茨城にある「石岡看板建築」に秘められた歴史とは!?

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

ういっす!

今回は茨城県のスポットを記事にするわけですが、そのターゲットは石岡市です。あまり聞き馴染みがない地名かもしれませんが、この石岡には看板建築という昔の建物がたくさん残っていて、街歩きをするにはうってつけの場所だったりするんですよね!

いや〜相変わらずマニアックなテーマですみません。。( ;∀;)

川崎に住んでる私からするとちょっと石岡は遠かったりするものの、ポンコツ軽自動車をぶっ飛ばして訪問&取材しましたわ!

もうね、「気になるところがあるんだったら、どこでも行ったるぜ!」って感じですよ!

ということで、石岡の看板建築に関して、現在の様子や歴史をまとめたので以下で紹介しますね~~(*´▽`*)

本記事のポイント

・かつては宿場町であり、近江からの商人もやってきた
・昭和4年の大火がキッカケで、多くの看板建築が建てられた
・幻の店の味を復活させた餃子が人気メニュー

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多くの貴重な看板建築が残る石岡

いや〜川崎から遠かったぜ〜

はい!!

ということで、川崎から東京に入り、国道6号線をひたすら北上して石岡の看板建築群を見にやって来ました。今回の取材対象である建物は、上の写真の国道355号線沿いに密集しています。

この辺、昔は府中宿という宿場町だった場所でもあり、駅からは少しだけですが離れた場所にあるんですな~。

地図で示すとこの辺りなんですが、、、

もうちょっと具体的に表すと、この赤く囲ったエリアっすね!

この風景はたまりませんわ(*´▽`*)

詳しくは後で紹介するとして、まずはどんな建物があるのかサラッと紹介したいんですが、看板建築の中でも特に見応えあるのがこの「十七屋履物店」「久松商店」の建物だと思うんですが、、

大和田家貸店舗(昭和五年竣工)

この大和田家貸店舗も本当に見事ですよね!

一階には喫茶店があって、ここは今でも営業してました。時間があればちょっと休憩してもよかったんですけど、今回は時間が無くて無念の撤退。。

すがや化粧品店(昭和五年頃竣工)

こちらの化粧品店の建物も実に見事!

国道355号線沿いの周辺には、こうした建物がたくさん建ち並んでおり、そのうちの九つの建物が国の文化財に登録されているのです!

街歩きの休憩にも良いっすよ!

そして、今回の記事を書くにあたって、いろいろ情報を提供していただいたのが、こちらの丁子屋さん。丁子屋は、江戸時代末期に建てられた元染物屋であり、今は館内を説明していただきながら鑑賞することもできるし、駄菓子など昔懐かしいものも売っている観光案内所となっているんですね。

スタッフの方が親切過ぎて神でした

んで、この丁子屋のスタッフの方に「看板建築を見に石岡まで来たんすよ〜」と伝えると、知っている色んな情報を親切丁寧に教えてくれたんです。マジ、ありがたいっす。

ということで、これらの建物を後でひとつひとつ紹介していきたいわけですが、まずは石岡の看板建築にまつわる歴史から、簡単に紹介していきますね!!

多くの近江商人が商売を行った痕跡

そんな石岡にあった府中宿は、商売の町だったということで滋賀県である近江の方から多くの商人が入ってきました。近江国は、日本三大商人の一つである近江商人がいる町として有名だったみたいです。

近江国日野町(現:滋賀県日野町)も中世以来商工業が盛んな地域であり、日野町出身の商人は、漆器・医薬品・醸造業などを主に扱い、北関東に進出する者が多かったようです。

営業してたら話聞きたかったな・・

その近江商人の方のご子息が営んでいた書店の建物が実は今も残っていてですね、それがこちらの「近清書店」。

屋号に”近”という文字が含まれているように、ここの先祖は近江商人だったみたいですよ!

