創業330年以上!吉原宿で歴史をつなぐ元旅籠「鯛屋旅館」とは!?

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

こんちわっす!

今回も、前回の記事に引き続き老舗の旅館を紹介します。しかも今回の旅館、ただでさえ創業100年でもすごい歴史ある旅館なのに、それを遥かに凌ぐ創業300年を超える老舗旅館というのだから、これはビックリせずにはいられない!

そして、泊まりにいかずにはいられない!

ということで、早速その旅館がある静岡県の吉原へと向かって宿泊、そしてご主人から宿の歴史についていろいろ聞いてきました!

300年以上も続く旅館の歴史、以下で紹介していきますね〜!

本記事のポイント

・創業は1682年、吉原宿の元旅籠だった旅館
・清水次郎長、山岡鉄舟の常宿だった
・富士市には製紙工場が多かったことから、ビジネスマンが多かった

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創業330年を超える老舗旅館

全国を探すと、なが~~~~い歴史を持つ老舗旅館っていくつかあるんですよね!

最近は創業100年を超える旅館に結構泊まってきましたよ。前回の記事に書いた千葉県館山市の幸田旅館もそうですし、私が棲む神奈川県でいえば、茅ヶ崎館、三崎館本店、旅館松島などですかね。

その中でも、人生の中で一番の老舗だった旅館は、石川県粟津温泉にある「法師」っすね。

創業1300年というので、1300年に創業したのかと思ったのですが、まさかの逆ww創業から1300年経っているとのことで、今の当主は46代目ということらしいっす。46代って、凄すぎや。。

ちなみに、この法師という旅館は、現存する旅館としては日本で二番目に古い旅館であり、日本一の老舗は山梨県にある慶雲館で、飛鳥時代の開湯とのこと。

飛鳥時代って、、、どんだけですがなww

超老舗旅館の鯛屋旅館

そんで、今回紹介するのは、静岡県富士市吉原にある、こちらの「鯛屋旅館」。吉原と聞くと、東京の歓楽街の吉原を想像する方が多いかもしれませんが、場所はだいぶ違いますぞ!!

これだけ見ると、300年以上もの旅館には見えないかもしれないっすが、ちょっと近づいてみましょう!

入り口は良い雰囲気

どうです?

近づいてみると、入り口は昔を感じれるいい雰囲気っすね!

素晴らしい看板

この帽子見ると、『北風小蔵の寒太郎』を思い出す・・。

木札が良い雰囲気

「ごめんくださ~~~い」と館内に入ってみる。

お~~~この壁に掲げられた木札が良い雰囲気を醸し出してるじゃないっすか!館内もちょっと昭和な雰囲気ではあるんですが、それでも館内の雰囲気とこの木札の時代ギャップがすさまじいっすな!

部屋の名前が珍しい

受付を済ませ、そして夕飯後に取材対応させていただく旨を伝えて部屋へと向かう。部屋の名前は「薄葉」と珍しいお名前。

そして部屋がある二階に上がると・・
定番のシカのはく製があった

そしてここの旅館の凄いところは、とにかく安いってこと!

電話で予約するとき、

私:「1泊2食付きでお願いします!」

ご主人:「1泊2食付きですと、5,550円になりますけど大丈夫でしょうか?」

私:「大丈夫です!!」

もはや、そんだけ歴史ある旅館を5,550円で泊まっていいんすかって逆に思っちゃうくらいの安さ。まぁ確かに、設備とかホスピタリティがすごいってわけではなく、歴史に興味ない人間からすると普通のビジネス旅館なのかもしれないですが、私からするとこんだけ歴史があるってだけでもうたまんないんすわ!

引用元:鯛屋旅館HP

部屋を見てもわかるように、ここは家族連れとかが泊まる感じではなく、一人客、特にビジネス客目当ての簡易旅館っすからね。なのでこの安さって感じ。

素泊まりだったら3,450円と漫画喫茶とあんま変わんない金額ですよ!

裏口の入り口に鑑札発見

館内をウロウロしてみると、木札の鑑札を発見!

昭和33年に発行されたものみたいです。

表にもまた鑑札あった

んで、なんと表にももう一つありました。こちらは旅館営業の鑑札で、明治20年という文字が見えます。かなり古いものっすね。

あと、この左に描かれているのは誰だかわかりますでしょうか?

そうです、仙台四郎です。いわゆる大阪でいうビリケン的な立ち位置で、商売繁盛、福の神みたいな縁起物として親しまれていますね。

あと福助もいた

ちなみに、風呂場はこんな感じ。床や壁がタイルであり、ここも昭和などこか懐かしい雰囲気でしたよん。

10代目のご主人さんに取材を

という感じでかる~~く館内を紹介したところで、ちょっとだけ鯛屋旅館の背景に関する説明を!

