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二階は見所がたくさん!!
藤村記念館に関しての背景を説明したところで、今度は二階を紹介することにしましょう!!
二階へ上がる階段はこちらなんですが、すんごい急ですwwさすが、明治時代に建てられたということで安全面は二の次。。これ、マジ足を踏み外したら救急車レベルの事故になるので要注意!!
あまり建築に関しては詳しくないですが、今の建築基準法とかではこれはアウトなんじゃないっすか( ;∀;)
ちなみに、上りよりも下りの方が100倍怖いです!!
甲府盆地って夜景が有名なんすよ!
二階に上がって最初にたどり着いたのはこちらの部屋。こちらの部屋は物が少なくあっけらかんとした感じ。奥の壁にある甲府盆地の巨大写真に目が行っちゃいますね。まっ、夜景はこの記念館には関係ない話ですが。。(笑)
といいつつも、展示してある甲府盆地の夜景の写真はとっても綺麗!!甲府盆地から少し坂を上った高台で撮られた写真ですかね!
奥にはひょっこりと富士山が見えるというのは、甲府盆地おなじみの景色。
そうなんですわ。山梨県って甲府盆地を中心にしてぐるっと周囲を山が囲っているような地形になっているんですよね。甲府盆地はあまり坂もなく平らになっていることから、周囲を少し上ると広大な甲府盆地の夜景をいろんな場所で鑑賞することができるというね!
ということで、綺麗な夜景が本当にたくさんの場所で見れるわけです。甘利山、八代ふるさと公園、ほったらかし温泉など多くの夜景の名所がこの周囲にはありますが、その中でも有名なのは新日本三大夜景に含まれている笛吹川フルーツ公園の夜景っす(*’▽’)
笛吹川フルーツ公園は有名な場所ではあるものの、夜景が見える時間帯でもそんなに人は多くないので、この景色を独占しやすいということで私の超お気に入りスポットっす!!
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日本全国にある擬洋風建築が!
こちらの部屋では、周囲ズララララっと写真が展示されていますな!
これ、何の写真かというと日本全国に現存している擬洋風建築の建物。藤村記念館などを調べるにあたり、初めて「擬洋風建築」という建築様式に触れた私ですが、全国にこんだけたくさんあるとは思いませんでした(`・ω・´)
知の冒険を始めて、すっかり博物館や建築物マニアと化した私。日本中のどんなマイナーな博物館などへ足を運んできたわけですが、擬洋風建築に関してもこんだけたくさんあるんだったらトコトン訪問し尽くしたい!!
しかし、本当に数多いな。。ま、まだ始めて四年だし、これからですな!!
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昔の教室が再現されている!
擬洋風建築の写真の奥には、こんな感じで昔の教室が再現されていました。そうですそうです、ここは実際に学校だったわけですからね。
ここに並べられている机といすはいつの時代のものでしょうか?大正とかそのあたりかな?
椅子と机と教卓だけではなく、かな~り古そうなピアノというかオルガンですかね、これは。足元にはペダルが二つ用意されていて、加圧した空気を検番で選択したパイプに送ることで発音するというもの。
今、私は31歳ですが、さすがに私が小学校の頃にはこういったオルガンはもうなかったっすね。
壁面を見るとこんな文字が。どうやら、この辺の方か誰かに寄贈されたようです。どうなんですかね、実際に弾こうと思ったら今でも音出るんですかね?
ま、弾けたとしても私は猫ふんじゃったしか弾けませんけども。。(笑)
一応、教卓に立ってみました(*’▽’)
お~なんかいいですね。本当に学校にいるみたいですよ!ちなみに、こう見えても(見えないかww)私は中学・高校の理科の教育免許を持っていたりします。
その免許を取るために、大学院一年生の時には地元の鎌倉市内の中学校へ三週間ほど教育実習をしたこともあって、ちょっと懐かしい雰囲気(*’▽’)
擬洋風建築を建てた藤村紫朗
藤村記念館を一通り紹介したところで、この建物を建てるきっかけになった藤村紫朗に関して話すことにしましょう!
