょうか( ;∀;)
再び1階に下りて、この階に展示してあるものを解説していただけました。

西郷隆盛の服が展示されている!?

▲西郷隆盛が実際に着た外套
まずは、1階の中心に展示していあるこちらの外套。一体何なのかというと、何とこれは西郷隆盛が実際に着た外套(がいとう)なんだそうです!!マジかいな( ゚Д゚)
これ、もともとは鹿児島にあったものだったそうですが、なぜか競売にかけられていたものを蘇峰が買い取ったものなんだそうです。蘇峰は西郷隆盛のファンだったそうですよ。彼がこれを着てカメラマンに撮ってもらった写真もありましたわい。
山形有朋の遺族から蘇峰がプレゼントしてもらったもの。山形有朋財団の方にもこんな硯があるのかと驚かれたんだそうです。
▲蘇峰が実際に使用したパスポート
蘇峰が120年前に外遊した時の実際のパスポート。本籍の熊本の住所や、恐らくこの時に暮らしていた東京市赤坂の住所が書かれていますな。
そして実はこの徳富蘇峰記念館、今年の2018年には河野太郎外務大臣が訪問されたそうなんですね。河野太郎は選挙区が神奈川県15区(茅ケ崎市、平塚市、二宮町、大磯町)ということもあるので。その時には、外務大臣ということもあってこの昔のパスポートを見ていただいたそうですよ!!
蘇峰が日ごろ使っていた資料。辞書がないと生活が出来ないというくらい、蘇峰は辞書に囲まれて勉強をしながら日々を過ごしていたようです。
今みたいにポストイットがなかったため、秘書がしおりを作ったそうです。お菓子の紙を切り刻んで作ったものなんだそうですが、まだ今みたいに物が豊富じゃなかった時代って感じです。
しかし、すんげぇ付箋(ふせん)の量。。もはや何が重要だかわからなかったりしないかい(^-^;
▲渋紙で作ったブックカバー
さらにこれは、渋紙(しぶがみ)でブックカバーを作ったもの。渋紙とは、和紙に柿渋などを塗って乾かしたもの。防腐や耐水の高価があったため、ブックカバーに向いていたそうなんですね。蘇峰はこういうのは自分でやりたがるそうで、自分で作ったんだそうですよ。
最後はこちらのポスターについて。この『八重の桜』とは、2015年にNHKで放映された大河ドラマ。「八重」とは、同志社の創設者である新島襄の奥さん。ここのスタッフさんは、この物語にはA級戦犯容疑者だったということもあって蘇峰は出てこないだろうと思っていたようです。
でも、蘇峰を出さないとうまく八重を描けなかったのか、彼もこの物語に出てくることになったようです。
最後に、大磯や小田原さらには伊豆半島方面のに関する歴史など多くのことを博物館の方と語り合った後、記念館を後にすることに!!いや~神奈川県内といえどもアクセスが良い場所ではないのが難点ではあるものの、とっても楽しかったっすわ~~!!

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おわりに

 
ここは歴史好きにはとってもたまらない博物館だと思います。私は明治以降の近代史を割と調べているため、東條英機氏や松井石根大将など明治から昭和の時代に活躍した多くの方々の資料が残されています。
スタッフの方もとても丁寧で、また機会を見て訪問しようかと!!ただ、彼は、年を重ねるごとに右傾化していき太平洋戦争のさなかでは、戦争支持を貫いていたようなので彼のことをよく思わない方も多いかもしれないですね。。
あ、あと徳富蘇峰で検索すると「徳富蘇峰 大竹まこと」と候補に出てきました。血縁関係でもあるのかと思ったら、二人の顔が似ているということなんですね( ;∀;)
うん、、、確かに似てるっちゃ似てるか(笑)

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県中郡二宮町二宮605
営業時間 10:00~16:00
入館料 一般 700円
高校・大学生 500円
休館日 毎週月曜日
(月曜が祝日の場合は開館し、翌平日休館)
駐車場 無料(3台)
電話番号 0463-71-0266
アクセス JR東海道線二宮駅より徒歩12分
リンク http://www.soho-tokutomi.or.jp/
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