夕飯を食った後、10代目となるご主人さんと一緒にソファーに座りながら話を聞くことが出来ました。

ご主人さんに取材させていただいた

鯛屋旅館が創業したのは、1682年のこと。東海道の14番目となる宿場町であり、ここで始まった元旅籠でした。

とはいえ、ココは本陣でもなかったので大名のようなお偉いさんが宿泊していたわけではありませんでした。下級武士とかそういった方々が泊まっていたってことっすかね、

今では一階の通路にこうして木札が掲げられていますが、これはこの辺の旅籠に宿泊する方々の名が書かれたもの。

上手いのかどうなのかわからん・・

とはいえ、見ても達筆?すぎて、もはや何て書いてるのかわからん。解読不能状態であります。

という感じで話を聞くものの、昔の資料というか物として残っているのはこの木札のみ。創業時からずっと現在の場所で営業を続けてはいるものの、太平洋戦争の終戦間近には、この辺がポツポツと軍の命令で建物の強制疎開が行われたということで、鯛屋旅館の建物も壊して整地に。

ご主人さんは山梨の下部温泉のあたりに疎開。その際にいろいろ捨てるなどしてしまい、宿帳などのも今は残ってないみたいです。

洗濯設備が充実

そんな鯛屋旅館。戦前、さらには終戦後もずっと旅館として現在まで営業を続けていおり、富士市は戦後以降、たくさんの製紙工場があったことから、ビジネス客がコンスタントに宿泊してくれたようです。

「旅館業は儲かりはしないかもしれないが、細々とは続けられましたね。」とご主人さんが話すように、ビジネス客がいたことから今まで続けられているようです。

そば屋も人気とのこと

取材させていただいたご主人さんは10代目で、今は11代目の長男さんが今は取り仕切っているとのこと。

この旅館は、同じ敷地で蕎麦屋をやっており、今でもこのお店も人気店のこと。

このお蕎麦屋さんは、長男さんが7,8年前に始めたようで、大阪の方から富士市へとゴルフに来ていた手打ちそばのオーナーが泊まりに来てくれていたご縁がキッカケとのこと。

靴屋さんとして店舗を貸していた場所が辞めて空いたため、そのオーナーから「ここでそばやったらどう?今なら教えられるよ?」ということで、泊りがけで長男さんに教えてくれたのだという。

いい巡り合わせっすね!

清水次郎長、山岡鉄舟の常宿

そしてここの宿の売りとしては「清水次郎長」「山岡鉄舟」の定宿だったという点っす!

清水次郎長の定宿だった

清水次郎長とは、多くの子分を抱えた御親分で、今でいうヤーさんですね。言ってしまえばwwとはいえ、正義感があり子分を大事にしていたことから、大変慕われていた方だったそうです。

でも山岡鉄舟から「ヤクザから足を洗え!」と説教され、カタギの道へと進むことに。

そんで、地元だった清水にある清水港を開拓し、富士市では開墾事業を行い、茶畑を作るなど大活躍。その際など、富士市を訪れる用事があるときは、度々、鯛屋旅館を利用したとのことです。

山岡鉄舟の自筆札

さらには「江戸無血開城」の影の主役でもあった山岡鉄舟の常宿でもあり、彼直筆の札もありますぞ!

身延山参拝の指定旅館だった

さらには、江戸時代には身延山参拝の指定旅館でした。身延山というと、日蓮宗の総本山であり、多くの講を作った参拝客が訪れたお寺。おそらくですが、東海道で吉原宿へやってきて、ここから富士川に沿って北上するという、参拝のための通り道だったんじゃないっすかね。

おわりに

という感じで、ずっと気になっていた鯛屋旅館の紹介でした。

ド派手な外観の『ライカビル』

そんな静岡県の吉原という場所なんですけど、ここには他にもキニナル場所がいくつかありまして、その一つが、このライカビルっす。まさに突然現れたディズニーランドのイッツアスモールワールドのアトラクションにも出てきそうなド派手外観。

何かというと、ただの飲み屋ビルなんですけど、なんでこんな物作ったのかってのが気になるわけですよ。これ、「ライカ三」ということもあり、「ライカ一」は同じ吉原に、「ライカ二」は富士市にあります。

とってもキニナル。。

参考文献

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詳細・地図

住所 静岡県富士市吉原2-3-21
駐車場 無料
電話番号 0545-52-0012
アクセス 岳南鉄道「吉原本町」駅より徒歩5分
バス3分(ひまわりバス「鯛屋旅館」バス停すぐ)
富士急行バス「吉原中央」駅(バスターミナル)より徒歩2分
JR東海「新富士」駅(東海道新幹線)より車で12分
リンク https://www.fuji-taiyaryokan.jp/

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