戦闘機に乗っていた渡辺さんは・・
一方、渡辺さんはというと、博多湾から救助されたものの、最終的には1945(昭和20)年4月20日に知覧飛行場から沖縄方面への特攻作戦で亡くなったそうです。
特攻の命令が下った後、出撃の前に渡辺大尉は母親に向けて日記を書き記していました。このノートは、知覧飛行場に来ていた朝日新聞の記者に、鳥取の母親に渡すよう密かに頼んでいたのではないかと言われています。
ノートの中には、特攻間近の日々を書き記した日記が書かれており、もう母親には会えないということで母親に向けた最後の言葉も書かれていました。この中身はネットには載せかねますが、感極まるものがあります。
渕上館長は奥さんと共に、佐藤さんから渡辺さんの住所を教えていただき、渡辺さんの実家がある鳥取に慰霊に向かったそうです。その際にこの手帳を快く見せていただき、コピーさせていただいたそうです(それが、上の写真に写っているやつ)。
渡辺さんの願いを受けて、朝日新聞の記者の方がお金をはさんだ手帳を鳥取まで持ってきてくれて、仏壇に供えていたそうな。手帳にはお金が挟まっており、当時のお金で200円。現在の価値でいうと200万円相当だという。
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その他、九七式戦闘機にあった箸箱などの遺品も大刀洗へ寄贈していただき、2019年5月現在では渡辺さんのコーナーが出来ていて、この記事で説明したようなことが展示されていると思います。
凄い博物館だが知名度が・・
大刀洗平和記念館には以上のような背景があったんですね。現在は、新しい方の大刀洗平和記念館に行くことが多くこちらの大刀洗レトロステーションに訪れる方はごくわずか。
もともとこちらが大刀洗平和記念館だったと知っている方はほぼいなく、なかなか気づかれにくい場所にもあるので。。実際、私も最初は「何かレトロな博物館があるから行ってみよう!」と思っただけで、そこで「実はここが元々の平和記念館で・・」という背景を知ったんですわ!
ここに来るお客さんは、大抵が向こうの平和記念館を訪問した後に訪れるそうです。その方々にスタッフが「実はここが元々の記念館でして・・」と話すと、「え~そうだったんですか、じゃあもっと早くこっちに来ていればよかった~」というリアクションになるのだとか。
訪問客が少ないということで、時にはマンツーマンで世間話も含めながらこの記事に書いたような平和記念館の設立背景や九七式戦闘機復元の話などをするそうです。
現在の大刀洗平和記念館は、町が管理しているということもあり写真撮影は零戦以外は不可。ところが、こちらの資料は好きなように手に取って写真撮影もできるのでいいっすよ(*’▽’)
ただ、多くの資料は向こうに譲ってしまったので、九七式戦闘機関連のものくらいしか残っていないですけどね・・。
おわりに
かなり長い時間、スタッフの方や渕上館長に取材対応していただき本当に感謝。最後は、館長と一緒に写真を撮っていただきました( ´ ▽ ` )ノ
今回は『大刀洗レトロステーション』という博物館が、実はもともとの大刀洗平和記念館であり、その背景に関して紹介してきました。
この記事の続編として、次の記事では大刀洗レトロステーション(旧大刀洗平和記念館)の現状や、その向かいにある新しい大刀洗平和記念館に関して紹介していこうかと思います!
参考文献
詳細・地図
住所 | 福岡県朝倉郡筑前町高田417−3 |
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営業時間 | 09:00~17:00(入館は16:30まで) |
定休日 | 火曜日(祭日の場合は開館) |
入館料 | 大人 500円(400円) 高校生 400円(300円) 小中学生 300円(200円) ※( )は団体割引料金(15名以上から) |
駐車場 | 無料(10台) |
電話番号 | 0946-22-2686 |
アクセス | 甘木鉄道「太刀洗駅」から徒歩10秒 |
リンク | https://www.crossroadfukuoka.jp/jp/event/?mode=detail&id=400000007522&isSpot=1 |
コメント
写真等のエビデンスを織り交ぜながらのアップに共感しました。