神奈川県の先端に位置する三崎港。
マグロを食べるために多くの観光客が訪れるこの街には、明治41年創業の老舗旅館『三崎館本店』があるんですな~。

木造三階建ての見事な造りで、通りかかる方の多くがここでカメラを構えるほど見ごたえがある旅館なわけですが、今回はここに宿泊してご主人さんにいろんな話を聞いてきたというお話です。
かつてはマグロ漁港で賑わい、賑やかで芸者もいたころの話なども含めて、三崎館本店の歴史を紐解いていきましょ~~!
ずっと泊まりたかった三崎館本店へ!

今回の舞台は、神奈川県の先っぽに位置する三崎港になります。
三崎港というと、マグロが有名で多くの方がおいしいマグロ料理を食べに来る方が多かったり、あとは釣り客とかも多いんですかね??
ちなみに、私は地元が鎌倉で友達が釣り好きだったこともあり、よく城ケ島に釣りに行っていましたわ。
という雑談はさておき、今回私は三崎港にあった花街や遊廓に関する調査を中心にやってきたわけですが、その調査と一緒にぜひ泊りたかった旅館がここにはあるんですね!!

それがこちらの三崎館本店。木造三階建てということもあり、なかなかの存在感を誇るこの旅館は以前からずーーーーーっと気になっていたんですよね!
周辺のお店に三崎港の芸者さんがいたころの話などを聞いた時も、「三崎館には大きなお座敷も残っているし、あそこも芸者さんを上げて宴会してたようだから行ってみたら?」とも言われていたので(*´▽`*)
しばらくは新型コロナウイルスのせいでずっと辛抱していたんですが、緊急事態宣言も解けて三崎館本店の営業も再開していたようなので、2020年6月20日にようやくの宿泊となった次第です!
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ではでは、早速建物の中に入って行くことにしましょー。

訪問すると、早速受付でチェックインを済ませました。荷物を部屋に置いた後、仲居さんに「ちょっと私、いろんな街の歴史とかを調べ歩いておりまして、三崎館本店の歴史を伺いたいのですが!」という旨を告げてご主人さんを呼んでいただきました(*´▽`*)
そしてロビーでいろんな話を聞かせていただいたんですが、ご主人さん、すんごく親切な方で何でも気さくに話してくれたんですな!!
ということで、三崎館本店、そして三崎港がどんな歴史を経て今に至るか、以下で紹介していきますね(*´▽`*)
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海水浴客目当てに明治41年創業
ではでは、まずは三崎館本館が開業したころの話から始めることにしましょう!

三崎館本館の創業は1907(明治41)年のこと。
現在は建物の前には道路が通っていて産直センター(旧:魚市場)の建物がある状態となっていますが、開業当時は目の前は海でした。元々は材木屋だったご主人の先代が材木屋の傍ら旅館をはじめたのが始まりだったんですって。
館内には昔の外観の写真が年代別に展示されていますが、上の写真のように開業当初の写真も展示されているんですね。当初は、今とはだいぶ違った外観なんですね~。
ところがです、大正時代になると三崎港にとって大変大きな出来事が発生することになります。
そ、れ、が、、、
1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災でした。

この大震災によって、三崎館の前には海が広がっていたものの地盤が隆起。これによって、隆起した場所を埋め立てることで、目の前には道路が通ることになりその先には魚市場が建てられることになりました。
によって目の前の地形が隆起したことと、目の前に城ケ島があったことから津波の被害は免れたという。そこで、地盤が隆起したことから目に前には埋め立てて道路にし、さらには魚市場をも作りました。

以降、三崎館本館は上のように外観を変えながらも現在まで営業を続けてきました。後ほど話はしますが、三崎港は昭和40年頃がマグロ漁がさかんでピークではあったものの、そこからま漁獲量が減っていき、街の景気はどんどん下り坂となっていくんですね。
そんな中、お店をマグロ料理に特化した専門店に舵を取り、何か目新しいものを出して観光客を集めようと、今まで捨てられていた部位であったマグロの頭を使った『鮪のかぶと焼き』を開発。
そのような企業努力もあり、現在の令和の時代まで老舗旅館として営業し続けているのですね。
ではでは、そんな三崎館本館の内部をちょっくらご主人さんに案内していただいたので、写真と合わせて紹介していきますね!
風情ある館内を紹介!

スリッパがすげぇ数並んでいますが、こちらがロビーっす。


こちらには、昔の地図や三崎館の昔の外観の写真がたくさん展示されております。

こちらは記念写真ですね!
お偉いさんがご来店されていたようでこうして写真も掲げられておりましたが、ご来店されていたのは、なんと小泉純一郎元総理。
横須賀が地元ということもあって、三崎港は近いことから何か由縁があったんでしょうね!!

あと、なぜか玄関にはサザエがいたww

二階へ上がっていきましょう!

こちらの部屋は、粋な丸窓があり、部屋から海が見えるんですね~。そして、座布団とテーブルではなくイスとテーブル。時代の変化に伴い、座るのはしんどいということでテーブル席にしたそうですが、こういう声はいろんな料亭や元遊廓旅館で聞きますな~。

あと、こうした老舗料亭などでよく見られる網代天井(あじろてんじょう)があったり、、

という感じで、館内の様子を簡単に紹介してきましたが、続いては一番の見所である大広間へ行ってみましょ~~。
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海軍料亭「小松」を完コピした床の間

三崎館本館の一番の見所と言っても良いのが、こちらの大広間。ここは昭和の初めに作られており、現在の建物の中では一番古い部分。そして、天井に吊るされている電気も当時のまま。天井は格子天井となっており、こちらは昔の料亭だったり銭湯などでよく見るやつですな。

そしてこちらの緑色や丸窓が印象的な床の間にはちょっと面白いエピソードがありましてですね、この床の間は、ある有名料亭の床の間をそのまま復元させたそうなんですよ!
それが、、
横須賀にあった海軍料亭「小松」なんですね!
今のご主人のお爺さんが、「あの有名料亭の床の間のデザインを三崎にも持ってきたい!」と思ったことから、ココを作る時の宮大工さんに注文して完コピされたというわけなんですな。

ちょっと小松について解説しておくと、『小松』は、1885(明治18)年8月に横須賀の田戸海岸で開業した料亭でした。創業の前年に横須賀鎮守府が開設されたことから、客の多くは海軍関係者で占められました。
海軍料亭ともいわれ、開業以来には東郷平八郎、山本権兵衛、加藤友三郎、広瀬武夫、米内光政、山本五十六、井上成美などなど日本海軍のそうそうたるメンバーが訪れたんですね。

こちらは、『海軍料亭小松物語』という書籍にある大広間の写真なんですが、三崎館本店で復元した床の間というのがこの写真の奥に写っているやつなんでしょうね!
白黒ですし、奥に写っているってこともあってあんまはっきりはわからないですが、確かによく見てみると三崎館本店の大広間のやつとそっくりな気がする!

ちなみに、その超有名料亭であった「小松」ですが、残念ながら2016年に火事で焼失してしまいました。。
現在、その跡地は上の写真のような更地になってしまってるんですよね。。入り口の門だけが寂しく立ったままの状態で何だか切ないですわ。きっと火事が無ければ今でも営業してたんだろな~と思ってしまいますが、もうこうなってしまった以上しかたないですね。。
でも、小松に関しては書籍や残っている資料などを元にして、いずれは記事にする予定です。
という感じで、三崎館本店の館内を紹介しましたが、一旦ここでページを区切ることにしましょう!
次のページでは、三崎館に芸者さんがやってきたころの話や、人気ゲームの舞台になった話などを書いていきたいと思います!