藤村は熊本出身の人物でした。山梨県の県令になる前は京都や大阪にいたそうで、そこで早くから洋風の建築を見てきたことで、洋風の建築が好きになったとのこと。
山梨県内には、明治時代の前期には藤村の意向によって多くの官公舎、学校、商家などが擬洋風建築の様式で建てられ、それは藤村紫朗にちなんで「藤村式建築」と山梨県内では呼ばれていたそうです。
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藤村紫朗によって擬洋風建築は広められた
県内にたくさんあった擬洋風建築ではありますが、2019年現在、県内に現存するのは六つ。ただし、愛知県にある博物館明治村には旧東山梨郡役所脱建物が移築されているので、厳密にいうと現存しているのは七つになります。
住所:山梨県北杜市須玉町下津金3058
明治8年に建てられた津金学校の校舎。
旧室伏学校
住所:山梨県山梨市牧丘町室伏2120
明治8年に落成し、同年10月に開校した室伏学校の校舎。
旧田中銀行博物館
住所:山梨県甲州市勝沼町勝沼3130
中央線の敷設によって誕生した電信局舎として誕生した建物。
旧舂米学校校舎
住所:山梨県南巨摩郡富士川町最勝寺320
明治9年に完成した舂米(つきよね)小学校の校舎。
尾県郷土資料館
住所:山梨県都留市小形山1565-1
1878年に開校した小学校の校舎。
山梨県内に現存しているもののうち、旧田中銀行博物館以外はもともと学校だった建物。とはいいつつも、旧田中銀行の建物だって始めは中央線の敷設によって電信局舎として誕生していたりと、なかなか面白い背景があったりするんですぜ!
既に全部の博物館を取材してはいるのですが、この記事を除くと記事をかけているのは旧田中銀行博物館のみ。。記事の優先度だったり、書くのに結構時間がかかったりでして。。
↓んで、旧田中銀行博物館の記事は以下になりますので、ぜひ見てみてくださいね!!
ただ、この擬洋風建築というの様式は山梨県内だけにあったわけではなく、日本中に建てられていたようです。現在でも、その建物が様々な場所で保存されているんですね。
私は知の冒険の取材の中で、以前に神奈川県平塚市にある旧横浜ゴム平塚製造所記念館という博物館を取材したことがあります。「なんか洋風っぽい珍しい建物だな~~」と思っていたのですが、実はこちらも擬洋風建築。
藤村によって県営製糸場も建てられた
さらに、館内にはこんな写真も展示されていました。これは何かというと、県営勧業製糸場。1873(明治6)年8月に、殖産興業を掲げた県令藤村紫朗により県営の製糸場が甲府錦町(現中央一丁目)に建設が着工されました。
というのも、1859(安政6)年に日本が開港してから、1933(昭和8)年に至るまでの75年間、生糸は一貫して日本の輸出品目のトップの座にあったんですね。
そこで、関東甲信越地方などを中心に、特に山梨・長野・群馬県などの甲信越地方では、清涼な気候などを利用して多くの生糸が作られて横浜港から国外へと輸出されていきました。
そんな中、甲府市内に造られたのが県営勧業製糸場でした。製糸場というと、群馬県内に造られた富岡製糸場が有名ですが、甲府市にも大きめの製糸場があったんですな!!
ただこの県営製糸場以外にも、幕末の時代には甲府市内に多くの洋風な建物が立ち並んだそうです。そんなハイカラな町だった甲府市内も、老朽化などの要因で建物は入れ替わっていき、今ではそのような町だった痕跡はもう残ってはいません。
どんな雰囲気だったんだろうな~~、その雰囲気の中を歩いてみたかったな~~。。
おわりに
甲府駅の目の前という最高の立地にある、今回紹介した「藤村記念館」。とはいっても、多くの人は同じ甲府駅北口にある観光地の武田神社目当ての方が多いんだろうな。。
この擬洋風建築というのは、山梨県の歴史においては欠かすことのできない建造物。今は県内に六つあるものの、他の博物館はアクセスが悪いこともあってお客さんはめっちゃ少ないです。。
山梨県っていうと、信玄餅とかブドウ狩りとかほうとうに石和温泉など名物や名所は多いですが、ぜひ山梨県に来た際には、この擬洋風建築にも触れてみてはいかがでしょうか??
参考文献
詳細・地図
住所 | 甲府市北口2-2-1(甲府駅北口広場) |
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営業時間 | 09:00~17:00 |
定休日 | 月曜日(月曜日が休みの場合は火曜日)、年末年始 |
入館料 | 無料 |
駐車場 | なし |
電話番号 | 055-252-2762 |
アクセス | JR甲府駅北口から徒歩1分 |
リンク | https://www.city.kofu.yamanashi.jp/bunkashinko/shisetsu/bunka/fujimura.html |