さらにさらに、その他にも近江の方が石岡にやって来た話がありまして。それは、新地八軒という遊廓にまつわるお話なんです。

かつて石岡にあった遊廓(新地八軒)

こちらは、石岡にある丁子屋の方のメモなのですが、昔は石岡にも遊廓があり、鈴ノ宮稲荷という神社がある通りに、両脇四軒ずつ、計八軒の妓楼が立ち並んでいたそうです。

この中でも、紀州屋の女将はかなりやり手な方で、石岡の資料館にも彼女のことが展示されているほどなんですが、今回注目したいのは、”近江楼”という屋号っす。

そう、いわゆる商店のみならず遊廓にも近江の方からやってきた方が営んでいた妓楼があったみたいなんです。遊廓もあくまで一例ではありますが、石岡の歴史を紐解いていくと、色んなところに近江商人の名残りが見つかるんじゃないっすかね?

そして、そんな近江商人の中でも最も成功を収めたのが豪商・村田宗右衛門であり、彼は醤油やお酒の醸造で大成功を収め、大火で焼失した石岡の街を復興すべく多額の寄付を行ったとのことです。

そんな歴史が、今も建ち並んでいる看板建築には秘められているようです!!

村田宗右衛門のことは、また後で詳しく書きますね!

という感じで、近江商人がやってきて商売の街として栄えた石岡でしたが、1929(昭和4)年に大事件が発生します。

それは、石岡の町で発生した大火でした。

昭和四年に発生した大火がキッカケ

これだけたくさんの看板建築が残っている石岡なわけですが、そう聞くと「何で??」って思いますよね!

それには、今から100年近く前に発生した大火がキッカケだったようです!

引用元:『写真集 いしおか 昭和の肖像』

上の写真は、石岡を訪問した際に歴史を教えていただいた現地の方から提供していただいた写真ですが、このように、石岡では1929(昭和4)年に大火が発生。。町中の様々な建物が焼失してしまいました。

そこで、東京で腕を振るっていた職人たちが石岡へとやってきて町を再建。その時に看板建築の建物が流行っていたこともあり、石岡に多くの看板建築が建てられた、というわけです!

石岡に限らず、今では「江戸東京たてもの園」でも多くの都内にあった看板建築の建物が保存されてますし、あとは古い建物が残っている町を歩いて探してみると、今でも所々残されていたりしますヨ。

正面から見ると、看板っぽいぺったんこな造りであるもののとても見応えある作りをしていますが、、

このギャップがたまらん・・

横から見ると、まるで別物のような光景が見られるというね。。トタンの板を張り付けた簡単な造りであることがわかります。そして、入り口部分が狭く、奥に長いというのも大きな特徴っす。

これ、今でいう中華街の建物と同じっすね。中華街の建物も、正面は以下にも豪華絢爛な中国っぽい作りをしていますが、横から見るとただのビルというね。。(笑)

看板建築の建設に貢献した方々

こうして今も数軒の看板建築が石岡に残っているわけです。とはいえ、どんな建物もそうですが、人間が関わっている以上、そこにはいろんな方々が関わっていて、ドラマがあるわけです。

そこで、石岡の看板建築においては、大きく関わった二人の人物がおりましてですね!ちょっとそのお二方を、紹介したいと思います!

多くの看板建築を手がけた土屋辰之助

まずは、東京の左官職人だった土屋辰之助というお方!!

現存する看板建物のうち、彼がどのくらい多くの建物に携わったかはわからないですが、彼は地元が石岡だったということもあり、大火の後に建てられた看板建築を多数手掛けたようです。

そして、そんな彼の邸宅が実は今でも町中に残されているのはあまり知られていないとのこと。。

それがこちらの建物!

どうです、メッチャ見事じゃないっすか!正面には見事なアール(カーブ)があり、パッと見は三階建てに見えますが、実は二階建て。正面のガラスや二階のバルコニーなど、作りは実に見事じゃないっすか??

この建物、今は倉庫か何かになっていて人は住んでないものの、土屋家が今まで残してくれている建物なのです。石岡市内にある看板建築の多くは登録有形文化財に指定されているものの、この建物はご子息が登録を拒否ったことから、パンフレットにも掲載されておらずあまり知られていない建物とのことです。

側面とのギャップが凄い!!

この建物もほかの看板建築と同様に、側面は板を張り付けただけの簡単な造りになってますね。

ここは町のボランティアガイドの方に案内していただいたんですが、石岡に来る際は、ぜひこの建物も目に焼き付けておいてくださいね~~(*´▽`*)

そしてそして、土屋辰之助さんの痕跡はこの建物にとどまらず、とある遊具をも石岡市内に残してくれたようです。

それがこちらの滑り台!

小学校の校庭の片隅にひっそりと佇んでいます。石造りということもあり、滑らない滑り台ってやつです(笑)

しかし、土屋さんは何でここにこんな滑り台を作ったんでしょうね。。せっかくだから私も滑ってみようと思いましたが、30代のオッサンが一人滑り台を滑っている姿はあまりに痛いと思ってやめました・・(;・∀・)

この「ニコニコ」「オスナ」という文字がありますが、「みんな順番に仲良く滑りましょうね!」て意味が込められてるんですかね??

醸造業で大成功した村田宗右衛門

そして二人目は、近江商人の村田宗右衛門っす。

さっき、「日野市出身の商人は、漆器・医薬品・醸造業などを主に扱い、北関東に進出する者が多かったようです。」という記述をしましたが、初代村田宗右衛門もこの流れを汲み、1829(文政12)年に石岡へと移り住みました!

今の国府公園に、酒蔵と醤油の醸造所があったようだ

そこで、彼は酒造と醤油の醸造により大成功を収め、石岡のみならず水戸や下館にも酒蔵を建てて経営を拡大させていきました。

そして二代目の方も大変勤勉家で、家業を守り経営の地盤固めにも成功。江戸方面への販路をも拡大させ、商売を確立していくことになります。

明治六年に開業した守木町郵便局

そして、三代目の方は明治6年に郵便局を開局するなど、積極的に近代制度を取り入れました。その郵便局は、今もこうして現存。

その他には、近くの愛宕山や山崎の山林を開墾して公園や耕作地を拡大したこと、そしてそして、大火で焼失した石岡の町に対しても復興支援として多額のお金を投じたりもしたとのこと。

今ある看板建築は、こうした方々がいたことで建てられたという背景があるわけですね。

石岡に限らずですが、今ある町にも色んな方々の存在があって、そして歴史があって今があるわけです。特に、自分に由縁がある町でそんな歴史を知ると、そういった方々へのありがたみも湧くし、今この街がこうして存在していることが、いかに凄いことかということが分かったりします(*´▽`*)

という感じで、簡単にではありますが石岡の歴史を紹介させていただいたということで、ここからは石岡市内に残る建物をひたすら紹介したいと思います!

石岡に残る看板建築・歴史的建造物

五月雨式に、どんどん紹介しまっせ〜〜!!

はい、まずは石岡の看板建築でも一番奇抜なデザインと言っても過言ではない「十七屋履物店」!!

ここは半年くらい前までですかね、お婆さんがお店を続けていたそうですが、体調を崩してからはずっと閉めたままなんだそうです。。営業してたらお話を聞きたかったが、

しかし、この色合いといいデザインといい本当に素晴らしい。いつまでも、後世に残してほしいと思わずにはいられない建物ですわ!!

この建物は、昭和4年の大火の後、この地区で最初に再建された建物でありこの地区における看板建築の先駆けにもなりました。

この黄土色ベースに、緑字で「十七屋商店」と書かれ、その周りに茶色の枠が覆っているという、何とも奇抜なデザイン。

さらに、上部に作られているレリーフ。看板建築って結構いろんな場所で見て来ていますが、こうした色合いはあんまり見たことがないっすね~~。

昔の電話番号のプレート

そして電話番号のプレートも残されていました。古い建物には、今でもよく見かけますけどね。

大和田家貸店舗

大和田家貸店舗(昭和五年頃竣工)

昭和五年頃に建てられた、木造二階建ての看板建築。

正面から見ると、上部に立ち上がっている煙突風の突起物が実に印象的。

コリント様式風の柱が特徴的で、至る所に彫られた造りがどれも印象的。ここは当初から貸店舗として建てられた建物とのこと。

窓の造りも素晴らしい
木造部分が丸見え♡

正面はモルタルで固められていますが、木造建築物ということで側面を見ると木造感バリバリの雰囲気が垣間見えます!

こちらは久松商店。こちらも色合いや窓に特徴がありますね〜

んで、丁子屋の方もおっしゃってましたが、この三軒が並ぶ光景が特にインパクトあるとのこと。

一番右の建物は「福島屋砂糖店」であり、看板建築ではないものの木造二階建てで外壁に重厚感を感じる素晴らしい建物になっています。こちらも、登録有形文化財に登録されてるみたいですね。

黒と白のコントラストが素晴らしい

建物の脇にはこんなレールが敷かれていますが、これは今でも使われているみたいです。住まれている方が高齢ということもあり、出入りするときに使っているとのこと。

平松理容店

この建物は昭和三年に建てられたということで、竣工したのは大火の前だったみたいです。

今では元々お店をやっていた方とは違い、別の方がお店を借りて営業しているスタイルが散見されるものの、平松理容店は今でも現役でお店は続いているようです。

一階は理容店であり、二階は住宅になってるのかな??

上部のデザインが素敵すぎる
アカンサスの葉をモチーフにした意匠
渦巻いてる模様もあった

森戸文四郎商店店舗兼住宅

こちらも、昭和五年頃に建てられた木造二階の看板建築。

縦長の窓、後は天井の褐色タイルが印象的ですね。今はもう空き家状態になっているんですかね。。人がいる気配は全くありませんでした。。

天井に造られた意匠が素晴らしいわけですが、褐色タイルが剥がれているのがちょっと気になったり。。

すがや化粧品店店舗兼住宅

こちらのすがや化粧品店も、昭和5年頃の建築。三角の形をした屋根が大変特徴的ですね。

二階の内部はどうなってるのだろう??

あとは、こちらも見た目は派手ではないものの看板建築にはなりますかね。上部の淵に洋風チックなデザインが見られます。

こちらも看板建築っすかね
この建物もいい感じ

あとは街中を歩いていると、この建物なんかも見応えありましたわ!

「石岡印刷」の字体がレトロで素晴らしい。。

バルコニーの形が素晴らしい

という感じで、建物好きには街歩きをするにはうってつけの石岡。とはいえ、かなりマニアックな世界なので、どのくらいの方に響くかはわからないっすけどね。。

今回は街を歩いて写真に納めるくらいにしようかと思ってたのですが、丁子屋の方がめっちゃ親切に説明してくれたり、あとはボランティアスタッフの方が街を歩きながら案内してくれたこともあり、一日かけてみっちり石岡について知ることができました( ̄▽ ̄)

実りある一日でしたわい!!

おわりに

はい、以上になります。

今回は石岡の建物をひたすら紹介しようということで、文章も多少はありつつも写真多めの記事となりました(*´▽`*)

丁子屋の方の話ですと、これらの看板建築を含む多くの登録有形文化財を使った町おこしとかも話には出るみたいですが、なかなか実現には至ってないみたいです。

取り壊しとかそういう話は聞いてないので、急がないとすぐに無くなるという話はないみたいですが、気になった方はぜひ石岡に足を運んでみてくださいね( ̄▽ ̄)

では、また次の記事でお会いしましょ〜〜

参考文献

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詳細・地図

住所 茨城県石岡市国府3丁目付近
アクセス JR石岡駅から徒歩10分ほど

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